第36話 ペーパーテストは駄目だけど、現場にはめっぽう強い

 ランディを見極め安心したのも束の間……セドリックは現在少し不機嫌になってしまった妹リズをなだめている。リズとしては驚いたのだろうから、無理はない。


 久々に兄に会えると思えば、その兄がランディにいきなり剣を向けたのだ。


 それでもセドリックの思いを汲んだのだろうリズが、その表情を和らげたことで兄妹は久々の再会を噛み締めていた。





「改めて……先程は失礼をした。セドリック・フォン・ブラウベルグと申す。リザの兄だ」


 セドリックが、ランディ達を前に綺麗な礼を見せた。一寸の淀みのない完璧な礼は、流石の一言だ。ランディにとっては天上人に近い所作だが、流石に侯爵で鍛えられた、とランディもセシリアと二人で礼を返した。


「こちらこそ、改めまして。ランドルフ・ヴィクトールです。お初にお目にかかります」

「セシリア・フォン・ハートフィールドですわ。この度は実家がお世話になりました」


 礼を返したランディとセシリアに、セドリックが「堅苦しいのはここまでにしようか」と二人を応接用のソファーへと促した。


 出された高級紅茶を楽しみながら、三人は近況の話に花を咲かせていた。


「それにしても、かなりの人が来ているようですが?」


 セシリアがソワソワと窓から見える行列に目を移した。実家が関わるプロジェクトなのだ。ハートフィールド領やブラウベルグ領では中々好調だと聞いているが、やはり王都での人気は気になるのだろう。


 セシリア同様窓の外に視線を向けたセドリックは「そうだね」と満足そうに頷いて笑って見せた。


「どうやら上手く行ってるみたいですね――」

「ああ。のお陰で、ね」


 意味深に笑うセドリックに、「私の平凡な提案が助けになったようで」とランディも笑みを返した。


「どういう事です?」


 首を傾げるリズとセシリアに、セドリックが「実は――」と話始めたのは、既に出店しているブラウベルグ領とハートフィールド領で、当初より売上が伸び悩んでいた事だった。


「今はもう解消したけどね」


 大きくため息をついたセドリックが「ランドルフ君のお陰で」と続けた。


 なおも不思議そうなリズとセシリアに、ランディが「大したことじゃねーよ」と笑ってアドバイスの内容を説明しだした。


 端的に言えば、テスターを置くだけだ。


 肌に直接つけるもの。全く新しいものに、誰しも抵抗を持たないはずなどない。いくら両家の夫人と言った広告塔がいるとしても、それはあくまでも狭い範囲に限られる。


 加えて自分の肌に合うかどうかも分からないのだ。


 いくら平民向けに価格を落としているとしても、「えいやー」で何種類も買えるかと言われれば微妙な値段でもある。もちろん逆に平民向けにも展開しているからこそ、怖いもの見たさで集客出来ている節もあるのだが。


 初日の動きが当初より悪かった。その事実をセドリックが隠すことなく即座に三家へ通達。報告を受けたランディも、これまた即座にテスターの導入を進言したのだ。


 店頭で無料お試しが出来る。それだけで、購入ハードルがグッと下がる。しかも無料で提供するという太っ腹は、商品に対する絶対的な自信をも見せられるのだ。


 無料でのお試しは、絶対に買ってもらえる自信と、継続して使ってもらえる自信を刷り込むことが出来る。それだけ良いものだ、と胸を張った態度で示すわけだ。


 自信を無料で担保したその効果が、先程見た女性の戦場である。


「放っておいても、セドリック様なら気付いたでしょう?」

「恐らく、ね……だが、早いに越した事はない。本当に助かったよ」


 笑顔で頭を下げたセドリックに、ランディも慌てて頭を下げた。


(なるほど。これは閣下が全面的に任せるわけだ)


 セドリックに頭を上げてもらいながら、ランディはセドリックの優秀さに舌を巻いていた。


 貴族という上に立つ存在でありながら、庶民向けのテスターを思いつくだろう俯瞰した発想。

 良いと思える他人の意見を即座に実行できる柔軟さ。


 そして……


「そういえば……先程、お店から聖女が出てくるのを見かけたのですが?」


 ……敵対勢力をも受け入れるだ。意味深な笑みのランディに、「ああ。彼女か」とセドリックが呆れた顔を浮かべた。


「まさか開店当日に来るとは思わなかったが……まあ大した相手でもないからね。追い返したりはしないさ」


 肩をすくめるセドリックに、「でしょうね」とランディが笑みを返した。


「どういうことです?」


 首を傾げるリズとセシリアに、ランディとセドリックが同時に顔を見合わせ笑みを浮かべた。


「我が妹に説明してもらえるかな?」


 戯けるセドリックに、「仕方ありません」とランディが、先程の内容を噛み砕いて説明しだした。


 普通に考えれば、敵対勢力である聖女や王家に美容品の販売などしないと考えがちだが、侯爵は敢えてそれを禁止しなかった。


 その理由は幾つかあるが……最たる理由の一つとして、相手の意識を逸らすため、が挙げられる。


 ブラウベルグは絶対に恨みを持っている。だから人気商品を適正価格では売ってくれないだろう。


 そう思っていた相手が、普通に商品を手に出来ればどうだろうか。


 ――あれ? 思ってた程怒ってない? あ、娘も帰ってきてるし大丈夫なのか?


