第9話 ランディ、後ろ後ろ

 ランディが冒険者と会っていた頃、エリザベスは両親と久々の語らいを楽しんでいた。


 初めこそ難色を示した彼女だが、両親の思いを知り、自分だけが責任を取ろうとしたことに今は申し訳無さすら感じていた。


(もし、ランドルフ様が連絡を取ってくれなければ……)


 両親の話を聞くに、侯爵家の怒りは凄まじく、王家を始めとした中央貴族へ反旗を翻す可能性も合ったほどだ。己の選択一つで、大事な家族を反逆者にしたかもしれない。その事実はエリザベスを震えさせ、同時にそれを防いだランディへの感謝は大きくなった。


 ――あなたは世界に捨てられてなどいない。そして、あなたもまた、世界を捨ててなどいない


 思い出されるのはランディの言葉だ。


 確かにランディの言う通り、エリザベスの世界家族は彼女を捨ててはくれなかった。そしてまたエリザベス自身も世界家族を捨てる事は出来なかった。


 見透かされていた事への恥ずかしさと、それを超える感謝を胸に、エリザベスは両親と静かな会話を楽しんでいた。


 心配をかけた両親への謝罪。

 元気でやっていること。

 そして一番大事なエレオノーラのこと。


 エレオノーラの事には驚かれたが、両親へ挨拶をした彼女はエリザベスをどうこうするつもりはない、とエレオノーラの名に誓って約束してくれていた。


 エレオノーラというイレギュラーを何とか両親が受け入れた頃……


『ハリスン! 俺の木剣を持って来い!』


 屋敷全体が揺れているかと思うほどの、大声が響いた。


 間違いなくランディが発した声に、すわ何事か、とエリザベスと両親が応接室から飛び出したその時……


 隣の部屋から同じ様に顔を出したアランと目が合った。


「お、お気になさらずに」


 引きつった笑顔のアランに、「いえ、ただ事ではありますまい」とエリザベスの父――ルシアン候――が、首を振って廊下へと出た。


 諦めたように肩を落とすアランについていく三人は、途中で音もなく現れたキースも一緒に、屋敷の正面扉から外へと出た。


 そこでエリザベスが見たのは、冒険者と思しき男と睨み合うランディの姿であった。




 ☆☆☆



 時はしばし戻り……



「若、と言うのはランドルフ様のことであっていますか?」


 その妙な呼び名に、ランディは思わず振り返った。視線の先にはこっそり逃げようとするハリスンの背中だ。


「おい、何処に行く?」


 底冷えするランディの声に、ハリスンが「いえ、ちっとお手洗いに」と残して全力で駆けていった。


「ンの野郎……」


 つぶやくランディを前に、イアンが小さく息を吐き出した。


「我々は道中、ハリスン殿から散々聞かされていました。『ウチの若は鬼のように強い』と……」


 細められたイアンの瞳に浮かぶのは『興味』の二文字だ。とは言え、それにランディが答える義理はない。


「ハリスンが嘘をついただけですよ」


 肩をすくめて回れ右するランディの背中に、「いいんですか?」とイアンの挑発的な声が響いた。


「何が、でしょう?」


 前にもあったな、と思いつつ振り返った先にいるのは……可憐な女性ではなく年上の冒険者だ。


「ここで貴方が退けば、『ヴィクトール家は腰抜け』とあらぬ噂を立てられるかもしれませんよ」


 ニヤリと笑った男にランディは、若干の理解とそれを超える面倒くささを感じている。


(煽るほど興味がある、ってか)


 強さへの渇望は、ランディとて覚えがないわけではない。だからイアンが固執する理由も分かるし、何より半分は自分のせいだという自覚もある。


 エリザベスも言っていたが、普通の貴族は平民相手に頭を下げたりしない。


 ハリスンに聞いていた精強な男が、実際会えばヘラヘラとしていたのなら、本当かどうか試したくもなるというものだろう。


 とは言え、面倒くさい事には変わりない。何とか相手に諦めて欲しいランディだが、その瞳に映るわずかな嘲りに頭を掻いた。


(エリザベス嬢の言う通り俺のことを舐めてんのかもな)


 興味半分、侮り半分……そう思い至ったランディは、イアンを前に盛大にため息をついた。ランディ自身が舐められるのはどうでもいいが、ヴィクトール家ひいてはここで働く人々や家族が舐められるのは勘弁ならない。


(仕方ねーな。今後のこともあるし、少しだけを刺すか)


 ため息をついたランディが、その瞳をスッと細めた。


「後悔しませんか?」

「もちろん」


 頷いたイアンに、ランディが笑みを返して「ハリスン! 俺の木剣をもってこい!」と後ろへ叫んだ。


 屋敷を揺らすほどの大声に木々から鳥が飛び立ち、屋敷内部がにわかに騒がしくなる。ザワついた雰囲気を背中に感じながら、ランディはイアンに向き直った。


「木剣とはまた――」


 舐められたものだ。とでも言いたげなイアンの表情に、ランディは「フン」と鼻を鳴らしただけで何も応えない。にらみ合う事暫く……遠くから「ヒーヒー」と声を上げながらハリスンが木剣を持って走ってきた。


「こ、こんな重いやつ、勘弁してくだせーよ」


 顔を強張らせるハリスンから、「自業自得だろ」とランディがイアンを睨んだまま、巨大な木剣を受け取った。


 木剣とは言うが、丸太に柄をつけただけにしか見えない無骨な作りだ。ランディ的には前世の野球バットや、素振り用木刀を参考に試行錯誤して作った至極の一品だが、やはり外見には柄のついた丸太である。


「ぼ、木剣?」

「ええ。私専用の」


 そんなあまりにも異質な木剣を、ランディが軽々と肩へと預けた。


「それで? ルールはどうします?」


 笑顔を向けるランディに、イアンが呆けていた顔を引き締めた。だが、「ど、どちらかが気絶するか、参ったと言うまで」と上ずる声までは隠しきれない。


 ルールに同意したランディが頷き、イアンが剣を片手に大きく間合いを切った。どうやら盾は使わないつもりらしい。ランディの重量武器相手に、盾では受けられないと感じたのか、それとも自信か。


 とは言えランディも木剣だ。ハンデはお互い様とランディはそこに突っ込む事はない。正確には、どうせ盾を持っていても、いなくても変わらないから突っ込む必要がない、であるが。


「ハリスン、立会人はお前だ」


 有無も言わさぬランディの言葉に、「トホホ」と肩を落としたハリスンが二人の丁度間に立つ。


「ルールは相手を戦闘不能にするか、参ったと言わせるまで。両者、殺しはなしですぜ――」


 ハリスンの声にランディとイアンが頷いた。


「――では……はじめ!」


 勝負はまさに一瞬だった。


 合図とともにランディが一瞬で間合いを詰めた。

 地鳴りを思わせるランディの踏み込み。

 移動のエネルギーを丸太に集めたランディが、片手一本で大上段から丸太を振り下ろし――


 ――イアンの、頭部数センチでピタリと止めた。

 遅れてきた風圧が、イアンの短い髪の毛と顔を「ブワリ」と揺らす。


 踏み切りから打ち下ろしまで、まさに一瞬。

 全く反応できなかったイアンは、今もただただ青い顔で眼前に迫る丸太を見つめている。


「どうする? まだやるか? 盾を持ってもいいぞ」


 口調の変わったランディに、イアンが目を白黒させるだけだ。それでも、乾いた唇をわずかに震えさせ


「……ま、参りました」


 絞り出されたイアンの声に、ランディが笑って木剣を地面に下ろした。そうしてまだ呆然とするイアンの肩に手を置き笑顔で囁く。


「あんた、運が良かったな。たまーに失敗すんだよ……止めんの」


 悪い顔で笑うランディの言葉に、イアンがその身を思い切り震わせ腰を抜かせた。駆け寄ってきた彼の仲間にイアンを任せ、ランディは「では私はこれで」と優雅に一礼した。


(このくらい脅しときゃ、今後来る冒険者の連中が街で馬鹿やることもないだろ)


 満足気に一人頷くランディは、今後増えるだろう冒険者と、住民とのイザコザを未然に防いだつもりである。……だが脅しにしては、「やりすぎた」という自覚がないのは問題なのだが。


「いやぁ、さっすが若」


 手を揉み近づいてくるハリスンに、ランディが盛大に眉を寄せた。


「ハリスン。明日、朝練に付き合え」

「ぅ゙ぇええ! な、なぜですかい!」

「俺程度で『鬼のように』なんて言ってて、ヴィクトールの家臣が務まるか」

「勘弁してくだせーよー」

「心配すんな。ちゃんと寸止めしてやるって」

「さっき、止まんねーって」

「ンな訳あるか。脅しだ脅し」


 ケラケラと悪い顔で笑うランディだが、一つ失念している事があった。そう……


「あの……若。もうお嬢様たちのお話が――」

「え?」


 聞こえてきたリタの声にランディが振り返れば、そこには頭を抱える父アランと何故か微笑むキース。そして、驚き固まるエリザベス親子の姿があった。


「あ、あはははは。見苦しいものを……」


 慌てて頬を掻いてももう遅い。呆ける侯爵夫妻とエリザベスの瞳に、ランディは大きく肩を落とすのであった。

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