1-③

ああ、君ならきっとそう言うだろうと思っていたよ。それを言われるのがいちばん怖かったんだ。僕は独りで起き上がる。

 君が伸ばしてくれたその手を取ることが出来たなら、僕はどんなに嬉しいだろう。君と並んで、君と歩んで、君と同じものを見て、君の傍でそれを分かち合うことが出来たなら、それはどんなに素敵だろう。こころのどこかで、僕はずっとそれを望んでいたんだ。そんな夢が叶えばいいなと願っていたんだよ。本当にね。

 それでも僕の心の大部分は、やっぱり僕にこう言わせるんだ。


「だめだ。それは出来ないよ」


「僕らはまだ子供だ」それは、あまり関係が無い。

「義務教育だって終わっちゃいないんだよ」それも、あまり関係が無い。

「もっと普通に生きて行こうよ。普通の日常、普通の暮らしをさ」日常なんてもう戻ってこない。聴力が回復してきたから、街に鳴り響くサイレンの音が聞こえてくる。どこかで火の手が上がっている。


 うん?いま誰か屋根の上を飛び跳ねてる人がいたぞ。あれは見なかったことにしよう。


「ナズナにはきっと、ナズナを待っている世界があるんだろうね」君を待っている世界は確かにあるんだよ。

「それは素敵なことだと僕は思うよ」それは素敵なことだと僕は思うよ。

「でも、それは僕の世界ではないんだ」僕はもっと醜い、汚れた世界を生きているんだ。

「君が宇宙に行けるなら行ってくるといい、それは絶対にいいことだと思う」どうせなら帝位を簒奪して帝国を、あまねく銀河を支配してくれませんか?およそ人の持つことができる権威と権能のすべてを手に入れて、なにもかも貴女の好きに振舞ってくれませんか。

 僕のことも、好きにしてくれませんか。

 任務のくびきから僕を解放してくれませんか。ねえ、


 ナーズナディール・パ・ラ・ミリシエール皇女殿下。


 それはあんまり独善的で卑怯な願いだ。およそナズナに要求できるようなことではないよ。そんなことわかってるよ。

「ナズナはナズナの夢を叶えるといい。僕にはその、帰る家もあるしさ」その家が僕を軛に縛り付けるのだけれども。

「だから、ごめんね。やっぱり僕は一緒には行けない」メガネに指を当てて、グラスの透過率を変える。ナズナがどんな顔をしているのかあまり見たくはなかったし、なにより僕の目を見られたくなかった。中空に浮かんでいるゴギョウさんの立体映像に向かって僕は言う。

「降ろしてください。家に帰ります」心にも無いことを告げる。


「……なあセリくんよ、このまま降ろしてやりたいのは山々なんじゃが、残念ながらそうもいかなくなった」そうですね、いま僕もわかりました。

 ナズナはまだ気がついていないだろうけど、姿勢安定装置が再び実体化する。


 ブランシュ・ネージュが戦闘態勢に移行したんだ。


 雲間から降下してくる船影が見える。どこに隠れていたのか、こちらの起動を感知してようやく姿を現したな。「ああっ、UFOだよセリ!」えっ、あーそうねそういう感じしますねたしかに。

「あれは円盤型宇宙船ディスク・スターシップですな皇女殿下」上部は円盤形、下部は円筒形の船体構造で、何に見えるかっていったらキノコ型かなあ。ナズナを追ってこの街に潜入暗殺ボットをバラまいた張本人の船だ。たぶん、船だけだろうけどな。

「停船信号を送りましたが返答がありません。ともかく、艦内にお入りください殿下。セリくん、君もだ。これは本来、市井の者に許されるようなことではないのだが、いまは緊急事態なので仕方あるまい」ブランシュ・ネージュの胸部に乗船口タラップが開き掌甲板が持ち上がる。中の様子は「真っ暗だよ?」「おお、失礼しました」船室内に明りが灯る。

「わー、すごいねこれ」確かにこれはすごいよな。球形の操舵室は全面がモニターになっていて、ブランシュ・ネージュの視点から前後左右に上下まで、あらゆる方位を見通せる。高級指揮艦ならではの装備だ。ナズナが高所恐怖症でなくてよかったね。

