第25話 王国政府〜ワイスマン侯爵家の誤算〜

 ※ヴィクターの名前をダリオへ変更しています。ランディの実家ヴィクトールとヴィクターを私が混同してまい、読者の方へご迷惑をかけまったことに起因しています。


 この度はご迷惑をおかけしました。


 またアドバイスを頂いた読者様、この場を借りてお礼申し上げます。




 ☆☆☆




 その日、ワイスマン侯爵家の当主であるディル・ワイスマンはすこぶる機嫌が悪かった。その理由はもちろん……


「田舎ネズミ風情が!」


 ……ハートフィールド伯爵家から届いた、進行中の婚約を白紙に戻すという手紙のせいだ。苛立ちを隠さない宰相ディルが、届いた手紙を思い切り投げつけた。


 だが相手は手紙だ。


 勢いよく飛んでいくことなどなく、ヒラヒラと中途半端に飛んでいく様子が、更にディルの気持ちを逆なでする。まるで、今しがた――手紙が軽すぎて――痛めてしまった肩すら、小馬鹿にされているかのようで。


 肩を抑え、床に落ちた手紙をこれでもかと踏みつけたディルが、控えていた使用人に「ダリオを呼べ!」と怒声を上げた。


 使用人が慌てて部屋を出ていき、ディルは乱れた前髪を後ろへ強くなでつけた。気持ちを落ち着かせるように、執務用の椅子に座ったディルであるが………結局苛立ちが収まることはなく、しきりに指で机を叩いている。


 トントントントン……小刻みに叩かれる机が上げる音が少しずつ大きくなった頃、


「父上、お呼びでしょうか?」


 扉の向こうからダリオの声が聞こえた。


「入れ」


 短く叫ぶディルの言葉に、躊躇いがちに扉が開き、強張った表情のダリオが顔を見せた。ダリオ自身、まだハートフィールド家からの手紙のことを知らないのだろう。


 怖ず怖ずと部屋へ入ってきたダリオに対して、ディルは充血した瞳で口を開いた。


「ダリオ。セシリア嬢とは上手くやっていると聞いていたが?」


 顔をしかめるディルを前に、ダリオは「はい」と躊躇いなく頷いた。


「ならばその手紙はなんだ!」


 ディルの怒声に肩を跳ねさせたダリオが、床の上でクシャクシャになった手紙を拾い上げた。


「ハートフィールドの田舎ネズミから、お前の素行不良を理由に婚約の話を白紙に戻すと書いてあるだろう」


 怒りで声を震わせるディルに、ダリオもただただ頷くしか出来ないでいる。


「お前が聖女殿と懇意にしているのは知っている。だが、火遊びがしたいなら、自分の女をしっかり躾けておけと言っただろう」


 何とも論点がズレた怒りだが、実際にディルも正妻以外の愛妾を別宅に住まわせている。親が親なら子も子である。


「しっかりと立場を教えぬから、こうして手を噛まれる事態になるのだ」


 鼻を鳴らしたディルが、ダリオを睨みつけた。


「私の言わんとすることが分かるな?」

「……はい」

「ならば、行け。田舎娘に、己の立場を分からせてこい」


 頭を下げて部屋を後にしたダリオの背中に、ディルはもう一度鼻を鳴らした。


「全く……古臭い家は、プライドばかり高くて困る」


 苦々しく呟いたディルが、天井へ向けて「誰かいるか」と声をかけた。すると音もなく天板が一つ外され、真っ黒な服に身を包んだ人影が降りてきた。


「ハートフィールド家を調べてこい」

「……よろしいので? 領地貴族への無用な詮索は、盟約によって禁止されているのでは?」

「構わん。外国へ食肉の横流しが疑われている。そうでなくては、奴らが補償金を蹴るとは思えん」


 鼻を鳴らしたディルに、「で、あれば」と黒い影はその姿を消した。


 ディルが派遣したのは、王国の闇を司る暗部だ。諜報、暗殺など中央の意に沿わない者を、始末してきた王国の影の部分でもある。だが、そんな暗部と言えど、領地貴族の所領には、簡単に立ち入ることが出来ない。


