第1話 そりゃ国外追放って言ってたけどさ

 あの騒動から抜け出したランディは、その足で学生寮へと帰り、夜明けとともに実家へ向けて馬車を走らせていた。どの道翌日から長い夏季休暇で帰省予定だったので、予定が少々早くなっただけであるが。


 エリザベス嬢がどう彼らを撃退したのか……ランディも気にならないわけでは無い。


 その場で反撃したのか。

 家同士の問題に発展したのか。

 はたまた別の選択肢を選んだのか。


 自分が生きる世界の根幹かもしれない事件だ。気にならないと言えば嘘になるが、必要以上に突いてもものだろう。


(ま、新学期がはじまりゃ嫌でも分かるだろ)


 呑気に馬車に揺られるランディの耳に、エリザベス嬢の国外追放の噂が届いたのは、も終わりかけ――間もなく国境を越えようかという頃だった。


 国境越えのため、関所での手続きを待つ間、ランディはそこにある兵士の休憩所で一服中だったのだが……そこで誰も彼もが口さがなくその噂話に花を咲かせていたのだ。


「オヤジさん、コーヒーを一杯くれ」


 硬貨を放ったランディに、即座に出されるコーヒーカップ。

 ジャリジャリと砂のように混じった豆にももう慣れた、とランディはカップをを傾けながら、噂話に聞き耳を立てていた。彼らの話によると、どうやらエリザベス嬢は、エドガー王太子の学友でありキャサリン・エヴァンス子爵令嬢に対して、横暴な振る舞いをしていたのだとか。


 脅迫

 傷害

 器物損壊


 出るわ出るわ悪事の数々。証言したのは王太子に女学生だけでなく、その取り巻き数人の生徒……誰も彼もがこの国中枢を担う人物の子弟や令嬢、と……


「なんつーか、マジで乙女ゲーなんだな」


 完全に聞いたことしかない内容に、ランディはため息をついてコーヒーカップの中身を一気に呷った。


 ――カチャリ


 音を立てたソーサーとカップを、ランディがボンヤリと見つめる。


「コーヒーか……」


 中世ファンタジー風世界のくせに食が――美味い、不味いは別として――結構充実している。そのくせ、悪路が多く、馬車は酷く揺れ、尻が痛くてたまらない。衣食住の充実は中々のものだが、それに付随するインフラの整備はそれこそ中世のままである。


 そう考えると、確かに乙女ゲー要素は初めからあったとも言える。とは言え、乙女ゲーだと気づいていたとしても、隣国の婚約にまで干渉出来るはずはないのだが。


 出来る事と言えば、この不味いコーヒーを美味くするくらいか、とランディが自嘲気味なため息をもらした頃……


、通行許可なんですが――」


 ランディは背後からかけられた声に、「若はよせ」と眉をひそめて振り返った。そこにいたのは、御者のハリスンだ。


「なに言ってんですかい。もうヴィクトール領も近いんだし、ここには兵士しかいませんぜ? 坊っちゃんなんても要らないでしょうよ」


 ケラケラと笑うハリスンが「若も口調が戻ってますぜぃ?」と続けた言葉にランディがため息をついた。昔からそう呼ばれているが、どうも反社会的勢力のようで、個人的には好きになれない呼ばれ方なのだ。とは言え、それを否定したところでハリスン達には伝わらない。


 ヴィクトール領で生きていくには、彼らのような豪胆さが必要不可欠でもあるのだ。


「それで? 通行許可がどうしたんだって?」

「いやそれが、明日まで待てとか言うんでさ」


 憤るハリスンに、「はぁ?」とランディが盛大に眉をよせた。


「あ、でも……」


 コソコソと寄ってきたハリスンが、ランディの耳元で囁く。どうやら門番に袖の下を渡し、通行許可を今日にしてもらったとのことだ。それならば、なぜ通行許可が明日だなどと言ったのかと言うと……


「あっしのお小遣いから出してるんで、補填をお願いしますぜ」

「ちゃっかりしてんな。王都のカジノで十分稼いだだろ?」

「何いってんですかい。お金はいくらあっても足りませんぜ」


 にこやかなハリスンを伴って、ランディが休憩所を後にした。その背中には未だ件の噂が響いていた。






 国境である巨大な関所を抜ければ、そこは巨大な森だ。


 ――魔の森。


 この世界でそう呼ばれている巨大な森は、文字通り凶暴な魔獣が闊歩する人外魔境である。そんな森を囲うように作られたのが、背後にそびえる長城だ。ランディたちの国ハイランド公国と、アレクサンドリア王国との国境でありながら、魔の森から来る魔獣を防ぐ防壁の役目もある。


 通常の旅人ならば、まずこんな道を通ることはない。だがランディにとってはこの道が一番近道なのだ。


「あと半日もすれば着きまさあ」


 進みだした馬車と、景気のいいハリスンの声に、「ようやくだな」とランディがで尻をさすった。ここは既に魔の森。森の浅い場所とは言え魔獣の住処だ。行儀よく馬車の中にいては、いざという時に出足が鈍る。


 屋根の上で頬杖をついたランディが、ふと前方に続くを見つめた。


(そういや明け方まで雨だったか……)


 泥濘んでいれば轍くらい出来るだろう、とランディが視線をそらそうとした時、ようやく違和感に気がついた。


(轍? こんな場所に?)


