第16話 出発します。
「本当に、行くのか?」
ラファエウは心配そうな顔をする前に、どこか怒りを堪えているように眉根を寄せていた。頬を歪めるように唇を噛み締めている。
「あちらで飲食はできる限り控えます」
「少量でも毒だったら!」
「そこまで浅慮ではないことを祈りましょう」
「エラ!」
騎士は連れていけない。ユーグを女装させてもシャルロット王女のお茶会には参加できない。ラファエウの心配はもっともだ。
だが、王女の誘いを断り続けるのは難しい。一度断ったのに、再び手紙が届いたのだ。シャルロット王女はどうしても私にお茶会へ出席してほしいらしい。
参加するまで手紙は届くのだろう。仕方なしに出席の返事を出した。
「ラファ。では、行って参りますね」
馬車が動き出しても、ラファエウは今にも泣き出しそうな顔をして私を見送っていた。
今生の別れのような、悲壮な顔。
「奥様ぁ~」
一緒に馬車に乗っているメアリも泣きそうだ。メイド長のエレーナも付いてきて、私の隣でぐっと拳を握る。
二人とも来なくて良いと言ったのだが、頑として譲らず付いてきた。ユーグがいるから大丈夫だと伝えたのだが。
「ユーグ、メイドの格好なんてさせてごめんなさいね」
「問題ありません。これが私の仕事です」
茶会には参加できないが、ぎりぎり近くまでは寄ることができる。
私も対策を練らずに茶会に参加するつもりはない。ユーグにメイドの格好をさせ、近くで待機させることにした。
「袖口に違和感はないかしら」
「長めに作りましたし、染みても色が分かりにくいドレスを着ていますから、気付かれないと思いますけれど、本当にできるんですか?」
「練習はしてみたし、やってみるしかないでしょう」
私の返答にユーグが達観したような表情を見せた。これを作っていた時からずっとそんな顔だ。エレーナも同じような顔をして、もう何かを言うのは諦めたとでもいうような顔をしてくる。
「妙なものを飲まされないかと警戒するのに、袖口に仕掛けを作るなど」
やはり我慢できないとエレーナが頭を抱えた。
「飲んだふりをしても、減っていないと言われたら飲まないといけないのだから、その対策よ。いただいた飲み物を袖口に流しても、気付かれないようにするわ」
袖口に脱脂綿を詰めるという、どうにも間抜けな対策だが、やらないよりはいい。
私の答えにユーグは閉口したままだ。
麻薬対策にせっせと縫い物をしていた私たちを見ていたユーグは、呆れながらも既に行くことを決めた私に小さい笛をくれた。
最悪それを吹けば茶会に乗り込むということだ。
ユーグ一人でシャルロット王女の襲撃に対抗するのは難しいだろう。しかし、必ず助けに行くと誓ってくれたのだ。
笛はありがたくいただいてある。他にも色々対策は行っているが、使わずに終わるとは思っていない。
とはいえ、毒殺されるとかいきなり切られたりする前に、そもそもシャルロット王女が私と対面して話をしたがるかの方が気になる。その時間ですら嫌がりそうなのだが。
「お試しで殺せるはずだったのに、生きているものだから、意地になってしまったのかしら」
お茶会はシャルロット王女主導なのだろうか。私に害をなすにはしつこすぎる招待だ。
「……あからさまな誘いではありますよね。どんな理由を付けても、お茶になど誘ってそこで奥様になにかあれば、侯爵の恨みを買うことぐらい分かるでしょうし」
「私もそう思うけれど、シャルロット王女はラファが自分になびかないのは、私のせいだと思っているようなのよね。ジルや王太子殿下からの話を聞いたりしていると、私がいるからラファが自分のものにならないような」
だからとりあえず私が消えれば何とかなる。そんなことを本気で思っていそうなのだ。
ラファエウの気持ちなどどうでもいいというより、当然のことだと思い込んでいる。
第二夫人の影響なのだろうか。手に入らない物は、何もない。そんな思い込み。
「旦那様がどれだけ奥様のことを想っているのか、まったく分かっていませんね! 今までのヘタレ旦那様は昔の話で、奥様と旦那様今はとってもらぶらぶなんですよ!?」
「メアリ……」
力説が何とも物悲しい。ラファエウがヘタレで話し合う勇気すらなかったことは皆が知ることになり、実は私にベタ惚れだったと分かって、今ではネタにされるほどである。
あまりにひどかった態度を未だ怒っているメアリとエレーナ。ラファエウに対して存外だ。
「屋敷内では周知されているとはいえ、王女の周囲では分かりませんからね。離婚しそうだったのが奥様のせいで足踏み状態になっているとか、言いくるめていそうです」
ユーグの言葉は間違いではないかもしれない。
王の側近であるゴドルフィン侯爵は第二夫人に近く、シャルロット王女にラファエウを勧める一人だ。
ゴドルフィン侯爵からすれば、次代の王となる王太子殿下の側にいるラファエウは邪魔らしく、第二夫人が関与できる立場に置きたがっているという。
王女の強行を許しているのは第二夫人の意向もあるのだろうが、ラファエウを邪魔に思う者は多いのかもしれない。
(ラファエウのお義父様も殺されたのではないかと思うほどよ。お父様が殺されたのならば、そっちだって疑うわ)
けれどラファエウは、それはないと断言していた。お義父様の病気は間違いなかったのだ。
