第52話 クリス〜急にメイドをねじ込んだのは、そういう事だったのか!(違う)

 闇ギルドを後にしたクリスは、少しだけ考えていた。もちろん、先程聞いた任務失敗の件についてだ。あれだけリーダーに「ビビってる?」と煽っていたが、クリスも今回の任務失敗には驚いているのだ。


(学生の二人旅……のはずなんだけどな)


 闇ギルドのリーダーと共に、ランディの情報を見返してみたが、やはり警戒する程の情報は無かった。……本当は警戒すべき情報だらけなのだが、クリスが斜め読みしているのでどうしようもない。


 そうなってくると、やはり全滅させたのは凄腕の護衛という結論へと至る。


(凄腕の護衛か……侯爵がわざわざリバーフォードまで送ったのかな)


 学園ではそんな人間は目撃されていない。つまりその護衛は今回こっきりの可能性が高い。それでもを考える必要がある。もしも、その護衛を引き連れて王都へと戻ってきたら……。それこそ今の時点でセドリックやミランダにも警戒しないといけないのに、いよいよ闇ギルドだけでは難しいかもしれない。


(何とか弱みでも握れたら良いんだけど)


 考え込むクリスが、ある事に気が付いた。今、ランディとリズは外出中。そして闇ギルドの監視を全滅させる程の護衛も彼らの近くにいる。


(つまり、今なら彼らの家は手薄って事だよね)


 それを思いついたクリスの口の端が上がる。ランディやリズが借家で暮らしていることも、そこにメイドと騎士が一人ずついることも把握している。もちろんマークしている場所だが、侯爵がわざわざ準備した借家に、突っ込むなど今までなら考えもしなかった。


 だが今は、その護衛対象が不在だ。


(騎士は厄介かもしれないけど、メイドを攫って弱みを握るくらいなら)


 そう思いついたクリスが、立ち止まって振り返った。早速闇ギルドへ……と思ったものの、さっきの今で新しい依頼を出すのは少々気が引ける。なんせ二度連続で失敗している彼らだ。


 間髪を入れず依頼が来たら、肩の力が入りすぎてまた失敗……と言うこともあり得る。


(僕が直接行くか。ローブの下は幸い学生服だし、上手く油断させられるかも。最悪学生のふりして、聞き込みするだけでもいいし)


 思いついたクリスの顔は醜悪だ。思い立ったが吉日と、クリスはその足を速めた。目的地はもちろん、ランディ達が暮らす家。


 そこに待ち受ける者も知らずに――。





 息を切らし、汗を拭うクリスの視線の先には、小さな屋敷とその周りを掃除するメイドの姿があった。


(あれが二人の家か……。で、門の前を掃除してるのが、メイドだね)


 四人で暮らすなら少し広いかもしれないが、二階建ての小ぢんまりとした屋敷ならメイド一人で事足りる広さだろう。


 息を整えつつクリスが周囲を伺う。太陽は未だ高い位置にあるが、屋敷が面している通りに人影はない。


 大きく深呼吸をし、神経を集中させる。人影だけでなく、見えない所に気配がないかをゆっくりと探っていく。ポツポツと感じる気配は、向かいの家だったり、隣の家だったりのものだ。


 唯一、少し大きな気配が家の中からするが、それが恐らく護衛の騎士なのだろう。


(これなら学生服じゃないほうがいいかも)


 通りに人がおらず、門の前のメイドは完全に油断しきっている。間違いなく、このまま一気に拉致出来る状況だ。


 唯一警戒すべき騎士の気配は、門を越えた家の中にある。家を飛び出し、門を越えて……を考えれば、護衛としては離れすぎている、というのはクリスの考えだ。


(まあメイドは護衛対象じゃないしね)


 騎士や、隣人に目撃されるだろうことを考慮すると、黒いローブを羽織って正体を隠したほうが無難だろう。


(……まさか自分たちが狙われるなんて、思ってもみなかっただろうね)


 手早くローブを羽織ったクリスが、ゆっくりとメイド――リタ――へと近づく。


 休日の昼下がり。閑静な住宅街には、リタの箒が出す音だけが響き……


(ちょっろ! 最初っからこうしときゃ良かったよ)


 ……リタまであと少し。クリスが最終確認とばかりに屋敷に視線を向ければ、二階の窓辺にチラリと人影が見えた。


(いける。メイドを抱えても、魔法で撹乱したら逃げ切れる)


 そう判断したクリスが、リタを攫おうと一気にその足を速め、リタに手をのばし――た瞬間「ゴフッ」と、口から血と涎を撒き散らして地面に倒れ込んだ。










 ドサリ、と背後で響いた大きな音に、リタが驚いたように後ろを振り返れば……そこには倒れる黒いローブ姿があった。


「え? どうされたんです? お腹が空いたんですか?」


 黒ローブを揺さぶるリタだが、「リタっち。どうしたんすかー」と屋敷からハリスンが声を上げながら駆けてくる。


「どうしたって、この人が急に倒れて――」


 リタがハリスンを振り返った瞬間、黒ローブが立ち上がってヨロヨロと逃げ出した。


「あ、待って下さい!」


 追いかけようとするリタを「ストップっす」とハリスンが捕まえて周囲を確認する。


(やっぱり、あいつだけ、っすね)


 周囲には特に人の気配はなく、路地へと消えた黒ローブ以外にはいないようだ。


「ハリスン様?」

「ああ。大丈夫っすよ。多分酔っ払いじゃないっすか」


 ヘラヘラと笑うハリスンが、先程黒ローブが倒れていた付近に転がっている皮のボールを回収した。手のひら大の皮製ボールの中身は、ある程度の重さこそあれど作り自体は柔らかい。


 投擲術。ハリスンやランディのように純粋な物理ファイターにとって、必須とも言える遠距離攻撃だ。普段は石を投げたりするのだが……ハリスンはクリスへ向けて訓練用のボールを投げつけていた。


 訓練用にしたのには幾つか理由がある。


 そもそも家の中に手頃なのが無かった。

 加えて牽制のつもりだった。

 なぜ牽制か……それは、、からだ。


(あの程度の腕で……馬鹿なんすかね?)


