第7話

気持ちが悪いーーと、そう思った。

でも、そいつは私が拒絶しているのに、それを意に介さずに言う


「傘させよ」

「嫌..」


「あっそ、じゃあ傘は俺がさすけど、ちゃんと着いてこいよ..」

「嫌..。着いてくるって、もしかしてアンタに??」


「アンタじゃない。矢場康太やばこうただ」

「そう..。じゃあ康太ーー私は、

着いていかない。ずっとここにいるんだから」


「ふーん? じゃあ、干からびるまでそうすれば良い。

帰る場所がないなら家に泊めてあげても良いと思ったけど、

本人にその気がないなら、無理に強制はしないよ。ただ、

夜は気をつけた方が良いよ。ここら辺は治安は良いとはいえ、

女の人が一人でいても絶対に安全とは言い切れない。

だからえっとーーもしお前に戻る気がないんならな....。

とりあえず交番にでも行って相談してもらってーー」


 ....。何なんだろうこの男は、、ペラペラと..。


「ねぇ。何の用..?」

「..えっと、、その..」


「要件がないなら帰って..」

「ごめん!!!!」


「え..??」

「これ、、、、」


 そう言って手渡してきたのは、彼がついさっき私から奪った小瓶..。


「....そう。わざわざ届けに来てくれたのね。ありがとう..」


  私が目を伏せると、康太の履いているスニーカーと目が合った。


 私が最初に彼の家から出た時はまだ出荷時の新品そのものだったのにーー

底の白い部分は泥が跳ね返ったのか茶色く汚れていて、長ズボンの裾も水浸し。

油断して途中で転びでもしたのか、ジーンズの膝部分の布擦り切れており、

瘡蓋も出来ていない真新しい生傷が顔を覗かせている。


「最後に聞くけど、本当にこのままで」

「ねぇ..」


「ん? どうしたの?」

「..康太はさ、、本当にこれを届けてくれるためだけに、

私を探しに来たの??」


 数秒の間、、康太は沈黙したが、しばらく経ってまた口を開いた。


「そうだけど、それだけじゃない..。謝りたかったんだ。

あのまま、君を行かせてしまった事ーー

ちゃんと、君と会話しなかった事も含め」

「そう..」


「じゃあ後一つ、私が遮っといて言うのも何だけど、康太さっき

なんて言いかけていたの? それだけ..教えて欲しい..」

「あぁだから。本当に、俺の家に来なくても良いのかって話ーー

だってお前、記憶がないんだろ? だったら、戻るまでの仮住まいとして

家を利用してくれて構わない..。”汚いけど”、昔父さんが使っていた部屋が

一部屋余っているんだ。”汚いけど”、片付ければ全然余裕で使えるし..」


 そっか..。


「本当に、良いの?」

「え? そりゃあ勿論だよ」



「....。よし、雨も止んできたみたいだし、家に帰るか..」

「待って!!」


「こ、今度は何..?」

「私、私本当は、、康太がずっと、私を迎えに来てくれるって

期待していてーー記憶のない女性を、ほっとける男なんていないだろって

そんな浅はかな考えで、そんなに遠くには行かないで、わざと公園の

ベンチに座って待ってたの。ねぇ、、私って最低でしょ??」


「....。”最”底ではないよ、酷いとは思うけど」

「そう、、やっぱり?」


「で、お前は結局何が言いたいんだ? 

私はこういう人間ですってお気持ち表明

が終わったってんなら、とっとと家に戻ろうぜ」


 私の目の前から突如吹いてきた風、不意にその方向に目をやると、

康太はもう傘をさしていなかった。私の方に向かってかかげられていたそれは

もうとっくに彼の手元にぶら下がっていたから、思わず空を見上げる。


 するとそこには灰色の混ざった雲がまばらにあるだけで、水色の空が

見え始めており、雨はもうとっくに止んでいた。


「ふふ..」ーー


「お、おい。怖いって、どうして急に笑い出すんだ!!」

「あっはははははははは!!」


 そっかーー


 自分が気に病んでいる程の感情を、康太は持っていない。

この人は多分、他者への共感性が著しく欠如している人で、

行動した過程ではなく常にその結果を重視しているんだ。


 だから彼にとって、私を見つけられたという達成感が果たされた今、

これ以上自分が抱いている感情を開示した所で、、


「ありがとう..」

「え? 今度は感謝ーー怖いんだけど....」


「ううん。怖いものじゃないよ、純粋にそう思ってるんだ。

なんか、悩んでる事が全部どーでも良くなったみたいな....」

「そうなんだね。じゃあ、家に帰ろう」


 ほら この人は私の事じゃなくて、私をいかにして

『自分の家に連れ帰る』という結果、そして、連れ帰るための”材料”

という認識でしか、私の事を見ていないーー


 だから、表面上のお付き合い、

義理としての仮住まいというこの状況においては、

彼以上の適任は他にいないだろう。でも同時に少し寂しくもなった。

きっと康太とは上部だけの交流で、親密になる事はないだろうからー


「分かった..」


 「これから、お世話になります! 自分の名前もわからない不束者ですが、

  最低限の家事はこなせますし、迷惑をかけないよう努めます!」」


 これで良い。。業務的な会話をただこなしていくだけ。

これからは敬語を使って、ハリのある声でハキハキと喋ろう。

模範的すぎるのは気持ちが悪いけど、康太はそれを求めているから..


「....うん、こちらこそよろしく。じゃあ、家に帰ったらまずは

風呂にでも入って着替えると良いよ。俺が子供の時に着ていた奴か、

母さんの持っている寝巻きで丈の合うやつを適当に見繕ってさ..」

「そうだね! 私のために衣服まで用意してくれてありがとう!!」



 これからは、出来るだけ波風立たないようにしよう。

私の気持ちを1ミリも理解出来ないこの人を、不快にさせないようにーー

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