第59話 背中合わせは信頼の証

 アナベルに案内されるまま、旧校舎を進んだ六人の進む先には、西日を受けて赤く染まる廊下が口を開けて待っていた。


「スゲーな。雰囲気ありすぎだろ」


 黄昏どころか、真っ赤な血に染まっているのでは……と思えるほど不気味な廊下に、ランディも七不思議の正体を期待してしまう。


「は、初めて見ましたが、噂以上ですね」


 ゴクリと生唾を飲み込むのはアナベルだ。七不思議として伝わっていても、オカルト研究会のアナベルですら見たことがない現象。確かに普通の人間が見たら、これだけで怪異だと身震いしてしまいそうだ。


 ふとランディが今まで来た道を振り返った。


 後ろには今まで通ってきた薄暗い廊下が続いている。重く冷たいのに生暖かい……。お世辞にも良いとは言えない空気であったはずだが、今はそちらのほうがマシなのでは、と思える程の気配が目の前の赤い廊下から漂っている。


 その証拠に……


「ほう。これは……どうやら当たりじゃな」


 ……ランディの横で小さく呟くエリーが嬉しそうなのだ。


「当たり?」


 眉を寄せるランディに、「まあ、出るかどうかは微妙じゃが」とだけエリーが呟いた。良く分からないが、どうやらこの怪異は他の七不思議とは違い、完全に超常的な現象なのだろう。


「ここでグダグダしてても始まらねーな。いっちょ、気合を入れていくか!」


 意を決して一歩踏み出したランディ、だが特に何かが変わるわけでは無い。確かに周囲は黄昏にしては赤いのだが、気配も空気も特に変化はないのだ。


「……変わんねーぞ?」

「当たり前じゃ。ホイホイ怪異が起きてたまるか」


 小声で突っ込むエリーが、「それならば、今までに被害が出ておるじゃろ」とため息までついた。


「何か、切っ掛けがあるはずじゃ」


 周囲を注意深く見回すエリーにならい、ランディも周囲を見渡した。だが目に映るのは、同行した皆が思い思いに赤い廊下を歩いたり教室の扉を開いたりする姿だけだ。





「は、外れ……ですかね?」


 エリーの言葉が聞こえていないアナベルは、がっくりと肩を落としている。この廊下に入って既に十分ほど。日の傾きも大きくそろそろ暗くなりそうな雰囲気だ。


「良く分かんねえけど。そろそろ帰らないとマズいだろ」


 ため息交じりのルークが、セシリアを促して来た道を反転した。ルークの言葉に、皆も仕方がない、とばかりにそれぞれが赤い廊下から、暗い廊下へと足を向け始める。


「雰囲気はあったのにな……」


 そう渋るランディを、ルークが振り返った。


「何してんだ。!」


 ルークがそう叫んだ瞬間だった。全員を真っ赤な景色が包みこんだ。


 天井も。

 床も。

 壁も。


 全てが黄昏というには赤すぎる色に染まり、同時にランディを妙な気配が包みこんだ。


「な、何ですか?」

「分からない。アナ、離れちゃ駄目だよ」


 慌てふためく二人を他所に、「なるほど。言霊か……」とエリーが苦い顔を見せた。それはつまり、全員が七不思議に囚われたという証左なのだろう。実際廊下は、先程までとは比べ物にならない程の、異様な気配に満ちているのだ。


「こいつは……想像以上だな」


 ランディの視線の先で、苦笑いを浮かべるのはルークだ。ランディ同様この包み込むような強大な気配を嫌でも感じるのだろう。ルークが後ろを振り返れば、先程まで見えていた薄暗い廊下は消え去っている。


「折角だし一回戻ってみるか?」


 ランディの提案に誰ともなく頷いて、先程まであっただろう通路を戻っていく……だが、どれだけ戻ろうとも景色が変わることはない。ただ無限に赤い回廊が続くだけである。


「本当にどこまで行っても真っ赤だな」

「マジで七不思議だぜ」


 少し嬉しそうなランディ、ルークのコンビとは違い、セシリアとコリーは不安そうに周囲を見渡している。そんな中、落ち着きを取り戻したアナベルは、エリーとそれぞれ現象を調査しているようだ。


