8 和子

「あの娘。本当に邪魔だわ」


 紅音は手紙を握りつぶした。さっさと花嫁の座を奪えという、兄からの叱咤の手紙を。


(分かっているわ。わたくしたちに後がないことくらい)


 伯父のせいで、灰家は没落寸前まで追い詰められた。そこから這い上がる間に、父親を失った。土地を奪いに来た隣のモノたちに襲われて、命を落としたのだ。

 あれもこれも、すべて伯父のせいだというのに。


 当時、燐家には三人の男の子がいた。正妻の子で人格者と言われた、長男。それから、荒ぶり者として名高い次男。そして、側室の子供である睦火の三人だ。

 その頃、睦火は大人しい子供で、当主になるのは次男だったと言われていた。


 力のある者が当主になるのは当然だ。

 血にたぎる者たち血気盛んな者たちを操るには力がいる。燐家は代々力のある家だが、次男の荒ぶりはひどく、次男が他の家の子らと争いになり、殺したこともある。


 しかし、次男は荒ぶるだけであまり頭がない。特に弱者を嫌い、なんにでも容赦なく叩きのめす。

 側室の子である睦火もその一人だった。同じ父親を持つものを痛めつけても、この世では問題になどならない。弱者に権利などないのだから。


「けれど、長男に手を出さないところから、伯父様は訝しがってたのよね」

 次男ならば、まず長男をなんとかするだろうと。


 年の離れた、しかも大人しく存在も薄かった睦火を相手にするより、当主になるために長兄をどうにかすべきだと、馬鹿な次男でも、流石に考えるはずだと。

 その予想は当たり、次男を操っているのは長男だった。


 だから、伯父は次男を押すのではなく、長男を押した。次の当主に。捨て駒を用意して、周囲の邪魔なモノを自らの手ではなく他のモノの手によって陥れるのならば、当主に相応しい。その時々の機嫌によって相手を懲らしめる次男よりもずっと相応しいのだと。


 けれど、その後、睦火が二人を殺すなどと、誰が思っただろうか。


 睦火は大人しい子供だった。燐家の者でありながら、微笑みは愛らしく、子供でも女たちには人気だった。


(私だってそうよ。なんて愛らしい方なのかと)


「伯父様も、睦火様が燐家を継ぐとは思いもしなかったでしょうね」


 睦火は長男と次男を押し除けて、燐家の当主となった。大人しい顔をしていて恐ろしい力を持つと分かったのは、長兄と次男が殺された後である。

 そのせいで、伯父は当主選びに失敗してしまった。一番力を貸していたのは灰家だったからだ。


(お兄様の言う通り、ここで結婚相手として選ばれなければ、我が灰家は終わりだわ)


「まずは、あの娘をなんとかしないと」

 源蔵のひ孫だからと面倒を見ているだけに過ぎないはずだ。


「源蔵はあの方の命の恩人とも言える方。ひ孫を養うのは仕方のないことよ」

 たとえ、睦火自ら相手をしていても。

 そう心に言い聞かせていたが、再び二人でいるところを見付けて、射殺しそうになった。


(睦火様が隣にいなければ、あんな人間の娘)


「あら、暇そうですね」


 竹林から出て庭園を渡っていたら、嫌な女が声をかけてきた。尉家の娘、和子だ。

 隙を持て余しているのか、声をかけてきながらあくびをして、扇で口元を隠す。


「失礼。先ほど昼寝をしていて」

「あなたこそ、暇そうですわね」

「ええ。のんびりさせていただいています。灰家の方は、余裕がなさそうですわね。心中お察ししますわ。どうやら、余計な真似をして、お叱りを受けたモノがいるそうです。お気を付けになって」


 残された紅音がわなわなと拳を握る。侍女たちや警備を供にして、和子はさっさと行ってしまった。


「あの女にまで馬鹿にされるなんて」

 紅音の呟きに、紅音の供も同じように怒りで震えていた。






「わわ、華鈴様。焼けましたよ! 焼き栗です!」


 食事に変なものは入らなくなったが、離れにはかまどがあるため、その使い方を教えてもらって、簡単な料理ならばここで作れるようになった。 籠いっぱいの栗は睦火からで、丸吉が焼いてくれているのだ。


「ほかほかね。すごい甘い!」

「お気に召されたらよかったです!」


 丸吉は満面の笑顔だ。薪を焼べていたせいで頬が黒ずんでいるので、拭いてやると、ポッと頬を赤くした。


(かわいいっ)


 丸吉がいなければ、ここでの生活は寂しいものだっただろう。睦火も来てくれるが、からかわれてばかりで心臓がもたない。丸吉は感情が表情に出るだけでなく、尻尾や耳にまで表れるので、とてもわかりやすい。

 今も尻尾がぱたぱた動いていて、耳がピンと立っていた。ついなでたくなる。


「もし、こちらに華鈴様はいらっしゃいますか」

「どちらさまですか!?」

 台所の出入り口で、女性が声をかけてきた。丸吉がすぐに華鈴の前に立ちはだかる。尻尾を立てて、警戒した。


「表より声をかけましたが、お声がなかったので、こちらから失礼致します。尉家の和子様より、華鈴様へ、お茶のお誘いをさせていただきたく、参りました」

「和子様の……?」

 丸吉と華鈴はお互い顔を見合わせる。花嫁候補の和子からお茶の誘いなど、どうしていいかわからない。


「行った方がいいのかな」

「お断りしてください。行く必要はありません、何をしてくるかもわかりませんから!」

「半端モノに聞いているのではない。お黙り。かの方はこの方に伺っているのだ」

 女性が叱咤した。丸吉が耳をぺたんと伏せた。怯えたように尻尾も萎えたので、華鈴が逆に前に立ちはだかる。


「行きます」

「では、どうぞ、こちらへ」

「華鈴様!? 変な物でも入れられたら」

「大丈夫。ね、ここで待っていて」


 丸吉をなだめて、華鈴は女性の後をついた。

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