第40話 聖教会〜やめておけ。それは前提条件が破綻している〜
大国アレクサンドリア王国の首都である王都。国内外からも多くの人間が訪れる、大陸でも随一の都であるが、強い光があれば必ず闇が存在する……。
王都の外れにあるスラム街。その更に奥深くにそれはあった。
……闇ギルド。
王都をメインに、人に言えない後ろ暗いことを依頼したい人間が訪れる、非合法な組織である。
見た目はただの掘っ立て小屋だが、ここが闇ギルドへ通じる入口である。住民を装った受付に、秘密の言葉を伝えると地下へと続く階段に通されるのだ。その階段の先にある場所こそ、王都の闇を一手に引き受ける闇ギルドだ。
王国の暗部もその存在を認識して尚、未だ全容を掴めていない。その理由は、定期的にアジトを移動することと、闇ギルドに所属する人間の口の堅さがあげられる。彼らは決して仲間を売らない。どんなに拷問を受けたとしても、彼らが仲間を売ることはない。
それは単なる仲間意識ではなく、彼らが定めた鉄の掟によるものだ。
裏切り者には、死よりも重い罰を。
鉄の掟で統率された犯罪者集団――それが闇ギルドだ。彼らは昼でも暗いスラムの奥で、その暴力性を隠して静かに牙を研ぎ続けている。
鉄の掟、それに集ったならず者達……闇ギルドは常に独特の緊張感に包まれているが……今日はいつにも増して、ピリピリとした空気に包まれていた。
その理由はもちろん、先日依頼に出たメンバーが帰って来ておらず……
「一体どうなってるのさ?」
……進捗を確認しに来た依頼主から、尋問を受けているからだ。黒尽くめの男たちを前に、呆れ声に棘を含ませるのは、こちらもフードで顔を隠している男だ。目深に被ったフードとローブで、姿形こそ分からないが、先程の声は間違いなくクリスのものだ。
フードの奥で小馬鹿にしたようにヘラヘラと笑うクリスに、リーダーと思しき髭面の男が「フン」と鼻を鳴らした。
「どうもこうも、戻ってこない以上死んだってことだ」
悪びれる様子もないリーダーに、クリスの瞳が細められた。
「闇ギルドって言うから期待してたけど、この程度なの?」
殺気すら籠もっているクリスの言葉に、数人の黒尽くめが腰を落として柄に手をかけ――「やめとけ」――それをリーダーが阻止した。
「この程度も何も、【
机に腰掛け、ふんぞり返るリーダーに、クリスも悔しそうに「チッ」と舌打ちをもらした。反乱を起こさせる理由探し、もしくは侯爵家に難癖をつけるために、闇ギルドを偵察に出したのだが……結果は全滅である。
もちろん全滅させたのはランディだが、目撃者がいない以上、必然的に既に有名な二人のせいになっている。
「ほれ、違約金だ」
リーダーが放り投げたのは、クリスに渡されていた前金の半分だ。闇ギルドという仕事柄、失敗する可能性は往々にしてある。半分を返すだけでも、良心的と言えるかもしれない。
「もっと金を積んでくれるなら、ウチも精鋭を付けてやるぞ?」
嘲笑を浮かべるリーダーは、顔を隠しているクリスがまだ幼い事を見抜いている。つまり、さっさと親に泣きつくか帰れ、と言っているわけだ。
「仮に、君たちの精鋭をつけたとして……依頼の成功率はどのくらいになりそう? 偉そうに言うからには、いい言葉が聞けるんだよね?」
クリスの瞳に宿る暗い色に、リーダーははじめてその顔を真剣なものにした。
「……良くて五分。まあ四、六で失敗だ」
前傾姿勢でクリスに顔を近づけたリーダーが、「そのくらいの相手だと思ってくれ」とクリスの瞳を真っ直ぐに見た。依頼は暗殺のような襲撃ではない。身辺の調査と弱みを握る、比較的接触の少ない任務でも、失敗の可能性が高い。
つまり、それだけの相手だということだ。
しばしリーダーを直視していたクリスだが……
「ふーん。意外。ちゃんと本当のこと言うんだ」
……面白くなさそうにため息をついた。ふっかけてくるなら、今度は彼らの死に様を一緒に見届けようと思っていたのに、その直前で梯子を外された形だ。
「当たり前だ。無謀な依頼で部下を犬死にさせたくねえ」
鼻を鳴らすリーダーに「面白くないの」とクリスが口を尖らせた。
「ま、いいや。じゃーちょっと方針を変えるよ」
……そう呟いてリーダーに背を向けた。
「例えば、だけどさ……学園に侵入しろ、って言ったら?」
背中越しに話すクリスにリーダーが「学園?」と眉を寄せた。
「王立学園か? 無理じゃねーが、勘弁願いたいな。あそこは少数だが暗部がいる。問題ねえ数だが、他にも騎士がいる。なるべく奴らとは関わりたくない」
大きくため息をついたリーダーに、賛同するように周囲から声が上がる。暗部に目を付けられ、幾度となくアジトへの襲撃を受けているだけあって、尻尾を掴まれるのは遠慮したい所だろう。
