第69話 侯爵家〜あいつは多分未来人〜
「ふー。生き返るねー」
セドリックは今、ランディ達が増設した風呂を堪能している。父である侯爵から、この家自体の増築や改造は大丈夫だと聞いていたが、まさか裏庭に風呂まで作っているとは思わなかった。
「ホント、変な子だよ」
風呂に取り付けられた小さな冷蔵庫は、ランディが改造して作り出したのだとか。中に入っている果実水やエールは好きに飲んで良いとの事なので、セドリックは早速エールを一本開けて口をつけた。
喉を通る冷えたアルコールと炭酸が心地良い。
カメラや風呂、それに据え付けた小型冷蔵庫など、趣味全開の開発をしているかと思えば、その結果手に入れた情報を持って「教会をぶっ潰せるかなー」とトンデモナイ発言をしてくる始末だ。
実際のところは、その情報だけで教会を潰せるか、と言われれば微妙な情報であるが。
確かにゴーストという存在を隠してきたことは、信徒を騙していた行為であるのだが……どれだけの人々がそこに怒りを覚えるかは定かではない。
だが、その情報の使い方とカメラ……この二点の組み合わせは、悪魔のそれだ。もちろん情報を出すタイミングや、相手の状況を見る必要はある。それでも、偶然出来た物で、「教会突きましょうか」となる発想が、いや出来ると思うその神経が恐ろしい。
実際セドリックも、ランディの真意にたどり着くのにしばしの時間を要した。もちろんランディからしたら、驚くべきスピードで真意を読まれたと苦笑いものだが、セドリックにはセドリックの矜持がある。
商いと貴族という情報が最も大事な世界で、情報を誰よりも駆使してきたという自負がある。
それなのに、ランディが考える情報の使い方を、すぐに思いつかなかったのだ。
エールをもう一口飲んだセドリックが、天井を見上げた。
女湯との仕切りに空いた空間からは、身体を流す音が聞こえてくる。
「ねえ、ミランダ――」
『きゅ、急に話しかけないで下さい』
壁の向こうから聞こえてくる少し籠もった彼女の声は、どこか艶っぽくて、それでいてどこか可愛らしい。
「ごめんごめん」
ヘラヘラと謝ったセドリックが、手に持った瓶をもう一度口につけた。壁の向こうから、湯船に足を入れたのだろう音が聞こえてくる。
『それで、何の御用ですか?』
「いや、大したことじゃないんだけどさ」
そう言いながらセドリックは、仕切りの壁に背中を預けて天井を仰いだ。
「ランドルフ君って、未来人だったりするのかな」
セドリックの呟きに、『はぁ?』と返ってくるのは盛大な疑問符だ。
「いや、あの情報の使い方と発想。どう考えてもおかしいでしょ」
口を尖らせたセドリックが、語るのは彼の持つ未来像だ。
「今ってメールバードが主流でしょ? それでも一日から数日かかる……けど、そのうちもっと早い情報伝達の方法が出来ると思うんだよね」
『例えば?』
「そうだね……例えば光魔法に乗せて、情報を運ぶ方法とか」
肩をすくめて子供っぽく言っているが、セドリックは半分本気だ。光魔法のように一瞬で飛ぶものに、情報を乗せて運べたら……とは常々彼が考えていた事でもある。
情報をどう乗せるか、どう運ぶか、そういったものはまだ形にもなっていないが、今より情報伝達の方法が早くなる事は、近い将来実現すると考えているのだ。
『仮に情報が早く届く未来から来たとして、ランドルフ様が情報戦に強いこととどう関係が?』
訝しむミランダにセドリックは笑う。
「今より情報が早いんだ。飛び交う情報の量も増えるだろ? それこそ知られたくない真実とか」
『……なるほど。それらを扱い取捨選択する方法に長けている、と』
「そうだね」
頷くセドリックだが、一番は情報の拡散方法にも注目している。一気に情報が広がる。いや、一気に情報を広げる方法とでも言うだろうか。
「スキャンダルって普通隠すものじゃん? もちろん敵対勢力のスキャンダルは広げるけどさ」
セドリックの言う通り、今回セドリックが立てた作戦は教会のスキャンダルを利用した物だ。もちろんスキャンダルが住民にとって格好の娯楽だということは、セドリックも理解している。
それを利用して情報を広げた事もある。
