第11話 エリザベス〜ランドルフという青年について〜

 お父様とお母様を招いた夕食会は、これまた絶賛の中に終わっていた。ランドルフ様もアラン様も口を揃えて、「何も無い」と仰るヴィクトール領だが、高位魔獣の肉だけは、どこに出しても自慢できるレベルだと思う。


 私も初めて食べた時は、その美味しさに驚いたのを今でも覚えている。惜しむらくは生肉の保存が難しい事と、ランドルフ様くらいしか狩れないので、屋敷で消費されるだけの幻の肉になっていることだろうか。


 それでも余った肉をたまに領民へ振る舞っているらしい。この肉があるからこそ、土地が痩せ、大した稼ぎの見込めない領地でも、人がしつこく残っているのかもしれない。


 とにかく、滅多に口にする事が出来ない幻の肉は、お父様をも満足させうる内容だったことは間違いない。


 そんな晩餐会も終わり、客間へと案内された私達は、親子の時間を楽しんでいた。


 学園での事。

 家族の近況。

 私の近況。

 今回の旅路。


 話は尽きないが、話題の谷間に一瞬話が途切れた時……


「それにしても、中々に面白い青年だったな」


 ……ランドルフ様を思い出しているのだろう、お父様の呟きにお母様も「ええ」と頷いた。


「【鋼鉄の獅子】をも子供扱いする力量。発想を形にする忍耐力。そして、肝も座っている」


 驚いた。楽しそうに笑うお父様だが、私はお父様がここまで人を褒める事を、ほとんど見たことがないのだ。あの文武に秀でた殿下にでさえ、ここまで褒めた事はなかった。もしかしたら、お父様をして天才と言わしめたお兄様以来かもしれない。


 でも分からなくもない。私も今日一日で、何度ランドルフ様の評価を書き換えたか分からない。


 父母に会えるよう取り計らってくれたこと。

 私の嘘を見抜きながら、今日まで変わらず接してくれたこと。

 父母に会えた時、私は事の大きさに、彼に対して子どものように苛立ちをぶつけてしまった。


 今思い出すだけでも恥ずかしい。


 それでも私の癇癪を受け流し、お父様達と語らいの場を設けてくれたことは感謝しきれない。


 そしてあの立ち会いだ。私には何が起きたのか全く分からなかった。


 最初はランドルフ様の大声が聞こえて、お父様やお母様、そしてアラン様と一緒に前庭へ急いだのだが、そこにいたのは巨大な丸太を持つランドルフ様だった。


 冒険者と向かい合うランドルフ様を、「止めます」とアラン様が呟き動こうとしたのを、お父様が「まあ、良いではないですか」と制止した。お父様曰く、ここにたどり着くまでの間、御者のハリスンさんにランドルフ様の武勇伝を聞かされていたらしい。


 だからその武勇伝が本当か、少々興味が湧いたのかもしれない。


 でも反対に私は心配だった。もちろん、ランドルフ様の強さはあの時拝見して知っているつもりだ。けれどお父様を護衛してきた程の冒険者だ。凄腕なのは間違いない。


 お父様の護衛を務めるような冒険者相手、しかもあんな丸太では――。心配で息が苦しい私の前で、ハリスンさんが開始の合図を下した……かと思えば、一瞬で勝負はついていた。


 思わず「え?」と声が漏れてしまったことを許して欲しい。なんせ、お父様もお母様も同じ様に呆けた顔をしていたのだから。


 私にはランドルフ様の動きが全く見えなかった。


 何かが弾けたかと思った時には、ランドルフ様が冒険者の目の前で丸太を止めていた。


 それだけ。たったそれだけで勝負がついてしまった。


 もちろん真剣勝負などあまり見たことがないが、それでも数回なら見たことはある。例えば昨年、私は学内で行われた剣闘大会を見学した。


 殿下が出場なさるというので、婚約者の義務として応援席で見学したのだ。学内剣闘大会といえど、出場者達の実力は高く、騎士団のお歴々も唸る程だと聞いていた。


 実際凄まじい攻防が、繰り広げられていたのを覚えている。


 剣技には疎いが、打ち合う両者が巧みに剣を繰り出し、受けていたことだけは分かった。そう。全部ではないが、彼らの攻防を私は目で追うことがまだ出来ていたのだ。


 それが今日はどうだ。剣の動き――正確には丸太だけど――はおろか、ランドルフ様の姿さえ見えなかった。


 私の中でエレオノーラも「さすが小僧。妾の下僕二号ならば、このくらい強くなければ」と上機嫌で語っていたくらいだ。


 その後の商談も凄かった。


 お父様相手に一歩も退かぬ姿勢。

 こちらが欲する最大限の報酬を勝ち取る強かさ。

 それでいて、相手に満足させる巧妙な交渉術。


 加えて最後に聞かされた数々のアイデア。ランドルフ様は、どれもこれも「私でなくとも思いつくでしょう」と仰っていたが、私は思いつきもしなかった。


 ――不便を解消する事が原動力ですから。


 そう笑っていた彼の言葉に、私は自分がどれだけ甘やかされてきたのかを痛感している。


「伏龍鳳雛とはこの事か」

「それは、どういう意味でしょうか?」


 優しく微笑んだお父様が、言葉の意味を教えて下さる。機会を得ずに野に隠れている大人物や将来有望な若者の例えらしい。確かにランドルフ様を表すにはピッタリな表現だと思った。


「ふくりょう、ほうすう……」

「でも不思議ね。ランドルフくんは、王立学園に留学しているのでしょう」


 不思議そうに首をかしげたお母様に一応頷いた。確かについ先日までは、同じ学び舎で過ごしていたはずなのに、彼のそういった噂をとんと聞いたことがない。


 聞くのは大体……大きい。赤髪。見掛け倒し。公国の末端貴族。学園にふさわしくない。などの見た目か彼の出自に関するネガティブなものくらいだ。見掛け倒し、などは私には分からないが、ランドルフ様はいつ見ても大人しく隅に居た記憶しかない。


