第二十八話 真の敵とは

「良いね。良いよ。相変わらず君は面白い」

「相変わらず悪趣味な奴ね、邪神ロメリア様」

「そうとも。君は僕の好物を知っているだろ。恐怖に悪意に嫉妬。特に人が死に瀕した時の恐怖は、格別な味だよ。それに、君の嫌悪も堪らないね。ゾクゾクするよ」

「悪戯は止めて欲しいんだけど。殺すよ」

「その為に、わざわざ異界まで行って来たんだろ? やってみなよ」

「ロ゛メ゛リ゛ア゛~!」

「ハハハ! 人間ごときに何が出来るんだい? あいつに何を吹き込まれたか知らないけど。転生した位で僕を倒せるって? 面白いよ。君はそんな冗談が言える様になったのかい?」


 ペスカが目じりを吊り上げて、邪神を睨む。そしてペスカの身体から、膨大なマナが膨れ上がる。憤激の熱い涙を絞る様に、ペスカの糾弾は止まらなかった。


「ドルクはむかつく奴だったけど、研究一途な馬鹿だった。決して非人道的な行為を許す男じゃ無かった! それを操って死んだ後も弄んで!」

「彼の君へ対する妬みの感情は、とても操り安かった。前回も今回も、神の手駒として活躍出来たんだ。誉じゃないのかな」

「いっぱい殺して、いっぱい迷惑かけて、いい加減にしろ!」

「ハハハ! それが僕の存在意義だよ」

「許さない! ドルクの恨み、殺された人達の恨み、ここで晴らしてやる」

「やれるもんなら、やってみなよ小娘」


 ☆ ☆ ☆


 それは、人の悪意が渦巻く混沌の中で生まれた。それは、悪意を呑み込み大きくなっていた。やがて力を持ち、意思を持つ様になったそれは、強大化していく。人を超え、人より強き獣達を超え、やがて神に至るまで成長していった。


 ただ、それは強くなり過ぎた。


 それは自らの意思で、周囲に渦巻く混沌を呑み込んだ。そして、自らが混沌となった。やがて混沌は生物が暮らす世界に降り立った。しかしその力は、生物にとって天敵とも呼べる力だった。空を割り、台地を朽ちらせ、水を干上がらせた。やがて、そこは生物の住める場所ではなくなった。


 当然ながら神は怒った。混沌を始末しようと神の力を振るった。しかし、混沌は神の力が通じなかった。既に神すらも超えた混沌は、神々を食らい尽くした後に、世界をも呑み込んだ。


 こうして一つの世界が無くなった。


 その後、混沌は世界の挟間を渡り、別の世界へと降り立つ。次は、別の世界に住む生物が混沌の餌食になるはずだった。

 しかし、別の世界を統べる神々は知っていた。それが、一つの世界を滅ぼした事を。だからこそ、名を与えて管理しようと考えた。


 その名もロメリア。それ以来、ロメリアは混沌を統べる神として、ロイスマリアに存在する事となる。


 ☆ ☆ ☆

 

 ペスカの眼には殺気が籠る。ペスカの身体から、憤怒の念が噴出する様に膨大なマナが噴き出した。しかし、ロメリアはただほくそ笑んで、ペスカを見ているだけだった。


「ほら、殺すんだろ? どうだい、出来るのかい?」


 ロメリアがそう言った直後であった、周囲には膨大な力の奔流が渦巻いた。その力は、ロメリア中心にして草木が枯らして行き、空気が澱ませていく。

 それは、決して生物が抗える力ではなかった。先に避難させていなければ、約四万の領民がバタバタと倒れていた事だろう。


 それはペスカすら同様だった。体から噴出した膨大なマナで対抗しようとも、その力に抗えずに片膝を突く。


「はは、ハハハ。それが転生してまで得た力かい? やっぱり脆弱だね、人間ってのはさ」

「ろ゛め゛り゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ!」

「頑張ってみなよ。ほら! ほら! こんなの力の一端に過ぎないんだよ」


 どんどん膨れ上がっていく力の奔流に、ペスカは耐えきれずに両膝を突く事になる。それでもペスカは耐えた。しかし神の力は圧倒的だった。やがて、ペスカは両手すら地につけた。