 壁を触ってみたり。

 窓の外を覗いてみたり。


 物理的に出来る調査に勤しむアナベル。


 腕を組んで周囲を見渡し、「なるほど。座標が……いやブレーンごとズレておるのか」と、この場に展開されている不可思議を解明しようとするエリー。


 ランディには難しいことは分からないが、アナベル同様窓の外を覗いてみたら、意外にも普段の光景が広がっていた。


 夕暮れに染まる校舎。

 活動中の運動部。

 寮に帰るのだろう生徒。


 窓の向こうに広がる日常に、何故かランディは焦燥感にも似た不思議な感覚を覚えている。


「なんつーか。世界に取り残された気分だな」


 ポツリと呟いたランディに、誰ともなく黙ったまま頷いた。どうやらランディ以外も窓の外を見て全員が同じような感覚に陥っているのだろう。


「窓は……もちろん開かねえ、か」


 苦笑いを浮かべるルークの横で、ランディがマジックバッグから大剣を引き抜いた。


「皆、退いてろ――」


 ランディの言葉に全員がその道を開け、ランディが大剣を大上段から振り下ろした。


 風切り音すら置き去りにするランディの一撃。

 だが……まるで何かに阻まれるように、窓ガラスの直前で切っ先がピタリと止まる。


 カタカタと震える切っ先に、ランディが「へぇ」と楽しそうな声を漏らした。


 久々に全力で振り下ろしたというのに、その一撃を止められたのだ。

 ここ二年ほど、受け流されるということはあれど、受け止められた事はなかった。


「やめておけ。今ここはとは言え別の次元じゃ」


 最早隠す気のないエリーの様子に、コリーやアナベルが呆けるが今はそれどころではない。


「別の次元って――」


 首を傾げたランディが、後ろ向きのまま親指で窓の外を指した。それは向こうに広がる日常はどうなるのだ、と言外に含ませた仕草だが、エリーはそれに首を振った。


「ブレーンワールド。平行世界と呼ばれる物は、普段から重なり合って存在しておる。例えば妾たちのいるこの次元と、外の世界との次元とのようにの」


「ならここは、平行世界ってことか?」


 眉を寄せるランディに、エリーが首を振った。


「厳密に言えば違うの。ここを表すとしたら、同時に進行する世界……〝並行世界〟じゃな。どうやらここの主は、擬似的に新しいブレーンを作れるようじゃ」


「へいこう? 一緒じゃね?」


 まさかの漢字違いであるが、ランディに理解が出来るわけもない。だが、そんな事に構っている場合ではない、とエリーがため息交じりで窓ガラス――の前にある壁――を叩いた。


「偽物とは言え、次元の壁は普通では破れん」


 ランディを振り返るエリーは、いつになく真剣だ。


「この空間を破りたければ、ここに居る主を倒すしかないぞ」


 全員に檄を飛ばすエリーに、誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。


「す、すみません……私が不用意に皆さんを巻き込んだばかりに」


 今にも泣き出しそうなアナベルを、「僕も止めなかったし」とコリーが慰めている。その横ではセシリアも窓の外を眺めて、小さくため息をついていた。


「近いのに、遠いですわね」


 その言葉に、アナベルがまた「すみません」と頭を下げて、ポロポロと泣き出した。


「そ、そういうつもりで言ったわけでは――」


 慌てるセシリアも含めて三人は完全に混乱状態だが……ランディはと言うと、「なんだ。出られるのか」とあっさり大剣をバッグへ戻した。ゲームなどでよくある、ボスを倒さないと出られないステージは、どれだけキャラを鍛えたとしても正攻法以外の脱出方法はない。


 それこそ脱出用アイテムなども、使えないのがお約束だ。


 どうやらその謎現象が、別次元とか並行世界とかいう小難しい理論なのだろう。ランディには分からないが、結局やることはボスを見つけてぶん殴るという、至極単純な話である。


 別に元がゲームだから……などと言うつもりは毛頭ない。これが現実だと分かった上で、「出る方法があるなら、気に病む必要はない」という単純な思考だ。


「そうと決まれば、さっさとぶっ潰そうぜ」


 手のひらに拳を打ち付けるランディに「骨があると良いな」とルークも同じ様に笑った。


 危機的状況を感じさせない二人の雰囲気に、アナベルも思わず呆けた顔で泣き止み、セシリアも「頼りにしていますわ」とわずかに震える手でルークの服の裾を握っている。


「まかせろ。相手が魔王でもぶっ飛ばしてやるぜ」

「何があってもお嬢様だけはお守りします」


 この期に及んで、笑顔を振りまく二人の雰囲気は、全員の心を間違いなく軽くしている。


「アナベル嬢、何かボスにたどり着くヒントとかありませんか?」

「す、すみません……七不思議の内容では、〝戻れない〟としかなくて……」


 再び落ち込みかけたアナベルに、「大丈夫だよ。その七不思議にヒントがあると思う」とコリーが優しく励ました。


「七不思議には、〝彼女と恋人が過ごしていた三階西側の廊下〟ってあった」

「なら、この廊下のどこかに居るってことか?」


 首を傾げたルークに、「普通なら」とコリーが微妙な顔で頷いた。


「何か気になることがありまして?」

「はい。七不思議の通りなら廊下なんでしょうけど、普通恋人たちが夕暮れの校舎で過ごすなら、教室でお喋りとかのイメージが強いので」


 コリーの言葉に、全員が「確かにな」と頷いた。廊下で話すより、教室の椅子に座って話すほうがより自然だ。


「つまり正確には、〝彼女と恋人が過ごしていた教室のある、三階西側〟が七不思議の内容か」


 そう言いながら、ランディが近くの教室の扉を開くと、その中も真っ赤に染まった異空間であった。


「ビンゴだな……片っ端から開けていくぞ」


 ランディの言葉に頷いたルークが、順番に教室の扉を開けていく。そうして幾つ目かの扉にランディが手をかけた瞬間、ピタリとその動きを止めた。


「全員、準備はいいか」


 その言葉が全てを物語っている。ここにいるのが、その元凶なのだろう。ランディがゆっくりと扉を開くと……そこには真っ赤に染まる教室の中央に、一人の女生徒が後ろ向きに立っていた。


