第2話 親父の死と一枚の金貨
親父は元探索者だった。
腕利きだったらしく、「瞬歩のレビン」といえばそれなりに名が通っていた。その頃の仲間や知り合いが街のあちこちで店を出していて、俺のお得意様になっていた。
探索者は一生の仕事ではない。年を取って体の動きが鈍くなれば、アートも錆びつき、魔物の餌食となる。
成功者は元手をため、体が利かなくなる前に引退するのだった。
俺が八歳だったある日、親父夫婦は俺を連れて森に入った。山菜やキノコなど森の幸を取りながら、ひと時を過ごすためだ。
運が悪いことに、森の中で子連れの熊に遭遇した。熊は興奮し、出会い頭に親父を殴り倒した。
そして、悲鳴を上げるお袋に襲い掛かり、押し倒した上で何度も噛みついた。
動かなくなったお袋を放り出し、口元を真っ赤に染めた熊が俺の目の前で立ち上がった。充血した目で熊が咆哮を上げた瞬間、頭から血を流した親父が短剣を片手に熊に襲い掛かった。
何とか熊を倒すことができたが、親父はその戦いで右手と右足を失った。血止めをして町まで生きて帰れたのは奇跡だった。
探索者としての親父の蓄えは、治療費に消えた。
親父のけがが快方に向かった頃、俺は今の雑用請負生活を始めた。元々、ギフトのお陰で家の手伝いが得意だったのだ。他に金を稼ぐ手立ては考えつかなかった。
それから七年、親父と俺は細々と生きてきた。もらい物と駄賃で何とか生きのびたのだ。
だがそれはあっけなく終わりを告げた。
何の前触れもなく、親父は死んだ。
残された俺は親父の亡骸を背負って町を出た。人気のない森に入り、埋葬する。
家事アート「収納」。埋葬はたったの十分で終わった。
俺は一人になった。十五歳の夏だった。
◇
「期限は今日から一週間。一日でも遅れれば、お前を奴隷として売り飛ばす」
家に帰ると、既に借金取りが待ち構えていた。
右手右足を失った親父が命を取りとめるまでの費用は、わずかな貯えでは賄いきれなかった。親父の命を救うため、俺は高利貸しから金を借りていた。
雑用請負の稼ぎでは日々の生活を支えるのが精いっぱいだ。元本はもちろん、月々の利息返済も滞りがちで、借金の額は一向に減らなかったのだ。
「今日まで取り立てを待ったのはレビンに恩があったからだ。死んじまったらそれも終わりだ」
探索者時代の親父に助けられたことがある。借金取りはそういった。
「わかりました。ダンジョンに潜って金を作ります」
感情の抜けきった声で俺はそういった。そうするしかなかった。
短期間でまとまった金を作るには、命を張るしかない。
「そうか。ならこいつを持ってゆけ」
借金取りはポケットから取り出した金貨を俺に放りつけた。
「これは?」
「お前が死んだら貸した金の取り立てができねえからな。その金で装備を整えて行け」
俺は生まれて初めて手にした金貨を、右手に握り締めた。
「すみません。きっと返します」
「あてにしてるぜ。ああ、ダンジョンは初めてだろう? 水と食い物を忘れるな」
男はそれだけいうと、俺の家から立ち去った。
俺は右手を開き、ピカピカの金貨を眺めた。
装備、水、食料。金貨1枚で買えるだけ買いこもう。
親父はよく昔話をした。探索者をしていた頃の話だ。
あそこのダンジョンは厳しかった。ここでは死にかけた。あっちじゃ仲間が死んだ。どのダンジョンでも命がけだったと。
『なあ、リビイ。ダンジョンで一番大事なものを知ってるか?』
滅多にないことだが、酒を手に入れた日、親父は上機嫌に語ったものだった。
『剣でも矢でも、盾でもないぜ? ダンジョンで生き残るために一番大切なもの』
それは水だ。
生きるためには水がいる。魔物に追われて隠れる時、水がなければすぐに動けなくなる。
けがをすれば傷を洗う水が必要だ。
『そん次に大切なのが食いものだ。食わなきゃ力が出ねえからな』
水と食料を運べるだけ買いこもう。武器や防具はあまった金で買えばいい。借金の分だけ稼ぐには、一週間まるまるダンジョンに籠らなければならない。一週間分の水と食料だ。
俺は必死で考え、必要なものを町で買い込んだ。
俺は五リットル入る革袋、丈夫な背嚢、干し肉と黒パン、ドライフルーツ、そして岩塩の塊を一つ買い込んだ。
武器や防具を買う金はなかった。どうせ俺には武技系アートがない。剣や弓を持っていたところで使いこなせはしないのだ。
俺は使い慣れた包丁を布に包み、腰ひもに挟み込んだ。運よく魔物を狩ることができたら、こいつで素材を採取しよう。
俺は丈夫な樫の棒を一本と麻縄を買った。魔物の素材は天秤棒に下げて担いで帰ろう。生きて帰ることができたらば。
いつも通りくず野菜で作った雑炊をすすった後、次の朝潜るダンジョンの様子を想像しながら、俺は早めの眠りについた。
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