第3話

 人生には、モテ期というものが三度来るらしい。


 そして、藤森が”二”回目の俺のモテ期の契機となるのではないか?

などとありもしない事を考えただけで不快な気分になる。


 というのも、今でも忘れられないのだが、一回目の俺のモテ期は

幼稚園の年中さんの頃、他のサル顔の児童よりかは幾分か

マシな顔をしていた当時の俺は、同年代の女子からよくもてた。


 でも、同じ年とはいえ当時から世を達観しませていた自分は、

同級の女子を低知能の哺乳動物としか捉えておらずーー


 人生で初めての、バレンタインの手作りチョコを貰った時に

自分の言い放った一言


 後にも先にも、この時の自分が恐らく人間の屑を極めていただろう。

しかし、当時の俺に悪気はなかったんだと思う。だって、子供は正直だから。

お世辞とか、忖度とか、そういったものの概念を知らない。


 から、、これは言い訳に過ぎないがとにかく、

俺はその、幼稚園生にして手作りチョコまで作れるそのハイスペ園児に、

周囲の人間の体感温度を3度ほど下げるような、冷徹な一言を浴びせた。



 田町駅ーー

この駅構内の改札を出た所に見える、某お菓子メーカーの広告ーー

これを見るたびに、あの時を思い出す。


『え? 何このチョコ? も○ながの方が美味しいんだけど』


 そう言い終えた瞬間、俺の頬には園児の平手打ちが飛んできた。

『うわぁああああ』と大声で泣き叫びながら、彼女はその足で先生に

チクリに言く。


 その後は、、どうなったっけ..?

 確か、先生に何時間もお説教をくらった。


 『お前は女心がまるで分かってない』とか

 『人の好意を無碍にするなんて最低な行為だ』とかーー

園児の俺にしてみれば、女心なんて知るかといった感じだし、


「向こうが勝手に持ってきたから、それを正当に評価しただけ。

先生、嘘つくのは良くないって、以前おっしゃってましたよね?』


 と反論したら、もっと怒られた。

全く、、自分は本当にクソガキだったし、先生も手を焼いた事だろう。

でも安心してくれ。あれからもう10年。


 お前らが散々呪ったであろう俺は今や人付き合いとは縁のない孤独を

極めし男。彼女がいないのはともかく、友達と呼べる人物もいないからな。


 はっはっは..。


 夏の湿った風は、俺の乾いた心の声を潤さなかった。



 家に帰るまでの間、俺はさっきの出来事を頭の中で反芻した。


 あの、藤森光希という人物と、どこかで接点はあったか?

という事についてだ。


 結局該当する人物は思い当たらないものの、もしかすると

まだ物心がつく前に出会い、将来の結婚を誓い合っていた。

とかではないだろうか?


 そんな面倒な話が実際にあったらたまったものではないし、

第一俺はそんな事覚えていなから、仮にそうだとしても、

『知らない』『人違いじゃない?』の二点張りで攻略出来そうだーー


 なんて事を考えながら、

彼女と明後日に会う約束をしてしまった手前、

いくつかの状況を予測し、模擬演習を重ねていく。


 とにかく勘違いしないで欲しいのだが、

俺は藤森に気があって彼女を誘ったのではないという事。

令和の時代には珍しく、随分積極的でグイグイくるタイプの人間ーー

俺は藤森という人間のその常軌を逸した行動に興味を惹かれただけだ。



『結婚して下さい!!』



 いや、でももしあの場で了承していたら、

本当に俺はどうなっていたのだろう? 役所に連行され、

婚姻届を貰おうにも、第一俺も藤森も、まだ婚約できる年齢を

満たしていないから法律上では不可能のはずだ。


 なーんて。こんなマジになって考える必要はないか..。

そう、明後日、明後日話せば、彼女の本心が掴める..。


 などと熟慮に熟慮を重ねた結果、周囲の景色の移り変わりにも

気を止めぬほど没頭してしまったらしく、

既に自分のマンションの目の前の自動ドアにまで差し掛かっていた。


「お帰りなさいませ..」

「お帰りなさい..」


 玄関口にいるマンションの管理人と軽い挨拶を交わす。

そんな50手前の彼は俺が小学校に上がる頃から顔馴染みの管理人さんで、

登下校の際は、いつもこうして顔合わせするも、

挨拶以外に何か会話を交えた記憶はない。


 俺が家に帰ってくると『お帰りなさいませ』

逆に、家の外に出ると『行ってらっしゃいませ』


 それしかいなわいから、

さながらゲームのモブキャラのような管理人さんの事を、

”NPCさん”と、心の中で勝手に呼んでいる。


 NPCさんは挨拶を済ませた後に、すぐ受付の奥の方に

引っ込んで、デスクから何か書類の山を引っ張り出し漁っている。

そんな光景を横目に、俺はマンションのマスターキーを機械に

読み取らせ、来客者用の座談スペースと、

熱帯魚の泳ぐ水槽のあるエントランスに入った。


 来客者用のソファには人が2,3人座っており、どいつも

恰幅の良さそうな親父だ。羽ぶりがいいと言うべきなのだろう。


 真っ昼間からタバコをふかしてる奴ーー

 

