第60話 〝かくとう〟タイプは効果がないって? そりゃ別ゲーだ

 虚無の住人ヴォイドウォーカー


 次元の間にあると言われる、虚無。

 その虚無を渡り、虚無に生きる存在。

 影の手で人を虚無へと引きずり込み、その魂を糧とする。


 不死者の王ノスフェラトゥの配下とされているが、実際のところは定かではない。

 一番最後に目撃されたのは、三百年も昔。大陸の北、帝国よりも更に向こうにあったと言われる小国が滅びた際、騎士団の一翼を一瞬にして虚無へと引きずり込んだと言われている。


 意思疎通が可能な高位アンデッドだが、性格は極めて残忍かつ気まぐれ。事実小国滅亡の折も、騎士たちを道連れに開戦早々虚無へと引き返したとか。


 遭遇したならば女神に祈れ。彼の者が気まぐれを起こして見逃してくれる事を。


    出典:禁書【不死者の典】より



 ☆☆☆





 迫る影の手を縫うようにランディが駆ける。


 ルークが皆を外で守っているなら、先程までのように影の手を相手にする必要はない。

 一気に間合いを詰めたランディが、ヴォイドウォーカー目掛けて大剣を振り下ろした。


 甲高い金属音が周囲に響き渡る。


 チリチリと揺れる切っ先は、残念ながらヴォイドウォーカーの頭上数センチの所で、見えない力に阻まれていた。


 横合いから殴りつける影の手。

 大剣の切っ先を支点に、ランディがヴォイドウォーカーの上を宙返りで飛び越えた。


 着地と同時にランディが反転。

 飛び上がりざまの横薙ぎが、再び室内に甲高い音を響かせた。


『無駄だよ……』


 振り返った虚無の眼孔は、どこか嬉しそうに見えた。


 そんな事を考えていたランディの横っ腹に、影の手が突き刺さった。

 影の手に押しこまれたランディが、幾つかの机と椅子を薙ぎ倒して廊下との壁に激突。


 壁を破って、なおも止まらないランディが廊下の壁に突き刺さる。

 それを追うように、無数の影の手が壁を突き破り、スペクターを蒸発させてランディに突き刺さった。


「ランドルフ様!」

「先輩!」


 悲鳴が、廊下中に響き渡った。


 もうもうと上がるホコリの中から、影の手がゆっくりと退いていく……が、一本だけピンと伸びて止まった。


 ギリギリと力比べのように影の手が震え、「ブチン」とそれこそ音でも聞こえそうな勢いで、虚空から引き抜かれて霧散する。


「ってーな」


 舞い上がるホコリの中から出てきたのは、上半身を大きくはだけさせたランディの姿だ。破れた学生服を千切り、「ペッ」と血の混じった唾を吐いたランディが、わずかに切れた唇を拭う。


 見た目にほどんどダメージの無いランディに、「出鱈目な奴め」とエリーが、何故か嬉しそうに苦笑いを見せている。


「ったく……女だからって手加減したら調子に乗りやがって――」


 首を鳴らしたランディが、両手に握り直した大剣を、右肩に担いで腰を落とした。


「まあリングを広くしてくれた事は、ありがとうって言っといてやるよ」


 独特の構えでゆっくり深呼吸したランディが、「お前を斬れたら、俺はまた強くなれるな」とニヤリと笑った瞬間その姿を消した。


 ドン


 と響いた音はランディが踏み切った音のだろうか。

 降ってきたランディが、ヴォイドウォーカー目掛けて大剣を振り下ろした。


 床を蹴って

 天井へ着地し

 その勢い全てを乗せた二度目の踏み切り。


 すべての音を置き去りにするランディの、重力加速度もプラスした渾身の一撃。


 空気との摩擦か、剣身がわずかに熱を帯びて赤く輝く。

 それを前に、ヴォイドウォーカーが初めて動いた。

 迫る切っ先を前に、初めてその姿を消して、別の所に現れたのだ。


 空振ったランディの一撃は、床に叩きつけられ……そこにわずかなヒビを入れていた。


「おいこら、テメェ。逃げてんじゃねーよ」


 大剣を突き出すランディだが、ヴォイドウォーカーからしたら、ダメージが入りそうな一撃からは逃げて当たり前である。……そう、あの一撃に、ヴォイドウォーカーは初めて危険を察知したのだ。


