8、『聖女』

私とフローレンスは向かい合って座っている。かつては大きいと感じた椅子が今ではピッタリになっていた。フローレンスはモンブランと紅茶を出してきたが断った。すると、喜んで私のモンブランを食べてしまった。


「久しぶりですが、貴方も『魔女の館』も何も変わりませんね」


「模様替えなんて面倒なことを私がするわけがないでしょう?」


「そうですね。貴方は面倒くさがりでしたからね。ガーネットがいなければ、外出すらしませんでしたからね」


「そうね。『賢者』がいなければ、私は今も家の中で魔法の研究をしていたでしょうね」


「貴方のような人を今では『自宅騎士団』と呼ぶらしいですよ?」


「ちょっと待ちなさい!私は働く必要がないから家に引き籠っているのよ?その不名誉な名前は取り消しなさい!」


「ピッタリじゃないですか。撤回する理由はないです」


『魔女の館』の内部は昔から何も変わらない。懐かしい匂い、寝食を共にした日々、そして、互いの技を研鑽した日々が思い出された。


━━━本当になんて醜悪な日々だったのだろう。


「はぁ…それにしても、『剣聖』も『賢者』も立て続けにここを訪れるのだけれど、『聖女』様は何を求めて私のところに来たの?同窓会の誘いなら断るわよ。私、そういうの苦手なの」


「それもいいですね。私たちが勇者などと言われて久しいです。お互い面倒な役職のせいで、形式ばった話ばかり。たまにはそういうのを抜きにして話をしてみたいと思いましたが、それは不可能です。


貴方が殺してしまったのだから━━━」


「━━━」


断罪の一言がフローレンスの動きを止めた。一瞬、無表情で私を見た後、ゆっくりと飲みかけのティーカップを元の位置に置いた。そして、私を見てこれみよがしにため息をついた。


「…はぁ、一応聞くけどなぜかしら?私が『剣聖』と『賢者』を殺す動機がないのだけれど?」


『王室派』でもなく、中立の立場にいるフローレンスには確かに二人を殺す理由がない。けれど、


「なぜもありませんよ。純粋にマルスとガーネットを殺せるのは貴方しかいないです。暗殺?そんなものができるわけないんですよ。貴方は私たちに暗殺の恐ろしさを教えた。あの二人の感知技能は暗殺者を寄せ付けない。そんな二人を殺せるのはどう考えてもフローレンス、貴方しかいません」


「面倒な子ね…決めつけはよくないって口を酸っぱくして言ってきたつもりだけれど、全く効果がなかったようね…それに、貴方は私の言いつけを守らないで感知技術の修行を怠ったでしょう?」


「そんなことはどうでもいいのです。友を二人も失った私は敵を屠らなければなりません。たとえ、その相手が私たちの師であったとしてもです」


私は力を解放した。私たち神職に携わる者は『聖法』という神秘の力を扱う。魔法は自分の体内の魔力を使うのに対して、私たちは自然の魔力を使って奇跡を起こす。主な使い方は回復だが、『聖女』となると、封印などの特殊技能や純粋な戦闘力を上げることもできる。


しかし、私が臨戦態勢をとっても、一切動じることがない。そして、冷静に私と自分の実力差を分析しているようだった。


「少しは成長したようね。ふふ、これなら確かに一度くらいは殺されそうね」


フローレンスを一度殺したくらいでは何も意味がないが、彼女の観察眼は永遠の時を生きた経験に基づくものだ。私はフローレンスを一度殺したら、私も死ぬということだろう。そして、


「けれど、それは『聖典』を使わなかった場合の話ね。もし、使われたら、私も本気で逃げなければならないわ。何もない空間で一生暮らすなんて私にとって地獄すぎるわ」


『聖典』は奇跡を司る。『聖女』である私が『聖典』を使っている時は死ぬことがない。限定的だが『不死』を再現できる。そして、私が『魔』だと断定した人間を封印することができる。相手がどれだけ魔力を持っていようが関係ない。私が封印したいと思えば、一生封印できる。私が死のうともそれは変わらない。