「つまらないね。君の憎悪は美味しいけどね。少しは期待してたのにね」


 ロメリアはペスカを見下ろしながら呟いた。戦いにすらなっていないのだ。ロメリアはただ立っているだけなのだ。

 神の力に触れた人間がどうなるのかわからないペスカではない。当然ながら、その為の準備をして来た。それでも届かない。


「君が逃がした人間達を殺したら、どの位絶望してくれるんだい? それとも生き残った奴等も皆殺しにしないと駄目かい?」


 ロメリアならやりかねない。それだけは駄目だ。そんな事は有ってはならない。それでは二十年前と一緒だ。そんな事では死んでいった仲間達の恨みは晴らせない。奴を殺す為に力を蓄え、知恵を身に着け、奴に対抗しようと努力を重ねて来たのだ。


 やらせない、やらせない、やらせない。


 何が有っても、奴はここで止める。ここで殺す。だから、「もう一度力を貸して下さい、神よ」、「お兄ちゃん、力を貸して。お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん、兄ちゃん」、お兄ちゃんの力を貸して。


 ペスカは蹲りながら、念じていた。かつて、自分を転生させた神に祈っていた。そして、いつもどんな時も守ってくれた兄の名を呟いていた。

 

 頭は怒りに支配されている、最早冷静な判断は下せない。体は潰されそうになっている、既に立つ事させ叶わない。それでも足掻こうとする。それでも眼前の敵を打ち破らんとする。それがペスカだ。それが、かつて英雄と称されたペスカなのだ。


「大地、母神、フィアーナよ。我が、祈りに、応え、力を貸し、たまえ」

「今更? ハハ、何を女神如きに祈ってるんだい? それで何が出来るんだい?」

「混沌を、払う、力を。我ら、共通の、敵を、屠る、力を」

「無理だよ、無理、無理、無駄だね。今の君には何もできない。今の君はここで僕に殺されるだけ。残念だったね。これまでの人生全てが無駄だったんだよ」

「そんな、事ない。お前を、たおす。ここで、殺す。お兄ちゃん、お兄ちゃん、力を貸して、お兄ちゃん」


 今、ドルクの分身と戦っている最中であろう冬也が、駆けつけてくれるはずがない。神の力をそう簡単に借りれるとは思っていない。

 しかし、ここで立ち上がらなければ全てが終わる。それこそ、前世の二十年弱の人生が、今世の十六年の人生も、何もかもが無駄に終わる。むざむざ殺させる為に、愛する兄をこの世界に連れて来たのではない。


 守らなきゃ、お兄ちゃんを守らなきゃ。私をずっと守ってくれたお兄ちゃんを、今度は私が守らなきゃ。


「ぢ、が、ら゛、を~!」


 それは冬也の事を思い浮かべ、頭の中から一瞬だけ怒りが消えた時だった。それは純粋な願いであった。『冬也を守りたい』、その一念が奇跡を呼んだ。


 ペスカの身体が光輝いていく。強烈な悪意を跳ね除け、ペスカは立ち上がる。


「凄いね、やるじゃないか。それでこそ、英雄ってもんだね。ハハハ。でも、ようやく僕の前に立てただけだ。わかっているのかい? まだ、君は僕に傷一つ付けられていないんだよ」