 そんな二人のやり取りを、廊下の端から見ていたエリーは目を見開いている。


「馬鹿な……さっきの今じゃぞ?」


 エリーから見たら、先ほど窓を覆う次元の壁を破れなかったランディが、同じ次元の壁に覆われている床に、ヒビを入れるなどありえないと言った所だ。だが……


「エレオノーラ様、あれがランドルフ・ヴィクトールですよ」


 ……ルークだけは知っている。ランディが、ランドルフ・ヴィクトールという男が、その境地に至るまで誰よりも剣を振っていたことを。ただひたすらに、己を鍛えたげてきたことを。


 木を。

 岩を。

 鉄を。

 魔獣を。

 終いには空気まで。


 ランディが「斬ってみるか」と言って斬れなかった物はない。それは、才能や能力の話ではなく、斬れるまで辞めなかったランディの執念の話だ。斬れるようになるまで、ひたすら斬りづづける。ひたすら剣を振り続ける。ひたすら魔獣を倒して己を高めていく。


 そして最後には笑うのだ「慣れた」と。


 その現象が、いまここで、命のやり取りの極限状態の中で、ありえないスピードで再現されているだけだ。ありえない。本来なら、そんな事で斬り裂けるものではない。それでも、己の可能性を信じて、ただ一心不乱に強者へ挑み続ける男。それがルークの知るランディだ。


(馬鹿な……ありえん。疑似とは言え次元の壁じゃぞ?)


 攻防を見守るエリーは驚きを隠せない。そんな単純な事で破れるはずがないのだ。だが、今目の前でその片鱗が見えている。


「やっぱ、お前はスゲえよ。だから、負けたくねえんだけどな」


 ルークの視線を受けたランディが、再びヴォイドウォーカーへ接近。

 振り下ろされる大剣に、ヴォイドウォーカーが再び姿を消し――出現した場所へ、ランディがすかさず蹴りを放った。


 飛んでくる蹴りに、思わずヴォイドウォーカーが腕をクロス。

 次元の壁が蹴りを防ぐが、一瞬止まった思考はランディにとって格好の隙だ。


 蹴りの勢いを殺さないランディの回転が、大剣を横に薙ぐ。


 ぶち当たった大剣と次元の壁が、を打ち鳴らした。


 顔をしかめたヴォイドウォーカーが距離を取った。


音がしたな」


 ケラケラと笑うランディに、ヴォイドウォーカーが初めてその顔を歪めてみせた。とは言え、ランディの剣にもダメージが無いわけではない。淡く輝く剣身は歪んで刃こぼれも見える……あまり何度も打ち付けられないのは明白だ。


(なるほど……竜の血か。じゃが、眠っていたそれを覚まさせたのは、間違いなくランディの馬鹿が己を信じて剣を振った結果か――)


 ランディの次元斬りの正体を、エリーは剣に混ぜた竜の血の効果だと睨んでいる。竜の血は、それ単体で魔力を有し、不可思議な現象を起こす。だが本来なら小さな奇跡くらいのそれを、ランディが力技で眠っていた血の力を叩き起こしていると予想しているのだ。


 それはまさしく真実であり、本来ならば次元に干渉するレベルの高位の魔法か、それに準ずる魔力を込めた一撃でしか、次元の壁にダメージを与える事は出来ない。人並みにしか魔力のないランディでは、土台無理な話なのだ。


 だがそれを可能にしているのが、エリーの予想通り、武器にアンデッドを攻撃可能にする力を与える竜の血だ。死して尚、魔力が宿る竜の血と聖水と神聖魔法。それでもってアンデッド特攻となる武器だが、生きている竜の血は本来そんな陳腐な能力ではない。


 かの巨体を宙へ浮かし、神に近い奇跡を起こす存在。その竜の血が、今ランディが振るう剣の中で、少しずつ目覚め始めている。


 目覚めた竜の力。それに加わるランディの桁違いの膂力。その二つが、次元の壁という、存在を脅かしつつあるのだ。


(竜が、その血が認めるか……)


