第71話 クリス〜チャンス到来〜

 ハリスンに撃退され、手傷を負ったクリスは一週間の停学が明けても学園には戻っていなかった。理由は単純で、傷が完治しなかったのだ。心配する両親には「弛んだ精神を叩き直す為」と言いながら、学園を休んで傷を癒やしているのだ。


 傷の事は誰にも話していない。


 話せばそれ即ち、それまでの経緯を話す必要があるため、クリスは自分で使えるごくごく初歩的な神聖魔法で、毎日少しずつ傷を癒やしているのだ。


 もちろんクリスの事情を知っている教皇にでも頼めば、誰か優秀な神官――教皇は大した神聖魔法が使えない――に見てもらえたかもしれない。


 だがそれは教皇に借りを作る行為であり、クリスとしては最も避けたい部類の話だ。


 停学中の一週間。

 そして停学が明けてから既に三日目の夕方……。


 ようやく傷もほとんど癒え、以前のように動けるようになったクリスは、久しぶりに様々な動向を探るために教会へと足を向けていた。


 教皇の態度や、信者たちの噂で、知りたい情報というのは案外分かるものである。


 美容品の勢い。

 地味だが馬車の効果。


 元来の事業に加え、ここ最近力を入れている分野で、侯爵家の勢いは以前よりも凄いものだと平民でも分かる。


 勢いづく侯爵家。

 完全に後手に回っている王家。


 クリスにとって、最高のシチュエーションとも言える。王家からしたら、侯爵家の勢いは面白くないだろうし、侯爵家もそれが分かっている。それでもエリザベスを復学させたのは、侯爵にとって「誰が敵で誰が味方か」の線引が出来ていないのだろう、とクリスは考えている。


 エリザベスの追放劇は、未だに貴族社会でも「無理がありすぎた」と囁かれるほど、強引に進められたきらいがある。それはクリスが積極的に関与して嘘の証言をばらまいたからだが、それにしても一気に物事が進んだのだ。


 様々な思惑が絡んだからこその追放だったのだが、そのせいで侯爵にも全体が把握しきれていない。だからわざと娘を衆人環視のもとに放り込み、あえて王国側に手を出しにくくした。


 王国の騎士や暗部も守り、更に複数の視線が常にある場所。


 それに加えて、侯爵はエリザベスに、メイドの振りをした凄腕の護衛――クリスの中ではそうなっている――をつけている。


 火中に放り込んでいるようで、その実、敵の動きを制限する一手。いくらのある家の令嬢とは言え、王国としても学園に通う以上、他の生徒同様安全を確保する義務が発生する。


 そんな学園でエリザベスが死んでしまえばどうか。


 様々な噂が飛び交い、侯爵家と王家は完全に修復不能に陥るだろう。


 まさに暗殺には絶好の空気なのだが……その暗殺の方法と場所が未だに確定しないのだ。


 何とか良い案がないものか、と教会内部をうろつくクリスの視界に、見覚えのある少女が飛び込んできた。



「あれ? アナベル。久しぶりだね」


「ご、ご無沙汰しております」


 縮こまったアナベルに、「そんなに邪険にしないでよ」とクリスが笑顔で近づいた。


「そう言えば聞く所によると、エリザベス嬢達と懇意にしてるんだって?」


 覗き込んでくるクリスに、「は、はい……」とアナベルがおずおずと頷いた。クリスとしては、何の気無しに放った質問だ。何か切っ掛けでもつかめれば、と思って放り投げた質問。それ故に、返ってきた反応に質問が一歩進む。


「ふーん。オカルト研究会だっけ? それの活動?」


 オカルト研究会には興味がない。だがエリザベスの動向には興味がある。何とも微妙な反応のクリスに、アナベルが黙ったまま頷いた。


「な、七不思議を皆で解明してるんです」


 スカートの前でギュッと手を握りしめるアナベルに「ふぅん」と今度こそ本気で興味がない、と背を向け……たクリスが思いついたように振り返った。


「七不思議って、確か旧校舎のやつとかあったよね?」


 急に七不思議に興味を見せたクリスに、アナベルが「は、はい。先日五番目を……」と勢いよく口を開いたが、流石に全部の内容を言えないので、語尾がすぼんで行く。


「ふぅん。あと解決してないのは六番目と七番目?」

「い、いえ……六番目も解決したのであと七番目だけです」

「どんなやつ?」


 いつになく食いつくクリスだが、クリスの気まぐれは今に始まったことではない、とアナベルがいつも持っているノートをクリスに手渡した。


「【新月の塔】……新月と夜の旧校舎か」


 上がる口角を隠すように、クリスが口元を手で抑えた。


「まさかこんな危ないことに挑戦するのかい?」

「え、えっと……実はお父様からの許可が降りなくて」


 再び俯いたアナベルだが「で、でも――」と急に顔を上げて口を開いた。


「代わりにランドルフ先輩達が行ってくれるんです」


 夜中の学園での活動には、流石にリドリー大司教も首を縦に振らなかった。その代わりランディ達四人がカメラを片手に様々な物を撮影してくる事になっている。


「へぇ。でも学生たちだけじゃ危険じゃない?」


 心配する素振りを見せるクリスだが、その目的は単純に護衛の有無の聞き取りだ。特にクリスへ多大なる傷を追わせたメイド――リタにやられたとまだ思っている――などがいては、流石に襲撃の方法を考えねばならないのだ。


