第九十九話 翔一と空の決意

「何じゃこれは? 凄いのう! 凄いのう!」

「普通の車じゃないね。近未来の車だよ。これを日本に持っていっても、車検は通らないだろうけど」

「中は、簡易ホテルよりも快適じゃない? 凄いねペスカちゃん」


 試運転の車内では、神ウィルラスが興奮して声を上げる。空と翔一は、自分達が作り上げた車に感心しきりだった。

 試運転を終えると、ペスカは各部の調整を行う。そして試運転中、暫くじっと黙って様子を見ていた冬也が、重々しく口を開いた。


「空ちゃん、翔一。聞いてくれ」

「何ですか、冬也さん」

「何だい、冬也」


 今までと違うピリピリした雰囲気の冬也に、空と翔一は真剣な眼差しを返す。


「この車を見て判ったろ。これは戦う為の車だ」


 空と翔一は無言で頷く。ゆっくり確実に、一つ一つの言葉を伝えられる様に、冬也は話しを続ける。


「女神に聞いただろ。ラフィスフィア大陸で戦争が起きているって」


 空と翔一は、更に真剣な表情となる。


「戦争ってわかるよな。多くの人が死ぬんだ。沢山の血が流れる。殺意と狂気が充満した場所だ」


 その状況を想像したのだろう。空と翔一は、急激に顔を青ざめさせる。しかし、冬也の話しは終わらない。


「戦争に参加するって事は、多くの死を目の当たりにするって事だ。そしてこの戦争は、神によって仕組まれた物だ。人の手で抗えない理不尽だ。その中にこれから行くんだ」


 空と翔一は、足をがくがくと振るわせる。それでも冬也は、二人に問いかけた。


 これが現実、お前達が目を背けていた現実だ。怖くて当たり前だ。キャットピープルの集団に襲われる等とは比較にならない、狂気に満ちた場所だ。

 数度の戦闘や野宿程度でホームシックにかかる位なら、この先の戦いは厳しい。しかもお前達には、命を賭ける理由がない。


 ここまでの道中で、冬也は二人の様子を見て来た。そして訓練と称し、二人を試して来た。


 自分やペスカと二人は違うのだ。ペスカはこの戦いの為に、転生し世界を超えた。自分はこの戦いの為に、技術と精神を鍛え上げて来た。


 二人はただの一般人。不運にも異能力が目覚めた、一般人なのだ。戦う覚悟を求めるのがおかしい。戦いを強いるのがおかしい。これ以上の事を求めるなら、きっと二人は心を病んでしまうだろう。


 冬也は暫く沈黙をした後、再び口を開く。それが、どれだけ二人にとって望まない事であったとしても、決断するのは今しか無いと思ったから。


「俺は、お前達をそんな場所に連れて行きたくない。お前達はここに残れ」

「冬也何を……」

「冬也さん……」

「お前等を、日本に帰して貰う様に、女神に掛け合ってやる!」


 日本に帰れる。それは、空と翔一の心を震わせる。その言葉は甘美の様に響いた。


「日本に帰った後の事は、きっと親父が何とかしてくれる。お前らは安心して日本に帰れ。この世界の事は全て、俺とペスカに任せろ!」


 空と翔一は、半ば巻き込まれる様に異世界に来た。無論、戦う覚悟は有った。東京での戦いでは追い詰める側だった。それに何とか生き残れた。

 そして、巻き込まれる様にして来てしまった世界では、居の位置を狙われる立場にある。


 加えて、余りにもかけ離れたペスカや冬也との実力差だ。親友の力になりたいと望んで、東京の戦いに挑んだ。でも、これ以上は着いて行けるのだろうか?


 環境に馴染めず、故郷を思い出す事はあった。それ以上に、平和な日本と比べ、この世界では暴力が平然と行われる。


 人を傷つけるのも、傷つけられるのも怖い。流血沙汰など、TVのニュースでも映さない。死体を間近に見る事が無い世界で、暮らしてきた。怖いのが当然だ。


 だが、ここでは違う。そして自分達は、悪い神様から狙われている。怖い、怖い、怖い。言えずに堪えていた、二人の想いが溢れ出す。


 何度、日本に帰りたいと思っただろう。

 何度、夢であって欲しいと思っただろう。

 

