第15話 招待状が届きました。

 垂らした耳が見えるような気がする。


(ラファのあの物欲しげな目を見ると、ふわふわ髪の毛をわしゃわしゃして、ぎゅっと抱きしめてあげたくなるのよね)


 大型犬。ゴールデンレトリバー。時折、ビーグル。


 さすがに自重して、なされるがまま身を委ねたが、睡眠時間も温もりも短いまま、ラファエウはまた朝早くから出掛けていってしまった。

 忙しい夫の体調が気掛かりである。





「旦那様の様子はどう?」


 騎士のユーグを伴って、私はジルベルトの屋敷に来ていた。

 疲れているのだろう。ジルベルトの色白な肌が病人のように土気色にくすんでいる。目元は青黒いシャドウがのり、艶のない顔をしていた。


「手遅れというまでではなかったわ。そこまで単純に治るわけではないけれど。今は体調不良のため療養中ということにして、休んでいるところよ。ただ、少し、眠っている間にうなされて混乱したまま起きるものだから、ずっと側にいて……」


 だから眠りが浅く、寝不足気味だそうだ。ハキハキした元気さが魅力のジルベルトだが、本人も薬を含んでいたため、体調不良と疲労も重なり、顔色が悪くなるのは当然だった。


「薬に気付いていなかったら、今回の事件のように犯人にされていたかもしれないのよね……」


 ジルベルトの言う通り、犯人となったカルメル子爵はギャンブルに通っていたうちの一人だった。


 パーティ会場に入るまではどこか虚ろだったらしい。受け答えはするが要領を得ず、何人かが声を掛けたが簡単な答えはするので、おかしいと思われながらも放置されたらしい。


「依存が強かったみたいで、ギャンブルが危険だと注意を受けた後も、妙な輩に関わっていたらしいのよ。薬を手に入れていたみたいね」


 カルメル子爵には妻と子がいる。妻は夫の性格が少しずつおかしくなっていることに気付き、医者にかかるよう説得していたようだ。しかし、薬のせいか頑固になり、言うことを聞かなかった。


 カルメル子爵の家で薬の残りが見付かったが、それをどこから手に入れたのか、妻は分からないという。


 第二王子を襲おうとしたため、カルメル子爵もその妻と子も捕らえられており、カルメル子爵が陥れられた証拠を得るのは今の所難しいのが現状だとか。


「麻薬の常習犯としても罪を問われるようよ。手に入れた場所などはさておき、第二王子を狙い麻薬を得ていた。王妃様の立場がなおさら悪くなるわね」

「麻薬の件まで王妃様の罪にする気なわけね」

「ギャンブルにのめり込んでいた者たちは皆王妃派だから、犯人にとってはギャンブルの件も表沙汰にして良いのでしょう」


 罠だと気付かずずっと通い続けていたら、王妃主催の場だったとでも話が出ただろうか。


「パーティでは、第二夫人が怪我をしたのよね?」

「ええ。ペーパーナイフで腕を斬られたの」

「本当に、事件自体はしょぼくてお粗末ね。だからこそ、王妃に依頼されて自暴自棄になって行ったって話にされれば、納得する者も出てくるってのは分かるわ」

「そうね……。事実はともかく、王妃が第二王子を殺そうとしたと聞けば、王妃の印象は悪くなるし、王太子殿下も同じく煽りを受けるでしょう」

「腹が立つわ。第二王妃が関わっているという証拠は一切ないのでしょう!?」


 そう。第二夫人が関わっている証拠など一切ない。問題はそこだった。

 第二夫人が犯人であるかは、こちらの想像であって、彼女が犯人である手掛かりもない。


「ギャンブルを勧めてきた者たちから、何か分からないか調べているようだけれど」

「王妃派を陥れるためなのは分かったわ。でもあなたを狙った犯人は、随分私的な恨みのように思えるけれど?」


 今回の事件は、私を狙った事件と似たような状況だ。だが、第二夫人の茶番劇とは違い、抵抗しなければ私は殺されていたかもしれない。


「あなたを狙った理由って、何だったのかしら? 侯爵を狙うなら何となく分かるわよ。王妃派で王太子殿下の信頼を受けている。あなたを狙って侯爵の意気でもなくしたいのかしら?」

