4 狛犬、ブレーン社、痴漢

 次の日は、俺にとってめちゃくちゃ大事な日だった。

 その日は最近乗りに乗っている大企業、ブレーン社の面接の日なのである。

 すでにうららさんの仕事を引き受けてしまったものの、ブレーン社のほうがブランド的にも環境的にもとてもいいのは目に見えている。ブレーン社の内定がもらえたといって、卵をうららさんのところにかえしてもまだ遅くはないだろう。

 その日の朝、俺は念入りにセットしたスマホのアラームで目を覚ました。6時、予定した起床時刻にぴったりである(俺は予定をしっかり立てるタイプだ……余裕はちゃんと持たせるが)。面接会場は東京なので、7時には家を出なければならない。

 俺はその日もコンビニの総菜パンで朝食を済ませ(俺の朝食は毎日総菜パンだ……もちろん日替わりだが)、スーツに着替えると、荷物の最終チェックをした。もちろん忘れ物はない。

 そこで時計を見ると、6時50分になっていた。ああ、ネクタイをつけるのに苦労したのがやばかった!(もう半年以上はネクタイをつけて就活しているのに、まだネクタイには慣れていない)


 もうそろそろ開けようと思った、その時。


 ピピピピピンポーン! ピピピピピンポーン!


 けたたましい音を立ててインターホンが何回も押される。

 こんな時に誰だよ……いや、多分妖怪の里関連だろうな……多分あいつらインターホンのマナー知らないだろうし……

 仕方がない、今のところは俺の上司だし、開けるか……


 ガチャ。


「う、うわあ!」


 妖怪の里関連だとはわかっていたはずなのに、つい大声をあげてしまった。

 ドアを開けた先には梓さんがいた。この前と変わらない、青いジャージ姿である。笑みとも不機嫌とも言えない顔をして、俺の前に立っていた。


「……す、すみません。梓さん、ですよね?」

「うん、そうだよ」梓さんの顔が少し笑った。

「でも、どうして今日はここに?」

「君が本当に仮親にふさわしいか、確かめに来たんだ。真心の力があるっていっても、ゆがんだ真心かもしれない。だから一日ついていくつもりだ。いっとくけど、これは僕の私的な確認だから、そう緊張しなくてもいいよ。まあ、あまりにもひどかったら報告するかもね」

「そ、そうですか……でも」俺は梓さんの頭から生えた犬耳が気になった。

「この犬耳は目立ちすぎません? ほら、コスプレとか……」

「じゃあ、これならどう?」


 そういったとたん梓さんの体が光につつまれ、俺は思わず目を覆った。

 光が消え目から手を放すと、目の前に梓さんはいなかった。その代わりあったのは梓さんを三頭身にしたイラストがプラスチックのプレートに描かれたキーホルダー……「気」でも使ったのだろうか。

 キーホルダーは床から50センチほど浮き上がり、口の部分のイラストをパクパク変えて言った。


「これなら大丈夫でしょ?」

「た、確かに大丈夫だけど……面接官にオタクだって思われたらやだな」

「なら、こうするから」


 キーホルダーとなった梓さんはスーツの胸ポケットにもぐりこんだ。


「これならばれないと思うけど。面接試験に手荷物チェックはないだろうし」

「そ、それならいいか……あっ」俺は卵のことを思い出した。

「卵はどうすればいいんですか? おいていくのは心配です」

「基本的に君は卵から目を離さないでほしいんだ。だから今回も持っていってね」

「で、でも……」スーツにぼろぼろのリュックはちょっと変だ。

「君が留守の時に孵ったらどうするの?」

「た、確かに……でも、面接中に鞄の中で孵ったら、それこそ大騒ぎになりません?」

「大丈夫。動けないときには孵ることはないから」

「そ、そうなんですか……」


 ここは梓さんの話を信用するしかない。俺は卵を昨日のぼろリュックに詰めた。


「さ、いこ」

「わ、わかりました」


 俺はリュックを背負い鞄片手に、駅へと向かった。


   ▽ △ ▽


 ブレーン社の面接会場は、あまり遠くない。千葉→東京の直行線で東京まで移動し、地下鉄に一回乗ればすぐにつく。

 直行線に乗っている間は、満員電車で押しつぶされそうになったぐらいで、特に事件はなかった。

 事件は、地下鉄(やはり満員だ)に乗っていた時に起こった。


「ねえ拓海君、あれ痴漢ちかんじゃない?」


 梓さんは胸ポケットから顔を出していた。

 胸ポケットからの目線を追うと、俺と同じぐらいの年頃の女性が、通勤カバンを片手に乗り降りするドアのそばでスマホを見ている。

 そこまでなら特に問題はないのだが、そのそばにはスーツにハゲのおっさんがいて、女性のミニスカートに手を伸ばしているのだ。めくったら完全に痴漢である。しかも顔がニヤついている……もう確信犯じゃないか。

 女性はスマホに夢中なのか、全く気づく素振りがない。

 これは声をかけたほうがいいのか……? いや、それで騒ぎになったら困るし……言っても言わなくても騒ぎになると思うけど……でも当事者になったら事情聴取とかありそうだな……このチャンスを逃したらもうブレーン社の内定はもらえないだろうし……

