第13話 王国政府〜一通の手紙〜
その日、アレクサンドリアの王宮はいつになく緊迫した空気が流れていた。
王宮務めの官僚はもちろん、メイドや下男といった使用人にいたるまで、誰も彼もが王や大臣達の一挙手一投足に注意を払っていた。なぜなら、今日の彼らは
国の重鎮たちの機嫌が悪い理由は、昨日王立学園に届いた書簡のせいである。王国の北に位置するハイランド公国の辺境より届いた書簡。そこに記されていたのは……
『貴国が追放せし元侯爵家長女、旧名エリザベス・フォン・ブラウベルグを、我が子ランドルフ・ヴィクトールの留学補佐の侍従として帯同することを許されたし』
……国外追放に処したエリザベスの、一時入国を求める内容であった。
本来であれば「馬鹿な」と一蹴するべき申し出ではあるが、それが簡単ではないからこそ、国の重鎮たちは苛立ちを隠せないほどピリピリしているのだ。
そうして苛立ちを覚えながらも、王を始めとする国の重鎮たちが広い会議室に集まった。
「さて、皆分かっていると思うが……昨日、学園にこのような書簡が届いた」
切り出したのは、この国を統べる王にしてエドガー王太子の父、ジェラルド・ロア・アレクサンドロスだ。王が忌々しげに放り投げた書簡を、近くにいた男が拾い上げ、そうして回し読みをするように書簡がそれぞれの手に渡っていく。
「国外追放したものを、再度入国させるなどありえない話ではないですか?」
「何を言う。国外追放から
誰かが発した正反対の言葉に、周囲からは「そうだ」「そうだ」とどちらにも同意の声が上がっている。
「皆の言いたいことは分かる。分かるが――」
「仔細は私から説明いたしましょう」
王の隣に控えていた髭面の男――宰相ディル・ワイスマン――が、一歩前に出た。
「今回、件の所領からは王立学園だけでなく、我々王国政府へも書簡が届いている。内容は――」
そうして宰相ディルが、胸元から数枚の書簡を取り出した。
「内容は、保護した令嬢に籍を与えた事……これは公国の了承印もあるので間違いない。そして、この一枚が問題だ」
苦々しい顔で宰相ディルが一枚の書状を、皆に見えるように開いた。そこに認められていたのは、
『寛大かつ
という一文だけだ。しなやかで上品さの中に力強さを感じる文字は、たった一文だけだというのに、妙な圧力を感じさせる。
とは言えこの場に集まっているのは、海千山千の政治屋集団だ。書状の放つ圧を感じつつも、その抽象的な内容に眉を寄せていた。
「なるほど『寛大』か。確かに罪を償った人間を受け入れる度量を見せるべきだろう」
「馬鹿な。小国の、しかも木端貴族の言うことを聞くというのか?」
「だが魔の森だぞ? それを生き延びたのだ」
彼らの意見が真っ二つに割れる理由は、国外追放という処分の内容のせいである。
アレクサンドリア王国が定める国外追放の方法は……
一つ、王国籍を剥奪すること。
一つ、その旨を国民全体に周知すること。
一つ、追放先の国家へ周知すること。
一つ、国外へ追い出した時点で罰は完了すること。
……つまり国外へ放りだした時点で、エリザベスは罪を償ったことになり、それ以上の罰を与える事は出来ない。
法律通り解釈するのであれば、
「罪を償った上、もう国民でもないのだから、一時滞在くらい許せということか? 下らん!」
こんな言葉が噴出し、「屁理屈ではないか」と方々から声が上がる事となる。実際に屁理屈以外の何物でもないが、法律にはその後の処分について書かれていないのも事実だ。
「なぜこんな穴を放置していたのですか?」
視線が一人の男――法務卿レナード・ロウ――へと集まった。
「そもそも、再入国など
苦虫を噛み潰したような法務卿レナードの言う通り、過去に数回しかなかった国外追放では誰も彼も戻って来ることは無かったのだ。
それは何故か……
国外追放をする際には、必ず王国籍を剥奪することになる。剥奪されるのは国境での手続きを持ってであるが、国外へ出る時その罪人は、一時とは言え当該国で保護されるまでは無国籍となるのだ。