けれど、フローレンスは『不死』を持つ私に感知技能を鍛えろと言って来た。基本的に教えは受け入れてきた私だったが、それだけは意味わからなくて、『聖法』の修行をしていた。すると、


「でも、封印はできないのでしょう?」


「…どういうことですか?」


フローレンスは私を見て微笑んだ。


「私を封印なんてしたら、師匠を封印した恩知らずの『聖女』になってしまうからよ。特に『慈愛の聖女』なんて言われている貴方がそんなことをしたら、民衆からの支持もなくなると、『勇者派』の存在意義が揺らぐわね」


「…」


「そうなれば、もう『王室派』に勝つことができなくなる。そうでしょう?」


「…そうですね。フローレンス、貴方の推察通りですよ」


脅せれば少しだけ交渉を優位に進めると思ったが、相手は何年も生きてきた魔女。交渉が優位に進むどころか交渉にすらならない。本当に忌々しい存在だ。


「可愛い『聖女』様が尋ねてきたのだから、私もできうる限り力になってあげたいと思っているのだけれど、政治に巻き込まれるのは本当に嫌なのよ。だから、手を貸すことはできないわ。ごめんなさい。モンブランをあげるから帰ってくれないかしら?」


「そうは言わせません。絶対に『勇者派』に入っていただきます」


「シャー!」


「猫?」


私がフローレンスを捕まえようとすると、黒猫が私を見て、毛を逆立てて威嚇していた。いつの間に現れたのだろうか。


「最近、飼い始めたのよ」


フローレンスが黒猫をなだめる。少しずつだが、私への警戒心も弱まってきていた。


「猫は嫌いって言いませんでしたか?」


「ええ。けれど、根負けして居候させているのよ。『自宅騎士団』ね」


「まだ気にしてるんですか…けれど、その子も可哀そうですね。変な女に引っかかったばかりに…」


「にゃ」


「待ちなさい。なぜ貴方が『聖女』様の言葉に同意しているの?」


黒猫が私の言葉を受けて、フローレンスを見ると、ため息をついた。そして、それを追及するフローレンスだが黒猫は丸くなって寝てしまった。


(なんというか脱力してしまいましたね…)


もっと緊張感のある会談になるかと思ったが、黒猫の乱入がそれをすべて台無しにした。私は力を抑え、再び椅子に座った。すると、


「私が『黒の民』であることがまだ気に入らないのかしら?」


「━━━ええ。エリテール神はおっしゃられました。多種多様な種族が蔓延るこの世界は間違っています」


エリテール教は国家宗教だ。はるか昔、エリテール神は現人神としてオールストン帝国に滞在し、多くの人間を癒やした。そして、聖書を残し、どこかに消えてしまった。その聖書に書いてあるのが人間だけの世界の構築だ。私は敬虔な信徒としてそれを成さなければならない。


それが成せるなら、『勇者派』だろうが、『王室派』だろうと私にとってはどうでもいい。ただ、今の皇帝は駄目だ。だから、私は『勇者派』として行動している。


だが、


「エリテールはそんなことは言っていないわ。あの子は世界の多様な種族全員が分かり合い、共存できると謳っているの。聖書の言葉をエリテールが言っているのを一度も見たことがないわ。貴方たちは騙されているわ」


ピキ


面倒くさがりで、だらしなくて、無神経なフローレンスのことは嫌いだ。けれど、それ以上に私が嫌いなことがある。それがエリテール神の話をするときだ。


「私が貴方に憎悪を抱くのはエリテール神を知己のように話すことですよ。私はそれを許すことができない。私にとってエリーテル神は何よりも素晴らしく崇拝するものなのです。それを踏みにじられることがどれほど屈辱か分からないのですか?」


