第70話 奴隷と主人

森の中。

深夜。

辺りは深い闇と、魔力に満ちている。

遠くに遠吠えが聞こえる。

狼だろう。

きっと狼以外の魔獣が徘徊しているはずだ。

夜の森は本当に危険だ。


しかし僕の場合は闇の精霊とも契約しているし、それほど脅威ではない。

まあ、森は慣れているかな。


ブライアンさんもクリフ君も普通に寝ている。

サイモンさん、シンディーさんも慣れたもので、寝ている。


僕が夜の見張りをしている。

焚火の炎が赤々と燃えている。

パチリと木がはぜる。


静かな夜。


インゲルデが楽しそうに、鼻歌を歌いながら、焚火の周りを飛ぶ。

まあ、寂しくはない。



カサカサと草を踏む足音がする。


「起きたかい」


そこにはサイズの合わないワンピースを着た女性が立っていた。


「あの男はどうした?」


「それが一番聞きたいことなんだ? だれ、どこじゃなく」


「いいから! アイツはどこ!」


苛立った声。

お腹が減っていたりするとイライラするし、そういうときに相手に冷静に対応されると苛立つよね。


「君の元主人だよね。もうここには居ないよ。街に戻ったんじゃないかな」


「そうか、死んでないか…」


ガックリと肩を落とす。

ああ、死んで欲しかったのか…

あの男は彼女に死んで欲しかったし、彼女はあの男に死んで欲しかった。

愉快な関係ではなかったらしいね。

奴隷とその主人。

信頼関係なんてないか…


「まあ、座りなよ」


意外に素直に僕の少し横に座った。


…サイズが合わなくて空いている胸元が気になる。

ガリガリで胸なんてないのだけど、それでも女性の肌だ…

妻があるのにこれではね…

もしかしたら、僕は胸派なのだろうか?

今度師匠に問われたら胸と答えよう。


「お腹減ってるでしょう」


「知らない…」


僕はマジックバッグから鍋を取り出し、パンとミルク、蜂蜜を入れ、火にかける。

あまり沸騰させると牛乳が凝固するので、さっと温めるくらい。

最後に少しだけショウガとシナモン。


料理ができる間、彼女はじっと焚火の火を見ていた。


鍋とスプーンをそのまま彼女に渡す。


「…あんたは食べないのか?」


「うん。夕飯をしっかり食べたからね。今は空腹だけれどね。空腹もまた調味料ってね。明日の朝は美味しくご飯が食べられるさ」


「ふん…裕福なんだな…」


「まあ、日々の食事とか寝床には困っていないよ。農家だけどね。それより食べな。君は痩せすぎだ」


「…女性に体格のことを言うのはセクハラだぞ」


セクハラね。

久しぶりに聞いた。

なんだか懐かしい。

確かに彼女は転生者だ…


彼女はフー、フーと冷ましながら、スプーンを口に運ぶ。

最初は慎重に食べていたが、次第にガツガツ食べ始めた。

ずいぶんお腹が減っていたようだね。


僕はハーブティーを入れて、少しずつすする。

見張りの夜に相棒がいるのは良いことだ。

ゆっくり話ができる。


「…で、元主人ってどういうことだ」


「ああ、それね。今は僕が君の主人ってことだね」


「はは。あんたがアタシの今度の主人ね…」


疲れた笑い声だ。


「まあ、ヤツが死んで、主人のいない奴隷になるよりはマシか…よろしくな、ご主人様」


「よろしく。ネル。僕はルーカス、この森の少し行ったところにある村で農家をやっている」


「農家、農家ね…それが奴隷の主人って、どうやったらそんな金がある?」


「ああ、あれに無理矢理に譲渡されたんだよ」


「譲渡!」


「うん。魔物に襲われたのは君が原因だと思っていたんじゃない? 死神って言っていたし。で、そんな呪われた奴隷はいらないと」


「死神ね…そんな力があったらあいつを殺している…」


本当に恨まれていたんだね、アイツは。

何をしでかしたのか。

奴隷だって人間だ。

扱いによって恨みもする。

前世、奴隷に殺された主人もいたと記憶している。

誰だったか思い出せないが。


「ちょっと秘密の話をしようか」


「…なんだよ」


焚火。

薪がだいぶ燃えた。

一つ追加で入れておこう。


「僕は転生者なんだ」


「!」


「君もだろう。この世界、転生者や召喚者が沢山いるらしいからね。僕が会ったのは君で二人目だけど」


「…嘘」


「本当さ。勇者でも賢者でも聖者でもない、ただの農家だけどね。ちょっとトラックにはねられて、死んで転生さ」


「テンプレだな…」


「テンプレさ」


「アタシもそう、だけどな…」


「トラック転生?」


「宅配の軽バンだった。トラックだったら大魔法使いになっていたかもな」


そういえば、僕もバンだった気がする。

懐かしい記憶だ。

もしかしたら後輩のヤツも転生していたりしてね。

ま、ほぼ可能性は無いと思うけど。


「君はステータス使える?」


彼女は首を振る。


「ステータスなんて見れない。この世界はそれ、魔法だろ…あ、ルーカスは使えるのか。それでアタシが転生者だと」


「ま、そういうこと。ステータスの魔法は便利じゃなくて、たぶん普通ならその称号は見えないと思う。だけど、ネルが僕の奴隷になっているから称号が開示されているんだと思うよ」


