5−3 丸吉
「ふう、ここでしっかり見張ってないと。華鈴様に何かあったら、睦火様に顔向けできない」
丸吉は引き戸の前で、デッキブラシを片手に仁王立ちしていた。
体は小さく、力が足りないため、術もまともに扱えない。獣と人が混じった姿は中途半端で、燐家では下働きとしか扱われないはずなのに、睦火に重宝されている。そのため、丸吉を羨み、執拗に絡んでくるモノは絶えなかった。
睦火の命令で華鈴の側にいるのに、人間の世話をしていると、蔑んだ視線を向けられる。時に突っ掛かってくるモノもおり、丸吉に乱暴をはたらいた。丸吉だけではない。華鈴の食事におかしなものを入れてくる。睦火が結婚相手と決めた人間なのに。
「給仕のやつ、文句言っても直そうとしやがらない」
あろうことか、『人間の食べ物なんて、なんでもいいんじゃないか?』なんて聞いてくる。その上、『蛙だって食材だろう』とまで言ってのけた。
陶器のカケラが入っていたと食ってかかれば、『そんなこと言われてもなあ』と、にやにやして鼻で笑っていた。
「華鈴様は源蔵様のひ孫だぞ? それを知っていながら、なんてやつだ」
丸吉の生まれるずっと前、睦火は幼い頃行方不明になった。長い間戻らず、死んだと思われていたが、ある日、人間を伴って戻ってきた。それが源蔵だ。
睦火は幼い頃拐かされ、戻ってきた時は大人になっていた。行方不明になっていた長い間、どうしていたか知られていない。知っているのは宗主のような上のモノたちだけだ。丸吉は詳しくは聞かされていない。
戻ってきた睦火は燐家の当主となり、源蔵を燐家の離れに住まわせた。当初は燐家に人間を住まわせるなど考えられないと反対されていた。睦火を助けた人間を歓迎したモノもいるが、燐家の多くのモノたちは困惑していた。人間は愚かで、知恵のない、惰弱な存在だからだ。
人間は弱々しく、術を使うこともできない。人間の姿になれない獣たちですら人間を殺せるのだから、弱すぎる種族として一番下に見られた。
実際、源蔵は力の弱い人間だった。それがどうして睦火を助けられたのか、丸吉も疑問だった。
今の華鈴のように離れに住んで、いつも絵を描いていた。丸吉は絵についてよく知らないが、それでも源蔵の絵は引き込まれるものがあり、何の用がなくとも部屋に行って源蔵が描くのを眺めていた。
周りの世話をするためにいる丸吉を邪険にすることなく、眺めることを許してくれた、心優しき人間。
「私よりずっと弱そうだったのに」
貧乏な家に生まれた丸吉は、兄弟姉妹の多い中、女は売れるが術も使えない弱い男は何もならないと、邪険に扱われていた。
人間の姿をしているのに、耳と尻尾を隠すことができない半端モノ。家の中でもそう呼ばれて、小さな頃から召使のような扱いを受けた。
ある日、兄たちと街へ出かけた時、迷子になった。足の速い兄たちは後ろを歩いていた丸吉を振り返ることなく進み、とうとう見えなくなってしまった。置いていかれたのだ。
迎えに来てくれるはずだと、わずかな望みを持って待っていた丸吉に迎えはなく、雨が降って風が吹いて、お腹が減っても誰も来てくれないことに絶望し、泣きながら帰る家を探した。しかし、小さすぎた丸吉は家に戻る道がわからず、幼い丸吉にとって街は大きな危険があった。
一人でいては食われてしまう。腹が減って食べ物欲しさに盗んでも、すぐに見つかり暴力を受けた。弱って逃げた先、山の中で今度は獣に狙われた。
ぼろぼろになって食われかけた時、助けてくれたのは睦火だった。獣たちを一瞬で倒した睦火と一緒にいた源蔵は、丸吉の手当をしてくれた。華鈴と同じで、眼鏡をかけた、物静かそうな男だった。
睦火は丸吉を燐家に連れ帰ってくれた。簡単な仕事を与え、働かせてくれた。その手伝いの中に、源蔵へ物を運ぶ仕事もあった。その頃にも丸吉は疎まれて、燐家の下働きたちから嫌がらせを受けていた。
わざと転ばせられたり、ぶつかられたり、物を投げられたり、色々されていたが、源蔵も同じような嫌がらせをされていたことを知った。源蔵は気にしていない風だったが、丸吉が嫌がらせをされているのに気付くと、さっと絵を描いてみせた。
嫌がらせをしたモノたちの絵姿。源蔵はこれ以上馬鹿な真似をすると、後悔するだろうと忠告した。
やつらは鼻で笑い、源蔵を馬鹿にしていた。やつらもまた人間の姿を保てるとはいえ、術も行えない弱きモノだ。しかし、それでも源蔵よりよっぽど力がある。けれど、源蔵はそれらを前にしても怯むことはなかった。いつも甘んじて嫌がらせを受けても、ただ苦笑いをしていただけなのに。
『大丈夫だよ。丸吉君。君は堂々としていればいい。君は何も悪いことなどしていないのだから』
この世界でそんなことを言っても、なんにもならない。悪いことをしようがしまいが、弱ければ虐げられる。それだけの世界だ。幼くても関係ない。だから、強くならなければならないのだと、泣きながら訴えた。源蔵にそんなことを言っても、意味はないのに。
そうしてある日、絵姿を描かれたモノたちが大火傷を負った。源蔵を無視して嫌がらせを続けていたのに、突然全員が火傷を負って動けなくなった。
どうしてそうなったのかは知らないが、やつらは燐家を追い出された。死ぬことはなかったが傷がひどく、役に立たなくなったからだ。
『ほらね。丸吉君。悪いやつには罰が下る。人間の世界では、お天道様が見ていると言うんだ。善いことも悪いことも、行えば自らに戻ってくる。だから、君は胸を張っていなさい』
源蔵の言葉に、そんなことがあるのかと思いながら、そうであればいいと頷いた。源蔵は睦火を助けたのだから、もっと善いことがあるのだろうと。
その時の源蔵は、少しだけ曇った顔を見せたけれど。
その後、源蔵の部屋で、やつらの絵姿を見つけた。描いた時にはただの絵姿だったが、その絵には炎が描かれていた。
源蔵の忠告を無視したモノたちは、突然炎にまかれて大火傷を負ったと聞いたのは、それから少し経ってからだった。
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