 ここまで露骨に馬鹿ではないだろうが、ブラウベルグへの警戒心を少し緩める程度にはなるだろう。


 面従腹背。この程度の一手でそれを隠せるとは思っていないが、相手の警戒心を少しでも緩められるなら、美容品の販売など些末な問題だ。


「あともう一個大きな理由として、ウチへの義理立てだろうな」

「ヴィクトールへの義理立て、ですか?」


 首を傾げたリズに、「ああ」と頷いたランディが説明を続ける。


 三家で合同の事業であり、発端はヴィクトールだ。いくら販売戦略を一任しているとは言え、ヴィクトールと王国中央にはは無い。リズという文官を思えば、無いとは言い切れないのだが、表立っての対立はないのだ。


 状況次第でヴィクトールも巻き込むような一手を、あの侯爵が選択するわけがない。そうでなくとも、始めに述べた面従腹背の件もある。


「なるほど……色々と複雑なんですね」


 興味深そうに話を聞いているリズに、「お前が聖女を何とも思ってないのが、最大の理由かもな」とランディが笑った。実際リズはキャサリンの事など、ほとんど眼中にないのだ。


「色々ありましたが……結果としていい出会いもありましたから」


 リズの微笑みにランディが「だな」と内心バクつく心臓を抑えながら頷いた。


(あぶねー。何あの笑顔)


 気持ちを落ち着けようと深呼吸したランディは、目の前で凍えるような瞳をしているセドリックに気がついた。


(シスコンかよ……)


 苦笑いのランディが、「ほ、他にも――」とセドリックに向き直って販売戦略上、キャサリン達を廃しない理由を並べ立てた。


 転売の防止。

 出禁を継続する労力。


 転売の防止は言わずもがな。禁止したところで、邪な考えを持った人間が、商品を高値で横流しするに決まっている。そして労力に関しては、実店舗を構えている以上キャサリンたちに連なる人間全てを排するのは、不可能に近い。もし実現するとなると、かなりの労力が必要だ。


 地味な嫌がらせに費やせる額を、軽く超えてくるのだ。


「あとは……まあ、と言えますね」


 意味深に笑ったランディに、セドリックが一瞬驚いて「そうだね」と頷いた。どうやらランディの予想は当たっていたようだ。そしてセドリックの顔を見る限り、そこまで見透かされているとは、思っていなかったのだろう。


、がここに効くとは……恐ろしい一手です」

「そこまで気づく君が怖いよ」


 意味深に笑い合う二人だが、それ以上の事は言わない。これ以上の会話は、貴族という腹黒い人間たちの本性に関わる話だ。美を追求するこの場で話すべきではない、と奇しくも二人同時に口をつぐんだ。


 ルシアンがキャサリン達を廃しない理由の一つに、ランディが言う懐の大きさを見せつけるため、というものがある。


 商売においては敵にも公平。

 敵対している相手でも、地味な嫌がらせなどしない。


 販売者のイメージは商品のイメージにも深く関わってくる。だから懐の大きく公明正大な姿を見せる。だがこれは、いわゆる表の……


 表があれば、裏のイメージ戦略もある。


 それこそランディの言う〝献上しない〟が大きく寄与している。


 王家への献上は蹴るが、販売はしてやる。


 王家への販売は侯爵が日和っているのではない、と他の貴族にも伝わるどころか、王家がわざわざ侯爵に――販売者を呼びつけるとしても――頭を下げて購入するのだ。


 これだけで、他の貴族には侯爵家の力の大きさが知れ渡る事になる。


 しかもその時には、彼らの夫人は侯爵が販売する美容品の虜だ。そして彼らの尻の安全すら、侯爵が出した馬車に守られている。誰も表立って侯爵へ敵対したいと考えないだろう。


 仮に王家が侯爵家に難癖をつけようと、他の貴族は傍観程度に留まる。それこそ、何かしらのが働かなければ、だが。


 とにかくこの一手は、侯爵による他の貴族への牽制だ。


 ランディからしたらもう〝貴族こえー〟案件でしかない。出来ればそんな魑魅魍魎の争いには参加したくないのが本音だ。


 とは言え微妙な雰囲気で口を噤んでしまった両者に、リズやセシリアが疑問を抱かない訳が無い。


「え、っと……どういう――?」


 呆けるリズに、セドリックが「父上が優しいということさ」とウインクを見せて、その場を収めてくれた。


(さすがシスコン)


 苦笑いのランディが、一気に紅茶を呷ってカップを置いた。


「セドリック様、まだまだ話足りないですが、妹君とも積もる話がございますでしょう?」


 笑顔で立ち上がるランディに、「おや、いいのかい?」とセドリックが戯けて笑った。


「父上から、君はリザの大事な護衛と聞いているが」

「御冗談を。セドリック様ほどの腕前に加え、他にも護衛がおられるではないですか」


 先程の女性をチラリと振り返ったランディに、セドリックが「へぇ」と嬉しそうに微笑んだ。


「少なくとも今日一日程度、私など必要ないでしょうに」


 笑顔のランディが、リズに「ゆっくりしてくるといい」と声をかけてセシリアに向き直った。


「セシリア、お暇するぞ」

「命令しないでくださいまし」


 頬を膨らませたセシリアが、「それではご機嫌よう」とリズとセドリックにカーテシーを見せてランディと共に部屋を後にした。


 ランディが立ち去った扉をしばし見つめていたセドリックが、手のひらにかいた汗を拭うように膝に押し付け口を開いた。


「父上が認めるわけだ」


 楽しそうなセドリックに、リズが「やる時はやるお方ですから」と何故か自慢げに頷いた。そんなリズの態度にどこか面白くなさそうなセドリックだが……


「確かに面白い青年だ。少し彼の話を聞かせてくれるかい?」


 ……懐の深さを見せようと、リズにランディの話題を向けたことを後悔するのは、それから間もなくの事であった。

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