第50話 ゆうべはお楽しみでしたね、って言われてみたい

 暗く重い意識の底から返ってきた男が見たのは……


「よお、お目覚めか?」


 ……木箱に座って、自分を見下ろす紅毛の大男――ランディ――の姿であった。


 意識が混乱しているのか、男には一瞬状況が把握できず、思わず周囲を見回した。男の視界に入ったのは、自身と同じ様に縛られて倒れ伏す仲間の姿だった。どうやら仲間達も、状況を把握しようとしているのだろう、同じ様に周囲を見回す彼らと視線が交わる。


(河岸……いや、港の端っこか?)


 どうやら近くを河が流れているようで、水のせせらぎが夜の静寂に響いている。


(手足は……動かないか)


 仲間の状況と自身の状況。そして目の前で大きくため息をつく紅毛。ようやく状況を思い出した男が、自分たちが下手を打った事に奥歯を噛み締めた。





 それは簡単な仕事のはずであった。


 王都にある闇ギルド本部から、この沿岸の都市リバーフォードの支部へと通達された依頼……二人旅の学生を監視し、可能ならば拉致しろ。


 相手は学生でたったの二人。しかも情報によれば、男は学園の落ちこぼれで、女も大した戦闘力がないという。


 もちろん疑問はあった。何故そんな簡単な依頼を、本部は自分たちの手で終わらせないのか。学生ならば王都でいくらでも襲撃できるではないか、と。


 だが依頼とともにメールバードに括り付けられていた手紙によると、現在王都では【銀嶺の貴公子】とそれが連れてきた護衛、そして暗部も街にうろついているらしく上手く身動きが取れないらしい。


 確かに相手は学生だ。学園には王太子も通っていると言うし、その周辺は暗部だけでなく騎士たちの守備範囲なのだろう。


 だから、このリバーフォードでも第一目標は監視。そしてあわよくば拉致という内容だ。流石に王都で難航する相手に拉致は無理だろう……と思っていたが、学生達以外に護衛の姿も気配も見えない。


 それどころか、学生たちは宿で堂々としとねを共にする始末だ。


 自分たちが狙われているなどと、つゆとも思っていないような、学生らしい気の緩み。その間にも男と仲間たちは周囲をくまなく捜索し、隠れている護衛がいないかどうかの確認を怠らなかった。


 結果……導き出されたのは、やはり簡単な依頼だという事だった。学生を二人拉致するだけ。男の方は別に殺して構わない。そして女に至っても、生きていさえすればそれでいい。との事だった。


 ならば、自分たちも楽しませてもらおう。女は稀に見る上玉だ……そう思って襲撃をかけた。だがそれがどうだ。どういう訳か地面に転がっているのは自分たちで、それをターゲットの一人が見下ろしているのだ。


「さて、と……」


 口を開いた紅毛の大男に、男の身体がわずかに強張った。確かに悪い状況だが、周囲に大男以外の護衛の気配はない。そして都合が良いことに、ここは完全に人気のない街の外れだ。


 隙をついてブーツの仕込み刃で縄を切れば、逃げることくらいは出来るかもしれない。


 実際に何故下手を打ったか分からないくらい、目の前で欠伸を噛み殺す紅毛の気配は大したことがないのだ。


「テメーら一体、何者なにもんだ?」


 眉を寄せるランディに、仲間たちはだれも口を開くことがない。当たり前だ。彼らは全員闇ギルドの人間。本部所属ではないとしても、鉄の掟は変わらない。


 それに逃げられる可能性があるのだ。こんな小僧など恐れる訳が無い。


 今もまだ「おーい、聞こえてんのか?」と覇気のない声に、男の心には余裕すら生まれていた……自分が何故下手を打ったか、という本質に気が付かされる事になるとは知らず。


「だんまりか……ま、分かってたけど。仕方ねーな」


 ため息混じりの紅毛が、端の仲間へと近づいた。ちょうど男とは真反対に転がっている仲間だ。


「ちょっくらゴメンよ」


 人混みを通り抜けるかのような、そんな何でもない雰囲気で紡がれた言葉の後に……骨が折れる音が響き渡った。その音に男も他の仲間も拷問でも始まったかと、視線を紅毛に集めた。


 だが男たちが見たのは、首があらぬ方向に曲がった仲間の姿であった。


 無言の紅毛が死体の足を掴んで引きずり……「そぉれ」と無造作に放り投げた。ヴォンと風を切る音が男たちの鼓膜を揺らし……しばらくして遠くで「ポチャン」と本当に小さな音が、何かが水に落ちるような小さな音が聞こえた。