「ぜ、全然危なくないです! ランドルフ先輩もルーク様もすごく強くて、この前も五番目の謎で――」


 そこまで口走ったアナベルだが、ヴォイドウォーカーについては黙っておこうという全員の約束を思い出し、ボソボソとスペクターを皆で倒したことを告げた。


「スペクター? へえ。思ってたより強いけど、でもその程度か」


 ランディとルークが二人がかりでスペクターを倒したと思っているクリスは、少しだけ作戦の上方修正を検討中だ。クリス達もスペクターなら相手に出来るが、ランディはもう少し弱いと踏んでいた。


 とは言え、やはりクリスの中では「その程度」だ。そしてそれ以上に有益な情報が入ったのだ、


「新月の塔に行くなら新月か……次の新月って明日じゃなかった?」

「そ、そうですね。なので少々急いでまして……皆さんにお渡しする資料とか……」


 申し訳無さそうなアナベルに、「ごめんね、引き止めて」とクリスがらしくない素直さで、アナベルに手を挙げた。それはアナベルを気遣ったわけではなく、単純に自分も闇ギルドへ急ぎたいからだ。


「そ、それでは急ぎますので」


 そそくさとその場を後にするアナベルに、「よい報告を期待してるよ」とクリスが満面の笑みで手を振っていた。




 ☆☆☆


 アナベルと別れたクリスは、いつものように黒いローブ姿で久しぶりの闇ギルドへと足を踏み入れていた。


「久しぶりだな。もう来ないかと思ってたぞ」


「色々問題があってね」


 肩をすくめたクリスだが、闇ギルドのリーダーはそれ以上何も聞かない。重要なのはターゲットと報酬だけなのだ。


「急なんだけど、明日の夜……ターゲットがフリーになりそうなんだ」


「えらく急な話だな」


 顔をしかめるリーダーだが、急な暗殺依頼など今までも掃いて捨てるほどあった。それに比べれば、調査等に時間を割けただけまだマシというものだ。クリスの情報を補完するために、部下をヴィクトール領まで派遣するだけの時間があったわけだ。


 それでも、冒険者で賑わうくらいで特に変わった情報は無かったのだが。


 無理もない。ここ最近は城下に顔を出すことがないランディを、新人の冒険者たちが知っている訳が無い。彼らが口々に、「領主の若様には手を出すなって言われてるけどな」と言うくらいで、普通に考えれば貴族の嫡男に手を出す冒険者の方がおかしい。


 結局新たな情報もなく、ランディの評価が改められぬまま、こうして明日の夜に旧校舎へ潜入する事が決まってしまった。


「丁度新月だし、夜中の旧校舎なんて、暗部どころか教官も見回らないよ」


 楽しそうに笑うクリスは、「まさかこんなチャンスが来るとはね」と上機嫌だ。どうやって旧校舎に誘い出すか、それを考えていたのに、まさかアナベルがその手引をするとは思ってもみなかった。


 これも日頃の行いか、と勘違いが加速するクリスが、フード越しにリーダーを真っ直ぐに見た。


「相手は四人。僕みたいに全身を黒いローブで覆ってくるはず」


「なんだそりゃ? なにかのまじないか?」


 眉を寄せるリーダーに、「そんな感じかな」とクリスが肩をすくめた。


「とにかく、明日の深夜に学園の旧校舎に必ず来る……ただ――」


 ヘラヘラと笑っていたクリスが一転、「一つだけ注意事項があるんだ」と真面目な顔でリーダーを見た。


「ターゲットの住居、そこに住み込みで働いているメイドの動きは監視しといた方が良いよ」


 ローブで顔こそ見えないが、真剣な声音のクリスに「メイド?」とリーダーが更に眉を寄せる。


「うん。実はただのメイドじゃなくて――」


 そう言ってクリスが、ありもしないメイドの振りをした護衛の話をし始めた。侯爵が無理やりねじ込んだメイドの話。エリザベスが魔の森を生き延びた話。


 普通に考えれば、与太話をと言われそうな内容だが、実際に闇ギルドも今まで何人か人間が殺られているのだ。それも何の痕跡もなく、唐突に。それらの事実が二人の間で奇跡のコラボを果たし……


「分かった。当日はそのメイドにも監視をつけておこう」


 ……リタ、最強説がこうして独り歩きし始めた。


「今回の前金だよ」


 クリスが手渡すのは、今までで一番大きな袋だ。


「ずいぶんと気合が入ってるな?」


「そりゃ、イレギュラーのメイドもいるからね」


 肩をすくめたクリスが、「今度こそ」と呟いた言葉に、リーダーが黙って袋を受け取った。


「じゃあ、当日はよろしくねー」


 クリスが立ち去った後の闇ギルドでは、急ピッチで明日の計画が立てられるのであった。




 ☆☆☆



 翌日深夜……


 旧校舎が見える学舎の屋上で、クリスは闇ギルドの人間と一緒に、今か今かとターゲットが来るのを待っていた。


 外は新月と言えど、寮や街灯の明かりで、ところどころボンヤリと明るい。これだけの明かりがあれば、闇ギルドの人間やクリスにとっては十分に周囲が見渡せる。


「来たな……気配は、四つ。ターゲットか」


 リーダーの話によると、今はまだ気配が正門前で止まっているようだが、この時間にここまで来る人間はターゲット以外ありえないだろう。集まった暗殺者達に「野郎ども、配置につけ」と号令をかけた。


 闇ギルドの暗殺者達が、旧校舎へと姿を消してしばらく……


「来た――」


 クリスの視界に、コソコソと旧校舎へ近づく四つの人影が映った――

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