 古い盟約により、領地貴族はある程度の自治が認められているからだ。


 それでも例外が認められるのが、王国への謀反の意思が確認された場合である。


 例えばセシリアの実家であれば、王国のために作っている食肉を、王国の許可なく外国へ輸出する事は、弱いながらも謀反の疑いとして突いても問題はない。とは言え、本来であれば暗部を送るより前に、必要な手続きがあるのだが……


 確実に横流しをしていると疑っているディルは、犯行現場を抑えられるから問題ないと考えている。そんな事実は無いとも知らずに。


 この傲慢さを持つディルが、それでもハートフィールド家にこだわるのは、やはり歴史の重さが大きい。他の領地貴族も名門と言えど、建国以来続くハートフィールド家に比べると、歴史という点で少々劣るのだ。


 出来ればハートフィールド家が良いという固執。

 それを実現させるだけの力があるという傲慢。


 その固執と傲慢が、己が身を滅ぼすとは気が付かず、ディルはついに最後の一歩を踏み切った。


「我々に歯向かうことが、愚かなことだと分からせねばならん」


 ペンを取ったディルが、ハートフィールド家に向けて手紙を書き始めた。内容はもちろん、婚約の予定を覆すならば、補償金の打ち切りをするという強気の内容だ。加えて今、翻意するなら色々なことを水に流すと含みまで持たせて。


 ディルは暗部を調査には出したが、どうせ食肉の横流しだとタカを括っている。だからこの最後の一文が、彼らへの決定的な脅しになると信じている。


 それは、領地貴族同士が、婚姻関係もなく手を結んだ歴史がほとんど無いからだ。まさか、ハートフィールドの背後にブラウベルグがいるなど思いもしない。ましてや、食肉ではなく、美容品を作って利益を上げようなどと、考え付きもしない。


 今までこうだったから、今回もそうだろうという先入観。

 この期に及んで、自分たちの方が立場が上だという傲慢。


 だからこの手紙は、ディル達ワイスマン侯爵家から、セシリア達ハートフィールド家への最後通牒のつもりなのだ。それがどんなに愚かな行為かも分からず。


 その思い上がった傲慢は、既にハートフィールド家にとって何の圧力にもならない事を、ディルはまだ知らない。


 ランディの提唱した三家連合での美容液生産に、侯爵家が最大限の支援を申し出た。既に国からの補償金など比べ物にならない金額の投資が決定し流れている。


 しかもフローラ夫人の鶴の一声で、ルシアン候ですら認める天才、セドリックが動いているのだ。


 それが示すのは、長い事商いで最前線を走ってきたルシアンが、「儲かる」という太鼓判を押した事の証左である。補償金を使った脅しなど、既に何の効果も持たない。それどころか、ありもしない罪で暗部まで派遣したのだ。


 脅しをかけるタイミングも。

 脅しのかけ方も。

 脅す相手も。


 全てが間違ってしまった結果は、火を見るより明らかであろう。


 ディルがすべきであった事は、ただ一つ。己の息子を叱責し、家としての関係を続けるために、誠心誠意ハートフィールド家に息子の不義理を謝るべきであった。


 だが彼は選択肢を間違えた。


 もしここでディルが平謝りしていれば、歴史は変わったかもしれない。だが彼はその傲慢さを持って、ハートフィールド伯爵家を軽んじたのだ。この一手により、セシリアの実家ハートフィールド伯爵家は、完全に王家を主体とした中央政府へ反目することとなる。


 中央政府へ反目する名門が二つ……正史では絶対に手を組むことが無かった両家は、ランディという特異点を介して出会ってしまった。


 しかもビジネスだけでなく、政府に対する不満をも共有する形で。


 ディルが自分の過ちに気がつくのは、もう取り返しがつかなくなってからだ。




 ☆☆☆





 ディルからしっかりしろと言われた次の日、ダリオはセシリアを呼び出していた。


「ダリオ様、もう婚約の話も無くなった私を気軽に呼び出されては困りますわ」


 眉を寄せるセシリアを前に、ダリオは鼻を鳴らしてセシリアを睨みつけた。今まで少しだけセシリアに遠慮があったダリオだが、父親ディルに言われたのだ。「分からせてこい」と。その言葉がダリオの傲慢を突き動かす。


「僕はそれに同意した覚えはないが」


 まるで子どもの駄々だ、とセシリアは呆れたため息をついた。家同士の話に発展したものが、当人が納得するしないで覆る訳が無い。


(本当に残念なお方。これが本質だったんですわね)