「あっ、なんだこれ浮いてる?浮いてるよわたし??」操舵室自体はそれほど広いものではないけど、ナズナが身に付けている操舵服と姿勢安定装置が、ナズナの身体を中央部に浮かべているんだ。

 当然僕にはそんなもの無いから、球形の床にへたり込むようなことになる。ナズナの邪魔にならないよう背後に回って見上げると、

 おお。

 ということにはならない。姿勢安定装置が鉄壁の護りを固めているぞ。チェー。

 ブランシュ・ネージュの索敵システムが敵船を捉えて全天球モニターにマークアップする。高確率でレンチヌラ型巡航船と推定、か。だいぶ改装されてるなあれ。

 軍用宇宙艦ではないけれど、民間の探査船ではよくあるタイプの船だ。ときどき地球にも飛来して、人に目撃されたりもする。そしていま僕らの眼前に降下してくるその船は、明らかに武装していた。

 下部船体左右に3つずつ、合計6門搭載されているのは対艦攻撃用のプラズマレールガンだろう。あれなら大気圏内で使用しても威力が減衰することはない。船体上部からは触手状フレキシブルの作業腕が垂れ下がっているけど、その先に装着されている圧砕マニピュレーターは近接戦闘にも使用可能だ。こういうのなんて言うんだっけ、仮装巡洋艦レイダークルーザー

「本艦の戦闘操舵は操舵手、つまり皇女殿下による直接主従ダイレクトスレイブ方式となっております」ゴギョウさんの姿がナズナのすぐそばで立体的に投影される。AR拡張サブウインドウの中は相変わらずモノクロ画の走査線だらけで、なんだか遺影みたいですよ?

「この操舵室内で殿下がお身体を動かされますと、操舵服を通じて情報が艦全体に伝達され、本艦ブランシュ・ネージュはその動作を直接反映して動く。そういう仕組みになっております」「へぇぇ……」ナズナさん、説明わかってます?もっとアニメとかマンガとかよく見とくべきでしたね。

「とはいえ、火器管制はまだまだ御手を煩わすわけには参りませんから、わたくしが執り行います。殿下はどうぞそのまま楽にしておいでください」「あ、はーい」中空で膝を折るナズナ。ブランシュ・ネージュも当然そのまま座り込む。あのー、なにか踏みつぶしましたよいま?

「わわっ!ホントに動いた!!」「し、失礼しました皇女殿下、射界を確保するためにどうかお立ちになってください」大変だなおい。

 コントやってる場合じゃないぞ。レンチヌラを示すマーカーが赤く変わり警告音が響く。照準されてる!撃ってきた!!6つの砲口がプラズマ発光する、全門斉射か。

 でも、全然平気です。ブランシュ・ネージュのCIWWSが自動的に作動した。本来はこうして個艦防空を行うための装備なのだ。周辺の空間が歪みレールガンの飛翔体は弾道を捻じ曲げられ、すべて迎撃される。提督艦級戦列艦の装甲は、あの程度の武装じゃ傷ひとつつかない。周囲の地面はそれはそれは大変なことになってるけど。

 ――街に被害は生じていないな。僕はこっそり、全天モニターで背後を確認する。ナズナはそういう事に気を配る余裕はないだろうし。

「え、いまどうかしたの?ちょっと揺れたよ」あー、なんか余裕ですねナズナさん?モニターの情報も読めないだろうし、そもそも何が起きたかもわからなかったみたいだな。これは案外楽勝かもしれない。うむ、圧倒的じゃないですか我々。僕なんにもしてないけど。

「本艦はただいま前方の船より攻撃を受けました」「えっ大丈夫なの」ぜんぜんへっちゃらです!「大丈夫でございますよ殿下、ご安心ください。以降目標を『敵艦Aエー』と呼称し、これより反撃を開始いたします」えーもっと格好いい名前つけましょうよー。

 ともあれ、資料によればブランシュ・ネージュには大小様々な火器が合計96門搭載されている。彼我の距離、1G重力下の大気圏内に於いて、民間船舶改装の仮装巡洋艦相手に用いる最適な武装は――

 などと思ってるうちにターゲットマーカーが開き、目標を捉えた。勝ったぞフフン。などと思ったらまたひとつ、ターゲットマーカーが開く。もうひとつ、ふたつ、みっつ。えっなにやってんですかゴギョウさん?「わあ綺麗、花火みたい」ナズナさん、あなたまたしても何もわかっていないですね?

