第29話 王国政府〜大きすぎる対価〜

 宰相ディル・ワイスマンは、落ち着きなく執務室の中を忙しなく行ったり来たりしている。もう夜中と言って差し支えのない時間だというのに、仕事をするでもなく、ただウロウロと行ったり来たりしているのだ。


 その理由は……


「……どうなっている。なぜ報告が来ない」


 ……ハートフィールド伯爵領へ派遣した暗部が、いつまでたっても戻ってこないのだ。それどころか連絡の一つすらない。


「アレからもう十日は経つのだぞ」


 とりあえず執務用の椅子へと腰を下ろしたディルだが、苛立ちを隠せないのか、しきりに親指の爪を噛んでいる。


 王国を南北に分かつレール川。それを利用した水路で潜入しているので、馬車や徒歩と比べるとかなり早くたどり着いているはずだ。それなのに戻って来る気配どころか、手紙の一つも来ないのだ。


 いくら宰相と言えど、戻ってこない理由に当たりくらいはついている。ついてはいるが、それを認められるかどうかはまた別の話だ。なんせそれを認めてしまえば、己の破滅を認めることと同意だからである。


(たまたまだ。たまたま、帰路で街道が封鎖されてるなどのイレギュラーが……)


 望みをかけるように、ディルが両手を組んで目を瞑った時、執務室の扉がノックされた。弾かれたようにディルが上げた顔には、安堵の色が浮かんでいた。


「入れ――」


 時間は掛かったが、ようやく戻ってきた。それならば問題ないとディルが見つめる先、開いた扉の向こうにいたのは家令の男性であった。


「旦那様……」


 礼をする男性を前に、ディルは一瞬だけ残念そうな表情を見せたが、彼が伝言役かとその内容に耳を傾けた。


「……陛下がお呼びとのことです」

「は?」


 耳を傾けた先に聞かされたのは、全く想像すらしていない言葉だった。


「……陛下がお呼びとのこと。既に屋敷の前に迎えの馬車が見えております」


「なぜ……?」


 状況が理解できないディルに、「分かりませんが、あまりお待たせしては……」と家令の男性が言いにくそうに言葉を詰まらせた。ディルは思わず柱時計に目をやった。日こそ変わってはいないが、こんな時間帯に呼び出しなど、ただ事ではない。


 ただ事ではない……そう自分が思ったことに、ディルは思わず顔を青くした。ただ事ではない事態が、現在進行系で自分の周りで起きているのだ。


「も、もしや……」


 言葉を詰まらせるがもう遅い。とりあえず家令に促されるまま大急ぎで準備を済ませたディルが、飛ぶように屋敷の中を駆けて玄関前で待機していた馬車へと駆けつけた。


「宰相閣下。陛下がお呼びです」


 恭しく頭を下げる使者だが、ディルが頷いたその時、彼の周りに複数の人影が音もなく現れた。間違いなく暗部の人間だろう行動と気配に、ディルがへなへなとその場に腰を抜かす。


「旦那様――」


 駆け寄ろうとする家令を、使者が手を挙げて制した。


「閣下。陛下がお呼びです」


 それだけ言うと、腰を抜かしたディルに暗部の男たちが肩を貸して馬車へと詰め込んだ。


 腰を抜かした主人。

 夜中の呼び出し。


 家令を含め、使用人たちが何の理解も出来ないまま、ディルを乗せた馬車は夜の闇へと消えていった。



 ☆☆☆



 王宮へついたディルが通されたのは、いつもの議会場であった。


 いつもとは違い、誰もいないその議会場は薄暗く静かで、ただ一人ディルを待っていたのであろう国王だけが浮き上がって見えている。


「へ、陛下……」


 恐る恐る口を開いたディルに、国王ジェラルドは忌々しげに口を開いた。


「宰相、とんでもない事を仕出かしてくれたな」


 奥歯を噛みしめる音すら聞こえそうだ。憤怒に染まったジェラルドの表情に、ディルは思わず駆け寄って平伏するしか出来ない。


「ち、違うのです――」


 ただただ床に額をこすりつけるディルに、「何が違うというのだ」とジェラルドが懐から一枚の手紙を床に放って寄越した。ディルは目の端に映ったそれを、恐る恐る手にとって、素早く目を通した。