国籍とは、もちろんその国の国民であるという証左であるが、この世界ではそれだけではない。国がその人間の出自を保証するとと同時に、法の下に管理しているという証でもある。
『法の下に管理』と言うと、悪く聞こえるが、国民にとっては悪い事ではない。国が身分を保証している限り、法の下で平穏を享受できるのがこの世界の国籍である。
国籍が無いものは、国の法の保護下にないとみなされる。つまり、無法者相手に何をしても許されるという超解釈が許されている。
分かりやすく言えば、国籍は人権を保護してくれていると言えるだろう。
国籍を剥奪される、イコール人権を奪われると同義の人間が行き着く先はどうなるか……推して知るべしだろう。
国外追放とは言うが、実際は自国で処刑するには反発が大きい人間を、体よく処刑するためのシステムにすぎない。
だから再入国を禁止する旨など、法律に入れる必要が無かったわけだ。
故に、その地獄を乗り越えたエリザベスに対して、
「だから言ったではないか。国外追放を乗り越えたのだ。罪を償ったと認める度量が必要だ」
と擁護する声が上がるのも無理からぬことだ。
「なるほど、貴公の言い分は分かるが……なぜ今回に限って襲われなかったのだ?」
「今回に限り、公国側に追放の通知をしていないからですよ」
もっともな疑問に答えるのは、またしても法務卿レナードだ。本来ならば必ず追放先の国へ周知する慣例を、今回に限っては行わなかったのだ。
普通なら周知された情報で、国境付近にはそれを目的とした野盗の類が集まる。一般人なら知らない事でも、犯罪を飯の種にしている連中には周知の事実だ。なんせノーリスクで襲える相手が来るのだ。逃さない手はない。
王国の国外追放者には何をしてもいい、と。言わば彼らは処刑人の代わりである。
だが今回は周知していなかった。もちろん噂は広がっていたが、国境のどこを超えるかも不明な上に、流石に野盗も魔の森まではカバーしきれなかったと言える。
「なぜ、公国へ通達をしなかったのだ?」
そこかしこから上がる声に、宰相ディルが大きくため息をついた。
「そこに、『
苦い顔をした宰相ディルが、今回の国外追放にはキャサリンを聖女認定した聖教会が関わっている事を話し出した。
初め聖教会は、聖女への非礼の数々および傷害は女神への冒涜だ、とエリザベスへの極刑を求めてきていた。
しかし王国としては、いかに聖女と言えど学生同士のいざこざ程度で極刑になど出来ない。そこに「王太子が国外追放と言っていたぞ」と突っ込まれたのだ。
もちろん王国政府も最初からこれに肯首したわけではない。
その理由は
国外追放でも結果はほぼ極刑とかわらない。つまり処分としては重すぎるということ。
そして、どうしても聖教会に屈したように見えてしまうこと。
王国政府に対して、聖教会が口出し出来ると思われるのは王国側としては何としても防がないといけない事態だ。
加えてエリザベスの実家、ブラウベルグと同じ領地貴族の一部からは、「子どものいざこざで、国外追放か?」とかなりの不満が上がっていた。
とは言え、国教に指定している聖教会との関係悪化は避けたい。
そこで彼らが捻り出したのが、国外追放っぽい「何か」だ。
公国へ周知をすれば、それ即ち極刑と変わらない。そうなれば領地貴族からの反発は大きくなる。「政府は教会に屈するのか」と。
とは言え、口頭注意程度では教会の怒りを収められない。
周知しない事は、聖女の慈悲として教会を立てつつ、領地貴族へは周知もせず、ちゃんとした護衛をつけて安全に国外へと送り届けると話す。
だがそこにもう一つの思惑が紛れ込んだ。ブラウベルグ家を危険視する人物たちの思惑だ。
これを機に、ブラウベルグ家の力を削ぎたい人間たちが、行き先を魔の森へと設定し、素行の悪い護衛もつけた。まさに死人に口なし、という悪行だ。
そしてこれらを積極的に推し進めたのは、
宰相ディル。
法務卿レナード。
の二人である。中央にまで力を伸ばしてきたブラウベルグ家に、二人は脅威を感じていた。そしてそれは王家も同じである。