 たぶん、ブランシュ・ネージュに搭載されたすべての砲門が指向されてるんじゃないかこれ。モニター内のレンチヌラあらため敵艦Aの近辺はマーカーだらけでなにがなにやらわからない。あきらかにオーバーキルですよ?「おわっ!どうしたことじゃ一体!!」とても艦載AIの台詞とは思えない……。

「えっと……大丈夫なのおじいちゃん?」ぜんぜんダメダメです!「大丈夫でございますよ皇女殿下。それとわたくしのことはゴギョウと呼び捨てされて構いません」いまする話か。「それ、いまする話?」

 ゴギョウさん艦橋システム内部に仮想人格を構築したって言ってたけど、もしや兵装を完全には制御できてないんじゃあるまいか。兵装だけならいいんだけれど……いやいや、よくないけれど。

「よし!これで大丈夫じゃ」山ほど開いてたターゲットマーカーが次々に閉じ、ひとつだけが残る。「渦動破壊砲ヴォルテックス・ブラスターを使用します。多少の衝撃と閃光が生じますが、殿下のお身体は操艦システムによって万全に護られます。ご安心ください」あの、僕は?

 ていうか渦動破壊砲って大気圏内で軽率にぶっ放してよいシロモノなのか。あれは反物質投射機の一種で、この艦の装備では主刀の次ぐらいに強力な兵器じゃないか。ちょいちょいちょい!ちょいと待ってよ!せめて中性子ビームとか衝撃レーザーとかもう少し低威力のものをですね。

 などと、口には出せないやましさ。ブランシュ・ネージュは砲撃シークエンスを開始した。渦動破壊砲は高次元と接続しそこから無尽蔵のエネルギーを得ることによって、砲撃システム全体を艦外に構成する兵器だ。両腕を真っすぐ前方に伸ばして誘導伝路ガイドラインを形づくると、艦体との間に生じる場に光が溢れ出す。円筒形の薬室チャンバーが焦点を合わせて顕現し、薬室内には反陽子A P砲弾が形成される。

 高次元空間から3次元空間に力場を固定する副作用で、渦動破壊砲の周囲には強烈な閃光が発生する。これを傍から見れば光り輝く魔法陣から激しく回転するパイルが生えてくるような絶景が見えるだろう。艦内から見てるとただ眩しいだけだけど。

 薬室からは螺旋状に回転する砲身バレルが延伸し、3次元空間をトンネルのように掘り進んでいく。砲身によって穿たれた虚無の通路の中を、反陽子砲弾は旋転弾道を描いて疾駆するのだ。やっぱり、艦内から見てるとただ眩しいだけだうわー、やっべぇー。薬室内の光圧が高まり操舵室内に射撃警報が鳴り響く。

「えっなんかこれ怖くない?大丈夫なのおじいちゃん?大丈夫かなあ、セリ」「ええっ、ど、どうなんだろう!?」すいませんもうダメです。反陽子砲弾が射出される!いま!!

 渦動破壊砲。その名の通り光り輝く渦動によって、あらゆる物質は破壊され、消滅する。そして反陽子砲弾が対消滅する際に生じるエネルギーが、周囲にまで甚大な被害をもたらす大量破壊兵器だ。なんてことするんだゴギョウさん。なんてことを……。

 おや。

 なんともなってない。目標は依然健在だ。反陽子砲弾はターゲットマーカーから大幅にズレた位置に伸びて行った砲身を通じて、明後日の夜空に飛び去ってしまった。ありゃー。砲弾が自壊する前にどこぞの人工衛星に当たったりしなきゃいいんだけど。

「おわっ!外れてしまった!な、なんでじゃあッ!?」ほんとに艦載AIの台詞とは思えないぞ……。あのーこれ、索敵追尾システムと各砲との照準補正やってませんね?やってる暇もなかったから仕方が無いか。あーでもいまので修正は効くのかな。降下速度を増した敵艦をマーカーが追尾している。

