第2話 乗りかかった船は降りない主義

 助けたのがエリザベスだと知ったランディだが、乗りかかった船をあの場で降りることなど出来るわけもなく――そもそも魔の森に女性二人を置き去りなど論外だが――結局自分の馬車に二人を乗せて街まで戻ることにした。


 いつもなら数回はある魔獣の襲撃もなく、スムーズに進んだ一行は昼過ぎにはヴィクトール領の領都へとたどり着いた。目指す先は小ぢんまりとした街の高台にある、これまた小ぢんまりとした古い屋敷だ。


 閑散としたメインストリートを突切り、屋敷の前にたどり着いた馬車から、ランディは文字通り転がり降りた。


 未だ気を失ったままのエリザベスを抱えるのに、ランディがわずかに躊躇う。


「若、どうせ森で抱えてるじゃねーですかい」

「分かってるよ」


 顔をしかめたランディが、「緊急事態だからノーカンだぞ」とエリザベスに呟いてその身体を持ち上げ肩に担いだ。


「なぜに肩なんです?」

「お姫様だっこはマズいだろ」

「そっちのがアウトな気がしますが」


 不満顔のハリスンを横目に、ランディはエリザベスを担いだまま屋敷へと向かう。


「ランドルフだ。只今帰った」


 肩に令嬢を抱えたランディの姿に、屋敷は文字通り蜂の巣を突いたような大騒ぎだ。見た目には完全に人さらいのそれだから無理もない。


 言わんこっちゃない、そう言いたげなハリスンにメイド達への対応を任せ、ランディは大股で屋敷の中を突き進む。すれ違う人々に、何でもないと言いつつ、ランディは直ぐに二つある客間のうち豪華な方へとたどり着いた。


「まずは彼女を寝かせたい……えーっと――」

「リタ、と申します」


 リタと名乗った茶髪のメイドに、ランディは急ごしらえでのベッドメイキングを頼む。様子を見ていた他のメイドも巻き込み、一気に整えられたベッドにランディはエリザベスをそっと寝かせた。


 ゆっくりと動く胸を見るに、彼女はただ眠っているだけなのがよく分かる。


「さて……と。分からんことばかりだが――」


 なぜあんな状況だったのか。

 魔の森で見たエリザベスの変容。


 少し状況を整理したい、とランディはベッド脇の椅子に腰掛けた。今もゆっくりと呼吸するエリザベスは、何かに取り憑かれている様子にも見えない。


(せめてあんな状況だった理由でも――)


 リタにでも聞こうかと思ったランディは、ふと視線に気が付き扉へと目を向けた。自分を真っ直ぐ見つめる屋敷のメイド達に、「なんだ?」とランディが眉を寄せた。


「……若。今直ぐそのご令嬢のお着替えをしたいのですが?」


 ジトッとした視線に、ランディは苦笑いを浮かべて立ち上がった。彼女たちの言う通り、エリザベスのドレスは破られ、ところどころ白い陶器のような柔肌が見えている。確かにこのままでは色々とマズいだろう。


「悪いが頼むぞ」


 それだけ言うと、ランディは入ってくるメイド達と入れ替わるように部屋の外へと出た。


「坊ちゃま……」

「キースか」


 部屋の外にいたのは、ヴィクトール家の家令であるキースだ。立派な髭とモノクルが特徴的な線の細い老人。だがその立ち振舞に隙はなく、熟練の達人と思しき風格すらある。


「あのご令嬢は?」

「エリザベス・フォン・ブラウベルグ……大国アレクサンドリアの侯爵令嬢サマだ」


 肩をすくめたランディに、「ではあの噂は……」とキースが考え込むように顎に手を当てた。キースの反応を見るに、この領地にもエリザベスが国外追放にあったことは伝わっているらしい。


「荷物は最小限。侍女はなく従者は。しかも、護衛は行儀の悪い馬鹿、ときたもんだ」


 壁にもたれたランディのため息に、キースも黙ったまま扉を見つめている。


「死んでも構わない……むしろ殺すつもりだった。としか見えない状況ですな」


 鋭いキースの視線に、「胸糞悪いがな」とランディが鼻を鳴らした。


 侯爵家ともあろう家格の令嬢が旅に出るのに、自前の護衛はおろか、侍従すらいない。代わりにつけられたのは、護衛経験もないメイドただ一人だ。しかもキースが彼女の事を噂程度でしか知らなかったということは、この領へ事前に連絡など無かった形である。


 腐っても侯爵令嬢。国外へ追放するにしても正規の手続きや何かがあって然るべきだ。それらをすっ飛ばした事すなわち、王国は彼女をそもそも助けるつもりは無かったのだろう。


噛んでると思う?」

「……私ではとても。ひとまず旦那様のご意見を頂戴したいと思います」

「それもそうか」


 ランディが頷いた時、客間の扉がゆっくりと開いた。中から顔を出したメイドが、にこやかに指で丸を作って見せた。


 キースと別れ、部屋に入ったランディを迎え入れたのはナイトドレスに着替えて寝息を立てるエリザベスだった。そばに侍るリタと屋敷のメイド数人……ひとまずランディは屋敷のメイド達に軽く手を挙げた。