 そこに書かれていたのは、暗部によるハートフィールド伯爵領の調査結果だ。


 あの時侯爵家の影が入手した報告書には、ハートフィールド家の潔白がありありと描かれていた。


 報告書を持つディルの手がカタカタと震え、「で、ですが……」と報告書にあったスライムやイビルプラントの輸出について言及しだした。


「た、確かに魔獣の育成も貿易も禁止事項ではありませんが――」


 言い訳を並べていくディルを、ジェラルドは冷めた目で見下ろしている。


「美容品だそうだ」


 ディルの言い訳をぶった切るように、ジェラルドが吐き捨てた。唐突に紡がれたジェラルドの言葉に、ディルは「はい?」と間の抜けた返事しかできない。


「スライムやイビルプラントは、美容品の材料になるのだそうだ」


 もう一度口を開いたジェラルドが、件の商品が公国の小領とハートフィールド家から献上された旨を話しだした。


 曰く、新たな事業を起こすに当たり、ハートフィールド伯爵領産の魔獣を使用し、公国の技術で加工すること。

 曰く、この商品が切っ掛けで、王国と公国のさらなる発展を望むこと。

 曰く、その証として王家と大公家へ新たな美容品を献上すること。


「分かるか? 軍需品などでもない、ただの美容品。そして少なくとも向こうは筋を通したのだ……お主と違ってな」


 鼻を鳴らしたジェラルドが、「美容品なんぞで……」と苦虫を噛み潰したような顔をするが、これがどれだけの富を孕んでいるかなど想像すら出来ていない。


「それにもかかわらず、お主の独断先行で、古の盟約を破ったのだ……」


 そう言ってジェラルドがもう一枚の手紙を、ディルへと差し出した。それは間違いなく、ハートフィールド伯爵家の印が押された正式なもの。恐る恐るその手紙へ目を通したディルは固まった。


 そこに記載されていたのは、筋を通した伯爵家への仕打ちに対する憤りだ。加えてこの事業に、ブラウベルグが販路を開く形で関わっている旨も、記載されている。


「分かるか? ハートフィールドのみならず、あのブラウベルグ侯爵家にまで盟約を反故にしたことが伝わっているのだぞ!」


 二つの名門に、盟約を破ったことが伝わっている。つまり、今直ぐにでもこの二つの家が結託して王家へ反旗を翻してもおかしくない。


 それどころか……


「ほ、他の領地貴族へは――」


 ……ディルの青い顔が示すとおり、他の領地貴族へ話が伝播すれば、中央は完全に孤立する可能性すら出てきたのだ。領地貴族は各々が王家へ忠誠を誓い、横のつながりはあまりない。だが、彼ら全体の誇りである自治権への侵害は、彼らの結託を招く恐れがある。


 それが意味するのは、中央の孤立だ。自分の仕出かした事態の大きさに、ディルが生気のない瞳でジェラルドを見た。


「幸いな事に、他の領地貴族へは内密にしてくれるらしい」


 安堵に似たため息をもらしたジェラルドが、最後にもう一枚の手紙を寄越した。それはハートフィールド家とブラウベルグ家の二つの印が押されたものだ。連名で出された手紙……つまりこれがルシアン候の打った一手でもある。


 そこに記されているのは、今回の盟約違反を盾に、


 今後彼らが売り出す商品の献上を取りやめること。

 彼らの商品の自由貿易をみとめること。


 が書かれていた。だが、ディルの目を一番引いたのは、最後に記されていた文言だろう。


「……宰相ディル・ワイスマンへの慈悲を。


 ディル自身が読んでいて、何のことだか理解するのに数拍を要した。つまり、今回の暴走を不問にして、宰相として務め続けさせろと書いてあるのだ。


(慈悲……などではない。私がここにいるほうが都合がいいのか)


 いくらディルとて、この程度の事は理解できる。相手は慈悲で、自分の首を繋いだのではない。自分という弱みを利用して、中央へ意見を通しやすくするためにディルを残したがっている、とそう理解したのだ。


(傀儡……)


 思い浮かぶのはその二文字だ。そしてそれはもちろん国王とて理解している。


「本来ならば、このようなふざけた要求などのめん。それこそお主の首を、奴らに差し出す方がまだマシだ」


 苦々しげに呟くジェラルドに、この一文がなければ実際にそうなっていたのだろう、とディルはその身を震わせた。


「だが、何の理由もなくお主を処断すれば、それこそ他の貴族にその腹を探られる……つまり盟約違反が公になる恐れがある」


 大きくため息をついたジェラルドが、再びディルを睨みつけた。


「良いか。我々はこの提案をのまざるを得ん。だから、今後お主に議場での発言権など無いと思え」


 殺気すら込められたその視線に、ディルはただ黙って頷くしか出来ない。己の仕出かした事で、あわや内乱の危機を引き起こし、そしてその対価として傀儡になることを要求されたのだ。