「嘘なんて言ってないわ。なんだったら会わせてあげましょうか?」


「そういう問答は不要です」


エリテール神のご尊顔にあずかれるならそれはぜひとも会いたい。だが、エリテール神はすでに天に還っているのだ。会えるわけがない。


「はぁ…」


私は立ち上がり、再び『聖典』の力を解放した。そして、それをすべてフローレンスに向ける。


「もういいです。私と共に来ていただきます」


「嫌よ。私が『聖女』様について行くメリットは皆無よ。ああ、もし私の欲しい物と交換って言われても無駄よ?私はたいていのものは自分で手に入れる主義なの」


「貴方の弟子を捕らえたと言ったら?」


「…」


空気が一気に冷える。『魔女の館』は一瞬で凍り付き、私の『聖法』はすべて霧散した。冷や汗をかこうにもすべてが一瞬で凍る。肺に入ってくる酸素が遅く感じてしまうほどのプレッシャーだった。


けれど、私はようやく『交渉』に持ち込めたと感じた。これで、フローレンスは私に協力せざるを得ない。


「そんなに怖い顔をしないでくださいよ。ですが、私の推測はあたっていたようですね」


「ウィルはどこ?」


嘘は一切許さないとそのルビーの瞳が私に告げていた。


「悪いようにはしませんよ。ただ、フローレンス。貴方には『王室派』に対する抑止力になってもらいたいだけなのです。その役目を終えたら、後のことは知りません」


フローレンスなら私を一瞬で殺すことができるだろう。けれど、それをしないのは『聖典』で弟弟子を捕らえたと考えているからだ。封印の効果は『聖典』の使用者を殺してしまっても続く。そう考えて私を殺すことができないのだろう。


「…分かったわよ。それであの子はなんて言っていたの?」


「『不死王』を殺したいらしいですよ?」


大きく見開いた『不死王』を見て、『聖女』は悪魔のように笑った。


━━━


「ゴホ、ゴホ」


夕陽の下で黄昏るウィルを見つけた。手には先の戦いで手に入れた『聖杖』があった。


「すっかり英雄ね」


私はなんとなくからかいたくなってウィルを挑発した。


「フローレンスか…俺はそんなことをちっとも望んでいなかったのだがな」


「望まなくたって、『剣聖』と『賢者』を殺したのよ?もう少し誇ってもいいんじゃない?」


「どうでもいい」


「無欲ね~」


私たちは最近、町を歩くようになった。ウィルは基本的に顔を見せないようにしていたから、町では謎の戦士が『剣聖』と『賢者』を倒したと大きく噂になっていた。もちろん、騎士団並びに上層部はそれを知っている。けれど、ウィルは有名になることを望んでいない。だから、町に出るたびにウィルは困ったような顔をするので、ついからかいたくなってしまう。


そして、町を外れた森の中に閑古鳥が鳴いているケーキ屋がある。外は『魔女の館』のような外装だが、それでもそこらの城よりも堅固な家だ。私とウィルは最近、夜はここで夕飯を頂いている。というよりもウィルの裏にいた人間が偶々私とウィルで歩いているのを見つけて連行したのが始まりだ。


「来たわね」


そういって店の奥から来たのは、金色の髪をサイドテールにした爆美女だ。出る所は出て、引くところは引きすぎるほど素晴らしいスタイルを持つ。こんなさびれたケーキ屋で働いているのがもったいないほどだ。


「エリテールさん、いつもすまないな」


「気にしないで。それよりも、よくそこの陰気な『自宅魔女』を連れ出せたものね」


ふふ、っと笑う彼女はエリーテル。オールストン帝国の国家宗教であるエリテール教の開祖である。千年も前に始まったエリテール教の開祖は神で既に天に還ったというのが伝説になっているが、彼女は神ではないし、まだ死ぬことはない。


長命種と呼ばれるエルフの祖先だが、エリテール自身にはほとんどエルフの血は残っていない。だから、耳も全然長くない。かつて地上を支配したエルフは何万年と生きたが、天災でほぼ全滅。残ったエルフは人間と交配しながら、徐々に血を薄くしていった。エリテールは二千年生きれれば良い方らしい。意味が分からない。