「すまん。苦労をかけた」

「いえいえ。暇を持て余していたので」

「そいつは良かった。ありがとな、ひとまず下がっててくれ」


 愛想よく手を振るランディにお辞儀を残し、数人のメイドが扉の外へと消えていった……その様子をポカンとして見守るのはエリザベスが連れてきたメイドのリタだ。


「なんだ? 鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」


 眉を寄せるランディに、「え、っと――」とリタが逡巡したその時


「メイドに『ありがとう』というのが珍しいのです」


 ベッドの上から鈴を転がしたような声が響いた。


「お嬢様!」


 慌てるリタに、「大丈夫です」とエリザベスが手を挙げてゆっくりとその身体を起こした。


「まずは感謝を申し上げます……」

「ランドルフです。ランドルフ・ヴィクトール。ここハイランド公国、ヴィクトール子爵領の……一応は嫡男という事になっています」


 余所行きの言葉と仕草で恭しく頭を下げるランディに、エリザベスが深々と頭を下げた。


「ランドルフ様。あなた様は私の命と尊厳の恩人です」

「頭をお上げください」


 慌てるランドルフが、エリザベスより低い位置になるように膝をついた。流石にこのままではマズいと思ったのだろうか、エリザベスが困り顔で顔をあげた。それでも膝をついたままのランディに、出来れば椅子に座ってほしい、とエリザベスが頼んだ。


 ランディとしてはあまり気が進まないが、このままでは話しどころではないな、と渋々ながら椅子へと腰を下ろした。


(さて、困ったことになったな)


 かち合った視線に、ランディは思わず愛想笑いと会釈を返した。


 そう腰を下ろしたのはいいが、ランディの口からエリザベスに聞ける事などない。曲がりなりにも身分が高いご令嬢相手に「あんなところで何してたんですか?」なんて馬鹿な質問が出来るわけがないのだ。


 だからこそエリザベスが起きる前に、リタから話を聞きたかったのだが……結局目覚めてしまったのでそれも叶わない。


 ランディから質問するわけにはいかず、かといってエリザベスが話すとも思えない。結局出来ることはないと確認したランディは、おもむろに椅子から立ち上がった。


「ひとまず気がついて良かったです。直ぐに湯浴みの準備をさせます故――」


 それだけ言い残して扉に手をかけたランディの背中に「聞かないのですか?」とエリザベスの不思議そうな声が届いた。扉を開きかけたまま立ち止まったランディが、「何を、でしょうか?」と爽やかな作り笑顔で振り返った。


 恐らく追放のことを言っているのだろうが、そんなセンシティブな事をズケズケと聞けるほど、ランディは無神経ではない。


「申し訳ありませんが、女性への質問には疎いもので」


 ランディの見せた爽やかな笑顔に、何故かリタが引きつった笑みを見せているがランディはそれを気にせず再び扉へと向き直った。


「それでは、私から聞いてもよろしいでしょうか?」


 再び背中へと投げかけられた質問に、ランディが振り返った。


「なんなりと」


 肩をすくめて椅子へと戻るランディに、エリザベスが初めて小さな笑みを見せた。


「なぜ、メイドへ感謝を?」

「ああ、そんなことですか」


 本題が聞けるかと思っていたランディが、わかりやすく肩を落とした。とは言えこの世界では「そんなこと」で済む話ではない。上下の関係をハッキリさせるのは、この世界の貴族では当たり前の事だ。


 平民に舐められぬように。

 使用者と被使用者との関係をハッキリさせるため。


 貴族はメイドなどの使用人に礼を言うことはないし、むしろ礼など言ってはいけないのだ。


 だが転生したランディからしたら、そんな事知ったことではない。前世では『実るほど頭を垂れる稲穂かな』という諺があったくらいだ。口も素行も悪いランディであるが、感謝の意を伝える事だけは筋として通さねばならぬと思っている。


 そんな思いに加え、感謝を伝えたくらいで揺らぐような信頼関係ではない、ということをランディは噛み砕いて更に丁寧な言葉でエリザベスに伝える……それが終わった頃にはランディはどっと疲れていた。


(森で魔獣でもぶっ殺してた方が気が楽だぜ)


 内心そう思いながらも、ランディは今目の前でエリザベスが考え込む姿に少しだけ感心している。頭の固いお貴族様かと思いこんでいたが、中々どうして人の意見を聞けるようだ。


 事実リタへと向き直ったエリザベスは……


「リタ、ここまでありがとうございます」


 ……リタへ向けて深々と頭を下げていた。慌てふためくリタには悪いが、ランディはエリザベスという女性に少しだけ興味を持った。とは言え少しだけ、だ。


 もう役目も終わったとばかりに、ランディが再び立ち上がって扉に手をかけた。


「本当に、聞かないのですか?」


 再び背中へとかけられた言葉に、「ええ」とランディが爽やかな笑顔で振り返った。


「私は既に侯爵家の人間ではない……だから遠慮することも、そう畏まった話し方をする必要がない、と言ってもですか?」


 表情を変えずランディを見つめるエリザベスは、まさに《氷の美姫》の名がピッタリだ。だから少しだけ、そう少しだけ、ランディは彼女の表情を崩したくて悪戯っぽく微笑み返した。


「くどいな。俺がアンタの事で興味があるとしたら、スリーサイズくらいだ」


 キョトンとするエリザベスとリタを前に、ランディがニヤリと笑う。


「教えてくれるってんなら、じっくり聞いてやるが?」


 顔を赤らめたエリザベスに、そんな顔も出来るのではないか、とランディが再び余所行きの顔つきに戻して恭しく頭を下げた。


「大変失礼しました。今の戯れはお忘れください」


 頭を下げ客間を後にしたランディは、小さく息を吐き出して後ろの扉を指した。


「悪いがお姫さんの湯浴みを手伝ってやってくれ」

「お任せください! バッチリピカピカにしてみせます!」


 力こぶを作ったメイド二人が、バタバタと道具を取りに廊下の先へと消えていくのを、ランディはため息交じりに眺めていた。



「坊ちゃま……旦那様がお呼びです」

「そっちもあったな」


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