 それが何を意味するのか、男たちが理解するのとほぼ同時、再び端の仲間の首がへし折られていた。


(は? え? ちょっと待て――)


 男も仲間も混乱を抑えられない。こちらの所属を聞いておきながら、沈黙に対する返事が殺して川に放り投げるなど、あまりにも思い切りが良すぎるのだ。


 加えてあの馬鹿みたいな膂力だ。


 を軽々と放り投げて、しかもあの距離だ。暗くて正確な距離は分からないが、聞こえてくる音の大きさと時間からある程度は分かる。人が人を放り投げて飛ばせる距離ではない。


 男がそんな事を考えているうちに、既に三人目の首に手がかけられ……


「ちょ、ちょっと待ってくれ――」


 ……男の嘆願を待たずに、三たび無情な音が静寂に響き渡った。


 男が待てと言ったにもかかわらず、紅毛は淡々と首を折った男を引きずって、再び暗い川へと放り投げた。


 表情を消したまま近づいてくるランディに、男は残ったもう一人の仲間と「頼む、少しだけ待ってくれ」と声を上げた。


「せ、せめてもう少し交渉を粘るだとか、拷問だとか――」


 声を上げる男の横で、紅毛は無言のまま「待って、せめてもう少し質問を――」と喚く仲間の首をへし折った。


(な、なんなんだこのガキは……)


 引きずられる仲間の無念そうな顔は、男に初めて恐怖という物を植え付けている。


 鉄の掟。

 死よりも恐ろしい罰。


 様々な事を想定して、拷問に耐えられるよう訓練も積んできた。闇ギルドに伝わる秘術で、ある程度痛みに耐えられる身体にも改造してある。


 鍛え抜いた肉体は、並の攻撃ではダメージすら通らない自負もある。それは男だけでなく、既に死んでしまった仲間たち四人も同じだ。


 だが目の前の紅毛は、そんなものなど全く関係ないと言わんばかりに、簡単に首をへし折っていく。


 単純に生物としての格の違いも。

 この状況で情報を手に入れずに、仲間たちを殺していく異常性も。


 その二つが男の中で、自分たちが下手を打った本質へと繋がった。


(こいつ……俺達の事なんて、最初から眼中にないんだ)


 どこの誰か分かれば良し。分からねば、全て殺してしまえばいい。恐らくそんな単純な思考で動いているのだろう。そして、その単純な思考を実現させうる力を持っている。


「バケモノめ……」


 呟いた男の目の前には、四人目を放り投げた紅毛が立っていた。無言で見下ろす紅毛の大男を前に、男はギリギリと奥歯を鳴らした。


(やはりか)


 男を見下ろす紅毛の冷え切った瞳は、別に正体が分からずと問題はない。向かってくる連中を全員殺せば問題ない、と言っているようだ。


 それでもわずかに残る意地が、その事実を拒否するように思わず口をついて出た。


「俺達を殺したとしても――」

「ああ、良い良い。そーゆーのは要らねーって」


 男の言葉を遮った紅毛が、男の顎に手をかけた。


「お前らに聞きてえ事はねー。お前らの事は、大体分かったからな」


 鼻を鳴らした紅毛に、「は?」と思わず男が間の抜けた言葉を返した。


(分かった? 誰も何も言ってないのに、か?)


 混乱する男の思考を見抜いたのだろうか、ランディがニヤリと笑って男を覗き込んだ。


「装備に統一性が無い。なのにお前らは組織だっている。つまりお前らは金で動く外の組織って事だ」


 紅毛が親指で指すのは、男達から回収した装備だ。ローブにしてもダガーにしても、確かに個人個人が準備したもので、規格化されたものではない。個人で動くことも多い闇ギルドだけに、その辺の統一はされない事が裏目に出た形である。


