第3話 選択肢一つでエンディングって変わるもの

「それで……ブラウベルグ嬢をというわけだな」

「保護した、と言ってくれ。犬猫じゃあるまいし」


 頭を抱える口髭の男性――ランディの父であり、このヴィクトール家を治める子爵でもあるアラン・ヴィクトール――の前で、ランディは面白くなさそうに鼻を鳴らした。それでも「拾ってきた」と言われても文句の言えない状況に、ランディが父アランから目を逸らした。


「不可抗力だろ」


 口を尖らせるランディに、父アランは盛大なため息を返しつつも眦をわずかに下げた。


「クラリスが聞けば、飛び上がって喜びそうだな」

「ジジイんとこに行ってて助かったよ」


 クラリスというのはランディの妹だ。本来であればランディには父アラン以外に、母と弟妹がいるのだが、今は母方の実家へ里帰り中というわけである。日頃から姉が欲しかったと文句を垂れる妹クラリスからしたら、ランディが連れてきたエリザベスは大歓迎だろう。


「つーか、そもそもこの家に住まわせるわけじゃねーだろ」


 顔をしかめたランディに、アランが「ふむ」と考えるように顎をさすった。


「ひとまず、そのお嬢様に会おうか」


 微笑むアランの姿に、ランディは底抜けに優しい父に迷惑をかけてしまったことを少しだけ悔いている。それと同時に彼への感謝を覚えている。あの場において、助けないという選択肢はランディにはなかったわけで……


「そろそろ湯浴みも終わってると思うんだが」


 ……照れを隠しをするように、ランディは執務室の外へと続く扉を見た。


「それなのですが、ブラウベルグ嬢より旦那様と坊ちゃまへお伝えしたいことがあると……」


 控えていたキースがチラリと扉を見た。


「え? マジで?」


 思わず素っ頓狂な声を挙げたランディに、「ン、んん」とキースが咳払いを返した。どうやら既に執務室の前でエリザベスが待っているらしい。


 思わぬ訪問に、すかさず父アランが椅子から立ち上がってジャケットの襟を直した。もちろんランディも真っ直ぐ扉に向き直る。流石に「元」とは言え、侯爵令嬢を迎え入れるのに席についたまま、後ろ向きのままというわけにはいかない。


 立ち上がった二人を確認して、キースが執務室の扉をゆっくりと開いた。


 リタに案内される形で執務室へと入ってきたエリザベスに、ランディは思わず息を飲んだ。《氷の美姫》と呼ばれるくらい美しいことは知っていた。それでも湯上がりで艶めく彼女の素肌とナイトドレスという見慣れぬ姿は、ランディに「エリザベス」という存在を認識させるには十分であった。


「お初にお目にかかります。エリザベス、と申します」


 優雅なカーテシーに、ランディは父と共に優雅な礼を返した。


「ようこそ、エリザベス嬢。アラン・ヴィクトールと申します……愚息の事は――」

「存じ上げております」


 微笑むエリザベスに、アランが微笑み返した。


「まずはこちらにどうぞ」


 応接スペースのソファを指すアランに、エリザベスが困り顔を返した。家名を言わなかった事からも、エリザベスの中では既に彼女は貴族令嬢ではないのだろう。いわば平民と変わらない彼女に対して、子爵がソファを勧めるなどおかしな話である。


「あなたの事情はある程度把握しています。とは言え、今ここには私達しかいません」


 肩をすくめたアランが、「女性と立ち話、というわけにはいきますまい」と微笑みもう一度席を勧めた。諦めたようにエリザベスがソファへ腰を下ろし、その向かいにランディとアランが腰を下ろした。


「さて、先程も申し上げた通り、我々はあなたの事情をは把握しております」

「ある程度、ですか?」

「ええ。ある程度、です」


 にこやかに笑ったアランに、エリザベスはその表情を引き締めた。


「ですので、まずはあなたのお話から聞きましょうか」


 わざわざアランとランディに「伝えたいことがある」とここまで来たのだ。まずはその話を聞こうというアランに、エリザベスが不安そうにランディを見た。



 なぜ自分が見られているのか分からないランディだが、とりあえず爽やかな笑顔で「大丈夫ですよ」とだけ答えておく。


 ランディの言葉に少しだけ安心したのか、エリザベスが肩の力を抜くように息を吐き出した。と、同時に彼女のプラチナブロンドの髪が黒く染まっていく――目の前で起こる不思議な光景に、アランもキースもただただ目を見開き、じっと見守るしか出来ないでいた。


「先程ぶりじゃな、小僧」


 真紅に染まった瞳でニヤリと笑うエリザベス(?)に、ランディは森で彼女を気絶させた時の事を思い出した。


「お前は……」


 瞳を細めたランディに、エリザベス(?)がカラカラと笑う。


「妾は古の大魔法使い、エレオノーラ様じゃ」

「知らねーな」


 鼻を鳴らすランディに、「なんと不勉強な男よ」とエレオノーラが眉を寄せた。もちろんランディだけでなく、キースやアランすらその名を知らないようで、黙ったままエレオノーラを見ているだけだ。


