第三章

第34話 聖教会〜暗躍する者たち〜

 大陸で広く信仰されている、聖教と呼ばれる宗教。遥か昔に、たった一人の少女が神の声を聞いたとして始まった宗教である。大雑把にその内容を説明すると、女神を信奉し、善行を行えば死後は天国で幸せに暮らせる、というどこかで聞いたことがあるような物だ。


 死後の不安を和らげる内容か、それとも人に優しくするという広めやすい教義のお陰か。とにかく聖教は誕生と共に爆発的な勢いで信者を増やしていった。


 信者が増えれば、時の権力者たちもその存在を、無視することが出来なくなるのが常であり……弾圧から始まった両者の接触は、次第に権力者達が聖教を積極的に利用する形へと変貌していった。


 自分たちの統治における正当性や、権威を聖教に――女神に――保証してもらう代わりに、彼らの教えを保護するようになったのだ。


 いわゆる国教化である。


 そうして、権力者の正当性を保証するという立場を得た教会勢力は、次第に大きな権力を有するようになった。数十年前に王国の北側にある帝国で、司祭の任命権を巡って教皇と皇帝が対立した話などは有名である。


 その後皇帝と教皇との和解があったものの、かの帝国ですら教会の権利には介入できないという事実は、他国の王侯貴族を大いに震撼させた。


 肥大化する教会を危険視する国もある中、逆にその強大な権力を積極的に利用してきたのが、このアレクサンドリア王国である。


 聖教発祥の地でもある王国は、王都を聖地として大聖堂を構え、聖教会と協力しながら中央貴族と領地貴族のバランスを保ち、大国へと発展してきた。


 だが、大きくなりすぎた権威は往々にして歪むものらしい……




 王都の中心にある大聖堂。その奥にある教皇のプライベートルームで、現聖教のトップである教皇は、その醜い腹を見せびらかすようにふんぞり返っていた。


 月明かりが照らすのは


 太い指に嵌められた宝石付きの指輪。

 首ではなく胴にかけられた豪華なロザリオ。

 金糸をふんだんに使った豪華な法衣。


 どれもこれも、聖職者らしからぬ派手さだが、その醜い身体に妙にマッチしているから不思議である。


 そんな教皇の目の前には、一つの影。月明かりの逆光のせいで顔までは分からないが、背格好から間違いなく学園の生徒だろうことは分かる。


「何の用? 明日から試験なんだけど?」


 ため息まじりの影が、「優等生のフリも大変なんだよ?」と聞かれてもないのにヘラヘラと笑ってみせた。


「呼び出した理由くらい分かるだろうに……」


 鼻を鳴らした教皇が、ワインを傾けて影に向けた瞳を細めた。


「全く計画通りに進んでおらぬが?」


「さあ? 知らないよ。そもそもの計画が駄目だったんじゃない?」


 肩をすくめた影が、人を小馬鹿にしたような声でケラケラと笑った。そんな態度の影に教皇が奥歯を鳴らす。


「計画の一部は貴様も立てただろう」


 鼻息の荒い教皇に、影がおどけたようにまた肩をすくめた。


「だって、まさか戻ってくるとは思わないじゃん? そのせいで侯爵サマは大人しいしさ」


「そこを何とかするのが、貴様の役目だろう?」


「そんな事言われてもなー」


 口を尖らせたのであろう影だが、何かを思い出したように「ポン」と手を打った。


「あ、でも何か宰相の権力は弱ってるっぽいよ」

「なに?」


 立ち上がろうとしたのか、前のめりになる教皇だが……腹が支えたようでまたその身体を背もたれに預けた。


 みっともない教皇を「うわ、だっさ」と影が笑う。馬鹿にされている事実に、教皇が盛大に眉を寄せて影を睨みつけた。


「ごめん、ごめんって」


 おどけて肩をすくめた影が、ダリオの父である宰相ディルの様子が最近おかしい事を告げた。


「多分だけど、あれ何かやらかしてるよ。それこそ、息子の元婚約者の家との間で」