「外の組織。つまりは依頼人が居るわけだが……。お前らはどこぞの馬鹿が積んだ金で、全く無関係の人間を狙えるって事だ」


 表情を消した紅毛が、更に続ける。


「だからそのうち次も来るだろーし、そいつらも喋らねー」


 覗き込んでくる紅毛に、男は思わず生唾を飲み込んだ。その先に続く言葉が、どんなものか……容易に想像できるのに、それを想像することを脳が拒否しているかのようだ。


 だが、現実は無常にも男に降り掛かってくる。


「拷問も。尋問も。面倒だからな。次からは、うろついた時点で皆殺しだ。お前らが全滅するまで。何度でも何度でも。……何度でも、だ」


 事もなげに言い切った紅毛に、男は確信した。目の前の紅毛なら間違いなくそれが可能だろうという事を。


「た、頼む。もう二度とアンタらに手を出さない。仲間にもそう伝える――」


 男の顎にかかっていた、紅毛の手がわずかに緩んだ。これ幸いと、男が畳み掛ける。


「頼む。もう二度と手をださないように――」

「そりゃ無理があるだろ」


 言葉を遮った紅毛が、再び鼻を鳴らして続ける。


「金を貰って悪事を働いてたんだ。人並みに死ねると思うな」


 その言葉に男はゆっくりと瞳を閉じた。通じるとは思っていなかったが、こうも簡単に否定されると、いっそ清々しい気持ちですらある。


(手を出していい相手では無かった)


 その気配に、その殺気に、男は紅毛の言葉を信じざるを得ない。このままこの男を狙い続ければ、闇ギルドはいずれ叩き潰される。いや、誰かが紅毛の異常性に気づいて、二度と近づかなければ或いは――


 そんな事を考えている男の首に、信じられない力が加わった。


(簡単な任務だったはずなんだがな)


 自らの骨が軋む音と、そして本部への人間へのわずかな恨みが男を支配したころ、男はその意識を完全に手放した。



 ☆☆☆


 刺客を始末し、その死体をレール川へ放り投げたランディは、わずかな痕跡もクラフトで処理して宿へと戻っていた。


 男たちが侵入した時同様、窓から入ってきたランディに、エリーがすかさず手のひらを向け……


「俺だ、俺」


 ……ランディだと分かったエリーが「戻ったか」と若干嬉しそうな顔を見せた。



「何か吐いたか?」

「いんや。何も喋らねーな」


 肩をすくめたランディに、エリーが「まあ、じゃろうな」とため息をついた。


「んでも、色々分かった事はあるぞ」


 そう切り出したランディが、相手は何らかの組織で、金で動いているだろうということ。つまり誰かしら依頼人がいると言うこと。そして襲撃はまだあるだろうこと。


「分かってた事ばかりではないか」


 顔をしかめるエリーに、ランディが「裏取りが出来ただけいいだろ?」と口を尖らせた。


「それで? 今後の方針はどうするのじゃ?」

「決まってんだろ? 近づいてきたら殲滅だ」

「妾好みじゃな。いっそ街ごと破壊してやろうか?」

「すーぐ悪ぶる」


 ニヤニヤ笑うランディに、エリーが「やかましい」と顔を赤らめて頬を膨らませた。


「ところで襲撃者達はどうしたのじゃ? 晒し首にしてきたのか?」

「まさか。普通に川に捨ててきたぞ」

「阿呆。妾達に歯向かうなら、晒し首にして見せしめにせねばならんじゃろ」


 口を尖らせるエリーの言いたいことも分かる。分かるが、今はそれを選択するべきではない。


「ああいう連中は、いい意味で臆病で、悪い意味でプライドがたけーんだ」


 襲撃メンバーが戻らねば、連中は戦力の分析をし直すために一度潜るだろうが、襲撃者をさらすような事をすれば、昼夜を問わず人海戦術でランディ達に襲撃をかけてくるかもしれない。


 金で動く組織が、公然と恥を晒されてそのまま引っ込むなどありえないだろう。別に取るに足らない連中だが、ずっとウロウロされるのは面倒なのだ。


 そもそも今はカメラ素材の為の旅であり、連中と遊ぶための旅ではない。引っ込んでくれるなら、どうぞ引っ込んでいてくれという気持ちすらある。


「じゃが、森まで来たら?」

「そん時ゃ森に墓標が建つだけだ。特大の、な」


 事もなげに笑ったランディに、「まあ下僕としては及第点じゃな」とエリーが満足そうに頷いた。


「そういやリズはどうした?」

「妾の魔法でグッスリよ」


 ニヤリと笑ったエリーが「夜ふかしすると、お主が煩いでの」と続ける。


「そりゃお前もだけどな。今日はもう寝ろ。見張りは俺がやっとく」

「当たり前じゃ。下僕としてそのくらいは役に立て」


 ケラケラ笑うエリーに、「へいへい。仰せのままに」と苦笑いのランディが、後ろ手を振りながら部屋を後にした。

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