第5話 役割

「イライザさんが……消える?」

 ラルクは混乱しながら辛うじて言葉を絞り出した。


「ごめんね、びっくりさせちゃったかな」

 イライザは少し申し訳なさそうな表情で、そう言った。


「で、でも……おかしいですよ、人間が消えるなんて、そんな事あるわけないじゃないですか……」

 ラルクにはまだ言葉の意味がわからない。人間が火や煙のように消えてしまうというのは想像できないことだった。

 それに対して、イライザはどこか憂いを帯びた表情で言葉を続けた。



「ラルクは“分身魔法”って知ってる?」

「分身魔法……」

 

 聞いたことはあった。

 分身魔法はその名前の通り術者が魔力の塊を操作して“自分にそっくりの分身”を作り出すという魔法である。

 かなりの高等魔法であり、ほんの一握りの超一流の魔法使いにしか使えないとされる“第5階梯かいてい”に分類されている。

 なお、ラルクが唯一使える魔法、“火球”は最も習得が容易な“第1階梯かいてい”にあたる。


 分身を作り出すには相当量の魔力を使う上、出した分身を維持するにも魔力を消費し続ける。

 このため、分身をずっと出したままにしておくことは誰にもできない。

 いつかは必ず消えるのだ。

 分身が消える条件は様々あるが、術者から離れすぎる、術者の魔力が尽きる、もしくは意図的に分身への魔力供給を止める、術者が意識を失うか、――あるいは死亡する、などにより術者からの魔力供給が絶たれた場合はそのまま消えてしまう。

 この他に一定の時間が経過するとか、分身が一定のダメージを受けることによっても消滅する。

 

「で、私はその分身なんだよね」

 ラルクはイライザを見つめながら信じられないという顔つきをしていた。

 一方、イライザは申し訳なさそうに続けた。


「黙っていたのは悪かったと思っているわ。けど言い訳させてもらうと、私が“分身”だってことは本当に信用できる人にしか話しちゃいけないことになっているの」

 

 仮に術者本体と分身の区別が容易についてしまったら分身魔法の効果は激減してしまう。このため分身は“自分が分身であること”

は特別な事情がない限り話さない。分身魔法自体がそういう仕様になっているのだ。

 

「け、けど、あなたは、どう見ても本物の人間に見えますよ。表情といい仕草といい、強力な魔法を使えることもそうですし、それに会話も違和感がなく……」

 

「そう思うのも無理はないよ。正直ここまで本物と見分けがつかない分身を作れる魔法使いは少ないから」


「だ、だけど……」

 

 そこまで言いかけて、ラルクははっと気づいた。

 よく考えてみたらイライザ本人がここにいるのは不自然だということに。

 

 イライザはドラゴンを倒した後、二次被害――つまりドラゴンが飛来したことによって周囲の魔物が逃げ出し、移動した先で被害をもたらす事を防ぐために来たと言っていた。


 だが、仮にイライザ本人がドラゴンを倒してからすぐにこの場所に向かったのだとすると、“ドラゴンと戦った直後の疲れた状態で、危険な魔物が跋扈ばっこするこの森をたった1人で捜索しに来た”ことになるのだ。しかも、いるかどうかもわからない要救助者のためにである。

 それは非常に危険であり不自然なことだった。


 さらにこの場合、イライザは莫大な価値のあるドラゴンの死体を放棄したことにもなる。

 ドラゴンの鱗や皮は上質な防具や服の素材になるし、骨は強靭な武器の素材になる。爪や牙も同様である。肉は栄養満点で美味な高級食材だし、内臓からは様々な種類の薬が作られる。要するにドラゴンは捨てるところがないほどの高級素材の宝庫なのである。

 ただし、あまりに大きく重量があるためそのままだと解体所まで運搬することは困難である。そのため討伐した後は、解体を行う職人や運搬する人足が大勢で現地に向かい、その場で解体した素材を持ち帰ってくるのが一般的である。

 この役目と素材を放棄してまで、森の捜索に来たというのはやはり不自然だった。


 ただ、分身魔法を使える魔法使いなら話は別になる。

 本来なら危険な捜索も、分身体にやらせれば万一傷をおったり倒されても本体には影響がないためだ。

 

 実際のところ“本物のイライザ”はドラゴンを討伐した時点で、二次被害の可能性を憂慮していたのだが、前述した理由により討伐現場を離れて捜索に向かうわけにもいかなかった。

 そこで、分身魔法で己の分身を作り出すと、移動した魔物による二次被害の調査と、要救助者を見つけた場合はその救助を任せたのである。


 「で、でもさっきくれたポーションとこの包帯は……」

 「ああ、それだけは本物なの。“本体”が分身わたしに持たせてくれたんだ。私は回復魔法は苦手だから、もし要救助者がいたら必要になるって」


 ラルクははっとした

 イライザはラルクの足の怪我の手当をするときに、確かに“このポーションと包帯本物”と言っていた。

 

 ◇ ◇

 

 ラルクは目の前のイライザが分身であることと、もうすぐ消えてしまうということを理解した。


「あ、あの……さっきもうすぐ消えるって言ってましたけど……」

 ラルクは動揺を悟られないように、精一杯声色を変えないように言った。

「それっていつ頃なんですか?」

 

「役割を果たしたら、かな。そうしたら消える」

「役割?」

「そう、私の本体から与えられた役割だよ」


 魔法使いの力量によっては「分身が消える条件」を設定することも可能になる。

 例えば、分身に“役割”を与え、その役割が達成されたら自動的に消滅する、というものである。この消える条件が設定されていると、分身が無駄に維持されることがなくなり術者は魔力を節約することができる。

 

「あの、役割って一体……」


「“君を安全な場所まで送り届けること”だよ。それが私の役割。どうやら果たせそうだね」

 

 イライザの本体は分身に対して“ドラゴンに追いやられた魔物に襲われている者を探しだし、助ける”という指示を出していた。

 つまり、今回の場合ラルクを安全な場所――森を出て町の近くまで送り届ければ“役割を果たした”ことになる。

 

 ラルクはイライザから視線を離し、再び進行方向を見た。

 

 既に森の出口ははっきりと見えている。

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