「……仮に学園でも、暗部の目が届いてない場所なら、問題ないよね」
「そんな所があればな」
肩をすくめたリーダーに、「じゃーまた連絡するね」とだけ言い残して、クリスが地下を後にした。階段を小走りで駆け上がり、掘っ立て小屋の扉を少し開いて周囲を確認する。
周囲に人気がないことを確認したクリスが、そっと小屋を出てその足を速めた。
「やっばー。もうこんな時間じゃん」
暗い夜空の下を歩くクリスは、ブツブツと独り言を呟いている。
「結局死ぬんなら、一緒についていきゃよかったな……」
口を尖らせたクリスだが、その顔を満面の笑みに変えて、夜空に浮かぶ月を見上げた。
「まあでも、ある程度の情報が手に入っただけ良いとしようかな」
実際はクリスに入った情報など一つもない。だが差し向けた刺客が、即日全滅させられた事だけは分かっている。
それが示すのは、セドリック達が刺客に対して過敏だという事だ……実際にはランディが暴走気味にやっちまっただけだが……それを知らないクリスは、セドリック達が過敏だと、そう判断している。
刺客を全滅させる。知られたくない情報があるのか、それとも……
「彼らが王都に来て監視されるとしたら、いの一番に〝暗部〟を疑うはずなんだけどなー」
……暗部の疑いを晴らしたのか、それとも暗部は無いと自信があったのか。
クリスにはそこの判断は出来ないが、一つ分かっているのは、侯爵家が臨戦態勢ということだけだ。……ちなみに全部、ランディのせいだが。
「この流れで、大事な娘に危害が加えられたらどうかなー。しかも学園で」
ニヤリと笑うクリスが考えているのは、学園のとある場所にエリザベス達をおびき寄せて、闇ギルドの住人たちに襲わせる算段だ。
暗部を始め、騎士も詰めている王立学園の一画で、娘が害されるようなことがあれば、臨戦態勢の侯爵は止まらないだろうという浅知恵である。もちろんクリス自身、それが浅知恵だとは知っている。
だが、それで上手く行けば面白いかな、くらいの感覚だ。上手く行かずとも、誰かが死ぬ場面には出くわせるだろう。
それこそエリザベスか、その主人か。クリスの見立てでは、ランディでは闇ギルドの人間に太刀打ち出来ないと思っている。
「呼び出すなら、やっぱ旧校舎かなー。あそこはそれこそ、誰も近づかないし……その方法を考えないとね」
ヘラヘラと笑ったクリスが、更に足を速めた。これは楽しくなりそうだ、と上機嫌のクリスが周囲を伺いながらスラム街を後にした。
通りを抜け、フードを目深に被り直したクリスがたどり着いたのは大聖堂だ。まだかろうじて開いている正門から中へ入ったクリスは、聖堂を通り抜け、関係者しか入れない奥の扉へ迷わず向かう。
扉の前に控える男に止められそうになるが、「す、すみません。クリス・ロウです」とおどおどしながらフードを取って笑顔を見せた。
完全顔パスで奥へと通されたクリスが向かったのは、廊下の途中にある一つの部屋だ。
扉を開け、中に入ったクリスを迎え入れたのは……
「ク、クリス様……お帰りなさい」
「やあただいま。アナベル」
……クリスの婚約者であるアナベルという女性だ。クリスやランディの一つ下で、学園の生徒でもあるアナベルは、大司祭の娘でもある。
「く、クリス様、今日の午後は私とお過ごし頂くはずでは――」
「ごめんごめん。急用でさ」
デートをほぼすっぽかしておきながら、全く悪びれる様子のないクリスが、「じゃ帰ろっか」とアナベルに手を出した。普段はおどおどしたクリスだが、彼女にだけは素の自分を見せている。
それは信頼などではなく……
「で、でも――」
「うるさいなー。あんまりガタガタ言うと、君のお父さんが大事な寄付金を、貧民街に横流ししてたのバラしちゃうよ?」
……単純に自分が絶対に上だという自信があるからだ。
「で、でも女神様の教えでは……」
「教皇が知ったらどうなるかなー」
「…………」
「そうそう。アナベルがお利口にしてたら、黙っててあげるからさ」
完全に黙ってしまったアナベルに、クリスは満足そうに頷いた。
「じゃ、帰るよ。ちゃんと口裏は合わせててねー」
アナベルの手を引くクリスが、部屋を後にした。
「さあ。楽しくなりそうだなー」
笑顔で歩くクリスだが……残念ながら、その浅知恵の大前提が破綻している事など、知る由もない。
だがその一点のみは、クリスに同情するべきか。
まさか学園ではボーッとしてるだけの男が、ラスボスを引き連れた凶悪な脳筋だなどと、まだ誰も知らないのだから。
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