第35話

「あれ、雫ちゃん…?」


翔くんの声が聞こえた。


私は顔を上げると、彼が心配そうにこちらを見ていた。


こんな時に、会いたくなかった。


「翔くん、」


私は涙を拭いながら、彼の顔を見つめた。


「え、なんで泣いてるの?」


彼の優しい声が胸に響いた。


その瞬間、心の中の痛みが一層強くなり、涙がさらに溢れ出した。


「何、でもな、いです」


私は無理に笑顔を作ったけど、涙が止まらなかった。


「何でもなくないでしょ。海斗は?」


翔くんはさらに心配そうに尋ねた。


その名前を聞くだけで、胸が締め付けられるような気持ちになった。


「海斗は…」


私は言葉に詰まり、視線を落とした。


なんて言えばいいのか、言葉が出てこなくて、ただ地面を見つめた。


心の中では、あの瞬間のことが何度も繰り返されていた。


「喧嘩しちゃったの?」


彼の問いに、私は首を横に振った。


私は喧嘩もせずに飛び出してしまったことを思い出して、胸が痛んだ。


「喧嘩、というか、、」


ただ逃げ出してしまった自分が情けなくて、胸が痛んだ。


その瞬間のことを思い出すと、涙がまた溢れてきた。


「目、擦っちゃだめだよ」


翔くんはそう言って、優しく私の手を掴んだ。


「止まらなくて、すみません。私のことは気にせず行ってください」


優しい翔くんの事だから、きっとどうにかしないとって思ってる。


「もしかして俺、泣いてる子をほっていくような薄情な奴だと思われてる?」


彼は冗談めかして言った。


「まさか、」


私は、急いで訂正しようとした。


「冗談だよ。さ、涙も止まったね」


そう言って翔くんは微笑んだ。


「ほんとだ、」


いつの間にか涙が止まっていたことに気づいた。


「家まで送ってあげるよ」


翔くんは優しく提案してくれた。


「いや、でも、」


私は少し躊躇した。


翔くんに迷惑をかけたくない。


「さ、行こ行こ」

翔くんは私の手を引いて歩き出した。


迷ったけど、彼の優しさに甘えることにした。


「翔くん」

私は小さな声で呼びかけた。


「んー?」

彼は振り返った。


「…どうして何も聞かないんですか」


どうして泣いてるのか、聞きたくなるのが普通だと思うんだけど。


「聞いて欲しくないんでしょ?」


翔くんは私の気持ちを察してくれた。


その言葉に、心が温かくなった。


「え、分かりますか?」

私は驚いて尋ねた。


私、顔に出やすいのかな。


「そりゃ分かるよ」

彼は優しく微笑んだ。


その微笑みに、少しだけ心が軽くなった。


そうだ。


「あの、」


私はバッグから小さな包みを取り出した。


「ん?」


「これ、海斗に渡して貰えますか?」

私は震える手で包みを差し出した。


その包みを見つめると、心が痛んだ。


私が、渡したかったのに。

今日も、すごく楽しみにしてたのに。


「これ、もしかして」


翔くんは包みを受け取りながら尋ねた。


彼の表情に、少し驚きが見えた。


「誕生日プレゼントです」

私は小さな声で答えた。


「俺が渡していいの?雫ちゃんが渡した方が、」

翔くんは少し戸惑った様子だった。


「どうしても誕生日に渡したくて、でも…」

私は涙をこらえながら説明した。


もう渡せないから。


「分かった。渡しておくね」

翔くんは優しく頷いた。


「ありがとうございます」

私は感謝の気持ちでいっぱいになった。


翔くんの優しさに、心が救われた気がした。

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