 言葉を失くし俯く空と翔一に、冬也から穏やかな声が聞こえる。


「良いんだ。お前等は良く頑張ったんだ。だから、良いんだ」

「冬也……」

「冬也さん……」

「日本で戦った時に、お前達に助けられた。もう充分だ、ありがとう。これは、あの時あいつを倒せなかった俺のミスだ。お前達が付き合う必要は無い」

「冬也さんのミスなんて」


 空は言葉を続ける事が出来なかった。溢れ出す涙を止める事が出来なかった。涙で霞む瞳で前を見ると、愛する男の姿が有った。


 大地に力強く立つ冬也。何故にこんなにも、彼の事を好きなのだろう。


 最初は仲の良いこの兄妹が、羨ましいだけだった。自分もその輪に入りたいと願った。いつの頃か、冬也を一人の男として愛している事に気が付いた。失いたく無いと願った。そして力になりたいと願う。

 彼の先に暗雲が起ち込めるならば、それを払う一助になりたい。帰るのは今じゃない。日本に帰るなら彼と一緒に。


「冬也、お前……」


 翔一は言葉に詰まった。


 翔一にとって冬也は憧れだった。常に真っすぐ強く突き進む冬也は、弱い自分にはキラキラと輝いて見えた。だからいつも一緒にいた。一緒にいるだけで、自分も強くなれた気がした。


 だけど、それは間違いだった。冬也の強さは、貫き通す信念の表れだった。


 自分は大抵の事を、器用にこなす事が出来る。言い換えれば無難に出来る、ただそれだけ。冬也はどんな無理な壁も越えて行く。きっと神さえも倒す。もし、叶うならその隣に。

 そして自分も冬也の様に強く、今の自分を越えて強く、もっと強くなりたい。


 冬也が二人から背を向けて歩き出す。

 その瞬間、空は冬也に抱き着き、翔一は冬也の肩を掴んでいた。


「怖いです。怖いです。人の血を見るのは嫌です。人が死ぬのも嫌です。だけど、冬也さんの力になれないのは、もっと嫌です」


 空は溢れる涙を止める事無く、冬也に熱く語りかける。


「僕は弱い。でも傍にいさせてくれないか? ここから強くなるから、絶対に負けないから」


 翔一は強く意志の籠った瞳で冬也を見つめた。


「馬鹿野郎! お前ら自分が何言ってるか、分かってんのか?」


 冬也の怒声が響き渡る。しかし、空と翔一は俯かず、真っ直ぐに冬也の瞳を見た。


「もう良いじゃろ。連れてってやれ」

「うるせぇよ、ウィル! 余計な事言うんじゃねぇ!」


 冬也の後ろから、神ウィルラスの声が聞こえた。かけてくれた言葉は嬉しい。しかし、冬也は振り返ると神ウィルラスを睨め付けた。


 勘違いするな、俺はこいつらに傷ついて欲しくないから、言ってんだ。余計な口を挟むんじゃねぇ。

 冬也の想いは、神ウィルラスにも伝わっているのだろう。ゆっくりと手を挙げると、神ウィルラスは空と翔一を指さした。


「坊主、良く見よ! その二人の目を。それが逃げる者の目か? 坊主に守られるだけの目か? 確かに坊主と比べれば、弱かろうよ。それでもあれは、守護者の目だ。意思ある者の目だ。連れて行ってやれ、冬也」


 神ウィルラスの、柔らかくも語りかける様な口調が、再び冬也を振り向かせる。


 弱い。しかもまだ、怯えは治まらないだろう。それでも、しっかりと地に足を付けている。自分の出来る事、すべき事がわかっている。

 冬也は空と翔一を見て、深いため息をついた。


「仕方ねぇな」

「そうだね。仕方ないね」


 冬也の呟きに答える様に、調整を終えたペスカから声がかかった。


「せっかく、お兄ちゃんに付きまとう厄介者を、排除出来るチャンスだったのにな~」


 呑気に宣うペスカを、空と翔一が睨め付ける。


「ペスカちゃん!」

「おおぅ。空ちゃんが怖い」

「ペスカちゃん、ちょっと言葉を選ぼうね」

「うわぁ。翔一君もなんか怖い」


 ペスカが助ける様に冬也を見るが「今のはお前が悪いな」と言われ、取り付く島も無かった。ペスカがしょげている所に、神ウィルラスから優しい声がかかる。


「確かに、お前達の行く道は困難であろう。じゃが、乗り越えられると信じよ! お前達の無事を祈っとるよ」


 神ウィルラスの優しくも力強い言葉に、全員が大きく頷いた。


「神の理不尽を、理不尽に破壊しよう。ね、お兄ちゃん」

「あぁ。そうだな」


 ペスカ達はキャンピングカーに食料等の荷物を積み込む。今まで荷馬車を引いてくれた馬達は、神ウィルラスが預かってくれる事になった。


「気をつけて行くんじゃぞ」


 神ウィルラスに見送られて、ペスカ達は新たな出発を果たす。目指すは、ラフィスフィア大陸。混沌の神々が起こす混乱を収め、日本に帰る為に。

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