「ラファを狙うことが難しいから、私を狙うというのは、王妃派という観点からでは理由が薄い気がするわ」


「第二夫人がそこまでハーマヒュール侯爵家を欲しがっているとなったら話は別だけれどね。少し前まではシャルロット王女の相手に侯爵を、と思っていたわけでしょう? でも、今ではあなたとの仲の良さは公然となっているし、考えも変わっているんじゃない? 王太子殿下の足元を崩すには侯爵が邪魔だわ。その妻がシャルロット王女になれば、都合がいい。王女のために推しているというより、侯爵家が邪魔だから監視しやすくしたいという方が強いのではないの?」

「どちらにしても、ラファの妻である私は邪魔ね」

「シャルロット王女が手を出すなら、もっと単純な方法な気がするわ。あんな短慮な女にそんな大層な計画練れるとは思えないけれどね」


 軽くシャルロット王女を罵って、ジルベルトは鼻で笑う。


「やるとしたら、普通に襲うくらいじゃないの?」

「ありえそうねえ」


 パーティでいちいち突っ掛かってきたのも気になる。堪え性ではなさそうなので、ただ喧嘩を売りにきただけかもしれないが。


「第二王子を狙った方法と、あなたを狙った方法って、同じではないの? だとしたら、同じにしては足がつきやすくなるんじゃない? それこそお粗末な計画に思えるけれど。別の者が同じ方法を用いたのかしら」


 ジルベルトの意見はもっともだ。

 王妃派である私を狙う手と、第二王子を狙う手と同じにした。


 私を狙った男は、男爵家の者だった。

 オドラン子男爵。王妃派ではないこの男は、捕らえられて牢に入ってもしきりに酒を欲しがり、話ができるような状態ではなかった。ギャンブルに行っていたかの証言はなく、どこで薬入りの酒を手に入れたか調査中だ。


「お試しだったのかしらね……」

「何よ。お試しって」

「言うことを聞いて、殺しができるかのお試し」

「ちょっと!?」


 ジルベルトは突然立ち上がった。紅茶の入ったカップががちゃりと揺れる。


「落ち着いてちょうだい、ジル」

「落ち着けるもんですか! つまり、あなたが襲われたのは、第二王子を襲うための練習だったってこと!?」

「声が大きいわ」


 息巻いて今にも怒鳴り込みに行きそうな顔をするので、私はジルベルトに鎮まるようなだめる。


「私に関しては丁度良かったと思うのよ。無差別に見せて、けれど確実に目的の者に襲いかかる。そのまま死ねば御の字。そうでなければまあそれでいい程度の。それは立証できたでしょう?」

「冗談じゃないわ!!」


 青筋を立ててジルベルトは吐き捨てるように言う。しかし、その確率は高いように思う。


「もちろん、殺してほしいと思っていたのかもしれない。殺す予定はあるけれど、でもお試しで死んだらラッキーだと思わない?」

「あなた、言い方あるわよ。自分のことでしょ……」


 ラッキーがお気に召さなかったか、ジルベルトは心底嫌そうな顔をした。

 手間をかけずに殺せるならば、その方が良いだろう。

 失敗はしたが、目標への襲撃は可能と分かったのだ。


「第二王子を殺す気はないのでしょう。乳母が体を張って庇っていたし、最悪刺されても何かあるのは乳母だわ。もしくは、第二王子に見せかけて、乳母を狙わせたでもいい。邪魔する者はただの邪魔者であって、それを執拗に殺そうとはしない。だから第二夫人は軽い怪我で済んだ。あくまで目標は決まっていて、視線はそちらに向いて、ただナイフを振り回しただけなのだから」

「じゃあ、あなたを狙った犯人は捨て駒で、薬か何かで正気を失っても目標に一目散に駆けるか試したって言うの?」

「依存性が高いのだから、薬をあげるからあの女を狙え。なんて命令でも、目標は明確に決められるわ」


 ただ、街中でなら可能であっても、パーティ内ではタイミングが難しい。自制できるとは思えない。

 第二夫人が何かを気にしていたことを考えれば、何かしらの合図があったのだろうが。


「瓶が割れた音を合図にしても、正気を失っているような者をタイミング良く扱えるのかが疑問だけれど」

「そっちに気を逸らしただけなんじゃないの? パーティに出席しろ。その時に薬をやる。とか。先に乳母を見ておけと伝えておいて、瓶が割れた瞬間、そちらに注目させて、乳母を殺せば薬をやる。と伝える。とかね。そこまで我慢できるかなんて分からないけれど」

