第61話 探検の時は、予備の服を持っていけ

 ヴォイドウォーカーが消えたのとほぼ同時、周囲を包んでいた嫌な気配は、ランディの高笑いに押し流されるように静かに消えていった。


 そんな消えていく気配に呼応するように、赤く染まっていた一画も、色が薄れ始めた。破壊されていた廊下の壁が逆再生のようにゆっくりと戻っていく。同時に、転がっていた机や椅子は、ヴォイドウォーカーを追うように、一つ、また一つと虚空へと消えていく。


「おお、これって――」

「どうやら出られるようじゃの」


 ため息交じりで教室へと入ってきたエリーの言葉通り、窓の外を映していた日常は消え失せ、グニャグニャと空間が歪んだような景色が映っている。


「それでどうだ? ちっとは俺の言葉を信じたか?」


 恐らく、エリーが知る限りもっとも馬鹿げた方法でヴォイドウォーカーを倒したというのに、ランディの様子は普段と変わらない。剣で叩き斬って、頭突いて殴った。古の時代にも、ランディのような猛者はいたが、エリーが知る限りそんな事をなし得た存在は皆無だ。


「お前が暴走しても、俺が止めてやる、って」


 力こぶを見せるランディが、「まあ流石に、お前相手に頭突きはしねーけど」とカラカラと笑っている。


 ――自信じゃねーよ。


 その言葉を思い出したエリーが、わずかに染まる頬を恥じるように視線を逸らした。


「きゅ、及第点じゃな。妾なら一分も経たずに消滅させられるわい」


 視線を逸らしたままのエリーに、「本当かぁ?」とランディがその顔を覗き込んだ。


 眉を寄せるランディに、エリーの脳裏でまたいつかの声が響き渡る。


 ――俺が決めたんだ。出来る出来ないじゃなくて、〝やる〟んだよ。


 その言葉通り、実際に無理だと思っていたことを、やってのけたのだ。つまり、ランディは有言実行を見せつけたわけだが……。それが示すのは、その先に続くあの言葉だ。


 ――そん時ゃ、俺が一緒に生きてやるよ。


 恥ずかしげもなく、恥ずかしい言葉を宣う小僧だと思っていたが、それを思い出したエリーは一気に耳まで赤くなる。


「おい、お前なに照れてんだよ?」

「き、貴様が…………貴様が半裸で近づくからじゃろう!」


 距離を取ったエリーに、「へっ、やっぱ耳年増じゃねーか」とランディが悪い顔で笑ってみせた。


「俺の肉体美に惚れちまったか?」


 ニヤニヤと近づくランディに、「ええい寄るな! 汗臭いのじゃ」とエリーが口を尖らせまた一歩後ずさった。


「汗じゃねー。フェロモンと言え、バカタレが」


 ドヤ顔を決めるランディに、「やかましい。馬鹿者が……」とエリーが盛大に眉を寄せた。


「とにかく、あの程度の相手なら、百体くらい余裕で倒せねば話にならんぞ」


 頬を膨らませるエリーを前に、「チッ、道のりは長ーな」とそれでもランディは嬉しそうだ。


(証明、されちゃいましたね?)

(フン。まだまだじゃ)


 わずかに上がる口角を抑えるエリーに、「お前、やっぱ顔が赤くねーか?」とランディが突っ込み、エリーが「夕日のせいじゃ!」とその腹に拳を叩き込んでいる。


「いや、今は暗い――」

「夕日のせいじゃ!」

「いや、でも暗い――」

「ええい! 少しくらい痛がらんか!」






 そんな二人を、廊下の端からセシリアは眺めていた。


「ランドルフ様……ただの馬鹿ではなかったのですね」


 ランディを見ながら呟くセシリアに、「ええ。超ド級の馬鹿ですよ」とルークが隣で頷いた。


「超ド級の……。ほんと、追いついたと思ったら、すぐに追い抜いていく……全く嫌な野郎です」


 そう言いながらも嬉しそうなルークを、セシリアが「嬉しそうですわよ?」と笑顔で覗き込んだ。


「そりゃ……馬鹿かと言われるかもしれませんが、可能性が拓けた瞬間ですから」


 笑顔のルークが、エリーとランディを見つめている。エリーの見せた魔法の腕も、実際に次元の壁を斬ってしまったランディの剣も。どれもこれも、ルークにはまだ届かない高みだ。