 回収したボールを握りしめるハリスンに、「あの人大丈夫でしょうか?」とリタが首を傾げた。


「まあ動けるんで大丈夫でしょう」


 肩をすくめたハリスンだが、「長生き出来るかは分かりませんが」とリタに聞こえないように呟いた。


 ハリスンはクリスの接近自体は気づいていた。もちろん、クリスがハリスンに気づいているだろう事も承知済みだ。そうして下されたのは、「雑魚っすね」という判断だ。クリス程度の気配遮断では、腕前はたかが知れてる、とハリスンは判断していた。


 恐らく監視のつもりだろう、と判断したハリスンは、出来たら油断させて捕まえようと考えていたのだ。だから敢えてリタと距離がある屋敷に留まった。


 それでも念のために訓練用のボールを握っていたのだが……まあ、それも石橋を叩きまくるくらいの準備だと思っていた。


 ところが予想に反して、クリスはリタに襲撃をかけてきた。ハリスンからしたら、無謀とも言えるその事実のほうが驚きであった。



 もしや自分が判断をミスったか。

 力を読み違えたか。

 他にも仲間がいるのか。


 と慌てて殺気ダダ漏れで投擲を食らわしたのだが……結果は。予想よりも遥かに弱かったのだ。


 それこそボール一個で、一瞬とはいえ気絶する程度には大したことが無かった。


 今はただただ、そんなお粗末な腕で、よく来たなと言いたくて仕方がない。


(投擲の際の殺気すら感知できないっすか……)


 荒事に身を置く人間にとって、気配を察知する能力は必須である。もちろん、それは脳筋集団であるヴィクトールにおいても、である。


 ……いや、ヴィクトールだからこそ最も必要と言える能力かもしれない。


 ヴィクトール騎士隊で徹底的に叩き込まれる気配察知術は、魔の森で生き延びる上で必要不可欠な能力だ。魔の森の魔獣には、気配をほぼ消すような種類もいる。それを察知できねば即ち死である。


 そしてもちろん、その逆もまた然りである。


 気取られぬよう、気配を殺す術も徹底的に叩き込まれる。それだけで偶発的な戦闘の回数を減らすことが出来るのだ。


 もちろん気配を殺す術は、上手く使えば自分の気配を抑えて一般人のそれに偽装できる。対人戦において、相手を油断せさせるというのは、立派な戦術の一つだ。


 それでも熟練の使い手になると、こちらが遮断している気配ですら読むのだから、武の頂点に居る人間は恐ろしいと思えている。ハリスンをしても、彼らはバケモノだ。


 ちなみに気配の偽装とも言えるスキルを魔の森で使って、自分を餌にしている馬鹿な知り合いもいる。それが今後使えるべき主になると思うと、若干の目眩を覚える事を許して欲しい。


 とにかく荒事に身を置くには必須のスキル。だからこそ、無謀な襲撃があったことにも、こちらのすら避けられなかった事にも、驚きを隠せないが……


(あれじゃ若の相手は無理っすね)


 ……逆に同情を禁じ得ない。ヴィクトールにおける〝基本のき〟も抑えていない若造だ。ランディの相手など、結果は火を見るより明らかである。


(ま、若が帰ってきたら、あまり虐めないように言っときますかね)


「とにかく酔っ払いは放っといて、そろそろ晩御飯の準備をしましょうや」

「そうですね!」


 ハリスンとリタは、何事もなかったかのように、二人仲良く屋敷へと帰っていく。少しばかりの同情を残して――




 ☆☆☆



「くそ。何なんだよ、あのメイド……一体何したんだよ……」


 自身の身に起きた事が理解できないクリスは、ふらつく足で路地を歩いていた。


「ヤバすぎる……確かエリザベスの追放に、侯爵が無理やりねじ込んだメイドがいるって――」


 思い出すのは国外追放に、無理やりねじ込まれたメイドの事だ。


 背中を向けたまま、クリスに反応させる事なく吹き飛ばす程の腕前――本当は違うが――。

 そんな態勢の整わない一撃で、一瞬とは言え意識を刈り取る膂力――本当は違うが――。


 なるほど。侯爵が無理矢理にでもねじ込むわけだ、とクリスは納得している。魔の森に追いやられたエリザベスが、上手く生き残れた時点でメイドを疑うべきだったのだ。


(騎士が護衛と思いきや、本命はメイド……)


 もしかしたら、こんな状況を想定してあのメイドを家に残していたと考えれば、全て辻褄が合う。


「さすが……【銀嶺の貴公子】。今回は僕の負けだよ」


 ふらつく身体をクリスは壁に預けて、楽しそうに上を向いた。


「やっぱ、襲撃は学園で――」


 痛みで朦朧とする意識に、クリスがふらつく……踏み出した足が、路地裏に転がった酒瓶を踏んで、クリスは盛大にゴミ置き場へ突っ込んだ。


 衝撃と激痛がクリスの意識を再び奪う――。


 それからしばらくして、通行人によりクリスは保護された。学生服姿で酒瓶を撒き散らし、ゴミ捨て場に頭から突っ込んでいたクリスは、飲酒の疑いで一週間の停学処分となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る