第3.5話 エリザベス〜婚約破棄と真紅の救世主〜

 婚約破棄を告げられた瞬間は頭が真っ白になった。今までずっと殿下には尽くしてきたつもりだった。至らぬ部分もあったが、国母となるために様々な教育も頑張ってきたし、相応しい相手となれるよう厳しいマナーレッスンもこなしてきた。


 今まで彼のために頑張ってきた事全てが否定されたようで、あの瞬間、私は確かに自身が砕ける感覚に襲われていた。


 崩れそうになる膝。

 こみ上げてくる怒り。

 さらされる事への羞恥。


 それらに囚われなかったのは彼のお陰だろう。私は国外へと向かう馬車の中でふと、赤髪の男性のことを思い出していた。婚約破棄の宣言とともに、盛大にカクテルを吹き出した彼のことを。


 あの場違いな闖入のせいで、私は確かに私を取り戻せた。そう思っている。


 だからあの場で無闇矢鱈と騒がずに、大人しく冷静に状況を見守る事が出来た。


 周到に準備された私を陥れる計画。

 私の行動を把握した上で練られた罠。


 薄々気がついていたが、かなり前から仕組まれていたのだろう。聖女と呼ばれるエヴァンス嬢が、なぜこのような奸計を巡らせたのかは分からない。もしかしたら、王家が主導し力を付け過ぎた、わがブラウベルグ家の力を削ぐつもりだったのだろうか。


 分からない。勢いのある我が家と婚姻関係を結ぶ事で、王家にメリットがある婚約の筈だったのだが。


 冷静になった私に唯一分かったのは、変に抵抗しても、状況は良くならない事だけだった。今までと同じように……そう、初めてエヴァンス嬢に罠にかけられた時から繰り返されてきたことだ。


 あの日階段の踊り場で、彼女は初対面の私に急に近づいてきた。お母様がくださった大事なブローチを、私の許可なく触ろうとするものだから、思わず「下がりなさい」と強い口調で諌めた時……彼女がバランスを崩して階段から落ちたのだ。


 幸い当たりどころも悪くなく、彼女自身が治癒魔法の使い手だったため事なきを得たが、どういうわけか私が彼女を突き飛ばした事になっていたのだ。必死に弁明したにもかかわらず、何故か私は反省していないという事になっていた。


 それから事あるごとに、私はエヴァンス嬢を虐めただの、彼女の物を壊しただのとあらぬ疑いをかけられるようになった。どれだけ反論しても、準備されたいたかのような目撃者と証言を覆す事は出来なかった。


 そして最後には必ずエヴァンス嬢の、「私も悪かったんです」という泣き落としで場が収まるという繰り返しだ。そうしていつしか私を陰ながら「悪役令嬢」などという呼び方をする人々まで出たと聞いている。


 ……悪役令嬢。


 ああ。なんとも皮肉めいた言葉だと思った。もし、エヴァンス嬢が主人公の物語があるなら、私は間違いなく悪役なのかもしれない。


 だからあの時も変に抵抗すれば、この期に及んで反省していない、と罵られ、エヴァンス劇場が始まった事だろう。それこそ相手の思う壺かもしれない。もしそうだとしたら、私自身が我が家の力を削ぐ大鉈として振るわれてしまう。


 だから……だからお父様やお母様に迷惑がかからないよう、私はその罪を全て自分が被り、ただ一人国外へと追放される事を受け入れた。


 貴族の娘として産まれた以上、政治的な道具として扱われる覚悟はある。だけど、その引き金を引いて良いのは、陛下でもましてや殿下やエヴァンス嬢ではない。お父様とお母様だけなのだ。


 殿下たちの道具として利用されるくらいなら、我が家の力を削ぐ大鉈として使われるくらいなら、私は進んで死を選ぶ。



 ……いや、本当は違う。もう、疲れてしまったのだ。

 殿下のため、国のため、とこの身を粉にして頑張ってきたのに、それが伝わらなかったことに。

 お父様やお母様のご期待に添えなかったことに。

 悪役令嬢などと呼ばれることに。




 なんだ。やはり私は悪役令嬢ではないか。

 殿下のためと自分の努力を他人に押し付け。

 お父様やお母様のため、と言いながら私は逃げだした。


 そう思えば、私は正しく悪役令嬢なのだろう。誰が言い出したのか分からないが、どうやら人の本質を見抜いていたらしい。もし出会うことがあれば、少しだけお話を聞いてみたいと思った。


