第百話 戦線の拡大
ラフィスフィア大陸のとある場所で、男女が話をしていた。
「君ね。余計な死者を、増やさないでくれないかな」
「仕方ねぇだろ、始まっちまったもんは」
「それを収めろと言っているんですよ、わかるでしょ? 転生が滞ると言う事が何を意味しているか」
「そんな事、てめぇに言われなくてもわかってらぁ! 戦ってのは、血沸き肉躍る楽しいもんだ。これは違う! 洗脳による、一方的な殺略だぁ!」
「それがわかっているなら、何故?」
「わかんねぇか? 洗脳だよ、洗脳! この戦いを動かしてるのは、俺じゃねぇ!」
「グレイラスにも困りましたね。所で、彼等を捕らえる算段はついたのですか?」
「まだだな。奴ら思った以上に警戒心が強い。せっかく味方になってやったのに、俺を信用してねぇみてぇだ」
「では、メイロードの居場所は?」
「俺にもわからねぇ所に隠れていやがる。当然、グレイラスの野郎も吐きはしねぇ」
女は深いため息をついて、男を見やる。男は飄々とした様子を崩さずにいた。
「頼みますよ。飽和状態に近づいているんです」
「馬鹿野郎! お前が死ぬ気で働きゃ良いだけだろ」
「嫌ですよ。君こそ奴らの一番近い存在になったんです。自ら動く位して欲しい物ですね」
「最悪、俺が奴らをぶち殺す」
まるで喧嘩でも買う様に、男は息巻く。そして女は、軽く頷くと姿を消した。
「そういやこの間のは、ガキは生きてるんだったよな。少しは楽しませろよ」
男はため息と共に呟く。その直後に、一瞬で姿を消した。
☆ ☆ ☆
そして時は少し遡る。
帝国を取り巻く状況は、刻一刻と変化をしていく。当初は国境付近での小競り合い程度だった。集められた兵の数も然程多くは無かった。
しかし、唐突に三国は国境付近に軍を集中させた。それも、合わせて三十万は優に超える兵を終結させ、大規模な侵攻を開始した。
それに対する帝国軍は、辺境領軍を合わせても数万程度しか存在しない。故に、かつて侵略をしていた時代とは状況が真逆になる。
三方向から侵攻してくる各十万の敵に対し、まともにぶつかっても勝ち目は無い。また、国境周辺は、山岳地帯でもなければ湿地帯でもない。見渡す限りの平野である。そんな平野では、地形を利用した戦術等は使えもしない。
しかし、シグルドは自ら前線に立ち、兵を鼓舞する。
「貴様ら! 帝国は終らない! 今こそ我等の力が試される時だ! 我らの正義を、義務を果たせ!」
如何に兵を鼓舞しようが、シグルドが数百の敵を切り伏せて敵軍を怯えさせようが、兵力の差が有り過ぎる。故にシグルドは奇策を用いて戦うしかなかった。
堀を築き、馬防柵を立てる。それだけでは足りない。陣を作り多くの軍旗を立て、そこに主力が存在すると見せかける。攻めて来た所で陣を引き払い撤退する。それと同時に、潜ませていた兵で挟撃をする。また、遊撃隊を組織し敵の本陣を狙いもした。時には夜襲も行う。
そういった奇策も、戦力差を完全に埋めるまでには至らない。ただ、時間を稼ぐ程度にしかならない。
この状況で、シグルドが敢えて時間稼ぎをしてまで待ったのは、帝国側の援軍ではない。エルラフィア王国からの援軍だ。そして、彼らが運んで来るであろう最新鋭の武器だ。
それさえ有れば、戦況は一変する。だから、シグルドは凌ぐ方法で攻勢に耐えていた。
それでも、各戦線から届くのは悪い知らせばかり。そして、シグルド率いる帝国軍はじりじりと撤退させられていく。
そして、数少ない兵は更に減っていく。戦いは一方的な様相を呈していた。
一方で、トールは議会を動かそうと奮闘していた。
帝都を巡って繰り広げられた戦闘。薄行く意識の中で見た将軍の死。シグルドに聞かされた、邪神ロメリアの采配と皇帝一族の死。施政者を失い、守る盾も失った帝国は絶望的な状況だ。己が身を案じ、保身を図るのも無理はない。
しかし、帝国はこのままだと確実に滅びる。そんな状況で、トールは少女の姿を思い出す。
彼女は常に勇敢だった。前線に立ち指揮を行い、絶望的な状況に立ち向かった。彼女がいたから、内戦が終結した。彼女がいたから、神が消え去った。
