第15話

 俺は七瀬がクローゼットの中をガサついてる間に、

自身の勉強机の一番上の棚に所在する茶色の分厚い封筒を取り出した時


 ガララ


 という音と共に、七瀬がクローゼットから出て来た。


「うわ..」


 そしてそんな彼女を見た俺は自身の意図とは裏腹に狼狽してしまった。

何気ない室内に咲く一輪の薔薇を鑑賞するような心地になると言うべきか、

眼前に悠然と立ち尽くす七瀬を見た時のあの衝撃は今でも忘れられない。


 カジュアルなユニクロの上下セットでこうも嵌まるものなのか?

流石数多ある日本企業の中でも世界に誇る一台ブランドだ。

価格もリーズナブルで通気性も抜群ーー汗ばむ夏にぴったりの

エアリズムの下着とデニムのジーンズに爽やかさを感じさせる水色のトップス


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ー「”うわっ”ってなによ..」


 しかし、つい反射で口にしてしまった俺の発言を

マイナス評価として捉えてしまった彼女は口をムッと尖らせ、

平坦な眼でこちらを凝視してくる。


 恐らく肌着一枚挟んだだけの上体を屈めながら、

顔だけを前にグッと突き出した可愛げのあるポーズ


 自称プラトニックな自分にはあまりにも官能的すぎて思わず

脳味噌が焼かれそうになったが

何とか本能を抑え理性という糸にしがみ付く


「なんか言ってよ..。感想くらい欲しいな..」

「う、ウェ..。に、ににあってると思うよ..」


「どうして吃っているの? 大丈夫..?」

「だ、大丈夫だよ。問題ないーー」


 咄嗟にここまで言い終えさっきから湧き上がるムラっ気も大分今の

この状況に適応していくのを感じた。つまり理性の勝利である。


 しかし同時に、

俺は自身が男の身体である事を呪った。

自分の頭は彼女との普通の会話を求めているのにそれを嘲笑うかのように

本能という野生をむき出しにしてくる野蛮な下半身についた性器の存在含め、


 こういう展開に陥るたびに、俺の去勢願望は強くなっていく。


「でも良かった! 最初『うわっ』なんて言われちゃったから自分に

合ってない格好なのだと思って慌てちゃったけど、、

ありがとう! 似合ってるって、そう”ゆ”ってくれて嬉しいなぁ..」

「な、なら良かったよーー」


「え、えっと七瀬、言いたい事があって..」





 俺が彼女を晩御飯に誘う前に計画立てしたのは

これから同居するにあたってのいくつかのルール設定だ。


 七瀬とaiの両名、記憶喪失が戻るまでの一時的な期間は

各自家事を分担し日替わりでローテーションを組んでいく。


 例えば一週間という期限だったら、

月曜と火曜と水曜の風呂掃除は俺、木曜と金曜は七瀬、

土曜と日曜はaiといったように詳細に定めていって、

相互扶助としての結束を高めるという、文化系の俺らしからぬ

体育会系な提案に七瀬はすんなり同意してくれた。


 そして毎食の料理提供は自分、

残りの家事で必須のもの(風呂掃除、洗濯etc..)は七瀬とai

その他皿洗いや便器にこびり付いた糞など、その時々において

生じた問題は個人の責任とする、、と大まかに決めたのだが


 ここにきて、ずっと受け身だった七瀬が口を挟む


「ねぇ、

あそこで漫画読んでる人って康太くんの彼女さんじゃ無かったの?」

「え、違うけど..」


 どうやら七瀬は、我が物顔でこの部屋に居座り漫画を読み耽っている

aiの事を俺の彼女だとずっと誤認していたらしい。さっき自分が寝ている

間に何度か話しかけようとしたが、スルーされて傷ついたとかーー


「えぇ!? じゃああの子人間じゃないの!?」

「そうなんだよね、さっき油丸ごと一本飲み干してたし..。

今だって流暢な会話技術を身に付けるためにああやって漫画見て学習してんだ..」


「ど、どう見ても生身の人間にしか見えないけど..」

「だよなーー服の下の作り込みとかどうなってるのだか..」


 スーツ越しにくびれのラインは観測されるものの、

胸はまな板で少年のような肉付きーーもし開発者がそこんとこに

自身の嗜好を反映させたのだとすれば、そいつは多分ロリコンだ。


 それでも、

aiであるせいか全体的にどこか大人びた印象を帯びているから、

七瀬が彼女の事を俺の妹だと解釈しなかったのも一理ある。


「で、あの娘も記憶喪失で、康太くんの家に突然現れたと..。

全く可笑しな話よねー。どういう原理か理屈か、さっぱりだわ」

「本当にね、、もうお手上げって感じだ..。

いっくら考えてもそれらしい理由はまるで見当付かないしー

ひとまずこの件は置いといてだな..。七瀬、一応これから

生活する上で、欲しいもんだったり行きたい場所に行けないのは

不便だろ。ってわけで、これは毎月のお小遣い」


 俺は今日知り合ったばかりの彼女に、

汗水垂らして働いた自分のお金を

渡す事に特段躊躇があるわけではなかった。


「この茶封筒に入ってる紙幣の束から毎月一万円、、

というか両替してないから一万円札しか入ってないんだけどな」

「え..そんなに頂けないよ..。

別にお小遣いなくても、私が働いて稼げば..」


「いや、その理論に当てはめるなら七瀬はもうそれを

貰う資格あんじゃん。さっき床掃除してくれた対価ーー」

「た、確かにそうかもだけど..。床掃除しただけで一万ってのはちょっと..」


「そっか..」


 七瀬は少し困惑の色を浮かべているのを見て、

俺はお小遣いの案を一旦取り下げた。


「じゃあ、必要になったらその時に応じてってやり方で良いか?」

「うん!! それなら大丈夫!!

でも、せめてお金は”あげる”じゃなくて”貸す”にしてよ。

返せないままただ飯食いっぱぐれてさようならなんて、、

私はそんな事したくないし、記憶が戻ったらきちんと返すから!」


「分かった..。じゃあそうしよう」


 お金の取り扱いは決定ーー

お小遣い制ではなく必要経費として落とす感じだから

確かに無駄な出費は抑えられる上で家計にも優しいし、

彼女(七瀬)自体もそこまで散財するようには見えないから良かった。


 これである程度共同生活の根幹をなすルールは定まってきたし、

ゴミ捨ての当番だったり不定期に発生するイベントはまた

その時に応じて決めておけば良い。


 しかし、今はまた別の問題が生じてきている。


 グゥーー


 俺の空腹感は七瀬との

15分に渡る会話を通してもうピークに達していた。


「七瀬、どっかの飲食店で晩飯食いに行かないか..?

「え..? う、うん。良いよ!」


 最初の数回は拒まれるかと思ったが、彼女は案外素直に聞き入れてくれた。


「じゃあ、どこ行こっか..」


 


 


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