だが、それを差し引いてもスキャンダルの見せ方というか、使い方、いや正確には作り方が普通の感覚ではなかったのだ。
「情報が溢れる未来なら、そうやってスキャンダルを上手く作り上げて、人々に刷り込む方法もあるのかな、って思ってさ」
セドリックの手からお湯が滴り落ちる。
セドリックの感想は正解だ。未来人ではないが、現代日本を経験したランディからしたら、情報の拡散など今まで腐る程見てきた事案である。それこそスキャンダルが大衆に取って、どれだけ娯楽になるかも知っている。
見せ方。
伝え方。
タイミング。
証拠の準備。
開示の順番。
そういった物は、今まで触れてきた情報を参考に、いくらでも出せるものだ。ようはこれこそランディが現代人であったアドバンテージでもある。
『仮に、未来人だったとして……だから何だと言うのです? ランドルフ様はランドルフ様でしょう』
呆れるようなミランダの声に、「いいじゃんか」とセドリックが口を尖らせた。
「未来人なら、ちょっとくらい遅れをとっても――」
ぶくぶくと湯船に口をつけるセドリックに、壁の向こうから『ハァ』と今度は盛大なため息が返ってきた。
『未来人だからと、負けを認めるような男でしたか? セドリック・フォン・ブラウベルグという男は』
恐らく完全に呆れているのだろうミランダの顔を想像して、セドリックはハッとした表情で湯船から顔を上げた。
『私の知るセドリック様は、相手が大きければ大きいほどやる気に満ちる男でしたが?』
「そうだね……そうだったよ」
苦笑いのセドリックが両頬を思い切り叩いた。「パチン」という小気味いい音が、風呂に響き渡る。
「どうやら今回の相手が大きすぎて、少しばかり尻込みしていたようだ」
笑い飛ばすセドリックが言うのは、教会と相対することだ。腐っても教会。大陸全土に影響力を持つ、巨大な組織に一介の貴族が牙を剥く。その行為は天に唾を吐く行為だとも言われかねない。
それに少しばかり萎縮して、ランディの見せた自信や能力への嫉妬に逃げていたのだろう。
『そうです。自信をお持ち下さい』
壁向こうから聞こえてくるミランダの声は、どこか嬉しそうだ。
『これは……内緒にしていてくれと言われたのですが――』
そう言ってミランダが口にしたのは、ランディがセドリックの立てた作戦について舌を巻いていたという事実だ。
派手にやると言ったこと。
冒険者ギルドも巻き込むと言ったこと。
そのどれもがランディでは思いつかなかった事だ。その事実をミランダはリズ経由で聞いていたりする。
『ランドルフ様も、セドリック様だからこそ託したのでしょう……未来人が、あなたならば自分よりもやる、と信じて』
ミランダの言葉に、「そうだよね」とセドリックがもう一度頷いて立ち上がった。
「ありがとう、ミランダ。やっぱり君がいてくれて助かるよ」
笑顔で湯船を上がったセドリック。その気配が風呂場から消えた頃、大きく息を吐いたミランダが呟いた言葉を、セドリックは知らない。
『……なんとなくですが、壁越しで良かったです』
その言葉の意味をミランダが知るのは、もう少し先の話。
☆☆☆
「何を作っておるのじゃ?」
「だーかーらー! 夜中に男の部屋に来るなと……ぅ゙ぇえええ!」
エリーに苦言を呈したランディだが、その後ろに見えたセドリックのジトッとした視線に思わず悲鳴を上げてしまった。
「……二人で何をしてるのかな、と思ってね」
微笑んではいるが、目の笑ってないセドリックに「ち、違いますよ」とランディがブンブンと首を振った。
「夜中に男女が一緒の部屋におるのじゃ。やることなぞ一つしかあるまい?」
悪い顔で笑うエリーに、「おまっ」とランディが顔を歪め……
「へぇ」
……セドリックが邪悪なオーラを纏って部屋に一歩踏み入った。
「ちょ、誤解ですって」
慌てるランディが「おい、エリー! ちゃんと説明しろ」と眉を吊り上げる。そんなランディの様子にエリーがカラカラと笑い声を上げた。
「そう熱り立つな、兄よ。妾もこやつも何も無い。ただ少し話があってきただけじゃ」
エリーの弁明によって、ようやく落ち着いたセドリックが「本当だろうね?」とそれでもランディにジト目を向けている。