 ヘラヘラと笑う影が、「向こうは沈黙してるけど」と両手を後頭部の後ろに組んだ。


 影の報告に、教皇がしばし黙って考え込んでいる。どうやら色々な可能性を考察しているようだが、どれもこれもが推論の域を出ない。


「まあよい。中央の力が弱まり、そして反目する勢力が現れたのであれば。今はそれでよい。今は、な」


 大きくため息をついた教皇が、もう一度ワイングラスを傾けた。


「それで? 我らが聖女様の様子はどうだ?」

「我らが、ってただの駒だとしか思ってないくせに」


 ニヤリと笑った教皇に、影が呆れたようなため息を返した。


「何を言う? 初めにワシにこの話を持ちかけたのは貴様だぞ?」


 悪い笑顔の教皇が、「のう、クリス・ロウよ」と影、もといクリス――法務卿子息――に笑いかけた時、顔をそらしたクリスの冷たい表情が、月明かりに映し出された。


「さあね。覚えてないや」


 面白くなさそうに、背を向けたクリスが「ま、もう少し様子見ててよ」それだけ言うと、扉を押し開き明るい廊下へと消えていった。


「フン。相変わらず食えぬ餓鬼よ」


 見えなくなったクリスを睨みつけた教皇が、わずかに残ったワインを一気に飲み干した。


「まあよいわ。当初の計画とはかなり違うが、国が割れればワシのもの……いずれこの国を聖教が、いやワシが乗っ取りワシの為の王国を作るのだ」


 クツクツとした小さな笑いが、次第に大きくなっていく。醜く歪んだ教皇の顔を、窓から差す月明かりだけが見ていた。




 ☆☆☆



「やっばーい。完全に忘れてたし」


 その頃キャサリンは、自室で頭を抱えていた。


「侯爵家の反乱ってどーなるの?」


 ため息をついたキャサリンが、机の引き出しから一冊のノートを取り出した。それはキャサリンが覚えている範囲で、書き記したイベントの発生フラグや時期、そして人物相関図だ。


「クリス・ロウ……」


 呟いたキャサリンがクリスの項目を開き、そこに書かれている文章に目を落とした。


 クリス・ロウ。


 法務卿であるエイベル・ロウ伯爵の息子であるが、実際はエイベルの弟の子ども、つまり養子として伯爵家に引き取られている。


 表向きは死んでしまった弟の忘れ形見を引き取った、という美談っぽくなっているが、実際は法務卿エイベル実弟を死へ追いやり、その後より権力を大きくするための道具として迎え入れた形だ。


 エイベル弟一家が没落後、クリスは教会の孤児院に預けられていた。優秀だった弟の血なせる業か……優秀な孤児だと教会内部でもかなり噂が広がり始めた頃、突如として現れたエイベルが引き取ったのだ。


 そして次の枢機卿、ひいては教皇とも噂される大司教の娘と婚約を進めた。


 後の教皇と姻戚関係を結び、自身の権力を高めようとする為の道具。それがクリスである。


 だが養父エイベルは知らない。クリスの本当の顔と、エイベルより先に教皇がクリスに目を付けていたことを。


 クリスと言えば、普段はおどおどした引っ込み思案の性格だが、本当の彼は人を食った態度の快楽主義者である。


 いち早くその二面性を看破した教皇は、クリスの歪んだ快楽を満たして彼を懐柔していった。その後は教皇の影となり、養父であるエイベルを介して中央の情報を流し、今は聖女の監視役としてキャサリンに近づいている。


 クリスは快楽主義者だと言うが、彼が喜びを感じるのはただ一つ。誰かが死ぬ瞬間に立ち会う事だ。人の死に様を見る事に快楽を覚える。そんな歪んだ性格のクリスが、


 王太子エドガー

 聖女キャサリン

 侯爵令嬢エリザベス


 の三角関係に興味を持たない訳が無い。ともすれば国が割れてしまうだろう、スキャンダルだ。


 正史ではとエリザベスとの確執を「大したことじゃない」、と否定するキャサリンと周りを言いくるめ、この世界線では無理があるキャサリンの発言を、証言者として積極的に支持した。


