8−3 和子

「もしかして、睦火様の話も聞いていないのかしら? 知っているモノは少ないけれど、あなたなら構わないわよね。源蔵が睦火様を助けた話は知っている?」

「命の恩人ということだけは聞きましたが」


「睦火様は幼い頃から行方不明だったの。実の兄たちに監禁されていて」

「監禁!?」

「ずっと閉じ込められていたそうよ。それを、源蔵が助けたと聞いているわ」


 曽祖父は睦火を偶然助けた。その後睦火は、自身を閉じ込めた兄たちやその仲間を、燐家に戻る前に倒してしまった。それに協力したのが、


「曽祖父が……?」

「だから源蔵は燐家で優遇されたのよ。仔細を知っているモノは少ないから、人間だと侮るモノも多かったようだけれど。長男が三男を拐かして閉じ込めていただなんて、燐家にとって恥でしかないわ。その頃の睦火様はとても大人しい方だったから、長男が睦火様の力を恐れたということも、表立って話せるようなことではないのよ。どれだけ心が弱いのかと思われてしまうでしょう。燐家の長男がそれでは、恥どころの話ではないの」


 力で評価されるこの世界で、燐家の長男が幼い三男を恐れることは、燐家の恥となるということなのか。しかも、誘拐されたとして、睦火を閉じ込めていたのだから。


「でも、なんで、閉じ込めておいたんでしょう」

「殺せなかったって話よ。それほどの力を持つ方だから。長男が睦火様を恐れただけあったのでしょうね」

 その睦火が曽祖父に助けられて、睦火は兄二人と協力者を一掃した。それを、曽祖父が手伝ったのだ。


「だから、睦火様が源蔵のひ孫を花嫁候補として連れてきたって、なんの疑問も持たないのよ。睦火様はあなたに何か力があると思っているのでしょう? 利益がない限り、お側に置くとは思えないし。昔から優しそうな顔して、怖いんだから。宗主も納得していたでしょう?」

「あ……」


(やっぱり、そういう理由があったんだ)


 曽祖父の能力が睦火を助けられるほどなのならば、そのひ孫にもその能力があってもおかしくない。

 そう思って、睦火が花嫁候補として宣言したのならば、華鈴も納得できる。


 命の恩人とは聞いていたが、はっきり何をしたかはわからなかった。けれど、話を聞いてしっくりときた。睦火は、華鈴のことをよく知っているからだ。


(ひいじいが、睦火さんに話した? 睦火さんは、自分であればあちらに行けると言っていたから)

 あちらで、曽祖父と暮らす華鈴に幼い頃会ったのだろう。その時に、睦火は華鈴の力を聞いたに違いない。


 華鈴はぐっと両手を握りしめた。


「あなたが花嫁になるのならばいいのよ。でも、その気が無いのならば、その場所は譲っていただかないと困るわ。だから聞きたかったの。あなたは、あちらに帰るつもりってことでいいかしら?」

「そのつもりです。帰り道がわかれば、すぐにでも!」

「源蔵のひ孫だからといって、同じことができるとは限らないものね。あちらに帰る方法は私も探しておくわ」

 和子はやれやれと肩を竦める。


「念の為だけれど、灰家の紅音には気を付けるといいわ。落ちぶれ寸前の家なのよ。睦火様の妻とならなければならない、崖っぷちってこと。だから、花嫁候補を消すのに、手は選ばないでしょう。気を付けることね」

「和子さんは、睦火さんのお嫁さんになる気はないんですか? 帰れない私が邪魔なんじゃ?」


「一応努力は見せないといけないところはあるわね。ただ、私の家からすると、紅音に嫁になってもらっては困るの。尉家は灰家と海を挟んで隣り合っていて、うちの土地をずっと狙っていたのよ。うちは島だから土地は良くないし、攻められると逃げ場がないの。やっと勢力がこちらに傾いたのに、また急激に天秤が下がっては困るわ」