 ランディが目を丸くした時、森を切り裂くような悲鳴が響いた。


「若!」


 ハリスンの言葉を待たずに、ランディは大剣を片手に屋根から飛び降り森を駆けていた。


 轍の先、木々の合間を縫うように、その長身からは考えられない速度で駆けるランディの視界には、倒れた馬車と、襲われる二人の女性が映った。


 ドーム状に展開した防御魔法で身を護る女性二人に、十人近い男達が剣を振り下ろし続けている。


につきます?」

「決まってんだろ」

「援護は?」

「要らねー……が、馬車を回してくれ」

「ガッテン」


 ランディとハリスンが別々に駆け出したのと、展開されていた防護壁が崩れたのはほぼ同時だった。


 襲われているのは女性だけ。

 倒れた馬車。

 見当たらない護衛。


 分からない事だらけだが、今はそんな事を言っている状況ではない。


 髪を引っ張られ、引きずり倒された女性。

 もう一人が羽交い締めにされ、倒された女性に男が跨がろうかという瞬間、ランディは男を真後ろから思い切り殴り飛ばした。


 身長一九〇を超える偉丈夫かつ、ゲームの世界だと思って鍛えまくったランディの左拳。

 それが男のヘルムを拉げさせて、思い切り吹き飛ばした。


 吹き飛んだ男が木を揺らし、血を吐いて動かなくなった頃、ランディは目の前で寝転がる女性と目が合った。


 薄汚れた髪と、破られたドレス。


 どこか見覚えがある女性だが、それ以上にランディが驚いたのは女性が右手に石を握りしめていた事だ。


(へぇ。この状況でガッツがあるな)


 どうやら、ランディが乱入せずとも、行儀の悪い男は彼女に叩きのめされたに違いない。とは言え、その後は多勢に無勢。彼女の抵抗はわずかな延命でしかない。であればやはりやることは一つだ。


「よぉ、兵隊さん。で、何してんだ?」


 ランディは悪い顔で、男達へ振り返った。


 不意に現れ、仲間を吹き飛ばしたランディに、女性たちを取り囲んでいた男達が剣を片手に腰を落とす。


 臨戦態勢の男達は、どうやら退くつもりはないらしい。ランディは足下でカタカタと震える女性に、一瞬だけ視線を落とした。


「ちっと、ごめんよ」


 女性を跨ぐようにランディが、一歩踏み出し凶悪な大剣を肩に担ぎ直す。


「貴様、何者だ!」


 誰何すいかする兵士の一人に、ランディが「見りゃ分かんだろ」と視線を向け……一気に間合いを詰めて頭から真っ二つに叩き切った。


「通りすがりの旅人Aだ」


 ヘラヘラと笑うランディに、兵士三人が果敢に斬り掛かった。

 ランディの一振りで、三人の身体が上下に千切れて、吹き飛ぶ。飛び散る血と臓物に、地面に転がっていた女性が息を止めて頭を抱えた。


「っと……悪いな」


 ランディが転がる女性と男達を更に離すように、間合いを詰める。


 残った兵士は三人。


「き、貴様。我々は王国の――」

「だから何だ? ここは公国だ」


 震える兵士をランディが文字通り叩き潰す。

 飛び散る血に、顔を背けた一人の兵士は身体が上下に分かたれ吹き飛んだ。


「あとはお前だけだな」


 ランディが、残った一人に向き直った。メイドのような女性を羽交い締めにする兵士が「ち、近づくな」と声を震わせている。


「近づくと、この女を殺すぞ」

「試してみるか。俺の大剣とどっちが速いかを、な」


 ニヤリと笑ったランディが、大剣を肩に担いだまま間合いをゆっくりと詰め――


「くそ! 蛮族め」


 ――兵士が侍女を放りだし、ランディがそれを受け止めた。メイドの肩越しに見た兵士が、逃げようと反転。駆け出した瞬間に、小さな祠に躓いて転がった。


 倒れた兵士の前に、ランディが立ち塞がる……


「残念だったな」


 ニヤリと笑うランディに、兵士が「助け……」と呟いた時、祠から黒い靄が立ち上り、兵士を取り囲んだ。


「なん……」


 眉を寄せたのはほんの一瞬。兵士は首元を抑えたまま、全身を震わせて苦しみだした。断末魔の悲鳴を残し、兵士が絶命した。


「おいおい、マジかよ」


 顔を引きつらせたランディの前で、兵士の死体から再び黒い靄が立ち上る……それがメイドを抱えたままのランディ目掛けて襲いかかった。

 ランディの大剣が黒い靄を切り裂く……が、靄はランディの真後ろで再び靄が集まり、地面に転がる女性を取り囲んだ。


「お嬢様!」


 メイドの悲痛な叫びを残し、取り憑かれたのだろう女性の身体が宙に浮く。薄汚れていた銀髪は艷やかな濡れ羽色に染まり、海原の如き碧い瞳は真紅に――


「こら、勝手に変身すんな」


 ――染まろうかと言う時、ランディが大剣の腹を女の頭に叩きつけた。


 鐘を突くような音が森中に響き渡り、浮いていた女が「信じられない」と言った表情で地面へと倒れ伏した。


「へ、変身シーンは……攻撃したら……駄目……じゃろ」


 恨み節を残して女が気を失った。濡れ羽色の髪が音もなく薄汚れた銀色に戻ったのとほぼ同時、メイドがランディを押しのけて女性に駆け寄った。


「お嬢様、!」


 聞き覚えしかないその名前に、ランディが苦笑いを浮かべた。視線の先に現れたハリスンの、「こりゃまた派手にやりましたね」という呑気な感想が、少しだけ有り難いランディであった。

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