「ご心配召されるな皇女殿下。次は当たりますぞ」当たるだろうなあ。「ちょ、ちょっと待ってよおじいちゃん!」「ゴギョウとお呼びくだされ」「そういうのいいから!!」

「なんかいまの、ものすごいやつ」「渦動破壊砲と申します」「あんなの撃って大丈夫なの?なんか、なんかすご過ぎじゃない!?」「本艦の搭載する火砲では最大の破壊力を有するものですからな。確実に敵艦を沈められます」ゴギョウさん、あなたものすごく安直なロジックで火器選定しましたね?

 敵艦Aは稜線の向こう側に隠れ るつもりだな。これはマズいぞ。こちらが上空に遷移して攻撃を加えたら付随被害は間違いない。しかしいま火器選定を変更すれば、おそらく最初の一発は必ず外れる。どうする?

「これ、わたしが動いた通りに動くって言ったよね?じゃあ直接止めに行けばそれでいいじゃん!その、パンチとかして……」「む、無茶で御座いますよ殿下」いや、そうでもないな。

 戦列艦は白兵戦にも十分対応している。提督艦級がそんなことはめったにやらないけれど、可能なことは可能だ。そしてナズナなら戦列艦でいいパンチを放つこともできるだろう。それはさっき殴られたばかりの僕が保証します。でも、もうちょっとマシな方法があるんじゃないかなー。

「あのー、お取込み中のところ失礼しますが……」おそるおそる、という感じで手を挙げる。普通に、一般人のように振舞え。忍ぶとはそういう事だ。

「君は黙っていなさい」「なに?なにかいい考えでもあるの、セリ?」ゴギョウさんの言は無視して、ゴギョウさんに向けて話す。大事なのはこの提案にナズナをうまく乗せて、この場の主導権を握らせることだ。

「さっきちょっと見えたんですけど、この“ロボット”、腰のあたりになんか『いい感じの棒』みたいなのぶら下げてませんでした?あれを使ってこう……ぶっ叩くのはどうかなあと。その、ナズナ……さんが使う、木刀みたいに」

「セリ……」「あのなセリくん」えっふたりとも視線冷たくない?ナズナにとってはいい提案だと思ったんだけど??

「木刀と『いい感じの棒』なんてものを一緒にしないでくれる?ほんと男子ってそんな子ばっかり」「……はい、すいません」ぐぬぬ。「でもまあ、剣道やるように動けるなら、それはいい考えかも知れないよ?おじいちゃん」でしょでしょ。

 ゴギョウさんは無知蒙昧な野蛮人のガキを見るような眼を変えない。無知蒙昧な野蛮人のガキを演じてるから仕方ないんだけどな。あっいまめっちゃ深くため息つきましたね?AIなのに実に自然な振舞いですね。なんかムカつきますね。

「君は何も知らんからそのような阿呆なことを言えるのじゃろうが、あれは木刀でも『いい感じの棒』でもないのだ。君が見たものは本艦の主刀の、L.V.S.というものでな」

 知ってますよ。多重階層次元断裂剣レイヤードバースタードソードでしょう。対象物の存在を重なり合う複数の次元ごと断ち斬り、空間のみならず時間的な存在も抹消する武器。因果も応報もない虚無へと。対象物を切り捨てる刀。惑星、いや恒星だって破壊可能な特級戦略兵器だ。

「ひとたびその刀身を展開し斬撃を加えれば、目標となったものは、11の多重次元全てでその存在を抹消されてしまう。その影響が及ぼす範囲は容易に観測も推測も出来るものではない。そう易々と使ってよい武器ではないのじゃ」

「刀身を、展開する?」ここはもう少し引っ張らないとな。「うむ。君が見たものは装甲帯に懸架されているL.V.S.のフレーム、基盤となる刀身に過ぎないのじゃ。実戦に用いる際にはあれから多重次元に向けてやいばが伸びる。人間の視覚には3次元上の存在しか認識できないが、それでも光り輝く刃を目にすることにはなろう」「あー、アニメのビームセイバーとかライトサーベルみたいな」「……まあ、そんなもんじゃな」この話、ナズナはついて来てくれるだろうか?