「アタシの状態が見えるってことか?…」


「称号だけね。人間、女ってことと称号」


「そっか…人間だったか…」


乾いた笑いだが…

ホッとしたようにも見える。


「なんで? どう見ても人間でしょ」


「…」


「ああ。死なないことか」


「なぜ、それを!」


たぶん、魔物に襲撃されたときに彼女は殺されたはず。

不死者で生き返ったんだろう。

そんな状態なら自分を人間だとは思わないよね。


「アンデット系かと思ってた?」


「…そんなところだ」


「称号があるんだよ。『不死者」だってさ」


「不死者……不死者ね…はは、そういうことか。あのクソ神め。説明不足にもほどがある。んで、性格が悪い!」


彼女は泣きそうな顔で笑っている。


「チートな能力だよね。知っていれば…」


「知っていればな!」


吐き捨てるように言う。


「あんたのは?」


「僕も説明されていないけど、ステータスで見れるようになったところだと『未来の可能性』だってさ。たしか神様は『ちょっとだけ才能があるよ』って言ってたな」


「地味…たぶん努力すれば将来強くなる大器晩成型。老黄忠か…」


おっと、三国志か…

いいね。

話が合いそうだ。


「まあ、悪くないかな」


老いても元気ってことかな?

たぶん長い間にわたって色々できる、可能性が閉じないってことだと思う。

別に勇者になりたいわけじゃないから、そのくらいでいい。


「で、アンタはアタシをどうするの? ご主人様」


「ん? 別に。元気になって、奴隷から解放できればね」


「…それだけ? 奴隷には色々するんだろ。男だから」


男がすべて性奴隷を欲していると思わないでほしい。


「僕は結婚もしているんだ。それはいらない」


「結婚してる? なんだ…本当に主人公じゃないんだ」


主人公って何だ?

君も君の人生の主人公だって言ったら、馬鹿にされそうだ。


それに主人公だって結婚してるのは結構いるだろう。

僕と同じに農家なあの人も前半で結婚しているし、地方の下級貴族の下の弟に転生したあの人も結婚していたはずだ。


「たぶん同郷だしね。なるべくなら助けたいじゃない」


「偽善者? それともだた優しいだけのバカ?」


「じゃあ、偽善者で」


「あんたバカ? 『偽善者』より『優しいだけのバカ』の方が良いだろが?」


…けっこう口が悪いよね、この子。

ま、いっか。


「『施せし情は人の為ならず、おのがこころの慰めと知れ』ってね」


「情けは回りまわって自分のためになるってか?」


「うーん。それもあるけれど、結局自分が気持ちいいのさ。人間ってさ、自分に何かしたときより、誰かに何かをしてあげたときの方が幸せを感じるとかいう説もあるらしい、たしか」


「ずいぶん、フワっとした情報だな」


「まあね。ずいぶん前のことだから、忘れた」


前世なんてもうずいぶん前のことだ。

もうだいぶ霞んできて、遠い過去。

「ふるさとは遠きにありて思うもの」って感じだ。

たぶん、戻れないから良く思えていて、帰ったところで嫌なところを思い出すんだ。


「それにさ、純粋な善意の人なんか少ないよ。なら、この世から偽善が消えたとしたら、ほぼ善意っぽいことがなくなるってことじゃない。ギスギスした社会になるよ。偽善だってさ、された相手にとって良いことならいいじゃないか。した方の気持ちがどうだって。その思惑が自分不利にならなきゃ関係ないんじゃないかな」


「…めんどう。理屈っぽい」


口をとがらせる。

子供っぽい仕草だな。


「もとはおっさんだからね」


彼女はニヤリと笑った。


「あんた、おっさんか。アタシはJK」


女子高生ねぇ……

マウントとってきたよ…

あ…


「もしかして、XXXビルの前で引かれた?」


「XXXビル…知らない」


まあ、女子高生が会社しか入っていないビルの名前を知るはずがないか。


「死ぬ直前にサラリーマン二人見なかったか?」


「…よく覚えてない………あ、いたかも…」


「それ、僕かもしれない」


「ふーん、同じ暴走車で死んだんだ…」


そうなると、後輩もこっちに来ている確率がだんぜん上がる。

どんなことになっているか若干不安だ。

探した方が良いか?

まあ、意外に器用だから、それなりに生きているだろう。

…探し方も分からないし、保留だな。



「おー、ルーカス、見張り交代だ」


ブライアンさんが起きてくる。

胸をボリボリ掻いている。

シンディーさんもいるんだから、あまりカッコ悪いことしないでよ…


「お、お嬢ちゃん、起きたのか。よろしくな、ネルさん。ルーカスは色々常識から外れたヤツだが悪い奴じゃない。よろしく頼む」


失礼な。

僕は比較的常識人であることを自称している。

基本的には善人だし、ギャンブルも酒もタバコもやらない。

この世界にタバコはないかもだけど。

…つまらない男かもと思ってしまった。

だけど、それでも妻が二人だ。

勝ち組。

ちょっと自信になる。

結局、結婚するなら安定した、安心できる男性が一番なのではないだろうか。

女性じゃないから分からないけれど。

男性側の意見だ。


「…ま、頼まれてやるよ。しょうがねえなヤツだったとしても」


ネルも肯定するんじゃないよ。

仮にも僕の奴隷でしょうに、主人を立てて欲しいものだ。


そういえばネルって、前世じゃ名前何だったのだろうか?

エリカさんは絵里香さん。

彼女は召喚者だったしね。


あれ?

そういえば後輩の名前って…

佐藤?

斉藤?


まあ、いいか。

前世は前世。

今世は今世。


転生と召喚は認識が違うかもしれない。


「ネル、もう寝よう。まだ体が本調子じゃないだろう」


「…指図すんな」


「まったく、ネルは…」


まあ、奴隷らしく主人の命令に絶対ってのを望んではいないけれど、もうちょっと優しくしてくれると嬉しい。

おっさんは豆腐メンタルなのでね。


彼女はそれでも馬車に戻っていった。

まったく、素直じゃないんだから。


さて、僕も寝よう。

明日には村に到着するだろう。

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