第73話 呪文を考えるのに一番時間がかかったなんて言えない

 キャサリン達が旧校舎へ入ってしばらく……


「真夜中って結局いつなんだ?」

「深夜零時のことだ。そんな事も知らねえのかよ」


 ……偏差値の低い会話を、これまたデカい声で話しながら現れたのは、我らがランディ御一行だ。旧校舎の真反対、学舎の間に彼らのバカ話が響くのだが、旧校舎までは距離がありすぎて聞こえていない。


 今回はアナベルやコリーの親から許可が下りず、四人とエリーでの探索という事になったのだが、誰も七不思議の言い伝えなど守らず、いつも通り普通の格好だ。


 黒いローブも、陰月の鏡も、どれもデマらしいので、普通に夜中の運動場へと現れた四人はどう見ても夜の散歩にしか見えない。一応アナベル経由で許可こそ取っているが、それ以外は七不思議という超常に挑む雰囲気は微塵も感じられないのだ。


 あまりにも自然体に現れたものだから、旧校舎側に詰めている暗部の別部隊も困惑する程である。一応気配だけはいつも通り抑えているランディだが、やはり緊張感というものとは無縁で、ルークと今も馬鹿みたいな話に華を咲かせている。


「つーか、真夜中が深夜零時なら、まだ結構時間があるんじゃねーか?」


 眉を寄せるランディに、「かまわん。時間など」とエリーがカラカラと笑って、先頭を行く。


 事実エリーの言う通り、時間は関係ない。新月の日、深夜零時が一番月の魔法の力が弱まるので、関係なくはないのだが……それは結局向けの話だ。


 月の魔力を借りているとは言え、相手が人の施した魔法かつ、普段よりも弱くなっているのなら、古の大魔法使いの相手ではない。たとえエリーが、借り物の身体で万全ではないとしてもだ。


 リズも最近は魔獣退治で少しずつ地力を上げてはいるが、やはり本来のエリーの力を完全に再現するほど、肉体が成長しているわけでは無い。とは言え、大して魔獣すら倒していない今のリズの身体でも、弱まった次元ならば干渉できる魔法を使えるのだ……リズという存在と、エリーという存在がどれほどぶっ壊れか、想像に難くないだろう。


 そんな完全チートな存在に、ランディですら苦笑いが止まらぬまま、四人の目の前には拓けた運動場が見えてきた。


 見えてきた運動場を目指し、学舎の間を抜け、目的地の端へと顔を出した四人。その視界の先には、遠くでボンヤリと輝く旧校舎があった。運動場の更に向こう、柵を挟んだ先にある小さな旧校舎。それだけ離れている場所で、更に全員が気配を殺しているというのに……


「なんだ? 旧校舎は祭りでもやってんのか?」

「馬鹿か。ンなわけねーだろ。肝試しとかだろ?」


 ……旧校舎に集まる無数の気配を察知するルークとランディ。今も「にしちゃ、妙に殺気立ってるぞ」とか、「漏れそうなんだろ」とか、もうめちゃくちゃな感想を言い合っている。


「旧校舎なら、キャサリン様達ではありませんこと?」

「私もそう思います」


 セシリアとリズの言葉に、ランディもルークも「あー」と手を打った。


「なるほど。王太子の護衛か……流石にゴーストが徘徊する場所だし、厳重な警備ってやつだな」


 ため息をつくランディだが、そうではない。今まさに勘違いした暗殺者達が、その王太子を狙っているのだが、事情の「じ」の字も知らないランディからしたら、想像することすら出来ない事件である。なんせ暗部の気配も闇ギルドの連中の気配も、似たりよったりなのだ。


 コソコソと気配を隠す連中があっちにもこっちにも……そこにゴーストやレイスまで加わった、まさにを前に、ランディとルークは「賑やかだな」と微妙な感想をもらすくらいしか出来ない。


 呑気なランディとルークの様子に、戻ってきたエリーが盛大なため息を一つ。


「お主ら、今から向かう場所は妾とて何があるか分からん」


 その言葉にランディとルークも、ようやく意識を運動場の中央へと向けた。


「向こうのような、でおると手痛いしっぺ返しを食らうぞ」


 確かにエリーの言う通り、今は他人の心配などしている場合じゃない。


「上等だ。腕がなるぜ」


 ブンブンと腕を回すランディに、「よかろう」とエリーが頷いて、運動場へと向き直った。


「ランディ、準備せい」


 エリーの掛け声に、ランディが久しぶりに魔力を全身に纏い己の肉体を強化していく……それと同時に、エリーも「久々にやるかの」と大きく深呼吸をしてを紡ぎ出した。


『混沌より湧き出でし無秩序の刻印 狂気の深淵にて眠る力

 秩序を歪め 壊れ続ける世界を抱く

 破壊を司る者 偽りの理を背負いし者

 重なり 並行し 反発し 引かれ合う

 断絶せし境界 今ここに貫かん 次元穿界ディメンジョン・ピアース!』


 呪文付きのエリー渾身の魔法。それに呼応するように、エリーの背後に黒い槍が無数に現れた。闇夜にあって更に昏く黒い槍が、虚空を穿つ。


 通常は次元の壁をも貫くレベルの魔法だが、今のリズの身体では次元の壁をさらけ出し表面を傷つける程度の能力しかない。それでも、次元の壁を顕現させることが出来れば問題ない。