 ……届かない高みだが、〝今は〟、という接頭語がつく。なんせルークにも諦めるなどという言葉はない。同じ人間が、あの境地へと至ったのだ。ならば道は違えど、自分でもそこにたどり着く道筋がある、と信じている。


 事実今までそうして、ここまで山を登ってきたのだ。今更この山を下りるなど、ルークに出来るはずもない。


「魔法も、剣も、何もかもまだまだ成長出来るらしいです。これほど嬉しいことはないでしょう。まだ先に行ける。先がある……頂への道は険しいですが、見えたなら登るしかないでしょう」


「あなたも……大概に大馬鹿者ですわね」


 同じ様にエリー達を見つめるセシリアが「でも――」とルークへ視線を戻した。


「私の騎士ならば、頂くらいたどり着いて貰わないと」

「これは手厳しい。精進いたします」


 笑顔で見つめ合う二人。そんな二人のもとへランディ達が元教室から返ってきた。


「ランディ」


 拳を突き出すルークに、ランディが応えるよう拳を突き出した。


「助かったぜ」


 ルークが防衛に専念してくれたから、後ろを気にせず全力を出せたのだ。逆にルークがいてくれなければ、ヴォイドウォーカーを単身で倒すなど無理だっただろう。


「勝手に行きやがって」

「当たり前だろ。俺は隊長だからな……隊員に抜かれるわけにはいかねーよ」


 拳を押し込むルークに、ランディが迎え撃つようにギリギリと押し返す。認め合う何とも二人らしいグータッチに、セシリアが嬉しそうに微笑み、エリーが呆れ顔でため息をもらした時……


「皆さん、外が――」


 ……窓の外を指すコリーが声を張り上げた。窓の外は先程まで歪んだ空間だったが、今は全く別の物がランディたちの目の前に現れている。


 それは


 夕暮れに染まる校舎でも

 練習に打ち込む運動部でも

 寮へと急ぐ生徒でも


 そのどれでもない。


「なんだ? あのデケー塔は?」


 窓辺に駆け寄ったランディの目に映ったのは、運動場に当たる場所にそびえ立つ巨大な塔である。


「わ、分かりません……ただ――」


 ランディ同様外を見つめるアナベルが「ただ……」と塔の様子をつぶさに観察して、全員を振り返った。


「伝え聞く七番目の不思議〝新月の塔〟に形が良く似ていると思います」


 アナベルの言葉に、全員が窓辺に寄って新月の塔と思しき物体を見上げた。上は紫雲を突き抜け空の彼方へ。その先はどこまで続いているかも分からない。


「ありゃ、完璧に七不思議だな…それも学園どころか、世界の」


 次元の間にある、不思議な塔。その存在に全員が唖然としている中、新月の塔はその姿を消し、周囲を真っ白な光が包みこんだ。


「こ、今度はなんですの?」

「狼狽えるでない。次元を超えるのじゃ。そのエネルギーが可視化されておるだけじゃ」


 白光に皆の声が響く中、ランディは一人脳内に走る妙な景色に眉を寄せている。


 夕暮れの教室で語り合う男女。

 机に伏して悲しむ男性。

 現れた女性の霊。

 喜ぶ男性と、霊を指差し叫ぶ別の女性。

 押し流すような感情。

 噂。

 悪意。

 恐怖。


 それらがランディの脳裏を駆け巡る中、ランディは白光の中に気配を感じてそちらを振り返った。


 そこには、教室の端に佇む、どこか見覚えのある女性の姿があった。先程のヴォイドウォーカーに似ていると言われれば似ているが、服装などが違う。


『ありがとう……敵を討ってくれて――』

「かたき?」


 良く分からない、と首を傾げるランディに女性が近づき『あいつ……』と呟いた瞬間……ランディは全てを理解した。


(ああ。――)


 先ほど流れ込んできたシーンは、彼女の記憶だったのだ。


 目の前の女性は、七不思議の。逆にあの存在をこの場に縛り付けていたとも言える。


(恋人に捨てられ自殺した女生徒……確かそんな話だったはずだが)