 恐らく体格に見合わぬそうした消極的な態度が、不名誉な噂に繋がっているのだと思う。


「不思議な子なのね」

「はい」

「でも良いんじゃないかしら? 私は合格点をあげられますわ」


 満面の笑みで手を打ったお母様が、「見た目も悪くないし、あなたが認める才覚もあるでしょ?」とお父様に視線を向けた。


「フン。私はまだ早いと思うが」


 面白くなさそうに鼻を鳴らしたお父様に、「あら? ならもう少し経てばいいのかしら?」とお母様いたずらっぽく微笑んだ。正直二人が何を仰っているか分からなくて、お父様達を見比べることしかできないでいると……


「特に、『私はエリザベス嬢を道具にするつもりはありません』って宣言が格好良かったわ」


 ……お母様がウインクをした。確かに今まで貴族の娘として、道具として生きることもあると思っていただけに、ドキッとした発言だったのは事実だ。


「でも、あれはそういう意味じゃ――」

「分からないわよ。何せ、お父様のプロポーズの言葉は、『フローラ、私は君を政治の道具としてではなく、一人の女性として愛している』だったんですから」


 お母様の言葉に、お父様が顔を赤らめて顔を背けた。そんな反応をされると、私も思い出して顔が熱くなる……が、勘違いをしてはいけない。ランドルフ様は、これから大きく羽ばたく人だ。


「お母様、お戯れはよして下さい」


 立ち上がって、二人を振り返った。


「そういえば、領の端に港を建設予定なんです。よろしければ、お父様のご意見を頂戴したくて」


 無理に話題を切り替えた私に、二人共優しく微笑んでくれた。その笑顔を残して、私は足早に応接室を後にして、自室へと足を速めた……


 自室へ向かう私の頭の中で、エレオノーラの声がする。


『素直になればよかろう』

「私は嘘をついていません」

『小僧は中々優良物件だと思うが?』

「そういう言い方――」


 思わず大きくなってしまった声を抑えて、当たりを見回した。どうやら近くには誰も居なかったようで、ホッと胸をなでおろす。


「ランドルフ様は、これから大きく羽ばたかれる方です。それに……」

『それに?』

「もう間もなく、ランドルフ様は学園へと帰られます」


 口にするとわずかに胸が重くなった。もう少ししたら、私は彼と離れなければならないのだ。一時的とは言え、とても寂しく思うのは何故だろうか。


「ランドルフ様のあの才覚を学園の方々が知れば、誰も彼もが放っておかないでしょう。それこそ、傷物の元令嬢より相応しい方が沢山おられるはずです」


 自分で言っていて胸が痛くなる理由が良く分からない。でも、これが現実だと言い聞かせないと駄目だ。


『ふぅん? お主がそう思うなら良いが……。妾はてっきり小僧に惚れてると思っておったのだがの』


 それだけ言うと、エレオノーラは気配を消してしまった。


「惚れてる……どうなんでしょうか」


 自問自答しても答えは分からない。そもそも『惚れる』ということが良くわからないのだ。


「それよりも今は港の建設計画ですね」


 たどり着いた自室で、目当ての物を見つけた私は踵を返した。この胸の痛みも、そのうち慣れる。そう言い聞かせて。





 ☆☆☆




 エリザベスが去って暫く、応接室にて……



「フローラ。突きすぎではないか?」

「いいんですよ。あの子は今まで我慢しすぎたのです」


 頬を膨らませるフローラ夫人に、ルシアンも頷かずにはいられない。


「折角重圧から解き放たれたのですもの。恋くらいしてもいいと思いますわ」


 フローラ夫人が、窓に映る自分の姿をボンヤリと見つめた。


「母親としては、あの子には幸せになって欲しいもの。好きに生きられるなら、好きに生きて欲しいんです」


 心からの叫びに、ルシアンも大きく息を吐き出した。


「そうだな」


 ルシアンが呟いた頃、応接室の扉がノックされ、エリザベスが顔を出した。


 親子三人の久しぶりの夜は、それから暫く続いた――





 ☆☆☆




 夜も更け、日が変わるより少し前……ようやく床につこうと準備を始めたランディを、とある人物が訪問した。


「お前な……こんな時間に男の部屋にくるなよ」


 眉を寄せるランディの目の前には、ナイトドレス姿のエレオノーラだ。


「しかもキースと……これはリタか? 二人まで巻き込んで」


 開け放たれた扉の向こうに感じる二つの気配に、ランディがエレオノーラに呆れた視線を向けた。


「ほう。気配で人の位置まで分かるか。益々もって結構」


 カラカラと笑うエレオノーラにランディは頭が痛くなっている。一応の分別があることは褒めてもいい、とランディは思っているが、それでも老人や女性を付き合わせていい時間かと言われると微妙だ。


「夜ふかしはお肌に悪いぞ? エリザベス嬢に怒られても知らねーからな」

「問題ない。小娘は既に眠っておる」


 相変わらずカラカラと笑うエレオノーラに、「そー言う意味じゃねーんだが」とランディが頭を掻いた。 


「時に小僧、お主もうすぐ学園とやらに戻るのだろう?」


「それが何だ? もう寝るから単刀直入にしてくれ」


 面倒そうなランディを前に、エレオノーラは尊大に胸を張ってニヤリと笑った。


「妾も学園に通いたいぞ」

「はぁ?」


 夜の屋敷に不釣り合いな程、大きな疑問符が転がった。

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