 そんなことを考えているうちにも、おっさんの手はゆっくりゆっくりミニスカートへと近づいていく。どうやらミニスカートへ手を近づけること自体を楽しんでいるようだ。俺は痴漢を目撃したのはこれが初めてだが、かなりの常習犯に見える。

 おっさんが女性のミニスカートに触れた。それからめくろうとした、その時……俺の体は勝手に動いていた。


「や、やめろーーっ!!!」


 俺は人々の中をかき分けて女性の近くへと移動する。彼女はスマホから顔を上げた。


「な、なに……?」女性は驚きのあまりスマホを落としかける。

「ち、痴漢です! この人があなたのスカートをめくろうとしてました!」俺はおっさんの方を指差して説明した。

「そ、そんなことやってないって! お、俺はただスマホを見ていただけです!」おっさんは苦しい嘘をつく。

「いや、俺、見ました!」

「し、証拠がないだろ!」


 正論を言われて俺は一瞬黙った。

 たしかに、おっさんの言うことは正しい。「痴漢された!」と嘘をついた人が捕まったというニュースだって聞いたことがある。

 だがここまで来た以上、引き返すわけにはいかない。俺はもう一度叫んだ。


「と、とにかく、電車止めて、警察呼んで!」


 気がつけば、近くにいた人たちにもざわめきが広がっていた。

 近くにいた高校生らしき青年が「俺、車掌呼んできます!」と言って、「SOS 呼び出し」と上に書かれた赤いボタンを押す。

 途端に電車のスピードが落ちていくが、その間にも俺とおっさんの言い争いは続き、いつの間にか「やった!」「やってない!」の水掛け論になっていた。

 気がつくと電車は次の駅に止まっていたが、ドアは開かない。その代わり車内放送が流れた。


「SOSボタンが押されたため、緊急停車いたしました。大変ご迷惑をおかけしますが、今しばらくお待ちください」


 その時運転席の扉が開き、中から制服を着た車掌が出てきた。


「何かあったんですか?」

「この人が痴漢をしようとしてたんです!」

「い、いや、してないって!」

「とにかく、警察呼んでください!」

「ひぇっ、警察!?」


 おっさんは怯えた声を上げる。こりゃ確実にやろうとしてたな……


「や、やめてください、それだけはやめてください!」


 涙目で土下座しようとするおっさんなど気にせず(まあこんな痴漢野郎気にしなくていいのだが)、副車掌はスマホを取り出して電話した……話の流れ的に警察か駅の警備員だろう。

 それから車掌はトランシーバーに向かって話しかけた(多分副車掌へ連絡するためだ)。


 一分ほど経って、警備員3人(おじさんばかりで頼りない気がする)と警察官2人(若い男女だ)がホームへやってきた。


「お、おい、やめろと言ったのになぜケーサツを呼んだ!?」


 おっさんはそういって車掌の股間を蹴りあげようとした……だが股間には当たらず、今度は逆に車掌によって壁に押さえつけられた(どうやらそれなりの護身術は習得済みらしい……まあ最近は駅員が殴られたりすることもあるらしいからおかしくはないか)。


 途端にドアが開き(おそらく副車掌が開けた)、ホームから警察官がつめよる。車掌はおっさんを押さえながら言った。


「この人が、私をけろうとしたので……」

「わかりました。まずは手を放してください」2人の中の若い警察官が言った。


 車掌は手を放した。とたんにおっさんが叫んだ。


「こんにゃろ、ぶっ殺してやるーーーーぅ!」


 おっさんは車掌の胸ぐらを掴み、殴ろうとした……が。若い警察官がとっさにおっさんの体を掴み、ホームに引きずり下ろした。


「手錠渡して! 俺押さえつけるから!」

「はい!」


 近くにいた女性警察官がポーチ(そんなおしゃれなものではないが、そうしか言いようがない)から手錠を取り出し、若い警察官に渡した。若い警察官は押さえつけながらおっさんに手錠をはめた。

 若い警察官は叫んだ。


「暴行罪で逮捕します! さつきさん、増援たのみます!」


   ▽ △ ▽


 しばらくして、おっさんは警察官たちに連れて行かれた。

 乗客たちは車内から出ることをゆるされ、俺も女性と一緒に電車から降りた。


「あ、ありがとうございます……名前はなんと言うんですか?」

「お、俺、山崎拓海です。千葉県に住んでます」

「山崎さんですか……私は堀越恵里菜ほりごし えりなです。私、入社面接に行く予定なんですけど……どうしましょう……」

「そういうときは電話すればなんとかなると思いますよ。大企業なら別の日を用意してくれるはず……」

「……お話中すみません」


 知らない声がした方を見ると、さっき「さつきさん」と呼ばれていた女性警察官が立っていた。


「……あなたはついさっき暴行罪で捕まった男性が痴漢をしていたところを見たんですよね?」

「はい、見ました。この人のスカートをめくろうとしてたんです!」

「そうですか。では、署で詳しく話をしてくれませんか?」


 あ、これは厄介なことになったぞ。もし署に行ったら、確実に面接には間に合わないだろう。

 でも、断って怪しまれたら怖い。

 断る勇気も度胸もないので、俺は署に行くことにした……

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