「……なるほど。その可能性もあるわね」


 王宮内での殺傷事件もある。待て、ができない殺人犯では意味がない。

 ジルベルトと私が唸りながらあれこれ話していると、ゴホン、とユーグの咳払いが聞こえた。


「歓談中申し訳ありませんが、そろそろお暇しませんと、帰り道が暗くなってしまいます」

「あら、もうこんな時間だったのね」


 あまりに真剣に話ししすぎて時間を忘れてしまっていた。私はすぐに帰る用意をする。

 ジルベルトも少量とはいえ薬を含んだ身だ。疲れているのに、気遣いができず申し訳ない。

 それを言うとジルベルトはけらけら笑った。


「いいのよ。私は日がな一日旦那の側にいるだけだし、ゆっくり話せて良かったわ。それより、早く帰って。あなたは狙われているんだから、遅くなるのはまずいわ。暗くなる前に帰すべきだったわね。気を付けて帰りなさいよ」

「ありがとう。あなたも体に気を付けて」


 ジルベルトの見送りを受けて、私は屋敷を後にした。


「本当に暗くなっちゃったわね」


 ラファエウから夕闇になる前に帰れと言われていたのに、つい話が込んでこんな時間になってしまった。

 空は朱色が薄く滲み、濃藍の色彩が空を包もうとしている。

 図らずも狙ってくれと言わんばかりの時間になってしまったようだ。


「ユーグ様もいらっしゃいますし、他の警備もおります。問題ないですよ」


 一緒についてきたメアリは問題ないと言いつつも、小窓からちらりと外を見遣る。ユーグがちゃんと付いてきているか確認したようだ。

 ユーグは馬で馬車の側を走り、他の警備が三人少し離れたところから付いてきていた。


 犯人が捕らえられるまで出掛けないわけにもいかない。ラファエウの好意を受け取って、警備の騎士たちを連れてきている。

 他にも用意しているものはあるが、使うことがなければそれでいい。

 馬車などが突っ込んできたら話は別だが。


「危険は承知で、その方が手っ取り早いのだけれど」

「何か仰いました?」

「何でもないわ。ジルは王女から誘いはなかったようね」

「何も仰っていなかったのですか?」

「ええ。あの招待状は、私だけに届いたのでしょう」


 ジルベルトの屋敷に行く前に、シャルロット王女からお茶会の招待状が届いていた。

 王妃があのようなことになり、王妃派は肩身の狭い思いをしているだろう。共にお茶をして王妃の疑いを払拭したい。

 そんな内容の招待状である。


 ラファエウは怒りに震えてその手紙を破り捨てようとしていた。

 だが、王女を蔑ろにはできない。ラファエウを何とかなだめ、他の王妃派の女性たちに招待が届いているか確認することにした。

 それでジルベルトを尋ねることにしたのだが、彼女は何も言わなかった。


「問う必要もなかったわ。ジルだったら届いていたとすぐに言うでしょう」

「では、王妃派と言いながら、奥様だけに紹介状を送ったのでしょうか」

「私だけを呼んで、何がしたいかしらね」

「ど、毒殺する気ではないでしょうか!?」


 メアリはぶるぶると震えて、恐れを吐き出す。シャルロット王女ならばやりそうだが、行っても麻薬程度だろう。その辺で死んではさすがにシャルロット王女も困る。

 麻薬は多量に含めば死に至るため、含んでも少量。


「お茶に入れたりケーキに入れたり、それらを口に含んで味などに気付かない量。それを口にしたとしても、そこまでの支障はないと思うわ」

「ですが、そんなものを口にしてしまっては」


 ラファエウは出席に大反対で、同じように麻薬の混入を恐れていた。そうでなくとも何をされるか分からない。罠を仕掛けて捕らえようとしてくるかもしれない。

 こちらが毒を混入させることはできないが、シャルロット王女の陣営に入ればそれくらいでっち上げそうな気もする。


「私も出席はしたくないけれど……」


 しかし、欠席理由がない。体調が悪いと断っても、何度も送ってきそうである。

 どうすべきか、迷っている暇もない。

 王妃派を呼ぶわけではないとなれば、完全に私に用があるのだ。


「さて、どうしましょうかしらね」


 私の小さな呟きは、馬車の車輪の音に重なりすぐに消えた。

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