第76話 日本語でも書いてあることが分からない、なんてザラ

 楕円形の装置が輝き、その中央に文字が浮かび上がる……のだが、


「どれもこれも、読めませんわ」

「古代語じゃな」


 エリー曰く、【時の塔】自体が疑似生命体なお陰か、全ての資料やデータは、【時の塔】の内部に保管されているのだとか。そしてそれは全て当時の言語で綴られている。つまり、今目の前にある〝日本語〟古代語という事になるらしいのだが……。


(読める……読めるが――)


 ランディの隣でエリーが、「ふむ……」と古代語と言う名の日本語をスラスラと読んでいる。正直ランディも横から、「これはこうで――」と口を挟んでもいいのだが、それが出来る気がしない。


 なんせ書いてある内容や文字こそ日本語だが、それを表すこちらの語彙が分からないのだ。そうこうしているうちに、〝時空魔法〟――これくらいは分かる――と書かれたカーソルをエリーがクリックした。


 眉を寄せるエリーの隣で、ランディは目の前に広がった文章に目を落とした。


(ここも日本語……。読める…けど、何が書いてあるかサッパリだ)


 そう。ランディの感想通り、表記こそ日本語だが、書いてある内容は元一般人であるランディには全くもって理解が出来ない。翻訳できる出来ない以前に、元母国語でありながら、外国語よりも意味がさっぱりなのだ。


 例えば……


 人類による擬似的なカー・ブラックホールの創出と、フレーム・ドラッギングによる「事象の地平面」と「エルゴスフィア」の領域を展開する――


 だとか……


 カー・ブラックホールの「特異点」の通過実験により、別の時空へのアクセスが証明された。これは時空間の閉じた時間的曲線の存在を証明する――


 だとか、更には……


 観測者が時空の中を循環し、異なる時間座標に再帰する経路が構成されたという事だ。つまり我々は時間逆行が可能となる理論的枠組みを作ったと言う事になる。

 あとは特異点の安定性、量子効果、エネルギー条件の違反……だが、それも間もなく解決する。


 と、ワケの分からない事を終始説明して、のだ。


 これを読める!


 と言い張るにはランディにはハードルが高すぎる。読めるが全く分からない内容に、ランディは「意味わかんねーな」と、瞳をそっと逸らした。


「無理もない。古代語な上に、専門的な知識が必要な内容じゃ」


 眉を寄せるエリーが、しばらく内容の吟味に時間がかかると言うので、ランディ達はそれぞれ部屋の中で待機する事にした。





「時渡り……か」


 呟くルークの隣で、椅子に腰掛けたセシリアが「そう言えば」と口を開いた。


「ルークは、過去に戻りたそうでしたわね」


「戻りたい……のでしょうか。少し分かりません」


 罰が悪そうに頭を掻くルークに、セシリアが不思議そうに首をかしげた。


 そんな二人の会話を、ランディは少し離れた場所で壁に凭れて聞いている。ルークが過去に帰りたいとするなら、その理由にランディは一つだけ心当たりがある。


 だがそれをランディが口にするのは野暮という物だ。


 もし戻れるならば……戻るかどうか、そして過去で何をするかどうかを決めるのはルーク自身だ。もちろん過去に干渉するなど、危なすぎてお勧め出来ない。だがランディの予想するルークのやりたいことは、それほど影響があるとは思えない。


 もちろん些細な出来事で大きく歪むのが、未来だという事も知っているが。


 とにかく戻るにせよ戻らないにせよ、ルークの人生の決断をランディが横から口を出すわけにはいかない。




 そこから他愛ない会話を繰り返す二人を横目に、ランディは難航しているエリーの元へと歩きだした。


「苦戦してるな」

「馬鹿を申せ。既に、粗方の解読は済んでおる」


 笑ったエリーが、ランディに「写真とやらを」と、ランディが持参した写真を出すように言う。


「お前、もしかして――」


 期待に胸を膨らませたランディが、マジックバッグから複数の写真を取り出した。どれもこれもリズの写真に、エリーが「お主……」とジト目でランディを見ている。


「何だよその目は」

「なんでもないわい」


 頬を膨らませるエリーに、「なに怒ってんだ?」とランディが眉を寄せる。


「怒ってなどおらん」

「怒ってんじゃねーか」


 水掛け論が始まりそうな展開だが、頬を膨らませたエリーにランディが放った一言で、その様相がガラリと変わった。


「写真うつりが悪いからって、怒んなよ」


 口を尖らせたランディが、「これとか良く撮れてるだろ」と一枚の写真をエリーに手渡した。それは見た目にはどう見てもリズなのだが……


「これ、もしや妾か?」

「どっからどう見てもお前だろ。目元とか口元とか、全然違うぞ」


 そう言ってリズの写真とエリーの写真を二つ並べるのだが……「分からん」エリーをしても、その違いは分からない。無理もない。最近はリズの身体を完全に支配する事もなく、見た目はリズのままなのだ。


