第37話 ランディのサインは拳の痕です
セシリアと二人で部屋を後にしたランディは、来た時と同じ勝手口から外に出た。外は相変わらずの行列だが、来たときよりは人が少なくなっているようだ。
それは傾いてきた陽のせいか。
それとも客が一巡したのか。
とにかく来た時よりは、短くなった行列にセシリアも「結構時間が経ちましたわね」と青空に混じり始めた橙を見上げた。
「ランドルフ様は、これからどうするんですの?」
「んー。どうすっかなー」
セシリア同様にランディも空を見上げた。
「あら、未定ですの? なら、宿まで送りましょうか?」
自前の馬車を指すセシリアに、ランディは「うんにゃ」と首を振った。
「宿に戻るには、ちっと早いからな。遠慮しとくわ」
笑うランディに、セシリアが同意を示すように頷いた。セシリアのように寮ではないランディには門限はない。逆に早く帰った所で、宿の部屋ですることなどない。リズがいれば話もクラフトも出来るだろうが、ランディの少ない魔力では出来る事など限られている。
それにランディには、少々気になる事もある。
「逆にお前は送らねーで大丈夫か?」
「馬車がありますし、街中ですから大丈夫ですわ」
「そっか」
笑顔で頷いたランディにセシリアが、馬車の前でカーテシーを見せた。
「それではランドルフ様、ご機嫌よう」
「はい、ご機嫌よう」
小学校の先生のように手を振るランディに、セシリアがわずかに顔をしかめて馬車へと乗り込んだ。ランディとしてもちょっと悪かったかな、と思いつつも一度言ってみたかったので仕方がない。
小さくなっていくセシリアの馬車を、ランディはしばし眺めて小さくため息をついた。
「さて――」
ランディが視線を近くの屋根に、いや感じる気配へ一瞬だけ向けて……再び視線を近くの路地へと戻した。
(セシリアにはついていかない……てことは狙いはリズか、お兄様か)
気配を気にしながらも、ランディは路地へと歩を進めた。路地を歩くランディをつけるように、二つの気配が屋根の上を移動し始める。
本命の狙いがどちらか分からないが、相手はランディも狙っているらしい。
それならば、とランディは路地を進みなるべく人気のない方へ、方へと足を向けた。敢えて誘ってみて、相手の出方を伺うつもりなのだ。
この行動に、相手も完全にランディが誘っていると気付いたのだろう。二つの気配が一旦屋根の上で止まり、そして急速にランディから離れていく。
(お? 結構しっかりした組織だな)
分かりやすく誘っておきながらだが、距離を取るとは思っていなかった。よくある映画みたいに格好良く路地裏に誘い込んで……と思っていただけに、ランディとしては面白くない。
「逃がすか――よッ」
一瞬でトップスピードまで加速したランディが、壁を蹴って屋根の上に躍り出た。
影を追い抜く形で屋根に降り立ったランディが、振り返りざまに笑う。
「よお、お前ら俺の追っかけだろ? サインも貰わず、どこ行くんだよ」
ランディの目の前には、明らかに怪しい二人組。真っ黒なローブを身に纏い、頭からフードを被った姿は、どこからどう見ても暗殺者だ。まだ青が多く残る空の下、屋根の上には黒尽くめ……何ともシュールな光景に、「逆に目立つだろ」とランディは苦笑いが止まらない。
だが男達はランディの軽口には答える事なく、ダガーを抜いて腰を落とした。
「問答無用ってか……なら、ちっと手荒に行くぞ――」
屋根瓦が弾け飛ぶ程の踏み切りは、一瞬で彼我の距離を零にする。
「――な゙っ」
迫るランディに男が驚くがもう遅い。
ランディの右ラリアットが、男の首を刈り取った。
勢いを殺すように屋根を滑るランディ。
その真後ろで、男が勢いよく二回転半して頭から屋根に叩きつけられた。
「色紙もペンもねーからな。身体で我慢して――っとタンマ」
右肩をグルグルと回すランディだが、自身が滑った時に捲れ上がった瓦を前に、慌ててそれらを拾って生産魔法で元に戻している。
「うぉっ! 向こうもか」
踏み切った際に、砕けた瓦にも気がついた……何の落ち度もない一般市民の家屋だ。流石に破壊したままはまずい。
「ふー。危ねえ。持っててよかったクラフトだな」
満足そうに頷くランディを前に。残ったもう一人の男が距離を図るようにジリジリと屋根の上を進む。恐らく男にとって得意な間合いを図っているのだろう。しばしすり足で動いていた男がピタリと止まる……路地を挟んだ屋根の上で両者がにらみ合った。
「……で? 結局おたくらは誰? 本当に俺のファンなら、サインはアレで勘弁してくれよ」
ランディが、動かない男を指して笑った。サイン――拳で身体に直接刻む――を理解したのか、ランディの目の前で男がその腰を更に落とした。
「だんまり……ね」
ランディが目を細めた瞬間、男がその姿を消した。
路地を飛び越えランディの真後ろに現れた男。
順手に持ったダガーをランディに突き立てた。
背後に迫るダガーに、ランディが振り返る。
と同時に左手で相手の腕をいなしながら、右の脇へ逸らした。
ランディの右脇を抜ける男の右腕――をランディが脇で挟みつつ、男の右肘へ裏拳気味の上腕を叩きつけた。
右肘が砕けた男が、痛みでわずかに半身に。
その顎へ伸びるのは、ランディの左腕だ。
男を反らせるように左腕で抑え込んだランディ。
仰け反る男の脊椎を、ランディの左膝が砕いた。
力なく崩れ落ちる男を、ランディが掴んで引き上げる。
