第12話 騎士が付きました。

「怪我はなかったのか!?」


 帰ってくるなりその言葉を口にしたラファエウは、アルバートの緊急の連絡を得て急いで帰宅したようだ。いつもより帰宅が早く、蒼白な顔をしたまま私の肩を掴む手がひどく震えていた。

 唇を噛んだまま帰り道を来たのか、少し血が滲んで赤くなっている。

 私はその唇にそっと触れながら、ゆるりと笑む。


「私はありません。メアリが転んだ時に足を捻ったくらいで」

「も、申し訳ありません。驚いてねじってしまって」


 メアリが情けないほどしょんぼりと肩を下ろした。痛みはもうないようだが包帯を巻いている。私がなでてやると、ほろりと涙した。時間が経っているとはいえ、よほど恐ろしかったのだろう。事件を思い出してしまったか、再び震えてメイド長のエレーナが抱きしめてやる。


「二人とも無事なら良かったが……。私が外に出て買い物をしろと命令したばかりに」


 ラファエウがなぜか自分を責め出す。突然暴れ出した男が悪いだけで、ラファエウが悪いわけではないのに。


「でも、ちゃんと買い物はしてきましたよ」


 そんなことを自慢げに言うと、ラファエウは顔をふにゃりとゆるめて、上から覆いかぶさるように抱きついてきた。

 皆がささと部屋から去っていく。ラファエウは気にせず私を抱きしめるが、その肩は少し震えていて、私はゆっくりとその背中をなでてやった。


 安堵するのは私も同じだ。温かい体温が伝わり、ホッとする。自分では分からなかったが、体が冷えたように強張っていたのだろう。ラファエウの体温で溶けるように私の体の力が抜けた。


「何もなくて、良かったです」

「本当だ。こんな、……なんで、君がこんな目に……っ」


 ラファエウは絞り出すような声を出す。ラファエウの震えが治まるまで、お互いにギュッと抱きしめ合った。


「犯人の男の身元を知らせるよう、警備の兵に伝えました。正気を失っていたような、おかしな風でしたので、何か事件に関わりがあるのではと」

「何だと……?」

「気が狂ったように向かってきたのです。目が合ったため店に入ってきたのでしょうが、剣を落としても拾うことなく体当たりするように走り込んできました。女性ばかりだったからとはいえ、私はコートハンガーを突き刺したのに、痛みも感じないようにそのまま手を泳がせていたくらいです」

「こ、コートハンガー? 突き刺す??」


 ラファエウが目を回すように問うてくる。話したらもっと目を回しそうだが、店であった出来事を詳しく話すと、案の定、ラファエウは脱力したようにもう一度私をきつく抱きしめた。


「騎士を、付ける……」

「そこまでのことでは。あのようなこと二度も起きないでしょう」


 さすがに街中で剣を振り回す者は出てこないだろう。偶然外にいて運悪く襲ってこられただけだ。

 そう思っていたが、ラファエウが緊張した面持ちで私を見つめた。


「いや、もしかすると、今後も似たようなことが起きるかもしれない」

 ラファエウはわずかにためらいを見せると、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。


「……君の、父君が亡くなった事件の話は、覚えているか?」

「ええ、覚えています。確か、どなたかの馬車の馬が暴れて、お父様の馬車に突っ込んできたとか……」


 記憶がないため聞いた話でしか知らないが、事故にあい亡くなったと聞いている。

 私にはお父様の記憶はなく、絵で見るでしかない父親になってしまったが、亡くなったのは少し前で、お義母様が亡くなる直前くらいだったと聞いた。


「何か、あったのですか?」

「……事故ではなかったかもしれないんだ」

「どういう、ことですか……?」


 王宮に並ぶ馬車の中、一頭の馬が突然暴れ出した。

 その馬車は馬に引き摺られてお父様の馬車に勢いよくぶつかった。中にいたお父様も、その馬車に乗っていた御者も主人も亡くなり、事件は不幸な事故として終わった。

 だが、最近、その亡くなった貴族の娘から情報が入ったという。


「義父君の馬車の側に寄せるよう、命令を受けていたそうだ」

「命令……、どなたからですか?」

「ゴドルフィン侯爵だ」


 ゴドルフィン侯爵は王の側近で、第二夫人に近い者だと言われている。

 その貴族は元々ゴドルフィン侯爵の派閥に入っており、命令をされてもおかしくない立ち位置だった。


「ですが、それで死んでしまっては……」

「自分も巻き込まれるとは思わなかったのだろう。そもそも君の父君を殺すためであるとも知らなかった可能性がある。その貴族の娘がゴドルフィン侯爵との話をたまたま聞いてしまったらしいが、その時の命令は馬車に寄せろ、ということだけだったそうだ」


