第20話 人の縁は何より大事

 スライム製保湿剤を手に入れた三人は、それをベースに様々な美容液の試作を繰り返していた。化粧水のようなタイプは試作品も完成し、既にランディを被験者とした人体実験に入っている。


 だが、潤いをカバーするような乳液タイプのものが上手く行っていない。


 それにランディが目標としているのは、前世にあったようなオールインワンタイプだ。イメージとしては、少し粘度の高いローション若しくはクリームのようなオールインワンなのだが……試行錯誤を繰り返しても、望むような効果は得られていない。


 加えてメイドに頼まれたハンドクリームもある。乳液とオールインワンとハンドクリーム。この三つの試作は、中々上手く行かず、端的に言って行き詰まっていた。





「……トール」


(うーん。あとちょっとな気がするんだが)


「ンドルフ・ヴィクトール!」


(水分だけでなくて油分も……)


「ランドルフ・ヴィクトール!」


 教官の声と、隣のリズがランディの脇を突いたのはほぼ同時であった。思考の海から戻ってきたランディが、「はい」と立ち上がるが、何のことだか分かっていない。


「中興の祖と言われる、カール三世の最も有名な功績を答えよ」


 眼の前で教科書を片手に苛立つ教官は、間違いなくご立腹なのだろう。何も聞いていなかった以上、分かるわけがないのだが、隣からボソボソっと「中央貴族です」とリズのトスが上がった。


「中央貴族です。役人の一部を中央貴族として召し抱える事で、彼らのやる気と忠誠心を引き上げました」

「……よろしい」


 鼻を鳴らした教官が「座りなさい」とランディに着席を促して、授業を進めだした。


「……このように、中央貴族を――」


「スマン。助かった」

「しっかりして下さいよ、ご主人さま」


 ジト目だがおどけるリズに、頬を掻いたランディは一先ず授業に集中することを決め、面白くもない授業へと意識を傾けるのであった。




 ☆☆☆



「ランドルフ様、今日はいつにも増してボーっとしておりましたわね」


「いつにも増してって……」


 口を尖らせるランディだが、流石に相手が相手なのでそれ以上は突っ込めない。なんせ今は恒例となりつつあるセシリアとの昼食中である。


「どうせ試作品の事でしょう?」


 ため息交じりにリズに、「まあな」とランディが肩をすくめて見せた。


「私的には、問題ないと思いますが……特に手荒れが酷いとかありませんし」


 口を尖らせたリズが、ランディの手をフニフニと突いている。確かにリズの言う通り、人体実験中のランディの手に問題は見えない。それどころか、スベスベしている感すらある。だが、ランディは納得いかないと首を振った。


「今は未だ暑いからな。乾燥する時期になれば、あの水っぽいやつだけじゃ絶対にカバーしきれん」


「そう、なんですか?」


 未だランディの手をフニフニするリズに、「貴方がた、本当に婚約してませんの?」とセシリアは苦笑いだ。ようやく自分の行儀の悪さに気がついたリズが、顔を赤らめて手を引っ込めた。


 思えばここ二日ほど、ランディの手を何度も握ったりしていたのだ。試作のためと思っていたが、思い出してみたら赤面ものの行動に、リズは赤い顔で俯いてしまった。


「良く分かりませんが、世に出しながら改良していっても良いんじゃありませんこと?」


 ため息交じりにティーカップを傾けるセシリアに、「そういう場合もあります」とランディが頷いた。実際馬車のサスペンションに関しては、そのやり方だ。取り敢えず走らせてみて、その都度改良していくという形である。


