6、『賢者』2

私はモンブランと紅茶を出す。昨日、今日で来客が二人も来るとは思わなかった。そして、私の向かい側に座って、紅茶を落ち着いて啜るガーネットを見ると、とても大人びたような印象を受ける。


昔はヤンチャで勝気な娘だった。『聖女』と『剣聖』を引っ張りまわして遊んでいた。そして、『勇者派』を創設したという話はガーネットから手紙で知らされた。昔から人を引っ張る魅力があったから、何も不思議ではなかった。


「先生、モンブランは嫌よ」


前言撤回。見た目以外は全く変わっていない。少しだけ青筋が立った。私の好物を否定するとは生意気だ。けれど、ここでキレては師匠の威厳は格落ちだ。私は至極落ち着いた対応をすることを決めた。


「ふふ、懐かしの味を思い出してほしかったのよ。それにモンブランは高級品よ?好き嫌いは良くないわ」


「うへぇ…ここに来ると全部の基準が低くなるから嫌ね…モンブランが高級品なんていつの時代よ…」


私の沸点は限界を超えた。


「それならさっさと家に帰りなさい。私がいただくから」


「ああ!ごめんなさい!この貧乏くさいモンブランもたまには食べたくなるの!」


私がモンブランを回収しようとすると、ガーネットは無理やり口の中にモンブランを突っ込んだ。文句をいう割には美味しそうに食べるのがガーネットだ。昔から素直じゃなかったが、大人になってもこの調子では直っていないのだろう。


「それで今日はどうしたの?たくさん友達を連れて来たようだけれど」


あの感じは『賢者』専属のエリート魔法使いと言ったところだろう。一人一人の魔力が洗練されているのが分かる。


「ん?」


カタカタと震えているガーネットがいた。顔を下に向け、服をぐっと握っていた。そして、テーブルの上には水たまりができた。


「…先生は意地悪ね。ここに戻ってきた理由なんてわかるでしょう?」


「…そうね」


昨日の今日だ。因果関係など考えずとも何を求めて『魔女の館』を訪れたかなど分かる。他人の感情に寄り添えず、無神経な質問をしてしまうのは私の悪い癖だ。


「先生、マルスが殺されるなんてありえるの?私いまだにこの世界が夢だと思っているの」


「それは残念ね。この世界は夢じゃなくて現実よ」


「それじゃあなんで弟子が死んでいるのに、涙すら流さないの!」


テーブルをどんと叩いて、向かい側に座っていた私の胸倉を掴んできた。メイクをして美しくなったガーネットの顔はぐちゃぐちゃになっていた。


「しゃああ!」


驚いた黒猫がガーネットに向けて、怒気を混ぜている。心地よく眠っていたのに、無理やり起こされて腹が立っているのだろう。私は黒猫をなだめながら、ガーネットをまっすぐ見る。


「私はもう人が死んだくらいでは泣けないの」


「ッ」


「何人見送ったのかしら…その中には大切な人もいたはずよ。けれど、もう思い出せないの」


「あ…」


私は数千年を生きた『不死王』だ。何人も何人も見送っていった結果、『悲しい』という感情がどこかですり減っていった。『悲しい』だけではない。他の感情もだ。


「赤ん坊が成長して、見た目の年齢が私と同じくらいになる。そして、青年を経て、中年、老人、最後には死んでしまうの。私よりも先にね。どんな人間であろうと私より先に死ぬの。『剣聖』も例外じゃないのよ。非常に残念なことにね…」


ガーネットには言えないが、私よりも早く死ねた『剣聖』に対して羨望すら抱いてしまう。


「ごめんなさい…先生も辛いのに、当たってしまったわ」


ぐしぐしと涙をぬぐう。私は近くにあったハンカチを渡す。メイクがぐちゃぐちゃになっているが、ガーネットの勝気な表情は美しい。悲しむ顔は似合わない。


「ふふ、ガーネットも成長したのね。謝れるようになるなんて天国の『剣聖』も喜んでいるんじゃないかしら?」


「そ、そうよね。そうだといいなぁ…」


「にゃ~」


「え?何!?先生猫飼い始めたの!?」


「にゃ!?」


ガーネットは黒猫を見つけると、魔法で捕まえて、自分の腕に持って可愛がり始めた。黒猫を見ると、私にSOSを出しているが、たまには苦しむといい。そして、魔法が完成したら、今日の感想を聞こう。