 諦めと自虐の念を重しに、馬車へ揺られる私を気遣ってくれるのは、幼い頃から私の身の回りを世話してくれたリタだった。


 本当はリタに謝りたい気持ちでいっぱいだった。そして感謝の気持ちを伝えたい。私のせいで巻き込んで。私に着いて行くと言ってくれて。でも貴族令嬢が使用人に頭を下げるなんてありえない。


 もし許されるなら、もし無事に国外へたどり着いたら、彼女には感謝を伝えよう。そして出来るだけ沢山の給金とともに暇を言い渡そう。そうして悪役令嬢から、普通の女の子になろう。


 あと願わくば、あの赤髪の彼にもお礼を言いたい。あなたのお陰で最後の最後に誇りを失わなかった、と。


 そんな事を考えていたら、気がつけば私達二人は護衛と思っていた騎士たちに襲われた。彼らは口々にもう王国ではないからと言って、馬車から私達を引きずり出したのだ。


 王妃になるのに、攻撃的な魔法は必要ない、と基本的な防御魔法しか教わらなかったせいで、私は易易と組み伏せられた。死ぬのは構わない。でも、誇りだけは。彼が繋いでくれた誇りだけは……そう思って近くの石を掴んだその時、また場違いな闖入者が現れた。


 伸びた赤髪を後ろで一つに括った大柄な青年――


 あの時と同じように、また私の危機に乱入して来た彼だが、私は一瞬彼だと認識出来なかった。


 私の知る彼とは、全くの別人だったからだ。


 学園では、その長身と髪色から目立つ彼だが、私が知る限り丁寧で大人しい雰囲気しか知らない。だから彼がカクテルを吹き出したのには驚いたし、そのお陰で冷静にもなれた。


 それがどうだろう……私の前に現れた彼は、学園とは別人だった。


 制服とは違う、旅装姿も。

 その精強な体躯に見合う巨大な剣も。

 荒々しい気配も。

 粗暴な口のきき方も。


 どれもこれもが、凡そ教養のある貴族の子息とは思えない。懸賞首の極悪人と言われた方がまだ納得出来る雰囲気だった。


 それなのに、彼が現れた時に胸が熱くなったのはなぜだろうか。

 自信に満ち溢れた、燃え上がるような彼の赤い瞳に、諦めと自虐にさいなまれていた私の心が動いたのはなぜだろうか。


 分からない。でもみっともなくも、あがき続けようとした右手の石があの瞬間だけは誇らしかった。まだ、諦めたくないと心が叫んでいる事を、初めて実感した。


 だから私の身体に大魔法使いを名乗るエレオノーラが入り込んだ時も、私は私を見失わずに済んだ。もちろん彼がエレオノーラを昏倒させてくれたから、でもあるが。


 次に気がついた時には、ベッドの上だった。お世辞にも寝心地がいいとは言えないベッド。シミの目立つ古ぼけた天井。既製品のナイトドレス。


 見慣れぬ、覚えのない感覚は、私に現実というものを厳しく突きつけてきた。それでも立ち上がろうと思えたのは、やはり彼のお陰だろう。


 使用人に頭を下げ、それでも堂々たる振る舞いで、己を持った青年。私とは何もかもが違う彼に、はしたなくも興味を持ってしまった。


 彼ならば追放された私を、そして古の大魔法使いを宿した不安定な私を受け入れてくれるかもしれない。


 でもいざその話をしようという時、私は彼に嘘をついてしまった。


 私がエレオノーラを助けたいと思ったのは事実だ。彼女は私のように罠に嵌められ、魔女の汚名を着せられ封印されたという。彼女の魂を宿した私にはそれが事実だと分かる。


 だから彼女を助けてあげたかった。そうすれば、悪役令嬢と蔑まれた私の心も軽くなるかもしれない。でも彼はどうだろう……


 勝手に期待したくせに、勝手に疑って。自分自身の醜い心が嫌になる。それでも、ここで彼に見捨てられるのは何故だか凄く嫌だった。だから、嘘をついた。


 ――世界に捨てられた、と。


 実際は捨てられてなどいない。私が私の世界を捨てたのだ。家族のためと言いながら、私が家族から逃げたのだ。


 お父様は私に失望しただろうか。

 お母様は私を恨んでいらっしゃるだろうか。

 お兄様は私に怒っているだろうか。


 分からない。けれど戻れない以上、私は一人で、いや彼女と二人で生きていくしかない。


 幸いランドルフ様も、その父君もお優しい方だ。今度こそご迷惑にならないよう、精一杯頑張らねば。それが私を救ってくれた、彼への恩返しになるだろうから。


 そして願わくば、いつか彼に嘘をついたことを謝れたら――

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