 国を弱体化して乗っ取りたい教皇。

 領地貴族を廃して権力を高めたい養父。


 二人の思惑を重ねたクリスは、エリザベスの国外追放を手伝った影の立役者でもある。


 正史では文化祭が終わってから始まる侯爵家の反乱。そこでクリスの二面性に気がついたキャサリンが、時にぶつかり、時に癒やし、クリス・ロウという青年の殻を破っていくのだ。そしてその道中で、腐敗した教会を浄化するイベントもある。


 エドガー同様、反乱自体が強制イベントだったので、放っておいても勝手にフラグが立つ人物であるが、そもそも侯爵家の反乱が今のところ起きる気配がない。


(反乱起きなくない?)


 ため息をついたキャサリンが、ノートをもう一度見た。


 この先起きる侯爵家の反乱で、歪んだ精神を叩き直されたクリスが、教皇が裏で糸を引いていた事をキャサリンに告げる。この告白こそ、イベント『腐った教会を叩き潰せ』に繋がっていく。


 このあたりは強制イベントなので、放っておいても問題ないはずだが……


(侯爵家、反乱起こさなくない?)


 キャサリンの悩み通り、侯爵家が反乱を起こす前兆はない。そうなってくると、続くクリスの覚醒や、教会を叩き潰すイベントも起きない。


(えー? 教会を乗っ取れないのは困るんだけど)


 侯爵家の反乱が起きずとも、キャサリンからしたら問題はない。だが、その後に続く教会を乗っ取る――乗っ取るわけではないのだが――計画が頓挫するのは、キャサリンからしたら大きな痛手だ。


「エリザベスめぇ……」


 奥歯を鳴らしたキャサリンだが、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けた。慌てた所で、今出来ることはないからだ。何せゲームでも侯爵家の反乱はもう少し先の話なのだ。もしかしたら違う形で、反乱や教会の不正が暴かれるイベントが起きるかもしれない。


(逆に私から狸爺とクリスを突っついてみよーかしら)


 ここ数日でキャサリンは少しだけ賢くなったのだ。エリザベスという特異点のせいで、シナリオが大きく変わっている以上、イベントばかりを追いかけては駄目だと理解している。


(いや、まだやめとこー。今はまだ――)


 まだキャサリン達の地力も足りぬ以上、今無理やり動いてエドガー達に教会の悪事がバレるほうがマズい。


(正義感が強いし、知ったら絶対許さないだろうから)


 あまり早い段階で教会とぶつかれば、確実に教会が有する武力によってキャサリン達は返り討ちに合う。エドガー達がどんな処分になるかは不明だが――腐っても一国の重鎮なので――キャサリンは教会に歯向かった聖女として、確実に処分される。


 その未来だけは避けねばならない。


「とにかく、今は明日の試験のために睡眠だわ」


 ノートを畳んで机にしまったキャサリンが、窓の外から見える大聖堂を見た。夜だと言うのに、存在感のある大聖堂。あれが手に入れば、エリザベスなど恐るるに足らずと、キャサリンは悪い笑顔で部屋の明かりを消した。


「エリザベス。アンタの思い通りにはさせないし」


 ベッドに潜り込んだキャサリンは、それから間もなく寝息を立て始めた……。





 ☆☆☆


 その頃我らがランディはと言うと……


「このような経緯で大聖堂が建てられました」


 ……宿の一室で、リズによる試験勉強の追い込みをかけられていた。


「大聖堂って、無駄にデケーあれか!」

「おお、アレじゃな。エラそうで腹が立つし、潰してしまうか?」

「滅多なことは言わないで下さい」


 慌ててエリーを抑え込んだリズが、キョロキョロと周囲を伺った。慌てるリズだがここは宿の一室。周囲に誰か居るわけではない。


 安堵のため息をついたリズが、再び教科書を持ち上げた。


「……では、続けますね――」


 爆弾発言がありつつも、こうして三人の試験勉強はもうしばらく続いたのである。





「……ランディ、聞いてますか?」

「――っひゃい!」


 眠気で脱落しそうなランディの尻を叩きながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る