 セシリアは呆れた顔で、黙ったままダリオを見ていた。


 ダリオ・ワイスマンは幼い頃から、神童と呼ばれる子供であった。


 正史においても、今の世界線においても、ダリオは正妻と父との間に生まれた嫡男として、大きな期待を背負って成長してきた。


 父や母からは甘やかされ、欲しいものは全て手に入った。


 ダリオは父を尊敬している。常に堂々と、他人に指示を出す父を見て、いずれは自分もそうなるべきだと疑わなかった。その結果生まれたのが、ダリオ・ワイスマンというプライドの塊のようなモンスターだ。


 プライドだけが高く、周りを蔑み周囲に馴染めない。それがキャサリンと出会う前の、ダリオ・ワイスマンである。


 正史においては、そんなダリオのプライドをキャサリンがゆっくりと溶かしていく事になる。


 特にダリオ、逆ハー共通ルートではそれが顕著である。婚約者候補とギクシャクし、上手くいかないダリオを見かねたキャサリンが、お節介を焼き始めるからだ。


 婚約者候補を振り向かせるため、少しずつ変わろうとするダリオ。

 それに協力するキャサリン。


 そうしてダリオという青年は、キャサリンの愛の力でプライドが高いだけの男から、誇り高く思慮深い青年へと成長するのだ。


 それが今は、鬱屈したプライドだけが膨張し、自身ですらコントロール出来ぬほど、その歪んだプライドに支配されている。


 キャサリンというモンスターと、それに群がる他の男たちとの相乗効果だろうか。正史であれば、切磋琢磨すべき友人たちのはずだが確たる原因までは分からない。


 とにかくそうして生まれたダリオ・ワイスマンは、確実に正史とは全く違う人間である。それどころか、日を追うごとにその歪は大きくなっている。


 事実今セシリアの目の前には、あの日「婚約するならば、少しでも支えよう」と思えたダリオの姿はなかった。


「明日のパーティに同席すれば分かる。僕がどれだけ君に相応しい男かが」


 虚勢を張るように、ただ偉そうに腕を組んで、セシリアを睨みつけるダリオ。そんな彼を前にセシリアはもう一度大きくため息をついた。


「申し訳ございませんが、午後から始まる休日は友人と過ごすので」


 それだけ言うと、セシリアはダリオへ優雅なカーテシーを見せて背を向けた。


「待て」


 歩きだすセシリアの背中にダリオが声を掛ける。とりあえず無視するわけにはいかないセシリアが、ため息交じりに「何でしょうか?」と振り返った。


「僕が誘ってるんだぞ? 僕のパートナーを務めさせてやると言ってるんだ」


 あまりにも傲慢なその発言に、セシリアは思わず笑い声をもらした。


「ごめんなさいな。私、あなたに何の魅力も感じませんの」


 小馬鹿にしたようなセシリアの笑みに、ダリオが初めてムッとした表情を返した。


「後悔する事になるぞ」


 凄むようなダリオの声だが、セシリアは眉一つ動かさない。その冷静な態度がまた気に食わなかったのだろう、ダリオがセシリアを強く睨みつけた。


「いずれ君の家は耐えられずに我が家に屈する事になるはずだ。その時、今日の態度を後悔することになるぞ」


「そんな日が来ると良いですわね」


 薄ら笑いを浮かべたセシリアが、再びダリオに背を向けて歩きだした。途中何かに気が付き立ち止まったセシリアが「ああ、そうそう――」とダリオを振り返った。


「パーティでしたら、お気に入りのエヴァンス嬢でもお連れになってはいかがです? お似合いだと思いますわ」


 それだけ言うと、本当に何も言うことはないとセシリアはダリオを残してその場を去っていった。


「……言われずとも、最初からそのつもりだ」


 強がりなのか、それとも馬鹿なのか。吐き捨てたダリオが拳を握りしめセシリアの去っていった方向をいつまでも睨みつけていた。



 ちなみにその日の午後、ダリオからパーティに誘われたキャサリンはと言うと……


(ええ? イベント通りに事が進んだんだけど)


 ……本来の流れとは違うのに、ダリオイベントの一つであるセシリアの代打が始まった事に糠喜びをしていた。

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