「そんなにすごいんですか」「わかったかね」「じゃあ、そんなにすごい刃を多重……次元?に展開する刀だったら、その刀身は、ものすごく頑丈なんじゃありませんか?」「むむ」実際、頑丈なのだ。おまけに相手はただの民間船に雑な武装を搭載しただけの海賊船に毛が生えたような艦で、防護甲板ひとつ装備しちゃいまい。問題ない。

「剣術というのは必ずしも刀だけで戦うわけではないでしょう?木刀で真剣に勝った侍もいると聞きますし、刀の代わりに鞘を振るって戦うこともあるでしょう」前に本で読んだんだけどね。

「例えそうであっても、決して軽率に振るってよいものではないのじゃ。この武器の持つ力も意味も、君にはわからんことじゃろうが」

 艦載AIには戦略兵器の使用を可能とする決定権がない。ゴギョウさんが承諾しないのは、結局のところそれが理由だ。渦動破壊砲で非常識に反物質を投射しても、それは精々いまとここを破壊するだけ。しかしあの刀にはそれ以上の力が確かにある。たとえ全力で攻撃するわけでなくとも、安全装置を解除して抜刀することは出来ない。AIにはその権限がない。

 それを有するのは、艦隊司令や軍団長といった役職に就く高級将官か、あるいは。

「おじいちゃん、わたしやるよ、やってみるよ!」


 皇族だ。


「いや、ですからな皇女殿下」「その皇女殿下っていうのもやめてね。なんだか自分だって気がしない。いつもの通り、わたしはナズナよ」「じゃからな、ナズナよ。ちゃんと話を聞いていたのかね」

「これ以上ばんばん大砲なんか撃ってたら、街が滅茶苦茶になっちゃう。わたしがいちばん自然にあれを止めようと思うなら、殴る蹴るよりやっぱり剣道でしょう?だから」


「やります。」


 うん、いい顔してるなあ。正面から向き合えないのが残念です。

「……そこまで言うのであれば、致し方あるまい」AIは結局、プロトコルに沿ってしか活動できない。もしもここに生前のゴギョウさんが居られたら、話は変わっていただろうけどね。でもゴギョウさんが存命だったら、ここで決断を迫られることも無かったか。

 ナズナの操舵服の腰のあたりに、なんかいい感じの棒のようなものが浮かび上がる。あれがARで立体投影されたL.V.S.の同調機構シンクロナイザーだな。「ナズナよ、これが本艦の主刀である――」あっ。

「ちょっと待って」「なに、セリ!?」「セリくん、君は少し黙っていなさい」いやー、そうは行きませんよゴギョウさん。

「あのねナズナ、髪の毛まとめたほうがいいんじゃない?髪ゴムあるから使う?」リュックの中から取りい出しましたるは何の変哲もないただの髪ゴムであります。

「……ありがとうね、セリ。ほんとうにキミはいつも気が利くね。なんでも、持ってるんだね……」普段と同じように、ナズナは僕に微笑んでくれた。でもどうして、いまはそんなに寂しそうに見えるんだろう?

 大体、なんでもってわけじゃないよ。持っているのはあればナズナに便利なものだけさ。いつか「ベンリ」って名前に改名しようかな。それもいいかな。

 操舵室に浮遊するナズナに手を伸ばし、ナズナも膝を折って髪ゴムを受け取る。ほんのちょっと、手と手が触れ合う。どうってことない、いつものことさ。だけど今は、それが少し、いつもとは違う。

 手早くナズナは銀色の髪を束ねる。これ、誰かが傍からブランシュ・ネージュを見てたら相当ヘンだろうなあ。さすがに髪の毛の動きまではトレースしないから、なにもない頭の後ろで両手をごそごそ動かしているのがモニターで見える。うん、誰かが笑ってるような気がする。気のせい気のせい。

「よし」と小さく気合を入れて、腰のL.V.S.に手を掛ける。抜刀のような動作をすれば、投影された画像は型に合わせて握った手の中に追従する。それでも、ナズナはなにか腑に落ちないようだ。