「にゃ!」


「あん、逃げられちゃった。残念」


黒猫は家の外に出ていってしまった。よほど嫌だったらしい。ガーネットは残念そうに紅茶を啜った。


「それより、私に何か聞きたいことがあるんじゃないの?」


そろそろ夕飯の支度がしたいので、手短に終わらせてほしい。


「ああ、そうそう。マルスの部下から聞いたんだけど、マルスが発見された前日に、ここに訪れたって聞いたのよ。もちろん、私は先生を疑っているわけじゃないわよ?ただ、何か変わったことがあれば、教えて欲しいなぁと思ってね」


「そうねぇ…」


それなりに話し込んだから何から説明すればいいのか。最初から話すと、絶対に夕飯の準備が間に合わないし、かといって短すぎても質問攻めを喰らうのは眼に見えている。


「それなら、私に最近弟子ができたことを伝えたわよ?」


「え!?そういうことは私たちにも教えなさいよ!先生って本当に大事な話をしてくれないよね!」


「ふふ、ごめんなさい。ただ、本当につい最近のことなのよ」


「へぇ~、もう弟子はとらないって言わなかった?私たちでもう懲りたから、二度と人と関わらないって言っていたのに」


「気が変わったのよ。とっても面白い子だったからついね」


「先生が面白いって相当よね…?」


戦慄の眼差しが向けられる。私が他人に興味を持つことがそんなに可笑しいのだろうか。可笑しいに違いない。私でもそう思う。けれど、これを聞けばガーネットも興味を持つに違いない。


「『賢者』を殺したいそうよ?」


「え?」


私は悪魔のような笑みを浮かべた。


━━━


いつもの修行場に行くと、ウィルが『聖剣』を眺めながら、ボーっとしていた。私は驚かせてやろうと思って、背後から近づいた。


「フローレンスか…」


「あら、バレちゃったのね…」


「ああ、『聖剣』の力は凄いな。今なら何でもできるようになった気がする。それこそフローレンスを倒せるかもしれない」


秒殺した。


━━━


━━



「おめでとう、ウィル。ついに『剣聖』を殺せたようね」


「あ、ああ。瞬殺されてそんな気分にもなれなくなったがな…」


今度は落ち込んでしまったらしい。そもそも『聖剣』で力を十倍にしたところで私はそれの何倍も強い。ただ、単純に私が強かっただけだ。


「改めてありがとう、フローレンス。お前のおかげで『呪術師』の俺が『剣聖』を倒せた。ゴホ」


律儀に頭を下げてくる。礼儀正しさはウィルの良いところだ。


「そう言ってくれるのはありがたいけれど、本当にあなただけの力よ。何度も死ぬなんて、常人ならすぐに音を上げるわ」


「ふっ、そうは言うがフローレンスこそ俺に同じ数だけ殺されているんだ。申し訳ないくらいだ」


「私はいいのよ。痛覚を遮断しているし、昔は一日で何百と死んだもの。いい加減死に慣れてしまったわ」


「そうか。余計なお世話だったな」


ウィルは一年間、圧倒的な力を持つ私に殺され続けた。一万は死んだだろう。今、ウィルは感慨深く『聖剣』を握っている。未だに『剣聖』を殺せたことが信じられないようだ。


「なぁ、フローレンス。俺は『剣聖』を殺してしまってよかったのだろうか?」


「何よ?やったことが信じらないの?」


「いや、そうじゃない。俺と『剣聖』は戦ったとも言えない。≪迷える子羊スケープゴート≫で不意打ちだ。あんな勝利を勝利としていいのだろうか?皆は賞賛してくれているが、これでは」