そして、現在はオールストン帝国の仇敵として、『黒の民』の女王として君臨している。


「陰気は余計よ。それより、貴方の信者が暴走しているのだけれど、そろそろどうにかならないの?」


エリテール教はエリテール神の名の下に他種族を惨殺している。それで『黒の民』の何人かが殺された。


「どうにもならないわ…もうあの子たちは私の手を完全に離れちゃったもの…」


エリテール教は既にエリテールのものではない。オールストン帝国を追放された時、あの帝国は私たちの手から完全に離れてしまった。


「長命種の化け物である私をアレキサンダーは受け入れてくれた。私はその恩に報いるために行動していたのに…どうしてこうなっちゃったのかしらね」


「仕方がないわよ。百年生きれば良い方の人間と私たちじゃあ何もかもが違うわ。それに恩義を感じてくれた子達も亡くなれば、私たちはただの化け物。感謝ではなく畏怖になってしまうのも気持ちはわかるわね」


「そう、ね。仕方がないか…」


少しだけ場の雰囲気が悪くなる。私はモンブランを食べて逃げる。すると、


「一つ聞きたいんだが、あんたらはどれくらい生きているんだ?」


「ウィル…レディーに年齢を聞くのは駄目よ?」


「あ、そうか。失礼した」


エリテールがウィルに向かってぷんぷんと怒ってる。


「これから何年も生きる私にとって年齢なんて無意味よ。ちなみに私は忘れたわ」


「貴方ねぇ…年齢と共に女子力を置いてきたの?私は30を超えた瞬間から年齢を聞かれるのが怖くて仕方がなかったわ」


「ふふ、生娘じゃない」


「ウィル。この『不死王』以外の女性に年齢を聞いちゃダメよ?絶対に」


「わ、分かった。肝に銘じておく。ゴホ」


年齢なんてもうほとんど気にしたことがなかったが、エリテールは私の年上だ。かれこれ1000年以上の付き合いになるが、エリテールは成長している。昔はもっとじゃじゃ馬娘だったが、落ち着きを手に入れたようだ。


それに変えて私は一生『変わらない』。成長というものを全く感じられない私にはエリテールの変化は少し羨ましかった。


「それにしても、ウィルが『剣聖』と『賢者』を倒すなんて凄いわ。私なんかじゃどうにもならないと思っていたけれど、任せてみるものね」


カウンターで頬杖を突いたエリテールが私を見てきた。


「全くよ。面倒な仕事を押し付けてくれたものね…」


呪術師なんてわけがわからないものを強くするために、私は探し物を見つける魔法が完成しなかった。一年くらいでできる予定だったのに、全部ウィルに時間を取られてしまっていた。


「ああ、フローレンスには頭が上がらない。毎日感謝しているよ」


ウィルが微笑しながら、感謝の言葉を向けてくる。私はそれを正面からみることができなかった。


「…モンブランうま~」


「珍しいわね。フローレンスが照れてるわ」


「何!?本当か?」


「照れてないわよ。ただ、無性にモンブランが食べたくなっただけよ」


「そういうことにしておいてあげるわ」


エリテールから生温かい視線を感じる。私は本当にモンブランが食べたくてたまらなかったのだ。だから、これだけ糖分を求めている。


「でもね、ウィル。これ以上はいいわ」


エリテールが一転して、真面目なトーンでウィルを見た。そして、


「どういうことだ…?」


「貴方はよくやってくれた。いえ、よくやりすぎよ。このままじゃ貴方が!「そういえばフローレンス」」


ウィルがエリテールの言葉を遮って、私の方を見てきた。


「何よ…言っておくけど私は本当にモンブランが食べたかっただけよ?」


「分かってるよ。フローレンスはモンブランを食べたかっただけだよな?」


「生意気…」


最近、ウィルが生意気になった。私をからかうようになったのだ。そして、私の反応を楽しんでいる。許せない。


(ここらで私の恐ろしさを思い出させてあげようかしら?)


にょきっと『不死王』の顔が覗いたが、ウィルの顔を見て、すぐにそんな考えは消え失せた。そして、


「また、俺が殺したい相手が増えた」


「また…もうめんどくせぇ」


隠す気もない。このパターンはもう三度目だ。私だって学習する。けれど、


「フローレンス、お前だ」


「え?」


ウィルは微笑しながら、私を指さした。

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