7 街

「街に遊びに行かないかい?」


 帰り道はまだ見つからない。蛇の毒で眠ってばかりだったが、それも回復して動けるようになっていた。少しずつ外に出られても離れに近い庭園くらい。やることもなく暇をしているのを気にしてか、睦火に誘われて初めて燐家の敷地の外に出た。


「手を離さないようにね」

 睦火は当たり前のように華鈴をお姫様抱っこで抱き上げる。


「そ、外出るだけですよね!?」

「山は危険だし、下るには距離があるからね。飛んだ方が早いんだよ」

「飛ぶ??」


 飛行機でもあるのだろうか。どこに乗り物があるのかと探す前に、ふわりと風が吹いたかと思うと、華鈴を抱き上げたまま睦火が宙に浮いた。


「きゃ、嘘。空を飛んでる!?」

「これくらい簡単だよ。でも寒いから、さっさと降りよう」


 風に乗るように飛ぶと、山の木々よりずっと高く浮く。上空に行けば行くほど冷えた風が頬をかすった。地上より風は強く、凍えるような寒さになる。


「しっかり捕まって」


 落ちてはいけないと、首に腕を回すよう言われて、華鈴はおずおずと腕を回した。身体が密着しないようにしたいが、移動しているせいでどうしてもぶつかってしまう。そのおかげか、触れている部分はとても温かく、代わりに頬など肌が露出している部分の冷えを感じた。


「顔もくっつけていれば温かいよ?」

「い、いえ。大丈夫です!」


 何も言っていないのに、睦火がもっとしっかりくっつけばいいと提案してくる。即座にお断りすれば、残念そうな顔をした。

 その顔は見ないふりをして、高所からの景色に視線を向ける。


「怖くない?」

「大丈夫です。綺麗な景色ですね」


 露天風呂から見たように、自然豊かな場所だ。途中うねった道が一本見え、その途中荷台を引いている馬がいた。山が高いため蛇行した道を上っているが、やけに急いでいる。ムチで叩く音が空まで聞こえた。


 木々の陰では、何かが蠢いている。何かはわからないが、群れでいるようだ。熊のような丸い獣ではないが、大きな黒い物体が固まって動いているのはわかる。

 遠くの空では、羽衣のような白いものが蠢いているのも目に取れた。うなぎのような、白く長い蛇のような生き物で、ヒレのような小さな羽を動かして飛んでいた。


 空も地上も、不思議な生き物がいるようだ。こちらに近付いてくるので、つい体を強張らせる。


「あれは、ちょっかいを出さなければ危険はないよ。人を襲うことはない。晴れた日はよく飛んでいるんだ。森の中のあれはだめだ。なんでも喰らうからね。酸を飛ばして溶かして食べる。だから、一人で森に入ってはいけないよ」

「荷車が走ってましたが」

「日の光が苦手なやつらだから、明るいうちに移動して危険を避けるんだよ」


 その割にはずいぶん急いでいるようだった。それに関しても理由があるのだと、睦火は山の中にいる異形について教えてくれる。


「この世界には、人間の姿をしているモノ。丸吉のように獣の姿を隠せないモノ。それから、話すことのできない異形のモノなどがいる。山にいるのは、その話すことすらできない知能の低い異形たちだ。知能は低いが、獲物を狩るために群れるから、とても危険なんだよ」


 夜行性で、日が照っている間は木陰で休んでいるが、雨などで日がかげっている時は、隙を狙って襲ってくる。高い場所に登る能力はないため、追われたら木の上に逃げて凌ぐしかない。

 炎も得意ではないが、酸を飛ばして足を狙ってくる。そして、動けなくして火が燃え尽きるまで待つ知能もある。


「酸が当たるような近さまで来られたら危険だ。だから、昼でも急いで道を走らせる。人間の姿を持つモノでも、群れで攻撃されれば、やられてしまうことがあるからね」

「それで、あんなに急いで山をかけているんですね」


 術などは使ってこないが、群れて生き物を襲う。夜は特に危険だが、昼でも警戒しなければならないのだ。


「僕と一緒にいれば大丈夫だよ。ほら、ついた」

「わあ」


 降り立ったのは砂浜で、海岸沿いに灯籠が並んだ小道がある。道行くモノたちは、着物姿であったり、毛皮やショールを羽織っていたり、はたまた蓑を肩に乗せたりしている。

 姿は犬猫のように鼻先が尖り先端が黒く塗られているモノ。頬にトカゲのようなひび割れがあるモノ。猿のように顔周りが髭で覆われているモノなど、動物系の顔から、鬼のような形相で大きな口から牙を出しているモノ。側頭部からツノのようなものが出ているモノまでいる。燐家にいるモノたちに比べて、人間そのものの姿をしているモノが少ない。


「これを被っているといいよ。彼らの顔を見るたび驚いてはいけないからね。眼鏡は僕が預かっておこうかな」

 差し出されたのはウサギのお面だ。顔に出ていたのだろう。彼らを見るたび口を開けて凝視しては、なんだと思われてしまう。ここは素直に受け取って、しっかりとお面を被った。


「迷子になってはいけないから、手を繋ごう」

 当たり前のように手を繋がられて指をなでてくるので、また頬が熱くなってくる。ウサギのお面のおかげで顔は見えないだろうが、わかっているかのように笑顔を向けてきた。


(最初に比べて、怖さはなくなったけれど、こうやってからかわれるのは慣れないわ)


 道の先は賑やかで、出店などがある。もっと奥の方は、温泉街の土産物店のように、開けた店が並んでいた。思ったよりずっと街だ。人間の世界と変わりない。

 山と海に囲まれた街で、山の斜面にも建物が見える。あれが燐家だ。あそこから空を飛んできたのだ。


「結構、長い距離を降りてきたんですね」

 露天風呂から見た時には、さほど高い山ではないと思ったが、下から見ると思ったより標高がある。上に行くにつれて暗くなり、空と山の稜線のコントラストが美しい。

 曽祖父が描いた山の景色を、下から見上げられるとは思わなかった。


「華鈴、おまんじゅうはどう? おいしいよ。お食べ」

 いつの間にか屋台で買ったおまんじゅうをくれる。少しだけお面を傾けて食べれば、柔らかな生地にほのかな餡の甘みが口の中に広がった。


「すごくおいしいです」

「それは良かった」


 睦火は目尻を下げて目を細めた。穏やかに華鈴を見つめるその視線は、まるで愛しいものを見守っているようだ。華鈴はすぐに顔を背けた。なんだか耐えられなくなる。


(あんな風に見られると、本当に勘違いしそう)


 睦火は結婚相手というが、本当に結婚など考えていないのだろう。二つの家を無碍にできないため、丁度現れた華鈴をだしにしているだけだ。

 そう思っているのに、優しい視線を向けられると、本気にしてしまいそうになる。


(そんなわけないんだから、帰ることを考えなくちゃ)


 未だ帰り道は見つかっていない。どうすれば帰れるかはわからないが、曽祖父はこちらに迷い込んだのだから、逆に行方不明になったモノがいないか話を聞けないだろうか。もしかしたら曽祖父のようにあちらに行って戻ってきているかもしれない。


 そこから情報をまとめれば、何かわからないだろうか。

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