私は遠見の魔法を使って一部始終を見ていた。


ウィルは城下町に侵入し、単独の『剣聖』に近付いた。そして、取るに足らない悪党のフリをして、『剣聖』に突っ込み殺された。たった一撃。私との特訓で膨大な経験値を手に入れたウィルですら一撃も躱せない。これが才能の差だ。


けれど、ウィルの勝ちだ。


死にそうになったギリギリのタイミングで≪迷える子羊スケープゴート≫を発動した。突然不可解なダメージを負った『剣聖』は気絶した。そして、ウィルはそのまま心臓に一突きで『剣聖』を殺し、『聖剣』を回収した。


結果は明白。圧倒的な差をつけてウィルの勝ちだ。だから、私は落ち込むウィルの額をデコピンで小突いた。


「痛!」


「そういう無駄な思考はやめなさい。貴方は『剣聖』を殺したかった。そうでしょ?」


「だが」


「貴方がいなければさらなる犠牲者が出た。そこに過程なんて誰も求めていないわ。だから、誇りなさい。貴方は誰も成せなかった偉業を成し遂げたのだから」


少しだけ迷った後、ウィルは私の眼を見た。


「そうだな。手間がかかる弟子ですまないな」


「全くね…」


人間は本当に面倒だ。意味のないことで落ち込んだり、揺さぶられる。五十年程度しか生きることができない短命種なのに、よくそんな無駄なことができるものだ。


「それより今日の分のモンブランは?」


「忘れた」


「貴方ねぇ…」


私との『稽古』の対価はモンブランだった。ウィルは本当に毎日モンブランを持ってきた。あんな高級品を買えるなんて、アレはどれだけ甘やかしているのだと思ったのだが、なんと借金をしているらしい。流石に申し訳なくなった。


けれど、『剣聖』を殺したおかげで莫大な報奨金をもらったらしい。「借金がなくなった!」と喜んで私に伝えてきたときは、後ろめたくなってモンブランを分けた。それから、ウィルもモンブランにハマったらしい。


ただ、最近、ウィルがモンブランを持ってこなくなったのだ。グレたのかと思ったのだが、そういうわけではなかった。


「お詫びにもっと美味しいケーキ屋を見つけた。一緒に行こう」


事あるごとに私を外に連れていくようになった。おかげで、外出用の服を買わないといけなくなった。流石に一着だけでは洗濯が間に合わない。


(もっとも、服すらウィルが奢ってくれるのだけれど…)


「ふ~ん。私を歩かせるだけの価値はあるのかしら?」


「ああ、俺の知り合いのお墨付きだからな、ゴホ」


「そう、それは楽しみね」


「ああ、俺もだ」


ウィルは何かと私を楽しませようとしてくるようになった。最初のうちは煩わしいだけだった私も、だんだんこの外出を悪くないと思い始めてしまっていた。


━━━


「あらあらあら…」


「どうしたの?」


先生の話を聞いていると、ウィルという弟弟子はそういうことらしい。私はこう見えて、恋バナは好きだ。私ぐらいの年で恋バナが嫌いな人などいないと思うが、それでも群を抜いていると思う。ただ、先生はそれに全然気づいていないらしい。


答えを言うのは野暮ってものね。私は密かに弟弟子を応援すると、同時に、可哀そうだと思ってしまった。


「なんでもないわよ?ただ、ウィルって子はは中々人を見る目がないようね。それは破滅への一途をたどっているっていうか…まぁ難儀な性格なのね」


「どういう意味?」


「ご愁傷様…」


(相手がこれじゃあ、一生かかってなんとかなるのかしら?)


