5−2 丸吉

「ひどいわ。痛いでしょう」

「いえ、そんなこと。ありがとうございます。華鈴様はお優しい」

「睦火さんにお知らせして、犯人を伝えないと」

「いえ、これも私が不甲斐ないからなんです。睦火様にお知らせすることではないので。あ、でも、お食事の件は睦火様にお知らせします。とにかく、お食事を。これは安全ですから」


 ――――ぐううう。

 煮物を前に出すと、どこから大きな音が鳴った。丸吉の腹の音だ。丸吉は顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。


「丸吉君、一緒に食べましょうか」

「え、いえ、そんなわけには!」

「私、朝食はあまり食べれないから、一緒に食べてくれると嬉しいな」

「華鈴様……、ありがとうございます」


 丸吉は拝むように礼を口にした。華鈴のせいで丸吉が攻撃を受けたのに。その上、食事ももらえていないのではないだろうか。

 なにもかも華鈴のせいだ。


(睦火さんに伝えないと)


 部屋に救急箱が置いてあってよかった。この部屋は、思ったよりなんでも置いてある。一般家庭にある物は大抵置いてあるのではないだろうか。奥に倉庫もあったので、探せばなにかしらは見つかるだろう。


(ひいじいが住んでいたから、色々揃っているのかしら)


 それにしては、新しい道具も多く見受けられるが。


「そうだ、お風呂好きですか? 内湯じゃなくて、露天風呂があるんです。貸し切れるので、ゆっくりなされてはいかがですか?」

「貸し切るだなんて、迷惑では?」

「睦火様のお相手であるのに、なぜそんなこと。なりませんよ! 客人も使える温泉ですから。温泉は高台にあるので、とても景観が良く、私たちの力も回復できるんです!」

「私たちの、力?」


「私たちには人間と違い、術が使えます。その強弱はありますが、使うと疲労しますし、力が戻るまで時間がかかるんです。それを回復してくれるお湯なんですよ」

「術って、どんなことができるんですか?」

「たとえば睦火様は風の力を持っていらっしゃいますので、風の術を扱われます。風を起こして攻撃したり、防御したりできます。その術を使うための力を回復できるんですよ」


 燐家にある露天風呂は回復力が高く、宗主も好んで使いにくることがあるそうだ。

 そんなすごい露天風呂に入って良いのかと思うのだが、睦火からも許可を得ているので、ぜひどうぞと勧められた。


 きっと気を遣ってくれているのだろう。こちらに来てから数日。部屋近くの庭園を散歩するくらいしか行くところがない。敷地の外に出ては危ないと言われているため、敷地から出ることもできない。

 睦火からは、自分の部屋に遊びにきてもいいよ。などと部屋の場所を教えてもらっているが、睦火の部屋に行ってこれ以上波風を立てたくない。行かなくても睦火が華鈴の部屋に来るので、行くこともなかった。


 丸吉はしっぽをぱたぱたしながら返事を待っている。食事のこともあって、なおさら気にしてくれたのだろう。


(私のせいで、自分のことだって大変なのに)


 断るのは簡単だ。けれど、この目の前にいる愛らしい子供をがっかりさせたくなかった。


「それじゃ、お願いしようかな」

「はい、ぜひ!」


 丸吉の明るい笑顔に、華鈴はそれだけで癒される気がした。






 次の日の夕方、露天風呂へ向かうことにした。

 屋敷内を通らず行けるので、屋敷のモノたちに会うこともない。長い階段を登るので、少々歩くが、その階段から眺める景色ですら、すでに美しかった。


「露天風呂がある場所は、別の建物なんですね」

「特別な湯ですから。普段は鍵が閉まってます。使用許可を得たので、私が鍵を持ってますから、安心してください!」


 鈍色の、重厚な鍵を丸吉が出してくる。石の階段を登った先、大きな門が構え、その鍵を開けた。かなり厳重だ。周りは生垣に囲まれており、目隠しになっている。

 建物はいかにも湯屋という雰囲気で、大きな文字が書かれたのれんが扉の前ではためいていた。


(お湯って書いてあるのかな。読めないけれど)


 中に入れば人の気配はなく、ただ、水が流れる音が届いた。


「僕がここで待機してますから。安心して入ってください。ゆっくりしてくださいね!」

「ありがとう」


 建物内はそう広くはなく、待機できるような部屋と脱衣所がある。出入り口は一つなので、混浴のようだ。出入り口で丸吉が目を光らせてくれるので、気にせず入れる。

 どこかの高級ホテルの温泉にでも来ているようだ。岩張りの温泉で、一人で入るにはもったいない広さだ。体を清めてから淡いピンク色の湯に足を沈めれば、ジンと痺れる感じがする。

 それが心地よいのは、効能のおかげだろうか。


「はー、露天風呂なんて初めて。遠くの街まで見える。素敵―」


 丁度、日が隠れる頃。海に日が沈んでいく時間。露天風呂から見える景色は人間の世界と変わりない。この屋敷は山の上の方に位置しているため、海際に街が望めた。屋根が連なり、光が集まっている。


「あの街も燐家の土地なのかな」


 山と海に囲まれた土地。海の向こう側にも山が見える。島なのか、いくつかの山が見えた。あちらは別の家の土地だろうか。


「観光にでも来たみたい」


 食事はともかく、ゆっくりはできている。曽祖父が亡くなって、華鈴は大忙しだった。曽祖父が倒れて入院し、亡くなるまでが早すぎて、気持ちの整理もつかないまま葬式が行われた。

 意識が戻らぬまま亡くなったのに、遺書が残されていたため、華鈴に苦労はなかったが、だからこそ気持ちだけが置いてけぼりになり、実感の湧かぬまま、今はこんな場所にいる。


「どうやったら、帰れるんだろう」


 家にいれば一人、これからどうすべきか考えていたに違いない。曽祖父の家をもらえても、曽祖父がいなければ華鈴が行うことはなにもない。曽祖父の情けで生きていたようなものなのだから。


「ここにいても一緒だよね。なんにもしないで」


 自分は一体何をしているのだろう。ここにいるにしろ、帰るにしろ、ただぼんやりとして時間を過ごすのならば、生きている意味すらない。

 どこへ行っても、邪魔者にされて当然だった。


 両親が華鈴を恐れて捨てても、華鈴は曽祖父に甘えていただけだ。そしてここでも、華鈴は同じように睦火に甘えている。


「……これから、どうしよう」


 美しい景色から目を背けて、華鈴は湯に浸かりながら顔を両手で覆った。目隠しの垣根の中で、何かが動いたのに気付くことはなかった。

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