第33話 幕間 ファッショニスタ クラリス
学園も休みのある日、ランディはリズやエリーとともに自宅へと帰っていた。
目的はもちろん、意見交換がメインなのだが……
「クラリス、お前何でここにいるんだ?」
……眉を寄せるランディの言う通り、妹クラリスが執務室の一角にいるのだ。別に話に入るわけでもなく、何かのノートを抱きしめたままランディ達をじっと見ている。
「別に私がどこにいようと、お兄様には関係ありませんわ」
フンとそっぽを向くクラリスだが、それは一瞬で直ぐに視線をランディ達へ――正確にはリズへ――戻した。
姉が欲しかったクラリスからしたら、リズと交流を図りたくて仕方がないのだろう。クラリスの要望が分かっているランディと、父アランが顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
(つっても、リズにクラリスの子守を頼むわけには――)
そう思っていたランディだが、ふとクラリスが抱えているノートが目に入った。それはいつもクラリスが大事にしているノートだ。
(お、いいこと思いついた)
「ランディ、悪い顔してるぞ」
「です」
ジト目のアランとリズを前に、「誰がだ」とランディが顔をしかめるが、話を戻すために大きく咳払いで皆の意識をリセットした。
「なあリズ。ちょっと新規事業の相談があるんだが……」
そう切り出したランディが、チラリとクラリスへと視線を向けた。不意に重なった視線に、クラリスがまたそっぽを向いたその時、
「クラリス。お前にも手伝ってほしい」
まさかの言葉が、ランディからクラリスへと紡がれた。
「へ? 私がですか?」
唐突なご指名に、クラリスが素っ頓狂な声をあげ、ランディが笑顔で「お前も、だ」と大きく頷いた。
急に事業だなんだと言われ、及び腰なのだろうクラリスが「ですが……」とノートを握りしめて俯いた。
「お前にしか出来ねーんだよ」
ランディが笑顔のまま「まあこっちに来い」とクラリスに手招きした。
渋々と言った具合で、ランディ達の近くに来たクラリスに、ランディがニヤリと笑みを見せた。
「クラリス。ドレスのデザイン、してみねーか?」
ランディの提案に、クラリスが勢いよく顔を上げた。
「そのノート。お前が書いてきたドレスが山程載ってるだろ?」
ランディが指さしたのは、クラリスが持つノートだ。貧乏貴族故、あまりドレスなど買うことが出来ないヴィクトール一家。だが幼い頃から物語に出てくるお姫様が好きだったクラリスが、キラキラしたドレスに憧れるのは自然の流れであった。
興味があるが手が届かない。ならば、とクラリスが始めたのは自分の理想のドレスを描くことだった。初めはつたないデザインのそれも、今はランディ達家族が贔屓目に見たとしても、中々良く描けている。
恐らくクラリスは、元侯爵令嬢であるリズから色々なアドバイスを聞きたかったのだろう。
ならば、それをしてしまえばいい。
本当に事業にするかどうかは分からない。そもそもランディもアランも、ドレスや女性ファッションに関しては全くの無知だ。だが、事業という名目があればクラリスも気兼ねなくリズと過ごせるだろう、という気遣いだ。
「どうだ? お前のデザインを形にしてみないか?」
素材とイメージさえあれば、リズの生産魔法で形にすることは出来る。そして、素材はもう着られなくなった昔のドレスを分解して得ればいい。
「……やってみたい、ですわ」
呟いたクラリスに、ランディがリズへと視線を向けた。
「いいですね。とっても楽しそうです。夢もありますし」
どうやらリズも乗り気なようで、楽しそうに目を輝かせている。
「んじゃ、決まりだな。使ってもいい古ドレスは、お袋に聞いてくれ」
ヒラヒラと手を振るランディに見送られ、クラリスがリズの手を引いて執務室を後にした。グレースも巻き込めば、変なことにはならないだろう、というランディの予想だ。
「……しばらく見ないうちに、女性の扱いが上手くなったじゃないか」
「馬鹿言え。昔っから最高にプレイボーイしてたろ」
鼻を鳴らしたランディに、「――という夢を見たんだな」とアランが笑顔を返した。
「うっせ。とりあえず、話の続きだ」
口を尖らせたランディが、再び真面目な顔で「やっぱ運河を――」と地図を指しながら話し始めた。
だが、ランディもアランも失念していた。女性の美に対する意識の高さを。美容品であれほど痛感したというのに。喉元過ぎれば熱さを忘れる。その格言をランディが思い知らされるのは、数時間後の話だ。
☆☆☆
「あら、今日はお姉様といっしょかしら?」
優雅に紅茶を飲むグレースに、「はい」とクラリスが嬉しそうに頷いた。
「フフフ。良いわね。それで、何をして遊ぶのかしら?」
「お母様? 私ももう十二です。立派な淑女ですので、お遊びではなく今からお仕事なんです」
頬を膨らませたクラリスに「あら、それはごめんなさいね」とグレースが微笑んでリズへとウインクを見せた。
「それで、お姉様と何のお仕事かしら?」
微笑んだままのグレースに、クラリスがノートを見せながらランディに言われたことを説明する。初めはにこやかに聞いていたグレースだが、その面白そうな内容に次第に顔つきが変わり……
「そう……なら、応接室へ行きましょうか。あそこが一番広いわ」
立ち上がったグレースが、近くのメイドに古いドレスと姿見を持ってくるように頼み、クラリス達を引き連れて応接室へ。
応接室に並べられたのは、もう着ることがない古いドレスと大きな姿見だ。
「デザインは古いんだけど、捨てるに捨てられなくてね」
困り顔で笑うグレースだが、実際どれもこれも型は古いが大事にされていた事が分かる。