 ロメリアは嫌らしい笑みを浮かべている。そう、まだ戦いにすらなっていない。まだ始まってすらいない。奴は立っているだけ、奴は泰然とそこにいるだけ。


 一撃でも食らわせなければ。違う、ここで倒さなきゃ。ここで殺さなきゃ。


 ペスカの美しい顔は再び歪み始めた。それは苦痛からではなく、怒りによって。そして、未だ体の中に残っているマナを、体外へと広げていった。


「貫け、神殺しの槍! ロンギヌス!」


 ペスカが呪文を唱えると、上空に大きな槍が現れる。そして、目もくらむ様な速さでロメリアへ向かって突き進む。しかし、ロメリアは避けようとすらしなかった。

 ペスカの魔法はそのまま胴に突き刺さり、その体を真っ二つに両断した。だが、二つに両断されたロメリアは、そのままの姿で話し始める。


「良いね。その怒り狂った感情。美味しいよ。とても美味しい」


 ペスカが再び呪文を唱え、何本も槍を作り出し全て邪神にぶつける。そして邪神は全ての槍を受け、散り散りに砕け飛んだ。辺り一面は槍の余波で、大きなクレーターを幾つも作っていた。だが、それで終わりにはならない。相手はまごう事なく神なのだから。


「ハハハ! それでお終いかい?」


 邪神の声が聞こえると、散り散りに砕け飛んだはずの身体は、光と共に集まり元の身体を作り出した。ペスカは当たり散らす様に、何度も魔法で槍を作り攻撃する。しかし、邪神は両断されようと、砕かれようと、元の身体を作り出した。


「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんなぁ!」


 ペスカの唇から血が流れていた。瞳には涙が滲んでいた。どれだけ攻撃をしても神には届かない。どれだけ力を尽くしても、犠牲になった人達の恨みは晴らせない。それがどれ程に無念か。

 元凶はいま目の前にいる。これで終わりになんてさせない、あのふざけた笑みを壊してやる!


「時空を超えて来たれ、破壊者よ! 世界を壊す禁忌の力よ! 我が下に現れ、我が敵を討て、ツァーリ・ボンバ!」


 ペスカのマナが、これまでに無い程に上昇していく。そして呪文の詠唱に合わせて、邪神を包む様に結界が張り巡らされる。しかし詠唱が終わっても、魔法が発動する事はなかった。


「流石にその魔法は、消させてもらったよ。まぁね、多少くらった所で、大して痛くはないけどさ」


 それは、かつて旧ソビエト連邦が開発した、世界一の爆弾だ。その破壊力を参考にしてイメージした、最大級の火力を誇る大魔法すらも、ロメリアには通用しなかった。

 ペスカはその身を震わせていた。怒り、絶望、恨み、様々な念がペスカの中に渦巻いていた。


「悔しそうだね。あぁ楽しいね。君と遊ぶのは楽しいよ。だが、もう時間の様だ」


 ロメリアの言葉につられて、ペスカは背後に視線を送る。すると、自分を呼ぶ声と共に荷車が速度を上げて走り寄って来るのが見えた。


「あぁ、厄介だ。女神の癖にやってくれるよ。本当に厄介だね。育つ前に殺しておくか? いや、それじゃあ面白くないね」

「何を言って?」

「気が向いたらまた遊んであげるよ。じゃあね」


 邪神はそう呟くと姿を消した。そしてペスカは唇を噛みしめ、涙を滲ませながら地面に拳を叩きつけた。

 ペスカの下に荷車が到着すると、慌てた様に冬也が降りて来る。そしてペスカは、両目から滂沱の涙を流し、冬也にしがみついた。


「おに゛~ちゃん。おに゛~ちゃ~ん」


 泣きじゃくるペスカを優しく抱きしめ、冬也は問いかける。


「大丈夫だペスカ。どうしたんだ?」


「わだじ~。みんなのガダキ取れなかった~。あいづ、だおせなかった~。ごめなさい。ごめなさい。ごめなさい」


「良いんだペスカ。良いんだよペスカ」


 冬也はきつくペスカを抱きしめた。ペスカは、いつまでも泣きじゃくり冬也から離れようとしなかった。

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