「なんか、ちゃんと持ってる気がしないね。力の加減がよくわからないや」あー成程。初めて直接主従方式で宇宙船を操舵する時にはよくあることですね。フィードバックには安全装置があるから、力の入れ過ぎで壊れるなんてことはないけれど。

「そうだ、わたしの木刀はどこに行っちゃったんだろう?」木刀?なんで??「あれを使えばいつもみたいに身体を動かせると思うんだけれど……」原始的な発想だ。地球人か。

「木刀だったら先程お召し替え、いや着替えたときに本艦の衣装箪笥ワードローブの中に収納しておる」そんなものがあるんですかこの艦?なんとゴージャスなフネだ。「出してみようかの?」「うん。お願い。あっ……髪留めは?なんか外れちゃってたんだけど」「それは、着替えた時には既に無かったようじゃな」「そっかー」そんな会話しているうちにも、ナズナの手の中に木刀が生えてくる。拡張ではない、手のひらの現実。

 ナズナの扱う木刀は普通のものより少し長い。それは流派の特徴なのだそうだ。本来はリーチを活かした突き技が主流だけれど、中学生のナズナには、まだそれは禁じられているとかなんとか。その長い木刀を中段に構えて、すっくと立った姿には芯が一本通ったように見える。ああ、綺麗だなやっぱり。これが実戦じゃなかったらどんなにいいだろうね。しかし向こうは何も仕掛けてこないな。

「敵艦Aは先程着地した位置から動かず、いまはこの位置におるな」山の稜線を透過した向こう側に艦影が描画される。ああ、そうかヤツもAI操舵か。本来の乗り手は既にゴギョウさんが斬っているから、無人のままプロトコルに従って出現し、有効な攻撃方法を見いだせないままでいるのか。

「ナズナよ」「はい、おじいちゃん」ふたりの会話にも先程までには無かった緊張が走る。「お前がいま構えている木刀と、実際にブランシュ・ネージュが持っているL.V.S.の刀身とでは間合いが異なる。木刀の方がやや長いのだ。しかし短く握るよりはむしろ、常よりも一歩相手に近づくことを心掛けなさい」「わかりました」

「ねえ、あっちにも人が乗ってるのかな?」えっ、それ気にするの?気にするだろうなあ、普通の人はね。「こちらの警告を無視して先に攻撃したのは向こうの艦じゃ、気遣いなど無用」「それは、そうなんだろうけど……」こういう時に迷うと負ける。でも、こういう時、日本語には便利な言葉があります。

「『峰打ち』だよ、安心していいよ」「そう……うん、そうだね。ありがとう」

 ホントは『撲殺』が正しい。正しいけれど、別に正しいことを告げる必要もない。まーたぶん、人は乗ってないでしょ。知らないけどね。

「行きます!気を付けてね、セリ」ありがとね、ナズナ。まあ僕のことなら心配ご無用なんだけど、別に正しいことを伝える必要もありません。昔から君には、嘘ばかり吐いていたんだよ。

 ブランシュ・ネージュが大きく跳躍して、一気に稜線上に跳び出る。敵艦は足元だ。警告表示が激しく瞬く!なんか撃ってきたぞ!!

 これ、振動単分子ワイヤーじゃないか。固有の波形で超振動してCIWWSを突破できる装備だ。まずいな絡めとられる、撃破じゃなくて捕獲を目的にしてたのか。だから動かなかったのか!?

「えっ、なに、やだこれ気持ち悪い!」触手のようにブランシュ・ネージュの艦体に絡みついた何本ものワイヤーの行跡が、操舵室内のナズナの上にもAR描画される。危険のない程度に圧力も再現されているはずだ。これは……。


 えっちだ。


 なんかちょっとえっちだ。


「セリ。」「なななにかなナズナ」「……見ないでよね」「見てませんなんにも見てません」あー、これは怒ってますねナズナさん。まあその、必要な時には適切なアドバイスを送らなきゃだから、見ちゃっても仕方ないよね。無罪だよね免罪ですよね。