「話すとは思えねーが……残りの奴らに聞いてみるか」
独り言ちたランディが、もう一人屋根の上で伸びている男も抱えて、その場を後にした。
屋根の上に吹く風はいつもと変わらず穏やかで、まさかここで男が二人も半殺しにされたとは思えないほど、いつもと変わらない風景であった。
☆☆☆
「――戻ったか。首尾はどうだ?」
振り返らない男たちに、ランディは肩に担いでいた二人の男を屋上へと乱暴に下ろした。ドサリという大きな音に、三人の男たちが初めて異変に気がついたように振り返った。
「話してくれねーからな。こっちまで来たよ」
ニヤリと笑うランディに、男たち三人が完全に臨戦態勢とばかりに武器を手に腰を落とした。
「おたくらの目的は何だ? 何で俺達を見張ってる?」
ランディの言葉に男たちは黙ったまま答える素振りを見せない。
「話したくないなら良いんだが……俺にゲロってた方が楽だと思うぞ」
ため息をついたランディが、先程まで自分たちがいた建物を指さした。
「こわーいお姉さんを相手にするよりは、な」
ランディの言葉に、男の一人が「馬鹿な――」と思わず振り返ってしまった。そこには確かに窓からこちらを見つめる、女性――ランディ達を案内した――の姿があった。
「はい、さいならー」
男の背後で声がした時にはもう遅い、ランディの拳が男の真上から振り下ろされた。
何の変哲もないハンマーパンチ。
だがその一撃は重く、男を屋上へ叩きつけて沈黙させるには十分だ。
一気に二対一になった状況に、男たち二人はランディの前後に分かれて距離を取った。
どうやらどちらかが囮になり、もう一方がランディを仕留める、もしくは逃げるつもりだろう。一人の命を犠牲にしつつ、確実に任務を遂行する。その気迫を前にランディが首を鳴らした。
(プロか……もし逃がしたら面倒だな)
別にこの程度の相手なら、何人来ても構わないし、別に逃げられたとて追いつく自信もある。だが仮に一般市民を盾に取られたりした場合は面倒だ。
(ここで抑えとくか)
ランディが小さく息を吐いた瞬間、目の前の男がランディへ向けて駆け出した。
迫る男を前に、ランディが足元に転がっている男を蹴り飛ばす。
高速で迫る男も、まさかの味方が飛んでくるとは思わなかったようだ。
鈍い音を響かせ衝突した二人を尻目にランディが反転。
ちょうど背を向けたもう一人の男へ肉薄。
「仲良くしようぜ」
男の背後でランディが笑い、その後ろ襟を引っ掴んだ。
「クっ――」
男が堪らずランディに裏肘――を繰り出す前に、ランディが男を引きずり倒して顔面を踏みつけた。
屋上に頭をめり込ませ、ピクピクと痙攣する男を確認したランディは、残ったもう一人の男のもとへ。
「……貴様、何者だ」
衝撃から復帰し、ようやく仲間を押しのけた男が、ランディを睨みつけた。
「それを調べるのが、お前らの仕事だろ」
鼻で笑ったランディが、男の頭を掴んで叩きつけた。前歯が折れ、鼻血を吹き出した男を転がし、ランディは惨劇の舞台となった屋上を見回す。ところどころヒビが入ってはいるが、後で直せば問題ないだろう。クラフト様々である。
「さて、一応殺してねーけど……」
ランディの視線の先には、窓からこちらを伺う女性の姿が……
「これ、任せても良いですか?」
ランディが苦笑いで、女性にジェスチャー混じりで伝えると、理解したのだろうか女性が小さく頷いて窓の縁から姿を消した。
「良いってことだよな……」
ランディが苦笑いを浮かべた時、店舗の裏手から薄っすらとした煙が上がる。小さな煙が一回、そしてまた一回……薄っすらとした見えにくい煙は、それを最後に直ぐに収まった。
(狼煙……か?)
ランディがそう判断したのとほぼ同時、周囲から複数の気配が高速で近づいてきて……屋上に複数の男女が現れた。
誰も彼もが平民のような出で立ちだが、先程の不審者連中よりは腕が立ちそうだ。
「ランドルフ様ですね」
「そうです」
「ミランダより連絡があり――」
どうやらあの女性はミランダというらしい。男性たちは、ミランダの狼煙でこちらに急行したとのこと。ならば彼らが暗殺者を引き取ってくれるのだろう、とランディは状況を掻い摘んで彼らに説明した。
「お手を煩わせたようで……」
一斉に頭を下げる男女は、不審者を把握はしていたが街中ということもあり、ミランダの指示で遠くから監視していたらしい。確かにミランダとセドリック相手では、この不審者達では全く歯が立たないだろう。
「こちらこそ、余計な真似をしました」
もしかしたらミランダ達にも、ビジョンがあったかもしれない。夜になってから彼らをつけるだとか、捕らえるだとか。とにかくそれを潰した可能性があるならば、とランディも彼らに頭を下げた。
「いえ、助かったのは事実ですので」
「いえいえ。私が出ずとも良かったのも事実ですので」
お互い譲ろうとしない謝罪合戦は、もはや水掛け論と変わらない。流石にこのままではまずい、と両者がそこで引き下がり、ランディは彼らに不審者の身柄を任せる事にした。
「それではまた――」
不審者を肩に担いで消えた彼らに、「または無い方が……」と呟いたランディの言葉は届かない。
完全に茜に染まった空を見上げたランディの「あ、屋上直さねーとだな」という言葉だけが、賑やかな街中に吸い込まれるように消えていった。
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