「本当ですって……」
肩を落としたランディが、顔をしかめてエリーを睨みつけた。
「んで、何しに来たんだよ」
嫌そうな顔のランディに、「まあ、待て。お主が作っている物が先じゃ」とランディがコソコソと作っている物を指さした。それは白く大きなただの革にしか見えないのだが……
「ああ、これか? ちょっとした出来心でな」
……機嫌を直したランディが、「もう少しで完成なんだ」とその白い革を、これまた白い容器に入れた液体と合成させる。淡い光が革全体を包み込み、それが収まった頃には、ランディの手の中にあるはずの革が消え、鏡のように反射する物が出現した。
「よっし、完成」
笑顔で頷くランディに、エリーとセドリックが二人で首を傾げた。
「それは何じゃ?」
眉を寄せるエリーに、ランディがニヤリと笑う。
「ヴァリオンの皮をなめして作ったマントに、ヴァリオンの体液を定着させた。その名も透明になるマントだ」
ドヤ顔のランディが「体液を乾燥させず定着させるのが難しくてな」と一人で楽しそうに語っているが、二人には分かっていない。
唯一そんなランディに、セドリックが「やっぱり未来人」と乾いた笑い声を上げているくらいか。
「そんな物を作ってどうするつもりじゃ? よもや妾の入浴を――」
「馬鹿か! 危ねー事を言うな!」
特大の爆弾を落とそうとするエリーを、ランディが慌てて遮った。そんな事など言おうものなら、またもやセドリックがおかしくなるだろう。
「別にそんな目的じゃねーよ。多分、必要だろうと思って――」
そう言いながら、ランディはセドリックに透明になるマントを手渡した。
「いいのかい?」
「良いも何も、作戦の要に必要でしょう」
肩をすくめるランディに、「ではありがたく」とセドリックがそれを一度開いて、羽織ってみる。長身のセドリックをもすっぽり隠す大きさは、ある程度の人間なら頭から被っても足元まで隠せるだろう。
「透明マントと言うか、鏡ではないか……」
「透明になるマントな」
「どちらでも良いわい」
呆れ顔のエリーに、ランディが良くないと首をふりつつ、鏡を纏うようなセドリックへと視線を向けた。
「魔力を通してみて下さい」
ランディの合図に頷いたセドリックが、マントに魔力を通すと、鏡のように反射していた革が透明になったように無くなったのだ。
「不思議だったんだよな。景色を映すのに、鏡っぽくないのが。んで、色々試してみると、体液にごく微量の魔力を通すと、光を歪ませる事が分かってな」
「なるほど。じゃがそれなら、この革でなくてもよいのではないか?」
「いや。この革はフィルター兼、魔石みたいな機能があるんだよ」
ランディが言う通り、ヴァリオンの革はスクリーンは勿論のこと、景色を歪ませる最適な魔力を体液に浸透させるフィルターと、余った魔力を留める電池のような役目も果たしている。
革に留めた魔力が、体液を変質させて光を歪ませて映し出す。
そのせいで、ヴァリオンの向こうの景色が映り込んでいたのだ。フィルムを作りながら、なぜヴァリオンと違って、紙の向こう側が映らないか不思議だったが、こうして何とか正解と新たな玩具を作り出すまでに至っている。
「前が見えないんで、どこかにピンホールを幾つか開けた方が良いですよ。昼日中の至近距離以外で見られる事はないでしょう」
完成した透明になるマントにセドリックが「これは使えるね」と満足そうに頷いた。
「んで、お前の用事は何だよ? こんな時間に来るって事は、また何か面白い話があるんだろ?」
エリーが遅くにランディを訪れる時は、大体何か変な話を持ってくる時だ。そしてそれは今回とて例外ではない。
「分かってるのであれば話は早いの。教会を潰すのはまだ先じゃろう? ならば行くぞ。新月の塔とやら……いや、【時の塔】への」
「まーたそうやって、唆られるワードを」
楽しそうに笑うランディは知らない。そんなランディを見ながらセドリックが「【時の塔】やっぱり未来人……」とか何とか思っていたことを。
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