「んで、その偉大な大魔法使いサマが、なんでエリザベス嬢の中に?」


 相手が侯爵令嬢じゃなくなった途端、ランディは椅子にふんぞり返った。およそ貴族らしくない態度に、アランが脇を軽く突くがランディが態度を改めることはない。


「なんで……じゃと? 貴様のせいじゃ!」


 目を大きく開いたエレオノーラが話すには、あの時出た黒い靄がエレオノーラの魂だったらしい。遥か昔に封印された魂が、結界の一部である祠が破れたことで吹き出しエリザベスに取り憑いた。


「絶望と恐怖に染まった魂……妾の魂の器に見合うだけの膨大な魔力……あの時貴様が気を失わさなければ――」


 ランディを睨みつけるエレオノーラの瞳には、分かりやすいほどの恨みが籠もっている。本来であれば、あのままエリザベスの魂を取り込み一つになるはずだったそうだ。そこをランディが気絶させてしまったため、一つの身体に二つの魂が共存する形になってしまったらしい。


「なら、テメーが出ていきゃ終いだろ。人の体を間借りしてる分際で偉そうにすんなよ」

「そんな態度で良いのかの?」


 鼻を鳴らすランディに、エレオノーラがニヤリと笑った。


「あの小娘も妾の視界を共有して、貴様を見ている事を知らんのか?」

「そういう事は、もっと早くに言えよ下さい」


 無茶苦茶な敬語と引きつった笑みのランディに、エレオノーラがケラケラと笑う。


「今更隠す必要もあるまい?」

「貴族社会ってのは色々あんだよ、です」


 なおも顔を引きつらせるランディに、エレオノーラは「気に入った」と眦を拭って頷いた。


「貴様を妾の下僕二号にしてやろう」

「断る」

「なぜじゃ!」

「なんででも」


 顔を背けたランディに、エレオノーラが頬をふくらませ、「頷かせてみせよう」と小さく呟いた。同時に彼女の髪が黒からプラチナシルバーへと移り変わり……その瞳も透き通った青碧へと変わる。


「ランドルフ様……」

「なんでしょう?」


 爽やかな笑顔を返したランディに、エリザベスが固まった。先程までとは全く違うランディの態度を思い出しているのだろうか、次第にその肩が震え、ついには……


「フフフ」


 ……口から笑い声すら漏れる始末だ。思わず、といった笑い声に、エリザベスが恥じるように顔を赤らめて頭を下げた。


「失礼しました」

「いえいえ。お気になさらずに」


 再び響くランディの余所行きの声に、エリザベスの肩がまた震える。


「すみません、つい。あまりにも変わり身が速かったもので」


 何とか表情を引き締めようとするエリザベスだが、目の前にあるにこやかなランディの顔がツボったようで、視線を合わせられない。お前のせいだぞ、と言わんばかりのアランとキースの視線に、ランディが鼻にしわを寄せた。


「それで? エリザベス嬢は私に何をお望みで?」


 口調こそそこそこ丁寧だが、ランディの態度は若干投げやり気味だ。にもかかわらず、エリザベスは丁寧に頭を下げた。


「ぜひ、私達をこの屋敷で雇って頂けませんか?」


 真剣なエリザベスの視線に、ランディは居住まいを直した。


「なぜか、お聞きしても?」

「私は彼女の本当の身体を探そうと思っています。ですが恥ずかしながら先立つものが――」

「なぜ、あなたが彼女の身体を?」

「同じだからです……彼女は、私と同じ。世界に捨てられた――」


 言葉を詰まらせるエリザベスに、ランディは小さく舌打ちをもらした。エリザベスを保護した以上、彼女を放り出すという選択肢はランディにはない。家に住まわせないにしても、ある程度の方針を決める手伝いくらいはしようと思っていた。


 だがどうだ。エリザベスは魔法使いの身体を探すのだという。ここで彼女を放り出せば、間違いなく一人でどこかにフラフラと行くだろう。


(乗りかかった船……か)


 盛大なため息をついたランディに、エリザベスが落胆したような表情で肩を震わせた。恐らくランディが怒っていると勘違いしているのだろうが、今はそれを否定するより分かりやすい方法がある、とランディは父アランへ向き直った。


「親父殿、文官がほしいって言ってたな」

「せめてこういう場では父上とだな……ん?」


 眉を寄せたアランだが、ランディの言葉の意味に気がついたようでエリザベスとランディを見比べている。


「まさか?」

「そのまさかだ。エリザベス嬢は、学年でもトップの超優秀な才女だ。加えて実家のブラウベルグ領の領地経営の手伝いもしていた……ですよね?」


 水を向けられたエリザベスが「ええ」と小さく頷いた。


「なるほど。それは素晴らしい」


 笑顔を輝かせるアランに、エリザベスも事態が飲み込めたようで「いいのでしょうか?」とランディとアランを見比べている。


「いいも何も、ウインウインでしょう。あなたは仕事が見つかる。ウチは優秀な文官が手に入る」


 肩をすくめたランディが更に続ける。


「あ、言っときますけど、ウチは超絶貧乏ですからね。生半可な改革じゃ、領地を立て直せないですよ」


 ニヤリと笑ったランディに、エリザベスが初めて自信に満ちた笑みを返した。


「お任せ下さい。精一杯頑張ります」


 追放された侯爵令嬢と、貧乏子爵家嫡男、そして古の大魔法使い。三人の運命が大きくレールから外れた瞬間だった。

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