第38話 侯爵家〜兄として、男として〜

 リズとセドリック、久しぶりの兄妹の再会は、近況だけでなく、昔の思い出など尽きる事のない話題で盛り上がりを見せていた。


 しかし楽しい時間というものは、すぐに過ぎてしまうもので……窓の外は既に茜から紺色へと変わり始めている。


「もうこんな時間なのですね」


 外を見たリズが、流石にこれ以上長居は出来ない、と残念そうに微笑んだ。そんな彼女に、セドリックは心底残念そうな顔で口を開いた。


「そうだね。ならせめて、宿まで送ろう……ミランダ――」


 その言葉で頷いたミランダが、扉を開いて二人を案内するように階段を降りていく。外はすっかり陽が落ちており、遠く城壁の向こうに見える西の空がわずかに茜を残すだけだ。


「遅くなってしまいました」


 灯る街灯に申し訳無さそうな顔をしたリズだが……「あれ?」とその下に見えた人影に首を傾げた。


「ランディ? もしかして待っててくれたんですか?」


 嬉しそうにランディへ駆け寄るリズに、セドリックの顔がスンと真顔になる。


「ンな訳ねーだろ。たまたまだ。たまたま、通りかかっただけだ」


 鼻を鳴らすランディだが、駆け寄ってきたリズがランディをジッと見つめ……


「何かありましたか?」


 とランディに詰め寄った。


「エリーが、少し血の臭いがすると」


 心配そうなリズの表情を前に、「余計なことを……」とランディが顔をしかめて頭をかいた。


「ちと野良犬と戯れてただけだ」

「それは……」


 流石にこんな誤魔化しは通用しなかったようで、リズは少し申し訳無さそうに俯いた。


「気にすんな。お前が悪いんじゃなくて、来る方が悪い」


 それだけ言ったランディが、未だ真顔のセドリックに視線を移して「ここからは私が引き継ぎますので」と貴族らしい礼を見せた。


「そ、そうかい。なら妹を頼むよ」


 少し引きつった笑顔のセドリックだが、リズにシスコン兄貴の顔を見せないのは、立派だとランディは感心している。


「では……」


 礼を残して帰ろうとするランディの背中に、セドリックが「ランドルフ君」と声をかけた。


「父上からの伝言だ。『宿での護衛は難しかろう』だそうだ」


 何とも言えない表情の顔のセドリックが、ランディに一通の手紙を手渡した。侯爵家の封蝋印は、間違いなくルシアンからのものだろう。中身は一枚だけ……書かれているのは恐らく住所だ。


 つまり、今後はそこから学園に通えと言う事なのだろう。


(おいおい閣下。それはいいのか?)


 ランディは苦笑いが止まらない。ルシアンから、宿のような不特定多数の人間が出入りする場所ではなく、ちゃんと信頼できる場所で生活しろと、家を渡されたのだ。いくら護衛とは言え、年頃の娘を男と一つ屋根の下というのは……。


 そう言いたげなランディに、セドリックが「心配無用だ」と首を振った。


「既にそちらには人を手配済みだ。まだ護衛の騎士一人と、メイドが一人だが……」


 そう言いながらも悔しそうなセドリックに、ランディはまたもや苦笑いが止まらない。大好きな妹が、男とひとつ屋根の下など、セドリックからしたら耐えられないだろう。


 それでもルシアンの言うことは、もっともだ。目的も背後にいる人間も分からないが、刺客が差し向けられた以上、悠長な事は言ってられない。


「了解です。とりあえず私は宿を解約して荷物を取ってくるので、リズをその家までお送りいただいても?」


 ランディの提案に、セドリックの顔が分かりやすく明るくなった。それこそ「パァアア」と擬音が付きそうなほどに。


「いいとも、では行こうかリザ!」


 張り切ってリズの手を引くセドリックと、ランディに深々と頭を下げるミランダ。対象的な二人を見送って、ランディは宿へ向けて足を早めた。





 ☆☆☆





 馬車でリズを送った帰り道、セドリックは車窓から夜の王都を眺めていた。


「エリザベスお嬢様、楽しそうでしたね」

「……だな」


 上の空で返事をしたセドリックに、ミランダが「はぁ」とため息をついた。


「そんな事だから、いつまで経っても縁談が駄目になるんですよ」

「う、うるさいな」


 呆れ顔のミランダに、セドリックが振り返って口を尖らせた。ミランダの言う通り、重度のシスコンセドリックは、今まで縁談になりそうな出会いの全てを、「うちの妹は――」とリズの自慢話で駄目にしている。


「しっかりして下さい。侯爵家はセドリック様にかかっているんですから」

「はいはーい」


 妹の話になると、完全に駄目な男になる。それがセドリックであり、長年彼と行動をともにしてきたミランダからしたら、何だかんだ憎めない一面なのだ。


「それにしても、本当に面白い青年だったね」


 再び窓の外に目を向けたセドリックに、ミランダも「……ええ」と躊躇いがちに頷いた。


「ミランダ、彼に勝てそうかい?」

「お戯れを」


 ミランダが、即座に首を振った。


「ははは。やっぱり?」


 戯けた顔でミランダを振り返ったセドリックが、「僕もだよ」と少し悲しげな顔で呟いた。セドリックが思い出すのは、ランディという青年の底しれぬ気配だ。


 父であるルシアンから、【鋼鉄の獅子Aランク冒険者】との出来事は聞いていた。だが開いた扉から見えたランディは、ルシアンの言葉が嘘ではないかと思いたくなるほど普通の青年だった。