しかし、そのせいで第二夫人がハーマヒュール侯爵家を乗っ取ろうとするきっかけになったのではと想定している。
主人が病で侯爵家が不安定になった。それを見逃さず、屋敷内の者たちを買収し、シャルロット王女を結婚相手に勧めようとした。
シャルロット王女はラファエウとの結婚に前向きで、ずっとそうなると信じている。
「私はとっても邪魔な存在ね。だからって、お茶会の最中にどうこうとはしないと思うのよ」
「……、そのようですね。伏せてください!」
ユーグが私の腕を引いた。馬車の中で座席に伏せるように覆いかぶさる。
馬のいななきとともに、馬車のスピードが急激に早まった。
「きゃああっ!!」
メアリとエレーナがお互い抱き合って座席で伏せる。ユーグは私を押さえながら自分のスカートをめくり隠していた剣を取り出す。
馬を制御できないのか、馬車は揺れを気にせず走り続ける。ひどい揺れを起こしていても停まる様子がない。その時、一瞬伏せていた座席から体が浮いた。
「掴まって! 倒れます!!」
ユーグが叫んだ瞬間、ぐらりと馬車が傾いで一気に横転した。
「きゃあああっ!!」
メアリとエレーナが叫ぶ中、ユーグは細い体で私をしっかり押さえた。メアリとエレーナは座席から滑るように転げ落ちる。
私はユーグに抱きしめられながら、そのまま窓際に打ち付けられた。
大仰な音を立てて転げた馬車はしばらく地面を滑り続けると、やっと滑るのをやめてカラカラと車輪が回る音を響かせた。
「奥様、お怪我は?」
「……ないわ。ありがとう。ユーグは、大丈夫ね? メアリ。エレーナ?」
「ぶ、無事です」
「私も無事です。奥様」
二人は座席から滑り落ちて側面に転がっていた。頭などは打たなかったか、体を押さえつつ起き上がる。
それを確認して、ユーグはスカートを破ると扉に手を掛けた。
「ここで待っていてください」
「分かったわ。気を付けて!」
真横に倒れたせいで窓側が地面に付き、扉が上部にあった。ユーグはその扉を開いて飛び出すとすぐに走り出す。
外では既に戦いが起きているか、金属がかする音が響いている。警備の騎士たちを後から追わせていたので、すぐに戦闘に入ったのだろう。
私はスカートをめくり、左太ももに固定されたベルトから筒状の物を取り出した。
その筒を二つに勢いよく折る。ぶわっと煙が飛び出し、私はそれを扉から外に投げ捨てた。
「お、奥様……」
「メアリ、エレーナ。扉を閉めるの手伝ってちょうだい!」
私たちは立ち上がり扉を閉めて、その鍵を掛ける。内側から鍵が閉められるようになっており、外側からは鍵が必要だ。壊されるまで時間は稼げるだろう。
私は今度は座席を開いて中にある折りたたみ式の弓を取り出す。エレーナが急いで立ち上がり、矢を取り出した。
それをぎゅっと両手で握り、天井にある扉を睨み付けて矢を番える。
突然、ガン、と誰かが馬車の上に乗った音がした。
「ひっ!」
メアリが悲鳴をあげる。足音は扉の上から聞こえ、がちゃがちゃと扉を開こうとしてきた。
「お、奥様っ」
「あなたたちの持っている筒を使って!」
「は、はいっ!!」
メアリがはっとして自分たちのスカートをめくった。同じように太ももからベルトで固定された筒を出して握りしめる。
エレーナは太ももに隠していた短剣を持ち、私たちはその時を待った。
ガツン、ガツン。ノブを壊しこじ開けようとする音が響いた。
三人が三人とも息を呑んだ。
ガチリ、と扉が開けられた瞬間、メアリは持っていた筒を二つに折り、勢いよく煙を吹き出すその先を、扉を開けた男に投げつけたのだ。
「うわっ!」
男が避けようとしたその時、私は弓を引く手を離した。
「ぎゃああっ!」
鮮血がほとばしり、マントを被った男がもんどり打って体をねじらせる。押さえた顔、その指の隙間にある矢からぼとぼとと血が流れ出していた。
「こ、この野郎が!」
「奥様!!」
男が剣を突き刺そうとする。私は座り込みその剣から離れると、もう一度矢を番えようとした。
しかし、男の剣にその矢が弾かれる。勢いで弓を離してしまい、それを拾おうとした途端、男が馬車の中に入り込んだ。
「奥様!!」
「ぎゃあっ。何しやがる!!」
「エレーナさん!!」
エレーナの短剣が男の腕に突き刺さった。しかし、狭い馬車の中でエレーナが突き飛ばされて、メアリともども壁にぶつかった。
瞬間、私はスカートの中から短剣を取り出していた。
ぶつかった男の腹。肉を突き刺す感触とぬめった液体が手の中に滲み、男の息が私の頭の上で吐き出された。
「て、め、この。……っ」
男の顔には私が射った矢が深々と刺さったまま。血に塗れた魔物のような醜い形相で、ふらつきながらも持っていた剣を振りかぶった。
「おくさまっ!!」
グサリ。突き刺された首の後ろ。男は舌をだらりと出しながら白目を向いた。
持っていた剣が馬車の中に落ち、両腕が垂れる。それを見て、ラファエウは突き刺した剣を引き抜いた。
男は馬車の中で身動きすることなく、倒れ込んだ。
「エラっ!!」
「ラファ……」
「怪我は!? 怪我はないのか!!??」
「ありません。ラファのおかげで助かりました」
現れたラファエウは泣きそうな顔を私に向けて、男を踏みつけ馬車内に入り込むと、私を力強く抱きしめた。
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