 デスクの上にマックブックを広げ、

会議の資料やらを打ち込んでいる奴ーー


 そんな彼らを目尻に、俺は8つあるエレベーターのうち、

一番早くきたのに乗り込む。自分の部屋があるのは10階ーー


 他に人はいないからぞんざいに階数が表示されている

ボタンを押すと、エレベーターの扉は音も立てずに閉まり、

上昇を開始していく。かなりの速度で、、


 この耳がキーンとなるのは、何年たっても変わらない。

小さい時は慣れれば何とかなると思っていたが、そういう

精神論でどうこうできるものでもないようだった。


 高度の上昇による気圧の変化。

地上で買ったポテチが山頂に行くとパンパンに膨れ上がる

原理と一緒で、鼓膜が弛緩する事による違和感であると学んだのは

中学に入ってからーー自然現象だからどうしようもない。


 でも、エレベーターが加速を緩めると同時に、

違和感も徐々に和らいでいく。


 チン


 と一回音がなり、エレベーターが10階に着き、渡り廊下に

降り立った時には、もう耳の違和感は完全に取れていた。


 そして代わりに待ち構えるのは、地上から10階に位置する

渡り廊下の左右に等間隔に配置されたドア。かなりの部屋数があり、

みんな似たような構造だから、初めて訪れる人が道に迷うなんてのは

ザラにある。


 そんな灰色の毛布が敷かれた渡り廊下を直進し、

モネの風景画が飾られた突き当たりを左折ーー


 そこをずーっと直進して5番目のドアのあるところが、

マンションの一室、つまり、矢場家の部屋である。


 俺は背中のノースフェイスのリュックから家の鍵を取り出す。

ドアノブの下にある穴の中にツッコミ横に捻れば、、


「ただいまぁ」


 到着、とはいえ両親共働きの我が家において、こんな真っ昼間に

帰ったとて不在。いや、父は単身赴任でいないから、

正確に言うのなら母の不在ーーしかし、そんなのは今はどうでも良いことだ。


 俺は先週買ってから未だに履き慣れない少し大きめのスニーカーを

脱ぎ、踵を揃えて並べる。普段靴べらを使わないせいか、たった一週間で

踵の素材が既に摩耗しているのが目につきつつ、


 木製のタイルが敷き詰められた細い床を直進すると、4Kのテレビ付きの

リビングルーム兼ダイニングルームが見えてくる。


 リビングのソファの上にリュックを放った俺は、近くにある洗面台に向き、

手を洗ってうがいをする。


 最後に制服も全部脱いで、

上下肌着という組み合わせのまま冷蔵庫に向かった俺は、

先日作り置きしていた鶏のささみと胡瓜をぶち込んだタッパー

片手に、ウォーターサーバから注いだ水をゴクリと吸収ーー


 その後再びリビングに戻りテレビをつけてみるも、

昼の時間帯というのもあり面白い番組がなかったため、リビングでくつろぐのを

あきらめた俺は、自分用の固定式のパソコンのおいてある自室に向かう。


 俺の部屋はリビングを出て二つ目の扉を開けた所だ。

扉は全部で三つあり、一つ目は母の部屋、三つ目は父の部屋。

昔は二つ目が父の部屋で、三つ目は家族共同の寝室だったのだが、

俺が小学校に上がったのを機に夫婦仲が悪化していったのと、

元から俺が自分の部屋を欲しいとねだっていたのもあり、

今のような形に落ち着いた。


 つまり、俺は不仲な二人に挟まれた緩衝材のような存在。

物理的に距離を離させる事で口論は以前よりも減ったように見えた。

しかしそんなタイミングで父の単身赴任が確定ーー


 結局、俺がサンドイッチの具材になるという役割は終わり、

誰もいなくなった父の部屋は現在物置き(ゴミおきば)として使われている。


 ガチャリ


 内鍵もかけられるドアノブを掴み、横に捻るーー


 扉はあっけなく開かれ、中に足を踏み入れる俺ーー

自室の床は扉を開けていれば定期的にルンバが中に入り自動で

掃除してくれるのもあり、くしゃくしゃに丸まった紙ごみ以外には

埃一つなく、ツルツルしているため非常に滑りやすくなっている。


 そこを、靴下を履き摩擦を極力減らした状態で、

キュッキュとスピードスケーターのようなポージングで進む。


 そして、右手にはベッドがある、母が掃除でもしてくれたのか

布団は不自然にもっこりとしているーー


 

 ん?


 また、俺は動揺と焦燥感を隠せなくなってしまっていた。

というのも、布団が不自然にもっこりとしているーー

そのもっこり具合が、本来それが持つべき厚みとはかけ離れていただけではない。

枕元に目をやると、黒い髪の毛が頭を覗かせている。


「うわっ!」


 そう脳が認識した瞬間に、反動で尻餅をついてしまった。

するとその声に反応したのか、髪の主は俺の布団をユサっと一回動かした後、

今度は布団の中から片手を出し天井高く”うーん”と突き出している。


 

 なるほど、俺の布団の中に、知らない人が眠っている状態かーー

今日は藤森に告白されたり、本当におかしな一日....って、、、


「ちょっと待て!! 不法侵入はマジで洒落にならんって!!」


 我に返った自分は、得体の知れない何かを覆う布団を思い切りひっぺがす。


 そして、中で眠っていたのは、、



「え..」




 腰位置まで伸ばされた、長くて美しい黒髪ーー


 すらりと整った鼻筋に純白のチーク


 一瞬芸能人か、二次元のキャラが具現したと形容しても過言ではないほどの、

今日出会ったあの藤森に比肩し得るレベルの美少女が、


 セーラー服を身に纏い、俺のベッドの上で眠っていた。


♢後書きー舞台についてー


 主人公の家は東京都港区芝に所在しているため、

今後の物語もそこを基点に進んでいきます。


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