 いわゆるPDCAサイクルを回す上で、取り敢えず出してみるというのは有益な方法ではあるが、今回に関してだけはランディがその手法を取る予定はない。


「取り敢えず走らせてみる……でも良いんですが、これに関しては出来るだけ良いものを出したいんですよ」


「意外に慎重なんですのね」


 肩をすくめたセシリアに、「意外に、は心外ですが」とランディが苦い顔を返した。


「商品の性質上、戦略が必要なんです」


 頬をふくらませるランディだが、実際は個人的な事情が少なくない割合で含まれている。とは言え、戦略的にまだ出せないのは事実だ。


「明日は休みだし、ダンジョンで色々な魔獣でも狩ってみるか」


 本来なら初めて来る休みに、ヴィクトール領へと帰る予定であった。だが今回はそれを延期して、ダンジョンへ潜ろうという事だ。


 端的に言えば、サンプルを増やすための素材集めである。


 どうせ今帰った所で、やれる事は殆ど無い。父アランに必要な事は伝えてあるし、何より今の状況で帰れば母グレースと妹クラリスからの質問攻めに遭う未来しか見えないのだ。


 であれば、彼女たちからの口撃を少しでも躱せるよう、手土産の一つでも持っていくべきだろう。


「ダンジョンと言えば、学期末に希望者を募ったダンジョン演習がありますわね」


 思い出したように手を打ったセシリアが、「私は興味がありませんが」とティーカップを優雅に傾けた。


 どこか不機嫌に見えるセシリアを前に、ランディはリズと顔を見合わせた。あまり突っ込める雰囲気でもないが、そこを突っ込むのがランディという男である。


「セシリア嬢は、ダンジョンに恨みでもあるんですか?」


 ランディが発した言葉にリズが目を見開き、セシリアも驚いたように、ランディを見ている。完全に地雷を踏んだ空気に、リズが「ランディ……」と非難めいた視線を向けた。


「何でだよ。良いだろ? 触れてほしくねーなら、口にしなけりゃいい」


 鼻を鳴らしたランディに、「フフフ」とセシリアが思わず、といった笑みを返した。


「確かに、ランドルフ様の仰るとおりですわ」


 そう頷いたセシリアが、居住まいを直した。しばし流れる沈黙を破ったのは、「エヴァンス嬢を……」と言うセシリアの小さな声であった。


「……ご存知でしょう?」


 キャサリンを知っているか、というセシリアの言葉にランディは(え? エヴァンスって誰?)と絶賛混乱中である。


 キャサリンという名前すら覚えていないのに、ファミリーネームなど覚えている訳が無い。助けを求めるようにリズを盗み見たランディに、リズは呆れたような顔を浮かべてみせた。


 普段ならばそれに「いや、名字とか知らねーし」と口を尖らせるランディだが、今日のランディは冴えていた。リズがそんな顔をするということは、リズとランディにとって共通の知人であるはずだ。ランディとリズが共通して学園で知る人物は、セシリアを除けば一人しかいない。


 本気で分からなかったランディだが、脳みそが高速回転した事で弾き出された答えが……


「聖女……だよな?」


 ……一応の正解であった。


「はい。キャサリン・エヴァンス嬢。聖女であり、あの日殿下とともにリザを断罪した方です」


 淡々と語るリズの表情からは、彼女の感情を読み取ることは出来ない。無表情のリズの言葉を、今度はセシリアが引き継いだ。


「あの日、エヴァンス嬢と殿下の後ろに、複数の男子学生がいた事を覚えていますか?」


 セシリアの問いかけにランディは黙って頷いた。確かに馬鹿二人の後ろに、その仲間と思しき連中がいたのは間違いない。


「その中の一人に、私と婚約の話が進んでいるダリオ様がいらっしゃるのです。宰相ワイスマン侯爵家子息、ダリオ・ワイスマン様が」


「それがダンジョンと何の関係が?」


 眉を寄せたランディに、セシリアが「確かにこれだけでは意味不明ですわね」と苦笑いで頬を掻いた。


「エヴァンス嬢と仲良くなり始めてから、ダリオ様の様子がおかしいのです」


 そう切り出したセシリアが教えてくれたのは、ダリオ侯爵子息の変化であった。


 元々尊大な態度のダリオであったが、その態度の源泉は、彼の持つ頭脳であった。学年でもリズに匹敵する学力を有し、最年少で魔術論文を発表する程の頭脳だ。


 だが最近は違うのだという。


 自分なら出来るはず、と良く分からない理論で他の取り巻きと一緒にダンジョンへと潜り、その魔法の技能を実践で磨いているのだそうだ。それだけでなく、二学期からは苦手としていた剣技すら履修して訓練しているというのだから、変貌ぶりは中々のものだろう。


「私自身、ダリオ様に思い入れはありません。まだ婚約予定ですし。それでもエヴァンス嬢の影響を多分に受けて変わっていくのは、気持ちが良いものではありませんわ」


 何とも言えないセシリアの表情に、ランディも何とも言えない感想を抱いていた。


(なんつーか……)


 夏休みに、派手なギャルに引っかかった、真面目な生徒の変貌を見ているようなのだ。


(恋は麻疹。で済みゃいいが、乙女ゲーとなるとなー)


 思わず遠くを見たランディの感想通り、ダリオ青年がキャサリンの呪縛から解き放たれる可能性のほうが低い。


「セシリー、私達に出来る事はありますか?」

「そのお気持だけで、嬉しいですわ」


 微笑んだセシリアが、「そろそろ午後の授業に行きますわ」と立ち上がった。その後姿をリズは心配そうに見守っている。遠くなっていく背中と、心配そうなリズを見比べたランディが、ため息交じりに口を開いた。


「リズ、お前は明日休め」

「はい?」


 呆けるリズに、ランディは遠くなっていくセシリアの背中を顎でしゃくった。


「折角なら友人とゆっくり休日を過ごしてこい」

「ですが、ランディは?」

「俺は一人でも問題ねー」


 ランディがテーブルに硬貨を置いた。


「心配すんな。俺が帰ってきてから、クラフトで存分に働いてもらうからよ」


 照れ隠しで視線を逸らしたランディが、「だから早く誘ってこい」ともう一度セシリアの背中を顎でしゃくった。


 何ともランディらしい態度と発言に、リズが「感謝します」と頭を下げて、小走りでセシリアの背中を追いかけていった。


「ったく……世話の焼ける従者だな」


 格好つけて独り言ちたランディが、リズを待つために背もたれに身体を預け――たかと思えば、弾かれたように立ち上がった。


「危ねー。俺も今日は午後があるんだった……つーか遅れるじゃねーか!」


 リズやセシリアを追いかけるランディの視線の先には、並んで歩く仲が良さそうなリズとセシリアが映っていた。

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