 それはともすれば、次元を斬るより難易度が高いかもしれない。死した竜の魂を、揺さぶり起こす行為だからだ。


 激しく打ち合う両者を前に、エリーは「……これが覚悟、か」と呟いていた。


 数度の打ち合いの後、両者の間合いが切れる。


「せっかく盛り上がってきたんだが、悪いな。次で決めさせてもらうぞ」


 再び腰を落とし、肩に剣を担ぐランディに、ヴォイドウォーカーもその背後から今日一番の影の手を出現させた。


 動いたのは影の手だ。

 ランディ目掛けて襲いかかる影の手。

 着弾の直前に、ランディの右足が捉えていた地面が爆ぜた。


 影の手すら弾き飛ばす踏み切りが、ランディの身体を一気に運ぶ。

 次は小細工なしの一発勝負。

 まっすぐ飛ぶランディに、ヴォイドウォーカーが堪らず転移。


 それを追うランディが、壁に着地して反転。

 気配を頼りにランディが飛ぶ。

 狙い違わず、現れた瞬間のヴォイドウォーカーの目の前に。


「大人しく死んでろ」


 床を踏み抜かんが如きランディの踏み込み。

 加速の勢いを剣身に乗せ、切っ先が円弧を描いてヴォイドウォーカーへ迫る。


 周囲を強い光が包み、ガラスが割れるような音が響き渡った。


 砕けて飛び散るのは次元の壁か。

 中程から折れたランディの大剣。


『……馬鹿め。これで貴様は――』

「馬鹿はテメェだ」


 嘲笑を浮かべたヴォイドウォーカーの頭を、ランディの両手が掴んだ。

 もはや次元の壁はない、と頭を引き寄せたランディが、思い切り頭突きをかました。


「な――」

「頭突き?」

「霊体に?」


 廊下の端で驚く連中を他所に、ランディの頭突きを貰ったヴォイドウォーカーはグラリとその身体を揺らし、色をわずかに褪せさせた。


「そぉれ、もういっちょ!」


 笑顔のランディが、ヴォイドウォーカーへ拳を突き出す。

 響く鈍い音に、ヴォイドウォーカーが吹き飛んで転がった。


 ヴォイドウォーカーが、霞むように更に色を変え、それでもフワリと浮き上がった。


「駄目だな。、どうも女を殴ってるみたいで、腰が入らねーな」


 そう言いながらも、ゆっくりと間合いを詰めるランディに、ヴォイドウォーカーが『おのれ……おのれ――』とゆっくりと次元の壁を再生……


「させねーよ?」


 落ちていた大剣の剣身をランディが投擲。

 鈍い音を立てて剣身が次元の壁に突き刺さる。

 それに向けてランディが拳を振り抜いた。


 ランディの拳から血が滲む。

 淡く輝く剣身の光が、ゆっくりと消えていく――


(もう驚かんと思っておったが……まさか竜の血が、人を宿に選ぶとはの)


 呆れ顔のエリーに応えるように、音を立てて次元の壁が再び割れた。


「殻に閉じこもってねーで。外で一緒に遊ぼうぜ」


 笑顔のランディが、ひび割れた壁の両端を握ってギリギリとこじ開け始めた。


『ちょ……嘘――え? まっ――』


 呆けるヴォイドウォーカーの目の前で、ランディが「バキバキ」と音を立てて壁を引き裂いた。


 ヴォイドウォーカーが瀕死状態で、本来の強度を保てないとは言え、何ともランディらしい力技に、エリーですら「は、ははは」と乾いた笑いを上げるしか出来ないでいる。


「とりあえず、目ぇつぶって殴るわ」


 拳を握りしめたランディに、ヴォイドウォーカーも堪らず、と言った具合に『ちょ、ちょっと――』と声を上げるが……


「待たない」


 とランディが右拳を唸らせた。破裂音のような激しい音が響き渡り、ヴォイドウォーカーの姿が見る間に薄く、そして歪んでいく。


『こんな……こんな力技で――』


 最期に恨み言のようなセリフを残して、ヴォイドウォーカーがその姿を霧散させた。


「ふぅ、見たか。ゴーストタイプにも〝かくとう〟タイプで戦えるじゃねーか」


 胸を張って「カッカッカ」とランディが高笑いを浮かべる姿を、全員がどことなく呆れた表情で眺めていた。

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