 とはいえ、ブランシュ・ネージュの、提督艦級戦列艦の出力ならこんなワイヤーなんか簡単に引き剥がしてしまう。おそらく電撃かなにか流してるんだろうけど、そういうものは一切操舵手にフィードバックされない。

 単分子ワイヤーの投影を引きちぎって大きく上段に構えるナズナ。こりゃもう据物切りだね。敵艦はむしろバランスを崩して有効な回避運動も行えていない。そのまま踏み込み、距離を詰め、懐に飛び込むんだ。そう、昔から君は、いつも自然に人との距離を詰める子だったね。


「――エイッ!!」


 と木刀を振り下ろせば、モニターの外では必殺の一撃だ。仮装巡洋艦の船体がいびつに打ち砕かれて、ただの潰れたスクラップに変わる。ターゲットマーカーが消え、危険度のないことが表示された。別に特撮ヒーローの怪獣ではないので、爆発などはしないのだ。やったねナズナ。「見事じゃ、ナズナ」「……うん。やったよおじいちゃん。勝ったよ、セリ。……ちょっと、なにニヤニヤしてんの」えっ、あっ、いつの間にか僕はナズナの後ろで腕を組んで、そしてニヤケ面をしていた……みたいだ。

「ふふ、このままセリをさらっちゃおうかな?」すいません、降ろしてください。


 ブランシュ・ネージュが片膝を付き、掌甲板が地面に寄せられる。僕が甲板から降りたらナズナも降りてきてそのまま、そのままそっと僕の胸に寄り縋った。


「ごめんねセリ、ちょっとだけこうさせて」いいよ、好きなだけそうしていなよ。

「わたし本当は、少し怖いの」そうだろうね、当たり前だよ。

「セリが一緒に来てくれたらいいなって、やっぱり思うの」僕もそう思うよ。

「いまだって、セリがアドバイスしてくれなかったらきっと勝てなかったよ」さあ、それはどうかな。君は強いよ。

「もし宇宙のどこかでまた髪ゴムが必要になった時、隣にセリがいてくれたらきっと安心できるし」そうだろうね、君を安心させることも、僕の仕事だからね。

「でも、それはわたしのワガママだ」そんなことはないよ。

「だから、だからね、お願い」なんでも聞いてあげるよ、いま「来て」って言われたら僕は行くよ。なにもかも投げ捨てて君について行くよ。さっき君が、僕を墜落死の淵から引き上げてくれたように、まるで天使みたいに僕を導いてくれれば、僕は必ず君の――


「待っていてね」


「わたし、帰ってくるから。たとえなにがあっても必ず帰ってくるから。ここでわたしを待っていて。わたしの居場所を、わたしが帰れるところを」


「――どうか守っていてください」


「それじゃあ、行ってくるね」僕の手をぎゅっと握りしめて、最高の笑顔を浮かべて、ナズナは言った。

「スズナおばさまと、スズシロおじさまにも、これまでいろいろありがとうございますって伝えて。それとね」なんだい。

「わたし、セリときょうだいになれたらよかった。いっしょに暮らせたらよかった。本当に、そう思うんだ!」そんなこと気にしなくていいよ。僕の両親が勝手に考えたことなんだし。

「じゃあねセリ、元気でいてね」


 僕を残して、ブランシュ・ネージュが立ち上がる。掌甲板から大きく手を振るナズナに、僕も手を振り返す。「では参りますぞ皇女殿下」「だからそれはやめてよおじいちゃん」乗船口が閉じてナズナを収容する。しばらく会えないんだって思うと寂しいな。

 次元推進機関が轟音を上げる。実際、この艦が大気圏外へと出航するのも十数年ぶりのことだ。いろんなところを慣らし運転しながらでないとよくないよな。いやよくない、全然よくないぞこれはおい待て。なんで突然光子帆装フォトンセイルなんか展開したんですかそれ外宇宙用の装備ですよねわあきれい。ねえちょっと待ってよ。フカし過ぎだろ いろいろと!!僕は急いでベルトに手をかける。臀部装甲から爆発するようなブーストが巻き上がり、ブランシュ・ネージュはまるで地球製の科学燃料ロケットみたいに派手な噴射炎と煙を引いて、遥か天空をめがけて飛び立っていった。

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