王太子の婚約家。であれば、と自分が財務卿に任命したにもかかわらず、その辣腕とブラウベルグ領の精強さは王をしても脅威を感じる勢いだったのだ。
――このままでは、アレクサンドロス家は乗っ取られる。
そんな焦燥に、キャサリンや宰相達の悪魔の囁きは響いたのだろう。エリザベスを利用すれば、ブラウベルグの力を削ぐきっかけになる、と。
彼らからしたら、渡りに船の事件であったそれは
教会への忖度。
領地貴族の不満。
みっともない虚栄心。
そしてブラウベルグへの脅威。
それらが複雑に絡み合い、追放劇のふりに見せかけた、処刑へと変貌したのだ。
そんな馬鹿馬鹿しい内容を、仔細は濁しつつ説明を終えた宰相ディルが、もう一度ため息をついた。
「つまり教会と領地貴族、その両者を納得させるため、安全な国外追放を装う事態になったわけだが……」
この期に及んで、追放を装ったと保身に走る宰相ディルだがそれに気がつく者はいない。
「形だけでも刑を執行した以上、あの屁理屈を受け入れないならば、我々王国は教会に支配されている、と見られるわけですな」
その言葉に宰相ディルが苦々しげに頷いた。ここで断れば、大臣の言う通りの印象を諸外国へ、そして領地貴族へ与えかねない。
教会に屈しない『独立した』政府として、法律に則った『寛大な』処置を。
あの一文が示していたのは、まさにこの事である。
「それで、王よ。どうなさるおつもりですか?」
全員の視線が王ジェラルドへと注がれた。
「どうもこうも、受け入れる他あるまい」
苦々しげに呟いた王の言葉に、議場が大きくザワついた。
「法律にも記載はなく、相手は既に罪を償った上、しっかりと外国籍まで取得している。言い方は悪いが、ただの小娘一人受け入れられないなど、度量の狭い事は言えまい」
疲れた顔で顔を覆う王ジェラルドに、「教会はいかが致します?」と声が響いた。
「そもそもが追放自体、教会へのパフォーマンスなのだ。それを執行した以上、教会に四の五の言われる筋合いはあるまい。逆にこの一手が、教会への牽制にもなろう」
頭を抱えた王ジェラルドが更に続ける。
「王国は神が認めし法の下、全てに平等だ、と」
王ジェラルドが言っているのは、王国法への共同調印に聖教会が信奉する神の名前があることだ。彼らの神もこの法律を認めている以上、法に則った処分に文句は言わせない。王国は教会ではなく、神が認めた法に従うぞという牽制だ。
「とは言え聖女への接近禁止令くらいは出しておけ。それこそ彼女が罪を犯したとて、その最終的な責任は公国だ」
最後の最後で保身に走った王ジェラルドの言葉に、議場から納得の声が上がり始める。国内で重罪を犯した外国籍の者は、当該国との取り決めで大体が強制送還だ。
そうなったら、あとは公国と教会の問題だ。自分たちには関係ない、と分かった瞬間、彼らの議論は一気に終点へとたどり着いた。
「それではヴィクトール領、エリザベスの一時入国を許可する」
☆☆☆
「実に面白い男であったな」
馬車に揺られるルシアン候が、窓の外に流れるヴィクトール領ののどかな風景に頬を緩めた。
「ランドルフくんですか? 確かに面白い青年でしたね」
同じ様に窓の外を見るフローラ夫人に、ルシアンは「フッ」と小さく笑った。
「ランドルフくんも面白かったが、父君であるアラン・ヴィクトール卿も、な」
窓の外を見たままのルシアンは、アランとエリザベスの入国について議論を交わした事を思い出している。
(私の集めた情報で、あそこまでの予想を立てるか……)
もちろんルシアンとて、大方の予想をしていたが、それは彼が王国政府という物を知っているからだ。それを知らないアランが、ルシアンを超える予想を立て、その突破口を示した事に、ルシアンは驚きを隠せないでいた。
(まさかこのような辺境に、あのような傑物がいるとはな)
「世の中、まだまだ捨てたものではないな」
楽しげに笑ったルシアンの視線の先には、収穫が始まった畑が映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます