第10話 テンプレになるという事は、そういう事

 再び応接室へと戻ってきたランディは、先程までの勢いを完全になくしていた。なんせ行儀の悪い様子を、エリザベスやその両親にバッチリ見られていたのだ。肩を落としたくなるのも無理はない。


 ランディにとって救いだったのが、エリザベスと侯爵夫妻が完全に仲直り出来ているだろう事だ。


 今もリタが持ってきたコーヒーの味に興味を示し、会話を楽しでいる三人に、ランディは人知れず安堵のため息をついていた。


「――ルフ様……ランドルフ様?」

「あ、ああ。すみません、少々考え事をしていました」


 声をかけられている事に気がついたランディが、気持ちを切り替えるように前を向いた。


 目の前では侯爵夫妻が優しげに微笑んでいる。


「まずは娘を助けていただいたこと、感謝申し上げよう」


 頭を下げた侯爵夫妻に、ランディと父アランは思わず「あ、頭をお上げ下さい」とアタフタと対応する羽目になった。娘の生命に比べれば、頭の一つや二つ軽いものだとルシアンが笑う。


 どうやら筋を通す人間のようで、ランディとしては好感触だが、吹けば飛ぶような木端貴族相手には心臓に悪い。



 何とかエリザベスが取り持ってくれて、ようやくランディにとっての本番、商談に移ることとなった。


「侯爵閣下、我々が閣下へ連絡を取った最大の目的は、エリザベス嬢の生存をお知らせするためです」


 そう切り出したランディが、「ですが」と真剣な表情で侯爵を見据えた。


「不審な点はありましたが、結果として王国から追放され、我が領で保護した以上エリザベス嬢はこの領の住民となっております。つまり正規の手続きなく、閣下のもとへお返しする事は出来ません」


「道理だな」


 頷いたルシアンに、ランディが「そこで」と話を切り替えた。


「当面の間、エリザベス嬢をこの領地で文官として雇い入れる事、まずはご理解頂きたく」


 頭を下げたランディに、ルシアンが顛末はアランやエリザベスから聞いていると、それどころか逆に感謝申し上げると、再び頭を下げた。


 もちろんランディも、エリザベスが文官のことをルシアン達に話しているだろう事は、予想済みである。だがエリザベスから聞いているから、とランディが話さないのは筋が通らない。


 筋を通したランディと、感謝を表明するルシアン。頭を下げ続ける二人は、再びエリザベスの介入により顔を上げた。


 そこからエリザベスの普段の様子や、文官として優秀に働いている事などを談笑しつつ、ランディはタイミングを見計らって口を開いた。


「実は、閣下に見ていただきたいものが」


 そう言ってランディが差し出したのは、エリザベスが先程まで抱えていたサンプルだ。


「これは? リザが持っていた小さな馬車だが」


 眉を寄せたルシアンに、ランディが上から馬車を押すように促した。ランディに促されるまま、ルシアンが馬車の荷室を抑えると……


「ん? たわみ方に差があるな」


 ……更に眉を寄せて馬車を持ち上げた。実際にはたわみ方に差があるのではなく、ルシアンの力の掛け方にバラツキがあり、それぞれの独立した車輪につけた板バネが力を吸収しただけだ。


「ここまで来るのに乗ってきた馬車はいかがでしたか?」

「おお! あれは中々快適だったな」


 そうして始まった改良型サスペンションのプレゼンは、侯爵夫妻が実際に経験したこともあり、非常に食いつきが良く、トントン拍子で話が進んだ。何より、ランディの言った


 ――私はエリザベス嬢を道具にしたくありません。


 という一言がトドメとなった。


 流石は自前で大商会を抱える侯爵なだけあって、この技術革新がもたらす注文集中の結果は想像に難くなかったようだ。加えてランディが。エリザベスを雇い入れているという、侯爵にとって既知の筋を通話を持ち出したしたのも大きいだろう。


 筋を通した男の言は、それだけでも重みがあるというものだ。


「文官というより、技術士のような事をさせて心苦しい限りですが」

「いや、リザも楽しんでいるようだし良い経験だ」


 そうして和やかに進んだ会話は、ようやく本題へとたどり着いた。


「この技術を我々に売りたい事は分かった」


 細められた侯爵の瞳は、間違いなく修羅場をくぐってきた男のそれだ。修羅場と言っても、ランディ達のような戦いだけではない。商談にしろ、政治にしろ、修羅場と呼んで良い戦いは各方面にあるものだ。


 そんな男が今、ランディを一人の男として話しかけている。


 大貴族であり、海千山千の政治家であり、大商会を取りまとめる会頭。その男が、辺境の貧乏子爵の小倅相手に、対等な立場で話しかけている。


 驚くべき状況に、フローラ夫人とエリザベスが驚きを隠せない表情でランディ達を見比べていた。


「ランドルフ君、いや今はランドルフ殿と呼ぼうか。貴殿はどの程度の金額をお考えか?」

「この技術に関して、私は閣下に金額をご請求するつもりはございません」


 言い切ったランディに、思わずと言った具合で横から「はあ?」とエレオノーラが顔を覗かせた。一瞬でエリザベスに切り替わった所をみると、恐らく抑え込まれたのだろう。


 エリザベス達とは対照的に、「ほう」と値踏みするようなルシアン候がその瞳を更に細めた。


「タダより高いものはない……私は常々そう思っているのだが」

「仰るとおりかと。ですが、この技術については金銭を対価に求めることはございません」


 ランディが大きく深呼吸して続ける。


「ですが、代わりと言ってはなんですが、技術者を数人派遣して頂けると助かります。もちろん、派遣するだけでその後の給金は我が家で面倒を見ます」

「技術者?」

「はい」


 頷いたランディが、エリザベスが作り出した物を、エリザベス以外が形にしていくための技術者が必要な事を説いた。これは今後に関わる最大の投資だ。今ここで目先の金を得るより、腕が確かな技術者との渡りをつけるほうが、何倍も価値がある。


「……技術者とは名ばかりの小僧を派遣する、とは思わんのかね?」

「そうなれば、この技術よりも更に凄いものを、別の方にお売りするだけですよ。それこそ、閣下のライバルですとか」


 悪びれる様子もないランディに、ルシアンの瞳が更に細められた。応接室の空気が張り詰める。


「我が娘を使って、か?」

「申し訳ありませんが、今は我が家の文官ですから」


 ハラハラとするエリザベス。

 落ち着いた素振りだが、しきりにエリザベスを見ているフローラ夫人。

 もう、どうにでもなれ。と言った雰囲気で柔和な笑みを浮かべる父アラン。

 黙ったまま扉の前に控える家令キース。


 全員の不安や緊張を吹き飛ばしたのは、ルシアンが上げた「ハハハハハハ」という豪快な笑い声だ。


「やはりタダより高いものはないな。いいだろう。流石に私が抱える最高の職人は無理だが、満足頂ける技術者を送るとしよう」

「ありがとうございます」


 ランディが頭を下げたことで、ようやく緊張の糸が切れたようにエリザベスが大きく息を吐き出した。


 皆が見守る中、ランディとルシアンが強く握手をする。


「閣下、生意気申しましたこと、お詫び申し上げます」

「構わんさ。商談が初めてとは思えん気迫だった」


 機嫌良く笑うルシアンに、ランディは「ありがとうございます」と笑顔を返した。


(言えねー。前世では上司の無茶振り抱えて商談しまくってましたとか、言えねー)


 内心遠い目をするランディだが、それを表には出さずに笑顔で商談を終えた。技術を渡すこと、そして代わりに技術者を派遣してもらえること。それらが決まった以上、ランディ達はお役御免だ。


「では、折角の親子水入らずですし」


 ランディがそう言って立ち上がると、お目付け役のアランも「夕食までごゆるりと」と立ち上がった。


 エリザベス達を残し、ランディが扉に手をかけようとした時、


「ランドルフ君」


 ルシアンがランディを呼び止めた。


「先ほど、これよりも凄い技術と言っていたが、例えばどのような物を考えているのかね?」


 振り向いたランディの瞳に映るのは、興味を隠せないルシアンの笑顔だ。


「そうですね……この技術自体、まだまだ改良の余地はありますし、冷蔵庫……は、あるから、冷凍――食材の冷凍保存が可能になる箱ですとか、」


(あと、何があるかな……王道で行けば玩具とか。あ、美容液とかもあったな)


「……それと、まだ構想ですが、洗髪に使う新しい香油や、肌がすべすべになる――」

「ランドルフ様、それはいつ頃出来る予定ですか?」


 前のめりのフローラ夫人に、ランディは初めてどの世界でも女性が美にかける思いの強さを知った。もはや執念とでも言える圧で、「いつ頃?」と微笑むフローラ夫人に、ランディは苦笑いでルシアンへ助けを求める視線を向け……ルシアンに視線を逸らされた。


(あ、逃げやがった)


 内心悪態をつくランディだが、目の前のフローラ夫人は待ってくれない。


「いつ頃になりますか?」

「な、なるべく早めに着手します」


 声を上ずらせたランディに、「お願いしますね」とフローラ夫人がにこやかに微笑んだ。


 何とかフローラ夫人に納得してもらい、応接室を逃げるように出たランディが、廊下を歩きながら盛大にため息をついた。


「ランディ……」

「親父殿、何も言うな」


 うなだれるランディを前に、父アランも小さくため息をつくだけでそれ以上は何も言わなかった。ただ……


グレースクラリスにも作るんだぞ」

「わーってるよ」

「それとな……」


 アランが口を開きかけた時、廊下の向こうからメイドが数人凄い勢いで駆けてきた。


「お前ら、屋敷を走るな――」

「若、さっき聞いたんですけど、お肌がすべすべになる道具を作るんですか?」

「お前ら、どっからそれを――」


 そこまで口走ったランディが、慌てて口をつぐむがもう遅い。隣で「あーあ」と苦笑いを浮かべるアランが妙に腹立たしい。


「やっぱり本当なんですね! 期待してます!」

「私、手のあかぎれが酷くて」

「寒いと白い粉が吹くんです」


 口々にお肌の悩みを告げていくメイドを前に、ランディが「王道スゲーな」とポツリと呟いた言葉は、誰の耳にも届いていなかった。

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