 それが一変したのは、間違いなくあのから続いた一連の流れだ。


 ルシアンの言葉を試すつもりで、繰り出した突き。Aランク冒険者を、手玉にとる男ならばどう捌くか。期待を込めた一撃の結果は、想像とは全く違う着地点を見せた。


 見えているだろうに避ける気配のないランディ。鼻先で止めてみたものの、セドリックにはランディの実力は計り知れなかった。それが、実力差がありすぎるゆえと気付いたのは、あの握手だ。


 一瞬、ほんの一瞬だけ放たれた殺気に、セドリックは完全に理解した。


 ああ。これは勝てない、と。

 あのまま突いていれば、間違いなく地面に転がっていたのは自分だった、と。


 帰り際にミランダの実力すら見抜くどころか、今朝からウロウロしていた刺客をも、一瞬で始末してしまった。セドリックはリズとの会話で、状況を殆ど把握していないが、見ていたミランダが言うなら、やはりとんでもない実力なのだろう。


 そもそもこちらの実力は看破されていた。なのに相手の実力は計り知れない。それが何を意味するか、セドリックやミランダには痛いほどよく分かる。


「荒事にも少しは自信があったんだけどね」


 大きくため息をついたセドリックが、「上には上がいるね」とミランダに微笑んだ。


「そうですね。私は最近自信を砕かれたばかりなのに……これではもう、立ち直れませんよ」


 無表情に見えるミランダだが、セドリックには彼女が頬を膨らませているのが分かっている。


「ハリスン・ウォーカー卿か」

「はい」


 ハートフィールド伯爵領で、王国の暗部を迎え撃った部隊の中にミランダもいた。セドリックに帯同する形で伯爵領入りをしていた彼女は、侯爵家の影を率いて暗部を迎え撃ったのだが……そこで目の当たりにしたのは、ハリスンという聞いたこともない強者であった。


 冒険者だろうが、騎士だろうが、名の知れた人間というのはミランダの頭に入っている。それは王国だけでなく、帝国や公国も、である。


 だがハリスンの名など、今まで聞いたこともなかった。なかったにもかかわらず、その実力はミランダの知る中でも間違いなく上位だった。


 名も知らぬ騎士が自分より強かった。井の中の蛙を実感したばかりだと言うのに、今度はランディだ。


「ウォーカー卿も大概でしたが、ランドルフ様は――」


 言葉を探すようにしばし黙ったミランダが、「言葉を選ばずに言うなら」とわずかに躊躇いながらも口を開いた。


「――でしょう」


 そう評したミランダに、セドリックも「君にそこまで言わせるか」と苦笑いが止まらない。


「怪物、怪物か……」


 そう繰り返したセドリックが、もう一度窓の外を見た。


「腕っぷしもだが……僕は少し、彼のことを侮っていたよ」


 そう呟いたセドリックが、昼間に出会って交わした会話を思い出すように語りだした。


 テスターの件はもとより、セドリックという人物を見抜く力。そして何より、侯爵家の意向を完全に理解していた事。


「田舎の純朴な青年って聞いてたんだけどね」


 まさか田舎育ちのランディが、貴族の腹の探り合いや、権謀術数に通じているとは思ってもみなかった。それどころか、それだけの能力を有していながら、本人はそれを使う素振りもない。


「いや、使う必要がないのか」


 微笑んだセドリックが思い出すのは、ランディという青年の身震いするほどの殺気だ。


「貴族の生き方を知って尚、それを叩き伏せるだけの実力を持つ、か……男としては嫉妬してしまうな」


 苦笑いのセドリックが、「負けるつもりは無いがね」と、ミランダに向き直った。


「まさしく彼は〝型破り〟だ。リズを任せるに足ると僕も認めよう」


 渋々ながら頷いたセドリックに、ミランダがジト目でため息をついた。


「ならなぜお嬢様にそう言わなかったんですか? ちゃんとランドルフ様を褒めて差し上げるべきでしょう」


 ジト目のミランダに、セドリックがニヤリと笑い返した。


「まだ負けるつもりは無いって言ったろ? ……男として」


「それでこそセドリック様です」


 満足そうに頷くミランダだが、再びジト目で「……それで、は?」とセドリックを見た。


 ミランダのジト目から、目を逸らしたセドリックが、「――じゃん」とボソボソと呟いた。


「はい? なんですって?」

「もしあそこで褒めてたら、リザが彼に取られちゃうじゃん!」


 口を尖らせたセドリックが、さらに早口でまくしたてる。


「見た? リザのあの目。殆ど惚れてるし」

「殆どではなく――」

「父上も褒めたって言ってたのに、僕まで認めたら、リザが完全に……」

「だから、もう既に――」

「あー聞こえない」


 耳を抑えたセドリックの情けない姿に、ミランダは諦めてため息をついた。


 優秀すぎる主人兼友人だが、やはり妹のことになるとどうも駄目な人間だ。だがミランダも知らない。そんな家族にすら見せられない素の姿を、セドリックが彼女にだけは見せているという事実を。


 そしてそれが、何を意味するのかも。


 ミランダもセドリックも、まだ気づいてはいない。



 ☆☆☆





 その頃、ミランダに〝怪物〟と言わしめ、天才セドリックをして〝型破り〟とまで言わしめたランディはと言うと……


「あ、すみません。この住所って……」


 道に迷っていた。


 素朴な田舎育ちのランディに、王都の住所など分かるわけもなく……セドリックに渡された手紙を片手に、道行く人に家の場所を聞いて回っているのであった。


「……え? 逆? あの酔っぱらい、適当なことばっか言いやがって……」


 セドリックとランディ。種類は違えど残念な一面を持つ二人は、意外に似た者同士かもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る