7−3 街

 びゅううと音を立てて、ひょっとこはバキュームのように息を吸い込んだ。口はどんどん大きく広がり、華鈴の髪についていたクローバーのピンを吸い込む。


「あっ、ピンが!」

 しかし、ひょっとこは吸い込むのをやめない。


 ゴオオ。と音を出し始めると、その口で周囲のものを吸い込み始めた。隣にいた全身毛むくじゃらの獣を吸い込んで、あっという間に足まで飲み込んでしまう。


「ひ、ひえええっ!」

 周囲にいたモノたちですら逃げようとして、帯やら傘やら引っ張られ、身体ごと吸い込まれていく。華鈴の髪の毛も勢いよく吸い込み、頭が吸い寄せられた。ウサギのお面が弾け飛んで、ひょっとこの口に飲み込まれた。


「きゃああっ!」

「源蔵の絵に描かれたのは、俺の父親だ。簡単に燃やしやがって!」


 強い力で吸い込まれて、髪の毛どころか首が折れそうになる程引き寄せられた。華鈴の身体が浮いて、そのまま飲み込まれそうになった時、つむじ風のように、別の風が吹き荒れた。


「ひああっ!」

 ひょっとこの叫び声が聞こえた瞬間、吸い込まれるのをギュッと耐えていた華鈴は、温かな腕に抱えられるのを感じた。


「大丈夫かい。華鈴」

「睦火さん!」


 一瞬のうちに足元から地面がなくなって、華鈴は足がぱたぱたと空気を蹴っているのがわかった。睦火が華鈴を抱えて空に逃げてくれたのだ。

 遠く離れた地面から大きな悲鳴が轟き、先ほどいた場所が真っ赤に染まり、そこから一斉に逃げ出すモノたちが見えたが、睦火はそれを隠すように高く飛び始める。


「今の、なにが。皆吸い込まれて、」

「気にすることはないよ。気付くのが遅くなって悪かったね。怖い思いをさせた」


 怖かったが、睦火のぬくもりですぐに安堵が広がってくる。現金なほどに、緊張していた筋肉が緩まるのを感じた。


「せっかくいただいた髪留めが」

「また買えばいいよ。もっと似合うものを選ぼう」


 睦火はたいしたことではないと、顔を寄せて、乱れた髪を直してくれる。そこにもらったピンはないが、また新しい髪留めを買えば良いと、そっと額にキスをした。


「睦火さん!」

「怒らないで。無事で良かったよ。僕の花嫁を吸い込もうとするなんて、失礼な奴らだ。君が無事で良かった」

 空に浮きながら眼鏡を返してくれると、睦火は違う道に降りようと、下を見回した。


「あの……」

「おや、見つかってしまったね」


 飛んでいれば、山の小道で、あの中折れ帽子を被った黒い影が目についた。ひょこひょことぎこちなく歩き始めると、四つん這いになって小道を駆けてくる。


「仕方ない。今日はもう帰ろうか」

「きゃっ」


 睦火は再びお姫様抱っこをして、上空へ飛ぶ。街が遠のいて、中折れ帽子の黒い影も遠のいた。

 ひゅーひゅーと風が耳に響く中、低く滲んだ音も届いてくる。


――――許さない。許さないからなあ。――――


 身の毛がよだつ、唸るような声。

(私が何かをした? それとも、ひいじいが?)


「まったく、うるさいことだね」

 睦火はスピードを上げて、行きよりもずっと早く屋敷へと降り立った。


「あまり長く遊べなかったね。また晴れた日に遊びに行こう」

「あの、今のは……」

「気にすることはない。ただの逆恨みだ。……邪魔なことだよ」


 言いながら笑顔を見せるが、ちらりと横目にして小さく呟く。その声は先ほどの滲んだ音よりもずっと、身体の芯が冷えるほどの、恐ろしさを含んだ声だった。


「それよりも、華鈴。なにかある前に、ちゃんとを呼ぶんだよ? ああいった、危険を感じる時はすぐにでも」

「わ、わかりました」

「自分の危険には、随分と寛容なんだねえ。それじゃ、困るのだけれど」

「え?」

「いい子だね。さあ、部屋まで送ろう」


 小さく呟く声に、聞き返したが、睦火はなんでもないと華鈴を促す。

 竹林に隠れるモノには気付かなかった。背後を見ることなく、睦火が背中を押したからだ。


 睦火は優しい声で話すが、時折震えるほど恐ろしい雰囲気になる。それもすぐに消えるが、一瞬垣間見るだけでも体温が奪われるような感覚に陥った。

 睦火を見上げると、視線に気付いてすぐに微笑んだ。そうして華鈴を引き寄せると、当たり前のように額に口付ける。


「睦火さん!」

「うん? 可愛いからついね」


 誤魔化された気がするが、深く聞く気は起きなかった。今この場所で一番安全である睦火と諍いになりたくなかったからかもしれない。

 部屋に着いて、華鈴が中に入るまで、睦火は手を振って見送っていた。

 扉を閉めて外を見遣れば、もうすでに姿がない。飛んで去ったのだろうか。


 曽祖父のことを聞こうと思ったが、聞いても答えてくれない気がして、問うことができなかった。

 中折れ帽子の黒い影の強い恨みに当てられそうになる。


 ひょっとこの男も、曽祖父に恨みがあるようだった。


「ひいじいは、何をしたんだろう?」

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