 事故が起き、父親が死んだ。一人娘で母親もいなかったため、途方に暮れていた頃、ゴドルフィン侯爵の勧めで結婚した。

 娘は結婚ができて初めは喜んでいたそうだが、その夫がひどい暴力を振るう人だった。

 家は叔父が継いでいたため、叔父に助けを求めたところ、まんまということを聞いて家を出たことを嘲笑された。


「ゴドルフィン侯爵の策略だったと、笑われたのですか……」

「娘の父親と叔父は仲が良くなく、表では兄に媚びて裏では文句を言っているような叔父だったようだ。叔父からそのように笑われただけで、何が策略だったのかは分からないらしい。ただ、事件前にその叔父が馬房をうろついていたことを、その時に思い出したそうだ」

「では、その男が馬に何かをしたということですか?」

「証拠があるわけではない。御者も父親も死んでしまっている。馬房をうろついていたのも偶然だったかもしれない。だが、その娘が言うには、叔父は馬房は汚らしく近寄ることも嫌がるような男だったと」


 私は閉口した。ゴドルフィン侯爵が命令したのならば、それは第二夫人からの命令ということなのか。

 ラファエウは証拠がないと言いながらも、関係はあるのではないかと渋面を作る。

 今回のことは、その娘の夫がアンチュセール伯爵の通うギャンブルに関わりがあるのではないか調査していたところ、発覚したそうだ。

 しかも、その夫にも麻薬症状が出ており、入手経路を調べているという。


「オスカーには、このことは……?」

「まだ伝えていない」


 証拠もないため話すことをためらっていたが、私が襲われてもしやと思ったのだ。

 もしや、店に押し入ってきた男も、何かしらの策略があってやってきたとしたら?


 私は背筋が一気に寒くなるのを感じた。

 私が買い物をしていた店に、たまたま正気を失った男がやってきて、たまたま私を狙った。


 そうではないとしたら?


「ドレスを選ぶのに、かなりの時間を要しました。建国記念日にドレスを購入することを、予測していたのでしょうか……」

「あの店はうちがよく使用する店だ。待ち伏せすることは可能だろう。そこに正体を失うような者を送ることは難しいだろうが、偶然にしては、できすぎているように思う」

「あの男は、私を見るなり、私の方へ近付いてきました。脇目も振らず」

「薬で、言うことを効かせる方法があるのか、もしくは麻薬でどうにかできるのか分からないが、その方向も調査させる」


 ラファエウはそう言うと口元を歪める。


「ラファ、私は大丈夫です」

「警備を増やす。この屋敷でも何かあっては困るから」

「あなたも気を付けてください」

「分かっている……」


 私たちは今の気持ちを宥めるように、お互いにきつく抱き合った。






「奥様、ユーグ・ファロと申します! 本日より、よろしくお願いします!!」


 元気よく高めの声で挨拶をしてきたのは、女性のような顔をした騎士だった。

 さらさらの銀髪は肩までで、まつ毛が長く鮮やかな紫色の瞳をしており、身長は私より少し大きいくらい。華奢で腕も足も細く見えるのだが男性で、ラファエウによると身軽で剣の腕が立つとか。

 見た目からではその強さは全く分からない。しかしラファエウの信頼は厚いようで、常にこの子を連れるようにとお願いされた。


「よろしくね。ユーグ。建国記念パーティまでお出掛けの予定はないけれど、それまで周囲のことに慣れてください」

「承知しました!!」


 びしっと直立不動になり、良い返事をしてくる。はきはきした返しとにこやかな笑顔が可愛らしい。

 ユーグ以外にも騎士を入れ、私の部屋の周りは警備が増えた。ユーグを近くに配したのは、彼が女顔で、女装ができるからだそうだ。

 女性しか入れない場所にも侵入できるように配慮したらしい。

 もちろん、見てはならぬものに対して絶対見るな。とラファエウに何度も言い付けられたそうだが。


(色々考えてくれて、ユーグを付けてくれたのでしょうね)


 パーティでも付いてこられるように、女装をさせる気だ。それで良いのかと心配したのだが、役目のためなら気にしないと、ユーグはあっけらと返してきた。

 そのような仕事にも慣れているようだ。


「ところで、奥様。一体何をしていらっしゃるのでしょう?」


 私の手元にある物を見て、ユーグは首を傾げた。大きな瞳をぱちぱち瞬きさせて、不思議そうに見遣る。

 縫い物をしているわけだが、何のために塗っているのか気になるようだ。


「うふふ。私ができることなど少ないから、できることをやろうとしているのよ」

「はあ……」

「私たちの分はそこにしかないの。騎士たちには別の物を配るから、あなたももらってちょうだいね」

「分かりました……」


 分かったと言いながら、ユーグは少し困惑気味だ。侯爵夫人の部屋にあるまじき物が置いてあるので、どう反応していいか困っている。


 私は、うふふ。ともう一度笑っておいて、メアリとエレーナと一緒に、せっせと縫い物を進めた。

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