 和子は嘘をついていないだろう。話を聞いて良かった。





 暇があるならまた話そうと約束して、華鈴は席を立った。土産に菓子を持たせたが、険しい顔をしていた。睦火に気持ちがあっただろうか。


「人間だもの、本気にはできないでしょう。あの子も帰りたそうだったし、大丈夫よね?」

 一人呟いて、和子も席を立つ。ついでに侍女に先ほどの女を処分するよう伝える。


 睦火に睨まれるのは面倒だ。華鈴が丸吉を気に入っているならば、丸吉に対して慮る心を無視すると、こちらに火の粉が飛んでくる。


「紅音様、あの娘と仲良くなさるつもりですか?」

 侍女の楓が、不服そうな声音で問うてきた。尉家の当主から、必ず睦火の相手になるように言われてきたので、華鈴が気になるのだろう。


 灰家の紅音に睦火を奪われるわけにはいかず、尉家は和子を差し出したが、和子にその気はなかった。尉家も灰家の紅音を選ばれるならば仕方がないという苦渋の決断だ。しかし、今回のことを好機だと感じているモノたちは多い。

 楓もその一人だった。


(宗主の相手ともなれば、尉家の影響力が強まるでしょうけれど、私はお断りしたいしねえ)


「あの子、源蔵様のひ孫だからと、睦火様に利用されているのかと思っていたけれど、その通りだったわ。彼女に今帰る道はないようだから、しばらくはまだ睦火様の側にいるだろうけれど、急に戻ることになったら困るでしょう? その前に、紅音をなんとかしないとならないと思わない?」

「それはもちろん、灰家の娘が睦火様の花嫁などと、まったくもって不釣り合いでございます。だからこそ、和子様が選ばれるべきだと!」


 力説してくれるが、和子にその気はまったくない。

 できれば、華鈴に睦火の相手になってもらいたいが、人間であるが故の障害も多いだろう。睦火が周囲を納得させられれば話は違うが、今のところ睦火は何かをしようとしていない。


(やっぱり、見せかけの花嫁が欲しいだけなんでしょう。その気になれば結婚なんてすぐできるのに、何もしないのだし)


 だとしたら、華鈴がいつ帰ることになるか把握できる立場にいた方がいい。もし、紅音を陥れることができる前に華鈴があちらに帰ってしまえば、みすみす紅音を花嫁候補から落とすチャンスを失ってしまう。

 そうであれば、見張れるような立場にいて、華鈴があちらに戻る前に紅音を蹴落とす必要がある。

 蹴落とした後、結婚相手を辞すれば良いだけだ。


 睦火の相手など面倒なだけ。あの、何を考えているのかわからない、笑顔の裏で邪魔者を消してきた男を伴侶になど、とんでもない。


「やあ、誰か客でも迎えていたのかい?」


 客間を出て自分の留まっている部屋に戻ろうとした先、噂の男がこちらに気付き近付いてきた。睦火だ。


「先ほど、華鈴様とお茶をご一緒させていただいておりました」

「そう。彼女と仲良くしてくれてありがとう」


 和子も華鈴も、同じ花嫁候補とも言えるのだが、睦火は華鈴は特別なのだと言わんばかりに礼を口にする。後ろに伴っていた侍女や警備たちが反応したことも気付いているだろう。それでいて笑顔でありながら、どこか威圧するような気配をしてくる。その気配の側にいるだけで、気を呑まれそうになった。


「でもね」

 睦火は笑顔のまま、そろりと和子の耳元で囁く。


「余計なことは言わなくていいよ」


 どっと冷や汗が流れた。言いしれぬ恐怖感に襲われて、身動きができなくなる。

 睦火はクスリと笑うと、そのまま横を過ぎて去っていった。


「わ、和子様……。なにを言われたのですか?」

「大したことじゃ、ないわ。それにしても」


 和子はもうすでに姿を消した睦火の背を追うように、後ろを見つめる。


(あれ、もしかして本気なわけ……?)

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