 事実槍が何かに当たって霧散したかと思えば、四人の目の前に巨大な塔が姿を現したのだ。


 あの日見た時と変わらない、いや近くで見るとそれ以上に迫力がある巨大な塔。大きすぎて校舎の一部と被っているのだが、さすが別次元に隠されているだけあって、重なり合って存在しても問題ないようだ。


 出現した塔に、セシリアとルークが呆然とそれを見上げる中、


「ランディ!」

「……」

「何をしている! 早うぶち破らんか!」

「……くっそー! 技名とか考えとけばよかった!」


 技名を考えつかなかったランディが、何とも締まらない叫び声とともに力を込めた右拳を思い切り叩きつけた。


 ズドン


 とそれこそ比喩でなく空間自体が大きく揺れ、衝撃波が周囲を駆け巡り……大きな穴が四人の目の前に現れた。ヒビ割れた虚空の向こうに、赤茶けた空と荒野、そして巨大な塔がそびえ立つ。


 それを見つめるエリーは、「出鱈目な奴め」といつかと同様の苦笑いを浮かべた。


「本当に一撃で割るとはの……」


 苦笑いのエリーが、ランディへと視線を移すが、当のランディは先程までの軽口とは一転、微妙な顔で己の拳を見ている。


「何をしておる?」

「いや、なんつーか感覚が――」


 ランディがそう口走った瞬間、次元の大穴から波動が広がり……周囲の全てが止まってしまった。


 衝撃で舞い上がった砂塵も。

 流れる雲も。

 風に揺れる枝葉も。


 何もかもが止まった世界で、ルークやセシリアも驚いた表情のまま固まっている。


「どうなってんだこれ?」


 ルークをつつくランディに、エリーが「恐らく防衛機構じゃろう」と鼻を鳴らして塔を睨みつけた。次元の壁の向こうにある世界は、塔以外見当たらない、赤茶けた荒野が延々と続いている。


 死んでしまった世界のような異様な雰囲気に、ランディが「辛気臭えところだな」とため息をついた。


「ひとまず二人を中へ運ぶぞ」


 そう言いながら一人で歩いていくエリーに、「へいへい」とランディが二人をそれぞれ両肩に担いだ。正直セシリアを担ぐのはどうかと思ったが、お姫様抱っこなどしようものなら、ルークに何を言われるか分かったものではない。


 ルークとセシリアを抱えるランディ。その隣を歩くエリーが、思い出したように口を開いた。


「そう言えば、何故すぐに拳を叩き込まなんだ?」

「仕方ねーだろ。お前が急に呪文とか唱えるんだから……そーいうのは事前に言っとけよな」


 口を尖らせ「俺も格好いい技名とか考えときゃよかったぜ」と続けるランディに、エリーのため息は止まらない。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、どうやら特大の馬鹿な事だけは間違いない。だがその馬鹿は恐らく今、理の端に立っている。それこそ、竜やそれを倒した英雄たちと同じ、理の外へと足を踏み出す一歩手前だ。


 そんな理外の存在になりそうなランディは、目の前にそびえる巨大な扉を前にエリーを振り返った。


「これ、どうやって開けるんだ?」

「決まっておろう」


 エリーが扉に手をかざすと、地面がせり上がり、巨大な岩の槍が扉を貫いた。


「強行突破じゃ」

「なるほど」


 苦笑いのランディの耳には、何も聞こえない。まるで死んだ世界のように、何の気配も感じない扉の向こうは、どうやら一筋縄ではいかないようだ。


 それでも覚悟していたこと、とランディはセシリアとルークを担ぎ直して一歩を踏み出した。





 塔の内部に入った二人を迎えたのは、静かなエントランスホールだ。黒い塔と同じく、黒っぽい内部だが、所々に生物の血管のような桃色の管が浮き出ている。


「まるで何かの腹の中だな」


 顔をしかめるランディに、「あながち間違いではないの」とエリーがため息を返した。


「時の塔は、高度な魔導科学によって作り出された、ある種の生命体じゃ」


 エリーの言葉に、「マジかよ」とランディが更に顔をしかめて、足で壁を突いた。ただ突いた先は何の反応もなく、本当に生命体なのかどうか分からない。


「今は此奴の時も止まっておるからな」


 エリーの言葉に「なーる」とランディが納得して頷いた。


「つーか、やっぱ時が止まってるって……」

「まあ待て。今に動く――」


 エリーの言葉が合図だったように、先程ぶち破った扉が逆再生のように戻り、塔の内部が完全に外界と隔離された……その時――「ドクン」――と塔全体が大きく脈動し、それに伴って血管のような管もドクドクと脈打ち始めた。


 それと同時に、ランディが抱えていたセシリアとルークも


「な、なんですの?」

「どういう状況だ?」


 とそれぞれが目を醒ましたように動き出した。


「お、目覚めたか?」


 二人を下ろすランディだが、その耳に響いたのは二人の困惑をかき消すうめき声のようにも、地鳴りのようにも聞こえる不気味な声だ。


「いらねー奴も目覚めたようだな」


 ランディとルークがほぼ同時に、吹き抜けになっている上階を睨みつける。上で蠢く無数の気配……だが、ランディはふと気になったように、入ってきた扉を振り返った。


 黒い扉の向こうは何も見えない。だが何故か、今ここ以外は時が止まったままのような気がしていた。

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