8−2 和子

 屋敷の中を歩くのは、睦火を呼びに行って以来だ。睦火の部屋は屋敷の奥にあり、警備も濃いが、華鈴が入ることは許されていた。あまり良い顔はされなかったが。


 案内されたのは、屋敷の中でも外向けの部屋だった。和子は客ではあるが、屋敷の客間を使って良いのだろう。庭園が見える部屋だったので華鈴は安心した。屋敷の奥深くに入るわけではないだけ良いだろう。何かあれば庭へ逃げることができるからだ。

 最初に会った時、そこまで恨みの視線は感じなかった。部屋に入れば、和子が笑顔で迎えてくれる。


「いらっしゃい。来てくれて嬉しいわ。和子というの。はじめまして」

「はじめまして。華鈴といいます」

「いきなり呼んで驚いたでしょう。いつものあの子は一緒ではないの?」

「丸吉君は部屋で待ってもらっています。……半端モノと呼ばれたので、連れてきたくなかったので」


 喧嘩腰だっただろうか。和子が笑顔をやめて片眉を上げた。華鈴の後ろで控えていた女性にチラリと視線をずらす。


「半端モノと、本人は言われたくないようなので。やめてください」

「なるほど。聞いていたわね。お前、そのような呼び方は今後改めなさい。出てっていいわ」

「そんな。半端モノは半端モノです!」

 女性が食ってかかった。


「睦火様がご結婚相手の方につけたモノなのだから、そのような呼び方はすべきではないわ。それが全てでしょう。それとも、私のお客様を馬鹿にしているの?」

 和子の茶色の目が猫のように縦に細まって金色に変わる。ぎくりとしたのは華鈴だけでなく、その女性も睨まれたネズミのように竦み上がった。カタカタと震えると、後ずさりをして部屋を出ていく。


「ごめんなさいね。うちのモノの躾がなっていなくて」

「いえ、ありがとうございます」

「こちらに来てそんなに日は経っていないのに、あの子に慣れているのね」

「色々教えてもらってますから。お世話になっているんです」

「そう。まあ、可愛らしいものね。あの耳とか。かじりたくなるくらいには」

 かじりたくはならないが、和子は独特の表現で丸吉の可愛らしさを褒める。


「私としてはもう少しふくよかで、丸い方が、おいしく食べ……んんっ。ええと、まずはお菓子をどうぞ」

「……いただきます」


 途中不穏な言葉が聞こえたが、和子に嫌な雰囲気は感じなかった。紅音から感じた憎しみや、中折れ帽子の影からの恨みとは違う。

 お菓子を食みながら、和子はお茶をすすった。見目はお嬢様然として、紅音のように気位が高い雰囲気があったが、気軽さがある。


「今日あなたを呼んだのは、あなたの話を聞きたかったからなのよ。あなたは燐家の当主の妻としてこの家に留まる気があるのかどうかをね。あなたの意見を聞かせてほしいわ」

「私は、家に帰りたいだけです。ただ、家に帰るにも道がわからず。それに、向こうで変なものに追いかけられていて、どうしていいか」


「外にいるあれね。たしかにあれはしつこいわ。うろちょろと。でも睦火様ならば……、いいえ、なんでもないわ。家に帰る方法って、源蔵と同じ真似をあなたはできないの?」

 和子は言いかけたことをやめて、話を変える。しかし、その問いは前に聞いた言葉だった。曽祖父と同じ真似ができれば帰ることができる。和子でも知っている話なのだろう。


「曽祖父がどうやっていたかはわからないんです。私は、絵は描けないので」

「そうなの? あなたになんの力もなくて、睦火様があちらから連れてくるとは思わないけれど?」

「どういう意味でしょうか。私が睦火さんのところへ来たのは、曽祖父の絵があったからで、睦火さんが私をこちらに連れてきたわけではないんですが」


「源蔵の力が恐ろしいものだということは知っているわよ。だから、それを使って睦火様があなたをこちらへ呼んだのでしょう? 源蔵がいないのだし、ひ孫のあなたを連れてくる必要があったのでは?」

「私を、連れてくる必要、ですか?」


 曽祖父の絵を広げて置いておいたため、睦火との道が繋がった。だから、睦火が華鈴を呼んだわけではない。それなのに、和子は睦火が華鈴を呼ぶ必要があったと思っている。


「なぜ、そう思われるんでしょう?」

「源蔵の力はとても珍しく、絶対的だったからよ。絵を描いただけで殺されては、たまらないもの」

「絵を描いただけで殺される? それは、一体?」

「知らないの? あらまあ。源蔵は睦火様のために、絵を描き、敵となるものをすべて殺したのよ」

「曽祖父が、ですか?」


「その相手を絵に描き、絵の中に閉じ込めることもできれば、それを燃やして殺すこともできる。私たちにはない術を持っている人間。源蔵は畏怖されて当然なの。人間とは思えない力を持っているのだから」

「そんなこと……」


 できるわけがない。とはいえない。曽祖父の絵に入り、こちらに来たのだ。曽祖父はあちらでも不思議な真似をしていた。お化け退治をどのように対処していたかは知らないが、顧客がいたのは間違いない。異形の知り合いがいるくらいだ。

 そして、こちらでは、曽祖父を知るモノが曽祖父を恐れたり、恨んだりしている。


 曽祖父が絵を燃やしているのは時折見ていた。もう必要のないものだと庭で焼いていた。それは、異形を絵の中に閉じ込めて燃やしていたということだろうか。


 ゾッと寒気がした。だからあのひょっとこの男も、絵を燃やされたと喚いていたということなのか。

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