お金のない中、何とか買ってもらったドレス。
初めて贈り物で貰ったドレス。
結婚前のデートで奮発したドレス。
どれもこれもが、思い出の品なのだろう。
恥ずかしそうに微笑むグレースを、「素敵です」とリズが目を輝かせて見ている。
「貧乏性なだけよ」
そう言って笑うグレースだが、どれもこれもが懐かしいのだろう。ドレスを見つめる瞳は優しげだ。
「せっかくですから、リメイクにしませんか?」
「「リメイク?」」
首を傾げた二人に、リズは大事なドレスをもう一度着られるように、デザインとサイズの調整をすることを提案した。完全に素材へ戻すより、ドレスの形を変えてまた着られるようにするというのだ。
「デザインは、クラリス様のものをベースに――」
「リザお姉様。クラリスで良いですわ」
頬を膨らませるクラリスに、「ですが、一応は使用人ですので」とリズが困り顔を返す。
「いいじゃない。クラリスで。それに私のこともお義母様でいいわよ」
優雅に笑うグレースに、リザが顔を赤くして「で、では三人の時だけ」と小さく頷いた。
そうして始まったドレスリメイク祭りは、時折古の大魔法使いエリーのアドバイス――意外にも的を射たアドバイスだった――をもらいながら、異様な盛り上がりを見せて進んでいった。
「……どう、かしら?」
「奥様、おきれいです!」
着替えを手伝ったメイドの目が輝いている。
「そ、そうかしら?」
グレースらしからぬ歯切れの悪い返事は、最先端のデザインに袖を通した事への気恥ずかしさか。それともまだまだ輝けるという事実への喜びか。
どちらにせよ、姿見の中のグレースは、普段と違う美しさで微笑んでいる。
「お母様、綺麗ですわ」
「ええ。よくお似合いです」
「ウム。妾も頑張った甲斐があったの」
目を輝かせるクラリスに、大きく頷くリズ。そしてケラケラと笑うエリーも、誰もが大満足の結果だ。
リズの知る最先端のデザインに、クラリスとエリーがアレンジを施した一品。どこにもない、完全オリジナルのドレスは、グレースの元の良さも相まって、今直ぐ王都のパーティへと出ても恥ずかしくないレベルだ。
ラインは王道のベルラインからAラインに。シンプルながら上品な形が、グレースのイメージにピッタリだ。
もちろん、思い出の品の面影を残すことを忘れてはいない。恐らく送った本人が見たら、「あれ?」となるくらいは面影が残っている。装飾品の位置や、形こそ変わったがベースは崩さぬよう全員で知恵を出し合ったのだ。
そして、それはグレースのドレスだけではない。母や祖母のお下がりを着ていたクラリスにも、である。
クラリスのドレスは、パニエをふんだんに使ったプリンセスラインに。ベルラインが多い中、裾を広げるだけでかなり雰囲気が違って見える。
自分のデザインが形になった喜びに、そして可愛らしいドレス姿に、クラリスも嬉しそうにリズを振り返った。
「リザお姉様、エリーお姉様、ありがとうございます!」
満面の笑みで頭を下げるクラリスに、リズも笑顔で頷き、エリーでさえ「ま、まあ
「これで、今度お茶会に出てみましょうか?」
笑顔で招待状を見せるグレースが、最近ヴィクトール家が勢いづいてきたので、お茶会の招待状が届いたと教えてくれた。文面からにじみ出る、マウントを匂わせる内容は、どうやら田舎者を引っ張り出して、笑いものにしたいのだろうが……
「返り討ちに出来ますね」
「小娘も言うようになったの」
笑顔の二人が示す通り、茶会の主催者の思惑通りにはならなそうだ。
早速返事を出すというグレースに、リズは思いついたように待ったをかけた。
「お二人共、折角ですしアラン様に見せてはどうでしょう?」
リズの提案に、クラリスが喜び、グレースが若干気恥ずかしそうに、それでもクラリスと二人、リズに引かれるようにアラン達がいる執務室へと向かった。
「どう、かしら?」
どこか気恥ずかしそうなグレースと、ものすごく自慢げなクラリス。二人を前に、アランとランディは固まっていた。正直クラリスの気分転換くらいになるか、と高を括っていたものが、想像以上の出来で二人の目の前に現れたのだ。
……しかもストッパーになるかと思っていた母親が、積極的に参戦する形で。
(え? 思ってたよりスゲーんだけど。これ、外に漏れたら注文とか来るレベルじゃね?)
本当に事業として成立しそうな事に、ランディはただただ女性陣の美に対するエネルギーを感じていた。
「それで? お二人共どうですの?」
頬を膨らませたクラリスの言葉で、ようやくランディとアランが現実へと戻ってきた。
「あ、ああ。馬子にも衣装って感j――ッアダ」
ランディの頭を叩いたアランが、グレースとクラリスに優しく微笑みかけた。
「二人共、いつも綺麗だけど今日はまた一段と素敵だよ」
「そうだな。ドレスの分三〇点増しで、三十四点くらいに――アデッ」
頭をさするランディに、リズが大きくため息をついた。アランに褒められて上機嫌のグレースとクラリス。その二人を見ながら、ランディはまあ良かったかと内心笑顔を浮かべていた。
その後、メイド達からもお仕着せのデザイン変更が、クラリスに嘆願されたことはまた別の話。
☆☆☆
「今日はお招き頂きありがとうございます」
「ありがとうございます」
豪華な屋敷の前で、優雅なカーテシーを見せたグレースとクラリス。
二人を馬鹿にしようと集まった夫人や令嬢達が、そのドレスのデザインと彼女たちの美しさ――美容液効果バッチリ――に目を見開いて言葉を失ったのも、また別の話。
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