 傀儡……ディルのようなプライドが高い人間にとっては、最も屈辱的な未来だろう。


「分かったなら今日はもう帰るといい。くれぐれも馬鹿な真似は起こすでないぞ。見張られていること、ゆめ忘れるな」


 それだけ言い残すと、ジェラルドは三つの手紙を回収し、ディルを残して議場を後にした。


 残ったディルは、今もまだ呆けたままで動き出す気配はない。そんなディルを迎えに来たのだろうか、一人の男が議場の扉を開いた。


「宰相閣下。お帰りの馬車が用意できました」


 その言葉でディルも「あ、ああ」と力なく頷きゆっくりと扉へ向けて歩き出す……そうして、扉をくぐり男の隣を通り抜けた時、


「ご心配されずとも、その時が来たら我らが女神の下へ送って差し上げましょう……それはもう


 底冷えのする声は、間違いなく暗部の関係者なのだろう。


 勝手に死ぬことも許されず、拠り所であった誇りを奪われ、そして最後には残忍な死が待っている。


 生き地獄とはこの事か、としか言いようがない状況に、「は、はははは……」とディルが壊れたように乾いた笑い声を上げた。


「はははははは………はははははははははは…………」


 その不気味に乾いた笑い声は、誰の耳にも届くことなく、静かな廊下に暫く響いていたという。




 ☆☆☆




「ただいま戻りました」


 ブラウベルグ侯爵邸の執務室、その扉を叩いたのはルシアン候の息子で、リズの兄でもあるセドリックだ。今回ルシアンの名代として、ハートフィールド家とのやりとりを仕切っていた人物でもある。


「戻ったか」

「はい。伯爵閣下より、父上に感謝の意を賜って参りました」


 微笑んだセドリックに、「卿は息災だったか?」とルシアンも微笑み返した。そうして二人である程度の情報を交換した後、ルシアンがおもむろに口を開いた。


「それにしても、中々面白い一手を打ったな」


 笑うルシアンに、セドリックが「父上の意に沿えたようで」と大げさに安堵のため息をついてみせた。


 そう、今回の騒動で最終的な絵を描いたのはセドリックである。


 元々ルシアンとハートフィールド伯爵の間で、他の領地貴族への伝達はしない旨で合意がなされていた。それをした所で、他の領地貴族へ怒りが広がり国内に混乱が走るからだ。


 無用な争いに、民を巻き込むわけがいかない。

 争いになれば、せっかく軌道に乗りそうな事業が滞る。

 事業が滞れば、迷惑を被るのはヴィクトール領でもある。


 どれも両家にとっては、避けたい事態だ。民を混乱に巻き込むことは言わずもがな、自分たちを信頼して事業をもちかけてくれた、他国の貴族への迷惑などもってのほかである。


 だから今回の事態は、内々で処理するつもりであった。だがディルを処断すれば、その理由を勘ぐられる恐れがある。


 別に放っておいても問題ない小者であるが、何かしらの意趣返しはしたい。そこで白羽の矢が立ったのが、ルシアンが認める息子のセドリックである。


 ルシアンは自身の後継者として、セドリックに政治的立ち回りを経験させようとしたのだ。その結果が、宰相ディルの顛末である。


 セドリックは宰相ディルを傀儡に仕立てる事で、相手の翼をもいだ。そしてそれと同時に、今後の事業の自由を認めさせるという事も忘れていない。


 だが真実は更に深い。


「傀儡も……ブラフだな?」


 ニヤリと笑ったルシアンに、セドリックが「おみそれしました」と目を見開いた後、笑ってみせた。


 ルシアンやハートフィールド伯爵にとって、中央への意見など最早どうでもいいのだ。それよりも、傀儡だと思わせておいて宰相という一枠を完全に潰してしまう方が都合がいい。


 傀儡とバレている人間を、操るなど愚の骨頂。相手にこちらの手札を見せるような物だ。だが傀儡と思わせておく事には、効果がある。


 傀儡と思わせておけば、宰相に発言権など与えられないだろう。実権のないハリボテが、宰相の椅子を埋めてくれるのだ。実質宰相が不在と同義。これ程都合がいい事はない。


 仮に宰相の首をすげ替えても、中央がまた盛り返すのを手伝うだけとも言える。


「潰す時は、一気に潰すに限るからな」


 窓の外を見るルシアンの瞳には、見えぬはずの王宮が確かに映っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る