魔王を裸で倒せと言われた方がまだ実現可能性がありそうな気がする。


すると、先生は私を見て、ため息をついた。


(私の方がつきたいわよ…)


「貴方が何を言っているか分からないけれど、まぁどうでもいいわ。追及しても大したものは出てこなそうだし」


「そうね。これは自分で答えを出して欲しいわ」


「?まぁいいわ。話を戻すと、弟子には毎日のように新鮮な気分にさせられているわ」


「先生は普段、外に出なさすぎなのよ。ウィルに連れまわされるくらいが丁度良いと思うわ」


「解せないわ…」


先生は本当に家から一か月出ないときもある。私が無理やりベッドから叩き起こしたこともあるくらいだ。そして、四人で市場にでかけた。『聖女』は凄く嫌そうな顔をしていたけれど、私はとても楽しかった。


「にゃ~」


「ほら!この子も私に賛成しているわよ!」


「いつの間に帰ってきてたのよ…ただいま、くらい言いなさいな」


「にゃ」


「もういいわ…早く動物と話せる魔法をつくりましょ…」


黒猫が私の隣に座っていた。そして、なんて言っているのか分からなくても先生に抗議しているのが分かる。可愛い黒猫と意見が重なるくらいには先生はだらしないということだ。弟弟子だってそう思っていると思う。


弟弟子と言えば、さっきの話が思い出される。


『賢者』を殺したい。アレは先生の冗談だろうが、それでも私の心にチクッと刺さっていた。


「私を殺したい理由なんていくらでもあるでしょうね…」


「そうなの?」


私のこぼした独り言を先生は耳聡く拾ってくれた。


「ええ。『賢者』だもの。他国の人間からはとても恨まれているのはわかるわ」


私は『賢者』だけれど、万能ではない人間だ。だから、オールストン帝国にとって利益になることをしている。それがどんな外道な手段であったとしてもだ。


「私は自分の正義に従ってこの国を守るために行動してきたの。そのために、倫理に反することもたくさんしてきたわ。敵の兵士を実験台にしたりもした。見せしめに処刑もしたわ。だから、恨まれるのは当然なのよ」


侵略した国の人間たちからは私は「悪魔」と呼ばれている。すべては私たちが自国で平和に暮らすため。そのためだったらどんな汚名でも受け入れる気だ。


「だけど、自国民に『賢者』を殺したいって言われるのはきついなぁ…」


私は何のために外道に手を染めてきたのか分からなくなる。すると、私の頭の上に手がのっかる。優しくて愛情深い手だった。


「『賢者』には私がいるでしょう?」


「…そうね」


そうだ。私の心が折れそうなとき、いつだって私の帰る場所に先生がいてくれた。変わることがない存在。それに何度も救われた。


「ありがとう」


「ふふ、気にしないで。師匠だから当然よ」


「それでもよ」


外を見ると、もう真っ暗だ。先生だって夕飯の準備をしなければならないのに邪魔をしてしまった。私は『聖杖』を持った。


「そういえば、『剣聖』も帰宅中にに亡くなったわ。『聖杖』を常に使っておくことをおススメするわ」


「━━━そうね。ありがとう」


『聖杖』は使用者の魔法の威力を十倍にする。私は常にオートで感知魔法を使っている。魔法使いなら温かい。『聖法』を使う坊主たちもここは共通している。例外があるとすれば、呪術師くらいだろう。彼らは魔力に熱がない。だから、すぐに見分けがつく。皇帝の魔力で実験したからこれは確実だ。


「それじゃあそろそろ帰るわ。先生に会えてよかったわ」


「ああ、待って」


「どうかしたの?」


「『剣聖』のことはまだ好きなの?」


「━━━ええ、好きよ。それじゃあまたね」


ドアがばたんとしめられた。


私が外に出ると、すぐに『賢者』直属の部下たちが集まってきた。


「『魔女の館』を監視しなさい。逐一、『不死王』のことを報告すること。いい?どんな些細なことであってもよ」


「「「はっ!」」」


三人がかりなら、私の素の感知魔法程度の精度を誇る。


私は確信した。フローレンス・・・・・・は確実にマルスの件について何か知っている。


「なぜ、マルスが『魔女の館』からの帰宅中に死んだことを知っているの?」


発見されたのは今日の未明だ。それを『王室派』の警備隊の一人が発見した。人知れず死んでいたマルスをどのように知れたのか。謎が残る。


私は先生が犯人であったとしても、必ず殺す。私の一番を奪った者には相応の裁きを与えなければならない。


「待っててね、マルス。私が必ず仇をとるから…!」






━━━翌日、用水路で死体となった『賢者』の姿があった。

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