 それなのに写真だけで判断できるランディが、変態なだけである。


「こっちはちょっと、怒ってるけどよ――」


 そう言ってランディが差し出した写真は、記憶を辿ってみれば確かに撮られた覚えがある構図でもある。


「ええい。もう分かったわい!」


 顔を赤らめ、ランディと写真を押しのけるエリーに、「怒ったり、照れたり忙しいな」とランディが苦笑いを返した。


「い、いいから早う写真をそこに置け」


 声を上ずらせるエリーに、「へいへい」とランディが近くの台の上に写真を並べた。


「ではやるぞ」


 写真に向けてエリーが手をかざす……淡い光の膜が写真を包み、ゆっくりとその縁が黄みがかって行く。少しずつ写真が色褪せ、中には完全に真っ白な紙に戻ったものもある。


 それでもエリーが魔力を込め続けると……二枚の写真が最後に残った。先程若干怒ってるとランディが言ったエリーの写真と、満面の笑みのリズの写真だ。


「これで、大体五十年程か……もう少し性能試験をするか?」

「いや性能試験は、帰ってからで良いよ」


 古びてしまった写真を大事そうに抱え上げ、「うん」と頷いたランディが、それを大事そうに懐にしまった。


「にしても、スゲー魔法だな」

「ワインの熟成を早める魔法……だそうじゃ」


 何とも俗っぽい魔法だな、とは思うが、そのお陰でこうして写真の劣化性能試験が出来たと思えば、古代の人々の俗っぽさに感謝するべきかもしれない。


 ちなみに今もエリーは、「この魔法はの――」と魔法の成り立ちについて説明しているのだが、ランディにはちんぷんかんぷんだ。


 何でも対象を小さな擬似的次元に取り込み、その内部の時間を加速させる魔法らしい。


 とにかくランディにとって、第一目標である写真の経年劣化試験は終わった。ならば後は興味の赴くまま……と言いたい所だが、書いてある内容はランディにとっては、分からない事だらけだ。読んだ所でただただ目が滑って、時間を無駄にするだけだろう。


 仕方がない、とばかりにランディはエリーの解読を待つ間、周囲の写真を撮る事に決めた。帰ったらアナベルやコリーに見せるのだ。


 そうして写真を撮り初めて直ぐ、ランディは目の前のコンソールにふと目が向いた。なんてことはない。ただの気まぐれでそのキーボードを触ったのだが……画面に映った文字は、ランディの興味を大きく惹いていた。


『竜の血に残った記憶の検証』


 ところどころ意味が分からない単語があるが、大体の内容を纏めると、竜の血は一種の記憶媒体らしくその血をスキャンして、竜が経験した、見た過去を覗き見ることが出来ないかという研究だ。


 時渡りの魔法研究と並行して、過去の事象を観測する有効な手立てとして、長い間研究されていたようである。


 だがそんな研究も、とある事故によって頓挫したようだ。


 一人の研究員が、大量の竜の血と供物を用いて竜を召喚したというのだ。血の記憶を辿るより、直接聞いた方が早いとでも思ったのか。とにかく召喚された竜を、多大なる犠牲を出しながらも何とか討伐。


 二度とそんな事が起きないように、研究用に集めた竜の血は……


「まさか、あのガーディアンの中に薄めて隠したとはな」


 ……苦笑いで独り言ちたランディの言葉通り、ほんの一滴もない量を、ガーディアンの中に分散させて隠すことで、二度と過ちが起きないようにしているのだ。ただこの事件を切っ掛けに、時の塔内部での派閥争いが激化していったと書いてある。


 どうやら時の塔という壮大な研究機関においても、〝愚かな人の紡ぐ未来〟までは予測出来なかったと言える。何ともバカバカしい結末だと思うが、ランディにとってはそれ以上に竜の召喚という事実の方が重要だ。


(つまり、あの大量の死骸があれば、理論上俺の中の竜も呼び出せるのか……いや、それだとガーディアンの方の血が強いのか?)


 考えた所で答えは出ない。答えは出ないが、エリーの用事が済んだら試してみる価値はある、とランディはコンソールから顔を上げた。


 そして丁度その頃、エリーの「駄目じゃな」という声が部屋中に響き渡った。


「駄目って、何がだよ?」

「そのままの通りじゃ。時渡りの魔法は、不完全という訳じゃ」


 エリーが説明するのは、【時の塔】自体が上位次元の存在、つまり四次元を行き来できる存在である以上、塔自体が時を渡る事は出来るらしい。ただ、それを生身の人間が一緒に行えば、身体は間違いなくバラバラに崩れるとの事。


 ブラックホールを生身で通過するようなものなので、無理もない。


「でも、解決した……って書いてあったぞ?」


 思わず口走ったランディに、「読めるのか?」と全員の視線が集中した。


「あ……まあ読めるには読めるけど、意味は分からん」


 苦笑いで首を振るランディが、「前世の記憶的な?」と説明をしたのだが……


「竜の血がもつ記憶ということですのね」


 微妙に便利な竜の血のせいにされそうになっている。


「そんな話は聞いたことはないが……」


 眉を寄せるエリーだが、今のところそんな怪奇現象を説明できるのが竜の血、それがもつ太古の記憶という事しかない――単純に転生者なのだが。


 とは言え、今はそんな事に時間を割いている場合でもない。どうせ前世と言っても、他の転生者のようにこの世界の知識があるわけでもなければ、チートな力を持った神の使者でもない。


 転生者としてのアドバンテージが、長い人生経験だけなら、別に竜の血に眠る記憶だろうと、自分の前世だろうと変わりはない。


 そんなこんなで、竜の血のせいにされたランディの発言だが、「確かに理論上解決はしておる」とエリーが引き継ぐことで、話題が戻って転がりだした。


「人が時を超えるのには、【時の外套】と呼ばれる道具が必要じゃ」

「お、またそそるアイテムが……」


 目を輝かせるランディに、「貴様と言うやつは」とエリーがため息を返した。


「作成方法も書いてある、殆どの素材も塔に保管されておる……が、最も重要な物がない」


 言い切ったエリーに、全員が続く言葉を待つように黙った。


「竜の皮じゃ」


 苦々しげに口を開いたエリーに、「へぇ」とランディは思ったよりも早く対戦が実現しそうだ、と人知れずその口角を上げていた。

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