 見た目には普通の人間にしか見えないが、その体中から発せられる気配は、そこらの魔獣の比ではない。


「よぉ、姉ちゃん。こっから出してほしーんだが?」


 言葉を取り繕わないランディは、いま野生の勘に従っている。こいつは……目の前のこの存在には、交渉は無理だと野生の勘がビンビンに告げているのだ。それでも、一応話しかけたのは、見た目が女生徒だからである。


 魔獣と分かっていても、女生徒相手にいきなり斬りかかれる人間ではない。


「なあ、頼むよ――」


『無理よ……』


 まるで空間全体が話すような、そんな錯覚にランディは襲われている。


『ねえ、良いじゃない。ずっと、ずっと一緒にいましょう』


 振り返って微笑む女生徒の笑顔は、普通の人間と何ら変わらない。それなのに、全員の背筋に走るものがある。


「悪いな。待ってるやつがいるからな……それに家に連れて帰らねーと駄目なやつもいる。だから、テメェの話は聞けねーよ」


 大剣を抜いたランディを前に『そう……』と女生徒が呟いた瞬間、その瞳が一瞬で真っ暗な眼孔へと変わった。虚無を映す眼孔は、見つめているだけで気を狂わせそうな狂気を孕んでいる。


『あなたも私を置いて、一人で行っちゃうのね!』


 女生徒の髪が大きく広がり、同時に宙へと浮き上がった。


 空間にラップ音が響き渡り、同時に周囲の机や椅子も宙へ浮き上がる。


「こりゃ、とんでもねー相手だな」


 苦笑いのランディが、「レイス、より上って何だっけ?」とアナベルを振り返った。


「えええええええっと……スペクターですとか、もっと上位だとスペクトラルレイスとか――」

「いや、虚無の住人ヴォイドウォーカーじゃな」


 言い切ったエリーに、アナベルが驚いたような声を上げた。


「ヴォイドウォーカーって、不死者の王ノスフェラトゥの配下じゃないですか!」


 アナベルを振り返ったエリーが、「よう知っとるの」と頷いてみせた。


「虚無を操り、空間すら捻じ曲げる強力な個体じゃ……さて、。妾を受け止めると言った言葉……今ここで証明してみせよ」


 どこか真剣なエリーの表情に、「OK、女王様」とランディが軽口を叩いて腰を落とした。


『……みんな、みんな……一緒にいようよ!』


 ヴォイドウォーカーの背後に幾つもの虚空が現れた。

 そこから顔を覗かせるのは、無数の影の手だ。


 襲いかかる無数の影の手に、ランディがその大剣を、ルークが直剣を。それぞれ嵐の如く振り回した。


 二人に当たる前に霧散していく影の手だが、その猛攻は止むことはない。


 大剣を振り回すランディ。

 影の手を斬ると同時に、右足を踏み込み反転。

 ランディの左後ろ回し蹴りが宙に浮く椅子を吹き飛ばす。


 ヴォイドウォーカー目掛けて飛ぶ椅子は、彼女の目の前で何かに阻まれるように弾かれた。


 拉げた椅子が、地面に落ちる寸前で急停止。

 地面すれすれを飛んでランディに襲いかかる。


 飛んでくる椅子をランディが影の手と共に叩き切った。


「チッ、埒があかねーな」


 呟いたランディが、振り向かないまま叫ぶ。


「ルーク! 皆を守ってくれ」

「てめ、一人で――」

「頼む。お前にしか頼めねーんだよ」


 笑うランディに、「格好つけやがって」とルークが影の手を斬りながら、全員を教室の外へと促しゆっくりと後退していく。


 どうやら教室の外への影響はないようだが……赤く染まる廊下には、無数のスペクターと、その上位種スペクトラルレイスが現れた。


「ルーク、ランドルフ様は勝てますよね?」

「勝ちますよ。……あいつが負ける所なんて、想像できませんから」


 そう言いながらも険しい顔のルークが、チラリとエリーを振り返った。その視線の意味に気がついたエリーが、「さあの」とため息を返す。


のやつは、物理しか使えまい? ヴォイドウォーカーは虚無を操り空間を捻じ曲げる。つまり、物理攻撃はやつには届かん……それこそ、世界の境界の壁とまではいかずとも……奴が操る次元を斬り裂かねば、の」


 そう言いながらも、教室の中を心配そうに見つめるエリーに、ルークが「なら……」と不敵な笑みを返した。


「なら、あいつが次元を斬って、お終いですよ」


 現れたスペクターに斬りかかるルークの目の端には、無数の影の手に突っ込むランディの姿が映っていた。

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