 流れ込んできた記憶では、どうやら彼女は天寿を全うしただけらしい。


『ありがとう……もう行かないと――』

「おう。向こうで恋人に会えると良いな……」


 笑顔で応えるランディに、女性が微笑むと身体が光りに包まれ宙に浮き始めた。光の中にあって、更に光り輝く。その不思議な現象を見つめるランディの横に、いつの間に現れたのだろうかエリーが立っていた。


「……か。ずいぶん長い事、現世を彷徨ったようじゃな」


 笑いかけるエリーに。『あなたも――』とだけ言い残して、女性はその姿を消してしまった。



「エリー、今のは……」

「貴様の言葉を借りるなら、、じゃ。それ以上でもそれ以下でもないわい」


 エリーがニヤリと笑ったのとほぼ同時、周囲を覆っていた光が収束していき、ランディ達は薄暗い廊下に立っていた。


 窓の外に広がるのは、沈みかけの夕日と暗くなってきた外の景色。そして片付けに奔走する生徒たちの賑やかな声だ。


「帰って、きた、のか?」


 首を傾げるルークが、窓に手をかけゆっくりと開いてみる。ギシギシと硬い音こそすれど、開いた窓の向こうからは、先程よりも少しだけ大きく聞こえる生徒たちの声だ。


「帰れた……みたいです」


 ヘナヘナと座り込むアナベルを、コリーが「アナ!」と慌てて支え起こした。


「わ、私のせいで……皆さんが――」


 泣き出しそうなアナベルに、ランディが「気にすんな」と最早口調を取り繕わずに笑いかけた。


「久々に骨のある相手は楽しかったし、何よりパワーアップ出来たからな」


 笑顔のランディに、「ら、ランドルフ様」とアナベルが瞳を潤ませ……


「霊体ですし、実際のところは骨はありませんわ」

「そうだぞ、馬鹿ランディ」


 ニヤけたセシリアの突っ込みに、ルークが乗っかるように嘲笑を見せる。


「テメェが言い出しっぺだろ!」


 ルークに向けて口を尖らせるランディだが、「さあ?」とルークはすっとぼけるだけだ。


「よし、いい度胸だ……今日こそその性根を――」

「ランディ、こんな所で暴れたら駄目です」


 いつの間にか帰ってきたリズが、呆れ顔でランディを諌める。


 あまりにも普通の雰囲気な四人に、アナベルとコリーは口をポカンと開けたままだ。そんなアナベルにリズが優しく微笑みかけて手を差し出した。


「アナベル様。このように私達にとっては、あの程度日常と変わりません」


 リズの優しい嘘は、先程までセシリアやルークが作ってくれた空気を引き継ぐものだ。


「なので、気にせずまた私達をお誘いください。それこそ、七番目の不思議は私ですら気になりますから」


 リズの見せる優しい笑顔に、アナベルも思わず「……はい」と頷いてしまった。


「でもあの塔も七不思議なら、中はゴーストだらけかな」


 ニヤリと笑うランディに、リズがビクリと肩を震わせて笑みを若干引きつらせた。


「それに、ここももう暗くなるからゴーストの動きがより活発に――」

「きょ、今日はもう帰りましょう」


 早口でまくしたてるリズが、ランディを促すようにその手を引っ張った。


 あまりにもいつも通りの四人に、アナベルもコリーも思わず吹き出してしまっていた。


「す、すみま――」

「アナベル嬢、帰ろうぜ」


 吹き出したことを恥じるように、頭を下げそうになったアナベルだが、ランディの言葉に、「は、はい」とゆっくり頷いて立ち上がった。



「明日は一旦休みにして、検証は明後日にしよーぜ」

「そ、そうですね。明日は少しゆっくりしたいです」


 頷いたアナベルに、「わ、私のせいですが……」とまたもや謝罪を受けながら、それでもランディ達はいい経験が出来たと、笑いながら帰路につくのであった。




「俺、上裸だけど帰り道大丈夫かな」

「……おい、何でみんなちょっと離れるんだよ」

「ルーク、友達じゃねーか?」

「やめろ! 肩を組むんじゃねえよ! 俺まで変態だと思われるだろ!」


 先程までの危機はどこへやら、いつも通り賑やかな笑い声を旧校舎に残して。

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