自分に何が出来る? 自分は彼女の足元にも及ぶまい。でも、今は立ち上がれ。立って戦え! 彼女が守ってくれたこの帝国を、今度は自分が守るのだ。
「皆様! ここで帝国を終わらせる訳にはいかない! 直ちに軍を再編して前線へ送るべきです! そうしなければ、我が国は蹂躙される! それで良いと仰るのでしょうか!」
トールの怒声が、議会内に響き渡る。
既に対話の時期は過ぎた。もう、三国の軍は帝都から三日余りの所まで迫っている。田畑は焼き払われ、多くの住民達が殺された。
それでも、次期皇帝の選別を優先するのか? どの領軍が援軍に向かうかを揉めるのか? 違う、敵の刃が喉元に突きつけられている状況ならば、その刃を払いのける方が優先だろう。
「今は、皆様の協力が必要です。このままでは、本当に帝国は滅びてしまう。どうか力をお貸し下さい」
トールは誓った、もう何も奪わせないと。恩人のペスカ達に、なにより己の魂に。
「前線で戦っているのは、エルラフィアの方です。それなのに、我らは何をしている? シグルド殿を見殺しにしろとでも仰るのか? 違う! そんな事は断じて有ってはならないのです!」
鬼気迫るトールの気迫に、辺境領主達が感化され始めていた。そして、一人また一人と立ち上がる者が現れる。そんな時だった、兵士の一人が議会場のドアを叩いた。
「エルラフィア王国から、援軍が到着しました!」
その声に議会は騒めく。それに合わせる様にして、エルラフィア王国の大臣が数名、議会場に入って来る。
「我等、陛下の命により参上しました。軍も連れております。我等を如何様にでもお使い下さい」
「待て! それでは我が国をエルラフィアに渡すのと同義では無いか!」
「そうだ! 承服出来ぬ!」
エルラフィアの大臣が発言した所で、辺境領主達から異議を唱える者が現れる。しかし、それらの声を、トールが一喝して黙らせた。
「今それを仰るのか! それなら、何故に動こうとしなかった!」
歯軋りする辺境領主達に、トールは怒りすら覚えていた。
そうやって議論をしている時間は無い。だから、声を荒げてでも説得しようとしている。なのに何故、そんな言葉が出てくる。全力を持って抗わなければ、国が滅びるかも知れない時なのに。
「エルラフィアの兵器は、皆様が目の当たりにしたでしょう? 既に戦線は開かれているのです! ここで戦わなければ、講和も何も有りません!」
「しかし、敵軍は我等の十倍以上だとも聞く」
「だとしてもです。それとも、皆様は籠城するお覚悟か?」
「それでも、エルラフィアに内政干渉はさせん!」
「ご心配には及びません。我等は、帝国復興のお手伝いをさせて頂くだけです」
頭を下げる大臣達に、周辺領主達は怪訝の眼差しを向けた。さもありなん、この状況でエルラフィア王国が介入してくるのには、何か裏の意図が有ると疑心暗鬼になるのも理解は出来る。
しかし、今は違う。そんな事を考えている場合ではない。
「我等には戦力が足りません。エルラフィアの力を借りねば戦えません! もし、エルラフィア側に侵略の意図が有るとなれば、責任を持って私が対処致します!」
「其方に何が出来る!」
「皆様こそお忘れか? 内戦を治めて下さったのは、エルラフィアの方々です! 彼らには恩義がございます。その上で、更に手を差し伸べて下さろうとしている!」
「そ、それは……」
「今は、彼等の好意に甘えなければ、何も始まらない!」
領主達は黙るしかなかった。
トールの言葉が正しい事は、誰もが理解する所だろう。エルラフィア王国に裏の意図等ない事も薄々理解していた。しかし、帝国人としてのプライドが邪魔をした。
ただ、このまま手をこまねいていては、確実に帝国は終わる。
「わかった。トール・ワイブ少将、其方に全軍を預けよう。エルラフィア王国軍はその参加に入る様に。皆もこれで如何か?」
議員の一人が発言すると、パラパラと拍手が起こり始める。そして、議場全体へ広がっていった。
そして、帝国はその存亡をかけた戦争へと突入していく。それが、どんな結末を向かえるか、まだ誰も知らない。
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